

きっかけは、『プリズン・ブレイク』主演俳優のウェントワース・ミラーが8年を費やして書き上げた1冊の脚本。映画化に当たり、多くの監督たちが名乗りを上げたが、ハリウッドがラブコールを送ったのは、『JSA』や『オールド・ボーイ』などのヒット作を手掛け、日本にもコアなファンの多いパク・チャヌク監督だった。脚本のストイックな世界観に惹かれてオファーに応え、完成した『イノセント・ガーデン』はこれまでの作品と同様、独自の美学に貫かれている。忠武路の奇才はハリウッドでどんな体験をしたのだろう。日本での公開を前に来日した監督にお会いした。
ミア・ワシコウスカ、マシュー・グード、ニコール・キッドマン。演じているのは欧米の役者たちですが、、まさしくこれは「Theパク・チャヌク作品」でした。物語も魅惑的ですが、初めて脚本を読んだとき、どう思われましたか。
アメリカの脚本は、誰が撮っても同じような作品になるのではと思えるものが多いのですが、この脚本には余白が多くて、監督が想像力を発揮できる要素が強いと思いました。どういう想像力で満たしていくかは監督の演出によって変わってくるし、もし私ではないほかの監督が撮ったらまったく別ものに生まれ変わったと思います。これだけの力を持った脚本なら、英語だけでなく、どんな言語でも、また世界のどこが舞台でも映画になるだろうと思います。
いくつか監督が加えたシーンがあり、主人公のインディアに叔父のチャーリーが毎年同じ靴をプレゼントし続けるというアイデアも監督によるものだそうですね。
脚本には、インディアが風変わりな少女で、なぜかサドルシューズにこだわって、そればかり履いていると書かれていました。そこから私が想像をふくらませて、彼女が靴を毎年贈られるというのはどうだろうと思いついたんです。まだ見ぬ「あしながおじさん」を待っているというか、どこかに自分だけを守ってくれる未知の存在がいるんじゃないかと期待しているというか。それを入れることにより、少女の感性が活かせますし、おとぎばなし的な要素を加えられるのではないかと思いました。彼女が大人になり、サドルシューズを卒業してハイヒールを履きますが、それも魅力的です。狩りのシーンも、私が新たに加えたシーンのひとつです。

気心知れた撮影監督チョン・ジョンフンの力量
美しく、緊張感のある映像にうっとりしました。インディアのスカートの揺らぎや斜めから撮られた顔など、フェティッシュな捉え方がとりわけ印象的です。
ミア本人に会う前から、私は彼女の横顔をたくさん撮りたいと思っていました。インディアはいつも何かを覗き込んだり、盗み見たり、何かを観察していますから、そのキャラクターを表現するためには、できるだけ横顔を多用したかったんです。彼女に会ってみたら、本当に横顔がよかった。正面の顔はもちろん、横顔がさらに美しかったので、これはいけると思いました。また、インディアは感情表現が乏しく、服の着こなしは最近の子らしからぬ端正さで、ボタンもいちばん上までしっかり留めています。一方で、思春期の少女らしい不安定な部分や、内面が混乱しているようなところもあります。まさしくスカートの揺らぎなどでそれを表現したいと思いました。
ミアをなめるようなカメラワークに、ヒロインへの思い入れを感じました。
同じ脚本でも、アプローチの方法によって違う作品になったと思いますが、私は今回、インディアの成長物語という部分にフォーカスを合わせて撮ろうと思いました。脚本をいただいて脚色をする過程でも、ずっとそればかり中心に据えていたんです。ストーリーボードも作りましたが、やはりその考えは変わりませんでしたし、撮り終えて編集をしているときも、とにかくその方向性で行こうと。オープニングのシーンは当初は予定になかったのですが、編集を進める中であのシーンがほしいと思って作ったものです。ひとりの少女がどんなふうに大人になっていくのか、それを追跡していくような作品だと捉えていたので、執拗に追いかけるような撮り方になりました。
メインのスタッフはほぼ全員ハリウッドの人たちですが、撮影監督はおなじみのチョン・ジョンフンさんですね。やはりどうしても彼でなければと思われたのでしょうか。
現場で私のいちばん近いところにいてくれるのが撮影監督です。今回はアメリカのシステムの中でうまく撮ろうと思いましたが、やっぱりひとりは誰か連れていきたいという思いがありました。それで、アメリカの製作陣に撮影はチョン・ジョンフンにしたいと伝えたところ、「もちろん、当然ですよ」と言ってくれて、反対する人はいませんでした。私を監督として招いてくれたのは、私の作品を気に入ってくれたからだと思いますが、だとしたら映像も好きだということですよね。実はキム・ジウン監督も同様に撮影監督を連れて行ったんです。それもあったせいなのか、撮影監督が同行するのは当然だと受け止めてもらえました。だけど、チョン・ジョンフンは私以上に英語ができなくて……(笑)。それにも関わらず、10個ぐらいの英単語だけで、カメラから照明、グリップチームまで、現場でうまく指揮をして、アメリカのスタッフからも尊敬される存在になっていましたよ。本当にいい仕事をしてくれて、私の大きな助けになってくれました。私自身が俳優やスタッフとコミュニケーションをとるときは通訳を介していましたが、お互いに教科書(脚本)を持ち、会話の内容はいつでもそれが中心だったので、簡単に理解し合えました。通訳が訳し終わるよりも前に、わかっていることも多かったんです。

純粋さと「悪の種」
原題は『Stoker』ですが、監督は邦題も気に入っていらっしゃるとうかがいました。
アメリカで作られたインターナショナルバージョンのコピーが、「INNOCENCE ENDS」だったんです。映画の特徴をよく要約していて、これまでの自分の映画のコピーの中でいちばん気に入っています。日本のタイトルにこの「イノセント」が使われていて、実際に映画を観た人が「これは逆説的なタイトルだ」と思ってくれたら、映画を十分に理解してくれたということですし、このタイトルが映画を理解する助けにもなるでしょう。
インディアがイノセントかどうか、よくわからないところもありますが、監督が考えるイノセンスとは?
相対的な概念だと思います。映画の中でも、チャーリーが登場する前後で彼女は変わりますよね。少なくとも彼が登場する前までは純粋だったかもしれないけれど、その後、変わっていきます。まっさらな白紙の純粋さが持続することはあり得ない。この作品では人間の邪悪さがいろいろと描かれていますが、それは血筋なのか、つまり彼らの遺伝子の中に暴力性があったのかどうかが問題になってきます。最初の脚本にはそうだと強く打ち出していたのですが、私はできるだけその部分は曖昧にしたいと思いました。例えば冒頭でインディアが、「お母さんのブラウス、お父さんのベルト……」と、ひとりで語るシーンで、「でも、それは私の責任ではない」というセリフを入れたのは、彼女が弁解していることを見せたいと思ったからです。私がこれから何かしたとしても、それは望んでしたわけではない。悪行を重ねたとしても、そうするように生まれて来てしまったのだから仕方がないと匂わせています。インディアの中に道徳的な意識がないわけではないのですが、チャーリーが現れたことにより、彼女はどんどん変わっていくし、彼の影響によって違う人間になっていきます。インディアは、元々は純粋さを持っていたと思いますが、同時に悪の種も持っていた。チャーリーが現れなければ、種は芽が出ることなく、平穏な生活を送って一生を終えたかもしれませんが、彼の登場によって種に水や日光が与えられたのだと思います。

実に美しく、怖い作品ですが、メディア関係者の中では女性から高評価だそうですね。
女性に観てほしいと思って作った作品でもあり、実は私の娘がインディアと同じ18歳なので、娘のことを思いながら作った作品でもあります。インディアが反抗するシーンは、娘が私に反抗したときの様子を参考にしたんです(笑)。娘は私の作品の中でこれがいちばん好きだと言ってくれています。女性たちに自分の成長過程を振り返っていただけたら。大人になるまでの陣痛というか、苦しみがあったということを思い出してもらえたらいいですね。つい邪悪なものに惹かれる時期があると思いますが、まさにそのプロセスを描いた映画で、キャラクターもそういった部分を随所に見せてくれます。
五感に訴えかける映画を
髪の毛が草原になったり、卵の殻をゴリゴリとテーブルに押し付けたり、視覚的な遊びもありましたし、聴覚も大いに刺激され、五感に訴えかける映画ですね。
どんなに哲学的な、また詩的なテーマで作られたとしても、けっきょく映画は感覚を通して伝えるものだと思います。例えば主人公が、人間とはこういった存在だとどんなに声高に叫んでも、それだけでは絶対に映画にはなりません。聴覚や視覚を通して伝えるべきです。さらにそこから一歩進んで、匂いとか触感とか、舌でワインの味を感じるような味覚とか、そこまで広げれば伝わり方が違ってきますから、五感まで拡大して伝えられるのがいい映画だと私は思います。感覚的に観客を刺激し、その刺激を通して観客にいろいろなことを考えてほしいです。映画の中で、何かの音が聴こえれば、この音はどうしていまここで出たんだろう、何を表しているんだろうと、自らに問い掛けるようになると思うんです。いろんなシーンで五感に訴えることによって、様々な問い掛けが観客の中に生まれるでしょう。観念的なテーマで作るときでさえも、やはり人が持っている感覚器官に刺激を与えて、それを受けた観客がいろいろと思いを巡らせられるものがいい映画だと思います。

今回いちばん苦労されたシーンはどこでしょう。
インディアとチャーリーの、ピアノの連弾のシーンです。ベッドシーンはありませんが、その代わりとも言えるシーンですし、ふたりの感情や心の交流、それを超えた肉体的な交わりだと感じてもらえるような、エロティシズムを見せたいと思いました。重要なシーンですが、ミアもマシューもピアノがまったく弾けなかったので、練習するためにも早めに曲が必要で、製作に入る前にフィリップ・グラスに依頼して作曲してもらいました。その間に撮影監督と相談して、どういうショットで撮ろうかと考えました。曲の雰囲気に合わせて撮りたかったので、このフレーズではこのアングルにしようとか、楽譜を前にしてひとつずつ分析しながら事前に準備しておきました。
全体を通して、ミアの演技はいかがでしたか。
何も演技をしなくて大丈夫なのかと思うくらい、彼女はじっとしていることが多かったんです。全体的な状況を考えると、ここではじっとしておいたほうがいいと思えるところがたくさんあるわけで、無表情だからこそ語れることがあって、観客にいろんな想像をしてもらうことが大事だと思っていますが、彼女はそれをよくわかっていました。共演者がいて、このシーンは相手が目立たなくてはいけないから自分はじっとしていたほうがいいという場合も、だいたい俳優というものは動きたがるんです。「ここではあなたはじっとしていて下さいね」と私が言ったとしても、何かしてないと落ち着かないという人もいて(笑)。いい俳優は「じっとして下さい」と言えばじっとしていてくれる。自信があるからそれができるのですが、ミアはさらにその上を行っていて、じっとしている必要があるとわかったら自分からじっとしているんです。だからこそ、観客の関心を引き付けることができたのだと思います。観客は、なんでこの子は主人公なのに、じっとしているんだろう、いったい何を考えてるんだろうと思ったことでしょう。
インディアにぴったりですね! 監督の演出を受けて、ミアは演技に対する考え方が変わったとのこと。どうしてそう思ったのでしょうね。
それは私も気になります。数日後にシドニーで会う予定なので、訊いてみましょう(笑)。
監督の独特の美意識は、どういうものから影響を受けて培われたのでしょうか。
美術、音楽、文学、もちろん映画も、いろいろあります。子供のときに見たもの、大人になってから見たもの、すべてが私に何らかの影響を与えていると思います。現実の中でもいろんなものに出会っています。例えば、車に乗っているときに通り過ぎていく風景も私に何らかの影響を与えるでしょうし。あえてひとつだけ挙げるなら、若いときに影響を受けたシュルレアリスムでしょうか。

キム・ジウン監督とポン・ジュノ監督もハリウッド進出というのは偶然ですか。
それぞれ『箪笥』『殺人の追憶』、私には『オールド・ボーイ』という代表作がありますが、その作品が作られてから約10年が経過しています。3人それぞれがちょうどそのタイミングで英語の作品を撮るというのは偶然とはいえ、あまりにも不思議ですね。
この作品は、すでに公開されたアメリカではヒットしたのに、韓国では興行がいまひとつだったと聞きました。キム・ジウン監督がハリウッドで撮った『ラストスタンド』も同様だったそうですが。
なぜか最近、韓国の観客は韓国映画が大好きなんです。もちろんハリウッドの大作は韓国でもヒットするんですけどね。キム・ジウン監督とため息をつきながら、「こういうときは韓国映画を作るべきだったね」と語り合いました(笑)。
日本もテレビドラマの映画版など、最近は日本映画がヒットしています。自国の映画を観たがるのはどうしてでしょうね。
実は最近、私はほとんどまったく韓国映画を観ていないんです。いや、韓国映画に限らず、アメリカ映画も日本映画も観る機会がなく、最近の状況についてはよくわからないのですが、とにかくハリウッド映画が全世界を席巻していますよね。そんな中で自国の作品が生き残っているのはいいことですよ。韓国ではテレビドラマの映画化はあんまりないですね。韓国も日本も、それぞれ独特な強い国民性を持っていますから、自分たちの人生とか感情をきちんと汲み取って描写してくれる作品に惹かれるのかもしれませんね。他国の作品だとなかなかそれが表せないじゃないですか。韓国の観客にすれば、韓国人の人生はやっぱり韓国映画じゃないとわからないと、日本人もそうかもしれません。韓国料理って、ヤンニョムの味付けが刺激的ですよね。また、歴史的に辛い時期が長くあったので、感情的に激しい(笑)。刺激が必要なんですよ。日本映画やアメリカの芸術作品などでは満足できないのかもしれないですね。
最後に、次回作の構想について教えて下さい。
私はいつも、すばらしい脚本に出合ったときに新作の計画を立てています。もちろん韓国でも作り続けていくつもりですし、日本でも中国でも、場所がどこであっても映画を作ってみたいという気持ちでいます。

(※このインタビューは2013年5月22日に行われました。)
プロフィール
Park Chan-wook/1963年、韓国ソウル生まれ。映画監督、脚本家、プロデューサー。現代の映画界に欠かせない逸材のひとりとして高く評価されている。ソガン大学哲学科在学中に映画クラブを設立、映画評論に取り組む。2000年、『JSA』で当時の韓国歴代最高の興行成績を記録する。03年には、『オールド・ボーイ』でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞し、世界にその名が知られる。続く『親切なクムジャさん』(05)では、ヴェネツィア映画祭のコンペ部門で受賞し、ヨーロッパ映画賞にノミネートされる。09年、『渇き』でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。11年、全編をiPhoneで撮影した短編『Night Fishing』(原題:Paranmanjang)で、ベルリン国際映画祭金熊賞(短編部門)を受賞。そのほかの監督作は『復讐者に憐れみを』(02)、オムニバス映画『もし、あなたなら~6つの視線』(03)の『N.E.P.A.L. 平和と愛は終わらない』、オムニバス映画『美しい夜、残酷な朝』(04)の『cut』、『サイボーグでも大丈夫』(06)など。
インフォメーション
5月31日(金)より、TOHO シネマズ シャンテ、シネマカリテほか全国ロードショー
配給:20世紀フォックス映画
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。