

昨年、第13回東京フィルメックスの審査員特別賞を受賞した『記憶が私を見る』。休暇で故郷の南京の実家に戻ったファンを監督自身が、家族を実際の家族が演じ、ドキュメンタリーかと錯覚を起こすほどナチュラルに、この上ない日常のリアリティを映し出した。両親を気遣う娘の不安や優しさ、親戚との何気ないやり取り、長回しを使いながら繊細に人生を紡ぎ、観客の心の奥底を揺さぶる。北京に住むソン・ファンさんにメールでインタビューし、作品のことや、ジャ・ジャンクー監督のこと、またホウ・シャオシェン監督作品に出演した際の話も伺った。とりわけ“時間を撮る”ことにこだわり、「ものごとはチェスボードの駒のようにフラットに並ぶ」とプログラムに記したソン・ファン監督の、リアリティの創り方に興味が湧く。固有の大切な時間が積み重なり、かけがえのない“現在”を生きる両親。「簡単には彼らの人生を理解するものではない」という言葉の中に、ソン・ファンさんの世界観のエッセンスが宿るように思う。今年も開催が近づく(11/23〜12/1)東京フィルメックス、世界のフレッシュな才能に出逢えるのもとても楽しみだ。
父は照れ屋で……
第13回東京フィルメックス、審査員特別賞受賞おめでとうございます。ご感想と映画に出演された家族の反応も聞かせて下さい。
私自身はまったく予期せぬ受賞でした。とても光栄です。かなり後になってから家族に伝えたのですが、やはり喜んでいました。
『記憶が私を見る』を撮ろうと思った経緯や理由を教えて下さい。
理由はとてもはっきりしています。私はいつも両親の人生やその世界のことを気にかけてきましたが、ある日、彼らの人生の明瞭なビジョンが頭に浮かんだのです。そのビジョンに基づいてこの映画を作ったのですが、それはとてもパーソナルなもので、簡単には彼らの人生を理解するものではないということです。
ソンファンさん自身とご家族(父母と親戚の方々)が映画に出演しています。撮影の準備過程で、家族と映画について話し合いをしたのでしょうか。家族は映画に出演することに不安なく快諾されたのですか。
撮影前は、映画に出演する意思があるかどうかを聞く以外は、特に話し合いをしませんでした。もし撮影していて彼らが何かしっくりこなかったり、疑問を持ったりしたら、きっと話し合いをしたと思うのですが。家族は撮られることを了解していたのですが、父だけは、ほかの人よりも照れ屋で……。でも。前にも父を撮影したことがありましたし、結局のところ大丈夫でした。

ものごとはチェスボードの駒のようにフラットに並ぶ
とても興味深かったのは、このようなドキュメンタリーのようなフィクション(あるいは、フィクションのようなドキュメンタリー)を監督がどのように作っていったかということです。例えば、キャストが自然に振る舞えなくて何回もリテイクしたとか、そういう難しさなどはありましたか。
まず、私は“ドキュメンタリーのようなフィクション”を撮ろうとは、まったく考えませんでした。もしこの映画が“ドキュメンタリーのように”見えたとしたら、きっとそれがリアルに見えたから。私はそれがやりたかった。この映画がリアルに見えるように作りたかったのです。それは私の美学のひとつですが、いろんな理由で、多くのシーンで多くのテイクを撮りました。会話の内容が満足いくものではなかったり、出演者が自然に会話していなかったり、あるいは感情が私の思った方向へ流れていなかったりという理由です。私が思い描く自然なシーンを撮るために多くの努力をしました。あるとき、出演者がうまく自然に振る舞えないシーンがあって、なぜそうならないか、彼らと話し合いをして。そういうときは少し調整をしました。または、シーンの内容に関わらずそうなっちゃうことはけっこうあったのですが、そんなときも、もっと自然になるように工夫したり、まあ、実際にはいろんなケースがありました。

「”時間”を撮る」ということにおいて、大切なことは何でしたか。東京フィルメックスのプログラムのソン・ファンさんの言葉で「チェスボードの駒のように、ものごとはフラットに並ぶ作品を撮りたい」とありました。さらに、即興だと思っていたところが、会話には綿密なシナリオがあったとQ&Aで明かされて、驚きました……。
そうですね。綿密なシナリオを書くことで、映画全体をコントロールできるので、そうしています。この映画にとって「会話」はとても大切なパートです。もちろん映画の内容と構造についてチェックするためにもシナリオを書きましたが、出演者にセリフを暗唱してもらうよりは、彼らのやり方で自然な雰囲気を作ってほしいと思いました。でも、私は会話の内容を知っているので、内容についてのコントロールができました。構造については、とても注意深く考えました。
プログラムに「フラットに」と書いたことについては、一般的な物語映画の傾向と比べています。そのような映画では、だいたい物語は直線的、つまりものごとを結びつける関係性は時間軸に沿って並ぶか、あるいは因果的です。でも私にとっては、現実世界でものごとはときにまったく因果関係なく、より偶発的に起きるのです。そういう意味で「フラット」という言葉を使ったのです。この映画においても、ものごとはそれぞれが等価で、直線的でもない関係性を持っています。しかし、映画を観るということは時間のプロセスであり、だからこそ私はものごとをつなぐ「構造に」ついて注意深く考えるのです。

カメラワークについてですが、Q&Aでは、会場から「登場人物の顔を真正面では捉えずに、横や後ろから映していた」という指摘がありました。私は、カメラワークは監督が見えている世界に対する気持ちであり、その表現のための手法であるように感じて観ていましたが、その質問についてどう思いましたか。
もしかしたら心配した人もいたかもしれないのですが、私はその質問についてまったくムッとしたりしませんでした。いろんな意見があって当然だし、観客からの違う意見を聴けてよかったと思いました。もちろんそれは技術的な問題ではなく、私がそう感じて、撮りたいように撮ったということなのです。
さらに、繊細で美しい音が印象に残りました。音響デザインは日本人の山下彩さんですね。出会った経緯や仕事をした感想などを教えて下さい。
山下さんとは北京電影学院で出逢いました。彼女は大学院で音の勉強していて、ちょうど私は卒業作品『告別(Goodbye)』の音をやり直してくれる人を探していました。それで彼女と話をして、映画について同じ方向性を持っているだろうと感じて、映画作りの方向性について理解し合えると思いました。そして彼女はその作品の音制作を手伝ってくれました。そうやって出逢って、よい友達になりました。その後『記憶が私を見る』で、真っ先に彼女にサウンドデザインをやってもらいたいと思いました。彼女の仕事に満足していますし、もっと時間があったら、さらに素晴らしくなるだろうとも思います。
ジャ・ジャンクーとホウ・シャオシェン
ジャ・ジャンクーさんがこの作品のプロデューサーにクレジットされていますが、例えばシナリオやロケーション、キャスティングについての助言とか、内容についても関わっていらっしゃったのでしょうか。
編集作業とポスプロのすべてにおいて、ものすごく力になってくれました。精神的な面でもとても支えられました。
話は変わりますが、ソンさんはホウ・シャオシェン監督の『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』に女優として出演していらっしゃいました。素晴らしい存在感だったのを憶えています。ホウ監督とはよく仕事をすることがありますか? また女優として演じるのと監督をするのでは、どちらが好きですか。
憶えていてくれてありがとうございます。ホウ監督からは、監督業について特に教わってはいないのです。『レッド・バルーン』の撮影のときは、女優としての責任がありましたし、彼の監督のもとで演技に専念していました。もし彼の監督業を見る機会があったら、もっと教わりたいと思います。ホウ・シャオシェン組で一緒に仕事をして、彼の仕事の方法の空気を感じることができましたし、漠然とした”何か”を教わっていたのかもしれません。『レッド・バルーン』以降は、ホウ監督と仕事をする機会はありません。
監督業は、表現方法として私が「監督」を選んだからやっているのだと思います。でも演じることもとても好きです、そちらはあまり機会がないのですけど……。
プロフィールに、映画を勉強するためにベルギーに留学したとありました。
最初はフランスへ留学しようと思っていたのです。映画教育では優れていると思っていましたから。でも私が勉強したいと思っていた学校はとても学費が高くて、ベルギーに同じような内容で学費が受け入れられる範囲の学校を見つけました。実際に行ったら本当にいい学校でした。
次の作品の予定は?
いまのところはありません。
(このインタビューは2013年1月に行われました。)
プロフィール
SONG Fan/中国江蘇省に生まれる。2002年からベルギーの国立芸術大学INSASで映画演出を学ぶ。08年、北京電影学院監督科を卒業。09年、卒業製作として監督した短編映画『告別』がカンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門第2位に入賞。11年にはジャ・ジャンクーがプロデュースしたオムニバスドキュメンタリー『我が道を語る』のうち2つのエピソードを監督した。12年、『記憶が私を見る』で長編監督デビュー。また、『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』(07)には家庭教師役で出演している。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。