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Interview

077:想田和弘さん(『演劇1』『演劇2』監督・製作・撮影・編集)【後編】
聞き手:福嶋真砂代
Date: October 22, 2012
想田和弘さん | REALTOKYO

前編からの続き>

 

入念な"観察"によって平田オリザの演劇世界をたっぷり頭に沁み込ませた『演劇1』を踏まえて、後編は『演劇2』の話を。さて想田カメラが追う先には、これぞ"観察映画"の真骨頂ともいうべき興味深いシーンが次々と現れる。果たして平田オリザの「素」は見えてくるのか……?

"変奏曲"として繰り返し現れるテーマ

『演劇2』に入ると、これぞ想田観察映画の真骨頂だなと思うくらい、カメラの追う先に面白いものがどんどん出てきて、身を乗り出して観ました。最初に劇団員からギャラについての質問があって、その後のシーンには政治家がゾロゾロと、想田さん好みの(と私が思っている)人物たちが登場する。なかなかカメラが入ることのない、普通の人が知り得ない平田さんの裏側の世界に入っていくんですね。

 

『選挙』で描いたテーマが、そのまま変奏曲として現れてくる感じがあって、ああいうシーンは自分の中でもアンテナがピッと立つ瞬間なんです(笑)。鳥取で市長さんと知事さんとの絡みを撮っているとき、劇団員のひとりに「想田さん、いままででいちばん生き生きしてる」って言われました。「俺、そんなにいままで生き生きしてなかったのか」って逆にショックを受けたり(笑)。

まあ、でもそれは、別に政治家が撮れたから生き生きしたんじゃなくて、「つながった!」っていう感じがあったから興奮したわけですね。観察映画シリーズというのは、1本1本が独立していながらも、シリーズ全体が一個の作品というようなところもあり、お互いに関連し合うわけです。例えば今回もネコが出てくるところは、『Peace』とつながる。平田さんがメンタルヘルスの会合で講演しているところとか、ニートのロボットが出る演劇とかは『精神』と関係があるし。そういう関係性が現れて、いままで奏でた主旋律みたいなものが変奏されて出てくるときには、僕の中でアンテナがピッと立つし、自然にそこにカメラが向きますよね。

 

ネコのシーンは私は勝手に「ネコスタンプ」と呼んで観ていたのですが、そこここでスタンプが押されていますし、ほかにも脈絡なく駅の浮浪者を映したり、ガード下のホームレスを映したり、そこもいろいろリンクしているのですね。そういうシーンの撮り方はどうやって?

 

いつもそうですけど、いわゆるメインの撮影の合間に、ちょっと外に出たくなるんです。メインの撮影のときはミクロの世界を虫眼鏡で観ているような感覚なんですが、それをもっと広いマクロな文脈に置いてみたくなる。だから合間にひとりで三脚を担いで街に出てウロウロしながら、目についたものをカメラに収めていく。編集のリズムを作るという意味でも、箸休めみたいな感じになりますしね。

 

"想田カラー"を感じます。そうして平田さんがまるで千手観音のように仕事をする先に、「劇作家がなぜそこまでやるのか」という疑問の答も見えてくるわけですが、そんななか、ロボットの演出をしている平田さんには「人間をロボットと思ってるのではないか」とか、役者さんに「あれ?俺いなくてもいいんじゃない?」と思わせるところまであって、やっぱりわからなくなる……。

 

想田和弘『演劇1』『演劇2』 | REALTOKYO
(C) 2012 Laboratory X, Inc.

「平田オリザは過激な人」だと思う

常々思っていたことですが、実は平田さんは非常に過激な人だと思うんです。あんなに穏やかで物腰は柔らかいんですけどね。それは内田樹さんも見抜かれてて「さすが」と思いました(http://engeki12.com/review.html)。平田さんは、ある意味、タブーの無い人ですね。なんでもあり得るというか。その過剰さ、クレイジーさというものがあっての「平田オリザ」だと思います。俳優の演技について「大事なのは外面だけだ」と言い切ることも過激なステートメントですが、ロボット演劇を作ってそれを実際に実行してしまうことも過激です。「コミュニケーションは表層である、表層でしかない」ということですね。

 

そこなのですが、想田監督はどう思われますか? 内面ではなく外面と言い切るところ、そういう表現法はわかるとしても、実のところは人間はどうなのだろうと……。

 

(考えこんでから)実は僕も「ドキュメンタリーって何を映すのか」ってすごく考えさせられたんです。つまり、ドキュメンタリー作家は「人間には演じてる部分と、演じてない部分がある」という人間観をどこか前提として採用し、「仮面を剥ぎ取ってその中の"素"の部分を撮りたい」という欲望を、無意識に持ってると思うんです。で、仮面を剥がすやり方は様々ですけど、例えば原一男さんみたいにカメラを暴力装置のように使って無理矢理剥がすという人もいれば、僕の観察映画のようにじーっと待つことによって、知らず知らずのうちに被写体が自分から脱いだところをそっと撮るという手法もある。ところが今回は、「いま僕は何を撮ってるんだろう?」ということを絶えず考えさせられる撮影だった。例えば、平田さんという人間がカメラの前で"素"を一度でも出したのだろうかということについては、絶えず「ん?」って思いながら撮ってるんです。なぜかというと、平田さんは「人間は演じる生き物である」という人間観の持ち主ですし、カメラを徹底的に無視するんですよ。この無視の仕方は尋常ではなく、逆にカメラを強く意識しているとしか思えない(笑)。一度、電車の中で、平田さんがドアの近くで本を読んでる様子を撮ってたんですね。僕はひとりで荷物を抱えて、けっこう電車が混んで身動きできないときに、目的地に着いたら平田さんはスーッと降りてしまい、僕は「あっ」と思ってるうちに出遅れてドアが閉まっちゃったんです。ふと外を見たら、平田さんが一度もこちらを振り返らずにさっさと歩いていく。

 

置いていかれた(笑)。

 

そう、そう(笑)。で、これは普通じゃないんですね。普通はいかにカメラを無視しているように見えても、そういう場合にはカメラが気になってこっちを見るものなんですね。でも平田さんは見ない。これは意識的にそういうふうに振る舞ってるとしか僕には思えない。つまり、平田さんの振る舞いはすごく自然に見えるんですが、それはカメラがあると意識した上での"自然"であり、24時間舞台にいるような感覚だと思うんです。しかも平田さんは「いかにリアルでないものをリアルに見せるか」ということをずっと研究してきた人だから、それが完璧に近い形でできるとしても不思議ではないわけです。まあ、それでも時々「いまのは素じゃないか?」と思うような瞬間も稀に出てくるわけで、そういうところに僕としては萌えるわけですけどね(笑)。

 

想田和弘『演劇1』『演劇2』 | REALTOKYO
(C) 2012 Laboratory X, Inc.

居眠りシーンも印象的で、眠りに入る前に「ふっ」と微笑まれる平田さんの謎な感じ……。

 

そうですね、つまりあれも境界線ですよね。素と演技の境界線。寝てる間は人間は演じるのかどうかとか、いろいろ考えちゃうんですね。

 

映画を観ているうちに想田さんの「眼」になっていきまますね。いま何を求めてるのだろうと。

 

例えば女性がインタビューで平田さんに「どうして演劇は"コミュニケーションに役立つから大事だ"という文脈で語られることが多いのか」と訊くシーンがあります。あのとき平田さんは、やけに長い間沈黙して、ちょっと感情的に言葉を発しているように見える。僕は「おー! ここは生の感情が出たのでは」と思ってちょっと興奮するわけですが、もしかしたら平田さんはそこで「ここは10秒くらい間を空けると生の感情が出たように見える」などと計算した上でそうしているのかもしれない(笑)。平田さんが何を考えてるのか。それは原理的に誰にもわからないんです。

でも実は、それはあらゆるドキュメンタリーについて言えることではないか。「いま被写体の心の中が垣間見えた」などと作り手や観客が思っても、それはもしかしたら巧妙な演技かもしれない。少なくともその可能性は排除できない。つまり、ドキュメンタリーには心を直接映せない。言葉や表情や仕草など、表層しか捉えられないんです。もっと言うと、ドキュメンタリーだけじゃなくて、我々のコミュニケーションも実は表層のやり取りです。いま、こうしてインタビューに答えているのもそうですね。では、人間には表層しか無いのかと言ったらそうではない。表層を通じてアクセスする何かがあると思うからこそ、我々は互いに言葉を交わすし、ドキュメンタリーを撮るし、演劇を作るし、人々はそれを観るのだと思います。

 

ふと、もし平田さんがテレビによく出ているような俳優を演出せざるを得なくなったとき、どういう演出をするんだろうって考えてしまったのですが、平田メソッドの訓練を受けていない役者をどうやって導くのかちょっと見てみたい。絶対やらないと思いますが……(笑)。

 

僕も見てみたいけど、平田さんは頑固なまでにスターシステムは採用しませんね。

 

西島秀俊さんが思わぬ形で映画に登場しましたね。

 

あれはヴァレリー・ラングさんという方が『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』の舞台化のため、俳優を探していたんです。彼女自身の相手役を探してたんですけど、結局青年団の役者さんに決まって、NYで上演されて僕も観ました。

 

想田和弘『演劇1』『演劇2』 | REALTOKYO
(C) 2012 Laboratory X, Inc.

(このインタビューは2012年8月6日に行われました。)

 

プロフィール

そうだ・かずひろ/1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ卒。93年からニューヨーク在住。NHKなどのドキュメンタリー番組を40本以上手掛けた後、台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。
その第1弾『選挙』(2007年)は世界200ヶ国近くでTV放映され、米国でピーボディ賞を受賞。ベルリン国際映画祭へ正式招待されたほか、ベオグラード国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した。第2弾『精神』(08年)は釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞、マイアミ国際映画祭で審査員特別賞、香港国際映画祭で優秀ドキュメンタリー賞、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で宗教を超えた審査員賞を獲得するなど、受賞多数。2010年9月には、『Peace』(観察映画番外編)を発表。韓国・非武装地帯ドキュメンタリー映画祭のオープニング作品に選ばれ、東京フィルメックスでは観客賞を受賞。香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を、ニヨン国際映画祭では、ブイエン&シャゴール賞を受賞した。著書に『精神病とモザイク』(中央法規出版)と『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)がある。最新作『演劇1』『演劇2』の劇場公開に合わせて、岩波書店から『演劇 vs. 映画―ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』を刊行予定。

インフォメーション

『演劇1』『演劇2』

10月20日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

配給:アルバトロス・フィルム、クロックワークス

公式サイト:http://engeki12.com

寄稿家による過去の想田和弘監督インタビュー

『Peace』

REALTOKYO Interview 028:想田和弘さん(『Peace』監督)

 

『選挙』

(『ほぼ日刊イトイ新聞─ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』Vol.157〜159)

1. http://www.1101.com/OL/2007-06-20.html

2. http://www.1101.com/OL/2007-06-22.html

3. http://www.1101.com/OL/2007-06-24.html

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。