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Interview

090:小林政広さん(『日本の悲劇』監督・脚本・プロデューサー)
聞き手:松丸亜希子
Date: August 26, 2013
小林政広さん(『日本の悲劇』監督・脚本・プロデューサー) | REALTOKYO

カンヌ映画祭の常連であり、ロッテルダム映画祭やブエノスアイレス映画祭では特集上映が組まれるなど、海外でも注目されてきた小林政広監督。2010年の『春との旅』に続き仲代達矢を主演に迎えた最新作も、釜山国際映画祭でのプレミア上映後、各国の映画祭を巡っている。しかし、そこに映し出されているものは、老い、うつ病、無縁社会、孤独死など、至ってドメスティックな問題だ。余命3ヶ月の父と、そんな父の年金で暮らす息子。崖っぷちに立たされているふたりの壮絶な闘いに胸が詰まるが、それは決して他人事ではない。自主映画として本作を手掛け、自ら宣伝にも奔走する小林監督にお会いした。

この作品のベースには、3年前に起こった高齢者所在不明問題と年金不正受給事件があるとうかがいました。東日本大震災の被災地が舞台だった『ギリギリの女たち』よりも前に、こちらがスタートしていたんですね。

 

2010年5月に『春との旅』が公開されて落ち着いたころ、仲代さんから次回作も一緒にとのお話をいただいたんです。仲代さんは何年も先まで舞台のスケジュールで予定が埋まってるから、早目に台本をあげてスケジュールを空けてもらわないと、撮影に入れないんです。だから、2010年の夏ごろから、あれこれ企画を考え始めました。でも、『春との旅』で全精力を使い果たした感があって、なかなかいい企画が思い浮かばない。そんなときでした。ある通信社から、当時話題になっていた年金不正受給の問題について記事を書いてほしいと連絡がありました。初めはあまり興味がなかったのですが、調べていくうちに、自分の身にいつ起こっても不思議ではないことなんだと思うようになったんです。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

仲代さんの情熱に背中を押されて

そして、これは映画になる! と思われたんですか。

 

確信まではいきませんが、ひょっとして映画になるんじゃないかとは思いました。でも、シナリオを書いていくと、あまりのテーマの重さに僕自身がしんどくなってきて、第一稿は書いたものの、放り出してしまった。新たにシナリオを書き直したのは、2011年の311以降。つまり、東日本大震災が起こって、2ヶ月ほど経ったときでした。『ギリギリの女たち』の準備をしながら、シナリオを直していきました。何回目かの直しの後、台本を印刷して仲代さんに送ったところ、数日後に仲代さんから電話をいただいて、「面白いじゃないですか。やりましょう!」ということになったんです。電話を切って、しばらく呆然としました。「ほんとかよ」と思いました。まさか、仲代さんが演ると言われるなんて考えてなかった。印刷までした台本ですから、もちろん自信はあったんです。でも、多分にその台本は僕自身に向けて書いたような、ある種、遺書めいたものだった。死を決意した男が、ミイラになることを宣言して自室にこもる話ですから。前の年に僕は、医者から余命宣告を言い渡されちゃって(笑)。身辺整理のつもりで生まれ育った東京を離れて、カミさんの実家のある大阪に引っ越したんです。僕自身にとっては大きな決断でした。でも、それで震災を免れもした。生かされてるという思いと、生きてることの後ろめたさがない混ぜになって……、そんな状態のときに書いた台本ですからね。読まれるだけの台本でいいと思っていたんです。でも、仲代さんはどんどん乗り気になってきて、テレビのプロデューサーを紹介してくれたりして、「台本は既に読んでもらってますから、会うだけでも会ってください」と会食のセッティングまでしてくれたんです。「なんとしても、成立させましょう!」と言ってくれました。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

仲代さん、ものすごい熱意ですね。

 

これは僕の推察ですが、ご自分と重なる部分があったんじゃないですかね。奥さんを亡くされて、ひとり暮らしですから。一時期、厭世的になっていたんじゃないかな。でも、仲代さんは死なないですよ。絶対に死なない(笑)、演じている限りね。『春との旅』のときもそうでしたが、誰よりも元気でしたから! とても80には見えない。なにかというと仲代さんは、「そろそろ人生のフィナーレだ」なんておっしゃるけど、演じてる限り200歳まで生きると思います。『日本の悲劇』の現場でも、すごくお元気でしたよ。「舞台やってたから痩せられなかったんだ。だから、アングルでなんとか工夫してもらって、ね!」なんて、言われて(笑)。僕も、その辺は心配はしてなかったんです。なにしろ日本最高峰の役者さんですから。お客さんはたぶん、映画を観てびっくりすると思うんですよ。「仲代さんが痩せていってる!」ってね。優れた役者さんは内面ができてるから、そのシーンになると痩せて見えるんです。不思議なんですが。回想シーンは回想シーンで、かっぷく良く映ってる。すごい! のひと言です。今回の回想シーンは、はるか彼方の出来事というふうに見せたかったから、ものすごい望遠で撮っています。普通のロケーションだと引きが足りないので、スタジオで壁を取っ払って200メートルくらい離れて撮影しているんです。だんだん意識がもうろうとしてくる中での回想だから、ちょっとした違和感がないとね。今回はだいたい順撮りで、現在は現在、回想は回想で撮って、大過去というか、いちばん昔のシーンをいちばん最後に撮りました。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

モノクロでいこうというのは?

 

最初にモノクロのイメージがあったんです。現代の話ですが、寓話性みたいなものを出したかったので。でも、ギリギリまで悩みました。モノクロにすることで、お客さんを限定してしまうんじゃないかと危惧したんです。カメラマンはモノクロの言葉に反応して、照明部と打ち合わせを重ねてたみたいですね。それで、僕のほうは押し切られるような形でモノクロでいくことにしたんです。ただ、全編モノクロにはしなかった。回想シーンの、ある部分だけ、カラーを使いました。もちろん内容的にふさわしいと思ったからそうしたんですが、前に言ったように、お客さんを限定してしまうので全編モノクロにするのが嫌だったと言うのがあります。カラーの部分は昔のテクニカラーみたいな感じにしようと思いました。モノクロとの対比を明確にするためです。

 

砂利を踏む音とか、サンダルのカランカランという音とか、音声も耳に残っています。

 

なるべく映画に、閉塞感を出したかったんです。だから、ちょっと変わった撮影になりました。それと今回は、音が重要な要素なので、音の打ち合わせをなによりも先にやりました。録音は福田伸さんです。僕は、後処理で効果音を付けるのが、この映画にはふさわしくないと思ったものですから、映ってないところもぜんぶ、役者さんに演じてもらったんです。庭に通じる通路には門扉があり、敷石を置き、砂利となり、砂の庭へといった具合にぜんぶ作って、そこを北村くんに歩いてもらいました。電話の音も後から付けたのではなく、実際に鳴らしました。北村くんには出演交渉の段階で、「今回は声の出演になると思います。つまり、演じてはもらいますが、映らないと思うんです。それでもいいなら出てほしい」と話しました。現場でもめたくなかったので。でも北村くんは、それでもいいって言ってくれたんです。結果はご覧の通りで、初号を観た北村くんは「なんだ、声の出演だけかと思ったら、随分出てるじゃないですか!」って(笑)。

 

派手な仲代さんに負けない息子役を

キャストは4人、スタッフもミニマムなチームですよね。

 

初めからスタジオ撮影と決めていたので、ロケーションに関係する費用はかからないのですが、美術費がすごいことになってしまって、頭を抱えましたね。それで、制作部の人員を減らしたりしました。美術費の中にはセットのデザイン代、大道具、小道具、持ち道具とスタジオ代などが入ります。それだけでもう、考えてた予算を大幅にオーバーしてしまって。スタジオ撮影がどれほどお金のかかるものなのか、僕はまったく知らなかったんです(笑)。スタジオは2週間通しで借りました。仲代さんは「どう考えたって、3週間はなくちゃ撮れないでしょう」とおっしゃっていたんですが、僕は既に2週間で予定表を組んでました。今回も長回しをするつもりだったんで、芝居さえ固まれば、そうは時間はかからないと思ったんです。ものすごい緊張感の中での長回しですから、そう、何度も撮れないんです。基本的には簡単なリハーサルを何度かやって、本番は1度だけ。リテイクはなしです。『春との旅』もそうでしたけどね。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

仲代さんが決まっていて、息子役はすぐ北村さんだと思われたんですか。すごい泣きっぷりとか、見たことがない北村さんを見ました。

 

キャスティングの交渉というのは、順番を間違うと大変なことになります。まず、4人のイメージキャスティングをして、各役に何人かの役者さんを置きます。もちろん父親役の仲代さんは決まってるんですが。最初にどの役を決めるかで悩みました。仲代さんの次に妻役の大森さんを決めました。これで老夫婦ができた。次に、息子の元妻役の寺島さんが決まって。寺島さんに合うのは誰がいいかなと。それに、仲代さんと親子の関係ですから、その辺のつり合いとかも考えると北村くんしかないんだけど、果たして受けるかどうか。スケジュールの確認もしてませんでしたからね。映画は、キャスティングを終えた段階である程度決まってしまう。今回は『春との旅』と同じくらい理想的なキャスティングだと思ってます。相当高いレベルの映画になると確信しました。

 

北村さんとは、もう4作目くらいでしょうか。最初の出会いは?

 

役者志望だった彼が働いていた飲み屋に、僕がよく飲みに行ってたんです。そのころ僕はシナリオライターで、テレビドラマの脚本を書いていました。『LUNATIC』(サトウトシキ監督)という映画を、エクセレントフィルムという会社が自主製作で作ることになり、僕が脚本を担当したんですが、オリジナルだったから脚本家のイメージを優先してくれたんです。「主役は誰がいいと思いますか」とプロデューサーに訊かれたので、「実は飲み屋で働いている奴がいて、彼がイメージなんだ」と、プロデューサーをその飲み屋に連れて行って北村くんに会わせたんです。ま、事前にサトウ監督とも口裏を合わせておいて、「北村でなくちゃ脚本を下ろす!」と強気に出ました。

 

小林監督が北村さんを押し上げたんですね。完成した『LUNATIC』をご覧になっていかがでしたか。

 

思ってた以上によかったですね。彼にはなにか光るものがあった。まだ原石に近いものでしたが、磨けばどんどん光ると思いましたね。その後、僕が監督した『CLOSING TIME』にも出てもらったんです。それからの北村くんはご存知の通りです。三池崇史監督らのVシネマに出まくり、今度はテレビに進出した。でも、『日本の悲劇』の義男役のような、内面を表現しなくちゃならないような役は、あまりなかったんじゃないかな。際立ったキャラクターで売ってましたからね。そういう意味では、新境地を拓いたっていう評価になるんじゃないかと思います。僕にとっての北村くんは、昔のバーで働いていたままの、控えめで心優しい男のままですが。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

撮影は基本1回、長回しで緊張感を生む

先ほど本番1回というお話がありましたが、撮影はワンテイクなんですか。

 

初日だけは時間をかけてリハーサルをやりました。僕の抱いてる役のイメージと、役者さんたちが考えてきた役のイメージのすり合わせをするためです。今回はトップシーンから始めたんですが、仲代さんと北村くんがセットに入った途端に、「じゃあ始めますけど、ここから20何ページまで一発で撮ります」と宣言しました。北村くんは「僕は予測してました」と。仲代さんは「ええ! 黒澤明監督も9分のワンカットはあったけど、だいたい何分くらいになりそうですか」って。「20分くらいです」「20分ワンカットって監督、それは役者としてどうなのかな。やったことないな」と。「でも、仲代さんの舞台は3時間ワンカットみたいなもんでしょ」と言ったら、「舞台っていうのはいくらでもごまかしが利くんですよ。セリフが飛ぶなんてしょっちゅうだし、その場で勝手に作っていくのが舞台の醍醐味であり、面白さなんだけど、映画でそれはできないでしょう。台本の通りに言わないといけないんだからなぁ」って考え込んでしまわれて。「まぁ、気楽にやりましょう。ダメだったら何度もやればいいですよ」と言いつつスタートしたんです。でも、何回かリハーサルしただけで、もう完璧でしたね。仲代さんは、むしろ20分の長回しを楽しんで演じてましたよ。

 

北村さんが泣くシーンもワンテイクで?

 

そうです。「見えないところに引っ込んで、頃合いを見計らって飛び出してきてくれ。芝居の調子でいいから、出てこなくたっていいよ」と言ったんです。簡単に段取りだけやって、あれは、ぶっつけで撮りました。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

監督はシナリオをご自分でお書きになるから、本の言葉は大切にされますよね?

 

そうでもないですよ。違った言い回しになっても、ニュアンスが近ければOK。長回しは、演じるほうは夢中になってやってるからいいけど、実はこっちが大変なんです。言葉のニュアンスが違ってしまったらダメだから、台本と見比べて、じっと見てないといけない。気を失っちゃいそうになります(笑)。

 

それでも長回しがお好きなのは、何か面白いことが出てくる可能性があるから?

 

好きでやってるわけじゃないです。この話には長回しがふさわしいと思ったからやっただけです。長回し撮影というのは、臨場感を生みますしね。お客さんが、そこに入ってるような錯覚に陥る。この映画は、閉ざされた空間の中での親子の攻防戦ですから、一瞬たりとも、気を抜けない作りにしたかったんです。そこから出て来た長回しなんです。101分ありますが、観てると、わりとあっと言う間に終わってしまう印象を受けるはずです。緊張の糸が張り巡らされているので、観終わると放心状態になる。まったくタイプも予算の規模も違いますが、ジェームス・キャメロンのある時期の作品、『ターミネーター2』『エイリアン2』のような、息抜きのできない映画にしたかったんです。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

生きていく手掛かりになれたら

監督は“社会派”と言われていますが、ご本人としてはいかがですか。

 

僕はあんまりそう思ってないんですけどね。映画はコメディとかアクションが好きなんです。トリュフォーも好きで、ゴダールの『勝手にしやがれ』のシナリオを彼が書いてますが、その元になっているのは新聞の三面記事。あのころ、三面記事からアイデアを得ることをみんなやっていて、その影響かな。社会的な事件は、映画のアイデアの発端に過ぎません。『バッシング』より前の作品は自分の中の思いだけで作ってたんですが、それに限界を感じていて、次はいちばん苦手なことをやってみようと思いました。台本を書くに当たって、バッシングを受ける人というのはどういう人なのか。どういう心理で毎日を送ってるのか。その人についてとことん考えるんです。2、3ヶ月考えて、撮影の間も、ああでもない、こうでもないと考えて、仕上げの間も考えて考えて、それでようやく完成です。1年とか、そのことだけをずっと考えているわけです。そうすると、最初は社会面のたった数行の記事から始まったものが、ようやく、1本の映画になる。年金不正受給事件だって、親を見殺しにするなんてとんでもない奴だ、こんなの映画になるわけないと最初は思っていましたが、台本を書き始めてから完成まで1年半の間に、考え尽くした挙げ句の結果がこの映画なんです。

 

ラストシーンが印象的ですね。鳴っている電話の相手を想像して、ほのかに明るい兆しが見えました。

 

最後に電話の音を入れるというアイデアは、ずっと思いつかなくて。ダビングの最終日に、ふと思いついて入れてもらったんです。あれを思いついたのは、大きな成果でした。誰からかかってきた電話なのかも僕は決めてたんですが、言わないことにします。ご想像にお任せします。

 

小林政広『日本の悲劇』 | REALTOKYO
(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

「こんな世の中、おかしくならないほうがヘンなんだ」というお父さんの言葉も印象に残っています。

 

いまはとりあえず食べていってるけど、明日はどうなるかわからない。将来が見えにくい時代だと思います。資本主義ですべてお金に換算して。この映画が上映されたバンガロール国際映画祭で、去年初めてインドに行きました。カースト制度でいろんな階級がごっちゃになってるけど、それぞれがそれぞれの階級の中で助け合って生きてる。日本が確実に、間違った方向に向かっているのを感じましたね。

 

来月はNYでも上映されるとか。外国人の目から見たら、日本人は奇異に映るかもしれませんね。

 

日本人が奇異に映るんじゃなくて、日本という国が奇異に映るでしょうね。年間3万人もが自殺している。その中で、飢えて死ぬ人が相当数いるんですよ。しかも都会でです。それは社会保障制度の問題にもつながるんだろうけど、弱者切り捨てのなにものでもないと思います。ただ僕は、外国の人に見せたくてこの映画を作ったんじゃないんです。社会告発をする気もない。この映画を観て、ひとりでもいい、救われた気分になってほしいんです。映画の中の登場人物に、自分と似た人がいると。こんなに思い悩んでいるのは自分だけかと思っていたら、そうじゃなかった。映画の中に、私と同じように苦悩してる人がいる。そう思うだけでも大きな救いになると思うんです。だからこの映画は、ふだん映画を観に行かないような人に観て欲しいんです。人との出会いがその人の人生を変えるように、映画との出会いがその人の救いになり、生きていく手掛かりになれたらいいなと思ってます。

 

(※このインタビューは2013年6月26日に行われました。)

 

プロフィール

こばやし・まさひろ/1954年東京都生まれ。70年代初め、林ヒロシの名でフォーク歌手として活動。81年に映画監督を志して渡仏するもヨーロッパ放浪へ。帰国後、一念発起してシナリオを書き始める。翌年、『名前のない黄色い猿たち』で第8回城戸賞を受賞し、テレビドラマの脚本家としてデビュー。オリジナルを中心に約500本ものドラマを手掛ける。96年、長年の夢であった映画製作に取りかかり、初監督作品『CLOSING TIME』を完成させる。妻子を失い酒に溺れた男が夜の街を彷徨う幻想的なデビュー作は、ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭で日本人初のグランプリを受賞。その後、精力的に作り続けている映画のほとんどが彼のオリジナル脚本による作品で、プロデュースをも務めている。死んだ女の元愛人と元夫の奇妙な旅を描いたロードムービー『海賊版=BOOTLEG FILM』(99)、ひょんなことから殺し屋を引き受けた中年男の顛末を描く『殺し』(00)、酒屋を営む初老の父親と息子たちとの不器用な関係を描いたホームドラマ『歩く、人』(01)は、独自の映像表現が評価され、カンヌ国際映画祭に日本映画で初めて3年連続出品する快挙を遂げる。さらに、イラクで起こった日本人人質事件をヒントに製作された問題作『バッシング』(05)で4度目のカンヌ国際映画祭へ出品を果たす。北村一輝と荻野目慶子を主演に迎えた官能作『女理髪師の恋』(03)、娘を殺害された男と加害者の母親という複雑な関係のふたりに芽生えた愛の予感を描く『愛の予感』(07)、食事さえ摂れない貧困生活を孤独に生きる少年の慟哭を生々しく描いた『ワカラナイ』(09)は、ロカルノ国際映画祭コンペティション部門へ出品され、『愛の予感』は第60回ロカルノ映画祭最高賞の金豹賞、ダニエル・シュミット賞ほか4賞同時受賞。08年にはロッテルダム国際映画祭、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭で彼の特集上映が行われるなど特に海外での評価が高い。仲代達矢を主演に迎え老人と孫娘が生きる場所を求めて旅をする『春との旅』(10)では、毎日映画コンクール日本映画優秀賞をはじめ作品賞、観客賞、最優秀監督賞ほか国内外で数多くの賞を獲得した。http://monkeytownproductions.com/

インフォメーション

日本の悲劇

8月31日(土)よりユーロスペース、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開

配給: 太秦

公式サイト:http://www.u-picc.com/nippon-no-higeki/

寄稿家プロフィール

まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。