

参加型ドキュメンタリーを経て劇映画デビュー
社会学の研究者でもあり、10年以上も移民問題についての調査・研究に取り組みながらドキュメンタリーを手掛けてきたアンドレア・セグレ監督。初めての劇映画『ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―』は、アドリア海を臨み、静かなラグーンが広がる港町キオッジャが舞台。移民同士の、また移民と町の人々の交流がリリカルな映像で綴られている。ドキュメンタリストとして培われた感性が大いに発揮された本作が「イタリア映画祭2012」で上映され、それに伴って来日した監督にお会いした。
「現実」が語り始めるのを待って捉える
これが初めての劇映画だそうですね。これまでは社会学の研究をしながらドキュメンタリーを作っていたとうかがいました。
移民に関する社会学を学び、彼らのコミュニケーションの方法やイタリアという国が移民からどう受け止められているかということを勉強していたのですが、勉強だけでは面白くない。そう思って旅行を始めました。1991年や92年の頃は、イタリアには移民がそんなに多くなかったんです。93年頃から移民が増え、最初は東欧が多かったのですが、アフリカなどからもどんどんやって来るようになりました。旅をしながら彼らが生まれ育った国を訪れ、それぞれの文化に触れてみたいと思いました。
監督が創設したドキュメンタリー集団「ZaLab」は、そういった国へ自ら出かけて現地で撮ってきた素材で映像作品を作っているのでしょうか。
「ZaLab」は4、5人の仲間と一緒に活動していて、コンセプトは「何かについてのドキュメンタリーではなく、登場人物と一緒に作るドキュメンタリー」。例えば、アルバニア人についての、またイタリア人についての、ローマ郊外についてのドキュメンタリーではなく、すべてを巻き込み、人々に参加してもらう形で作るドキュメンタリーです。彼らの物語を彼ら自身に語らせる、カメラを使ってそういう機会を与えるという考え方で活動し、「参加型ビデオドキュメンタリー」と呼んでいます。実際に現場で起きている「現実」に協力してもらうチャンスを与えて、そこから出てくるものを掴み取る。例えばこの作品も、キオッジャという町があって、そこには漁師たちがいて、中国人がいて。彼らに参加してもらって一緒に作りました。ある現実に対して私たちが提案をして、みんながそれに参加すると決めたときに映画が出来るわけです。私の作品は社会に対する調査としての映画ではありませんが、ときには結果的にジャーナリスティックなものにもなり、現状を告発するものにもなり得る。ですが、出発点としては何かについての映画ではなく、現実が自分について語り始めるのを待って捉えたものなんです。

監督のおじいさんとおばあさんがキオッジャに住んでいて、その近所のオステリアで中国人女性と出会ったことが映画のきっかけになったとか。
そうです。その女性についての映画を作りたいと思いました。キオッジャは最終的にいろいろな意味でのメタファーになっているのですが、映画の中では単なるロケーションではなくて主人公でもある。そこで物語が生まれたので、当然そこで撮るしかなかったんです。撮影監督のルカ・ビガッツィと一緒にロケハンに行って、まず最初に彼女と出会ったオステリアに行ってみました。念のためほかのオステリアも見てみましたが、やっぱり私もルカもプロデューサーも最初の店が気に入って、そこで撮ろうということになって。私の映画は現実との信頼関係の中で成り立っているので、物語を私に送り届けてくれた場所で撮るのが正しいことなのではないかと思ったんです。みんなの意見もそう一致しました。
あのオステリア「パラディーゾ」は実際に営業しているお店なんですよね?
そう、いまも普通に営業していて、ありのままをそのまま撮っています。撮影をスタートしたとき、オステリアに来ている常連たちが撮影のために店が閉まってしまうのではないかと心配していると聞きました。彼らにとっては毎日行く場所で家も同然、そこが閉められてしまうことは自分の家が閉められてしまうようなものなのだと。そこで、「来てくれていいので、どうぞ映画に出演して下さい。飲み物は私たちがおごりますから」と言いました。あの店は常連さんたちが自由に来れる場所であり、彼らの家であり、映画の舞台でもあるんです。映画の中でオレンジジュースと赤ワインのカクテル「極楽コンビ(スタンリオ・エ・オリオ)」が出てきますが、あれは脚本にはなくて、お客さんが頼んだもの。母がキオッジャ出身ですが、私はそんなカクテルがあるとは知りませんでした。たまたまお客さんが頼んだので、あのようなシーンが生まれたんです。映画の舞台になったおかげで、たくさんの人があの店を探して訪れるようになったそうですよ。

プロとアマチュアのキャストが学び合う中で
参加型ドキュメンタリーの側面をもったドラマなんですね。メインの俳優以外ほとんどみんな素人だと聞きましたが、初めての劇映画で素人の演出、しかも中国人もいましたが、苦労されたのでは?
この映画では、グループで仕事をするということをやってみたかったんです。出演者は3種類に分けられます。まず第一は主人公の2人、チャオ・タオとラデ・シェルベッジア。彼らは国際的な俳優ですが、イタリア語は話しません。チャオ・タオは中国語、シェルベッジアは英語とセルビア・クロアチア語、それぞれの言葉を話します。第二にイタリア人の俳優たち、マルコ・パオリーニ、ロベルト・シトラン、ジュゼッぺ・バッティストン。彼らはもちろんイタリア語を話しますが、キオッジャ出身ではありません。第三は俳優ではない人たち。キオッジャの一般の人や移民の中国人です。リハーサルを重ね、それぞれのグループがお互いに学び合うような形にしました。もちろん素人は演技について俳優から学ぶことが多々ありますし、逆に俳優も素人から学ぶ必要がある。現実の一部にならなければいけないということで、例えば動き方、方言、日常のあれこれをキオッジャの人たちから学びました。チャオ・タオがイタリアに来て、まず覚えたいと言ったのがマシンを使ったエスプレッソの作り方でした。バールでエスプレッソを作るバリスタの動きがスピーディーで、これはちゃんと学んで身に付けないといけないなと思ったらしくて。それから縫製工場にも行って、そこでもみんな動きがとても素早いので、2日間みっちり練習をしました。シェルベッジアも漁の仕方を学んで。そんなふうに仕事を重ねていきました。

シュン・リーは中国の屈原の詩を愛していて、ベーピは詩を作っていたということで、詩がふたりを結びつけていました。詩をモチーフにしたのは?
移民はアイデンティティを剥奪された存在です。イタリアに来る移民も、例えば中国人移民も「移民」という枠の中でしか捉えられないから、どんな文化を持っているかとか、彼らの人間としてのアイデンティティが失われています。だけど、私は内的なものや深い内面性を与えて、中国人移民の物語を作りたかった。オステリアやバールなどで働いている人が詩を読むなんてちょっと考えられませんよね。イタリアだったら、工場で働いている人がダンテやウェルギリウスを読んでる感じでしょうか。中国人がこの映画を観て、ちょっと不思議だけどあり得るかもと思ってくれたらいいですね。特にシュン・リーという人間を表すものとして、詩がいいなと思いました。ベーピは仲間から「詩人」と呼ばれていますが、それは単純に、ちょっと酔っ払ったときに韻を踏んで話すから。シュン・リーによって彼の中のデリケートな部分が呼び覚まされ、彼は自分の中の詩を見つけます。そして、初めて彼が紙に詩を書くシーンが生まれました。それまでは詩を口頭でつぶやいていて、書くことはやっていなかったのですが。すぐには理解できないものだから、詩はメディアコミュニケ―ションからはいちばん遠いものかもしれませんが、いろいろな言語のコミュニケーション方法の中でもっとも普遍的でもあるし、内面的で深いものでもある。私は詩を使って彼らのアイデンティティを表したかったんです。
社会学のリサーチとドキュメンタリーがあったからこそ生まれた作品だったんですね。セグレ監督のドキュメンタリーも面白そうですが、ぜひまた劇映画も作ってほしいです。
この作品の後にドキュメンタリーを1本撮っていますが、今後はフィクションもドキュメンタリーもどちらもやっていきたいですね。

(※このインタビューは2012年4月28日に行われました。)
プロフィール
Andrea Segre/1976年9月6日、イタリア・ヴェネト州生まれ。ボローニャ大学を卒業後、数多くのドキュメンタリー作品を監督。社会学の研究者でもあり、10年以上にわたり移民問題についての調査・研究に取り組んでいる。また、ドキュメンタリー集団「ZaLab」の創設者としても精力的に活動し、これまで多くのドキュメンタリー作品を監督している。2008年、「Come un uomo sulla terra(原題)」が世界中の映画祭で上映され数多くの賞を受賞し、2009年イタリア・アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされた。本作が劇映画デビュー作となるが、ヴェネツィア国際映画祭、イタリア・アカデミー賞はじめ世界中の映画祭で高い評価を得ている。
インフォメーション
3月16日、シネスイッチ銀座ほかにて全国順次公開
配給:アルシネテラン
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。