

看護師と映画制作を両立させる異色の映画監督、今泉かおりさん。初の長編作品『聴こえてる、ふりをしただけ』は、ベルリン国際映画祭の“子ども審査員”の心をつかみ、「子ども審査員賞特別賞」に輝いた。突然母親を亡くした深い喪失感を懸命に乗り越えていく11歳の女の子の心の葛藤と成長を静かに見つめる映像の迫力、とりわけ主演の野中はなの独特の存在感は強く印象に残る。ただいま育児真っ最中、長男と長女もいっしょに登場、作品への想いを聞かせてくれた。
野中はなの存在感
看護師さんで映画監督、そしてふたりの小さいお子さんのお母さん! どうりで、映画にはお母さんは出てこないのに、「大丈夫」とお母さんが包んでいるような温もりを感じてました。
いまは育児休暇中で、長女は日中は保育園に行ってるので、この子(背中で眠っている長男)との時間をゆっくりとっています。
とにかくサチ役の野中はなさんの存在感が際立っていて、どこまで演技でどこからそうじゃないんだろうと、境界線が見えないようなナチュラルさも印象的でした。
どこまで本人が意識してやってるかわからないんですけど、ふたりで話し合いながらやりました。野中さんは自分の意見をあまり言わないのですが、私が説明すると「はい」と言って自分なりに考えてやってくれました。
やはり素でもあまり自分から発言するタイプではないのですね。
そうですね、こういう大人しめな感じの人です。

さっちゃん(サチ)は冷静でクール、安易に感情をさらけ出したり、泣いたりしない子ですね。お母さんが亡くなって、周りの大人からいろいろ言われても静かに聞いていて、さらにお父さんが壊れてしまってもその状況を受け入れる、というか受け入れざるを得ない。さっちゃんはどんどん過酷な状況に陥っていくのですが、お父さんの崩壊設定はなぜ?
大人のほうが弱いというか……。子どもはよくわけがわかってない分なんとなくやれていて、もしかしたら大きくなってから歪みがでてきたり、うまく消化できてなかったりするのかもしれませんが。大人のほうが将来のことを考えちゃったり、喪失感を大きく受け止めてしまったりするということがあるのかなと思ったんです。
大人は頭で考えすぎちゃう。
そうですね。
映画では一生懸命前を向いて歩いているさっちゃんが健気で、観ているうちに、いろいろ自分が通り過ぎてきたちょっと理不尽に感じた記憶が蘇って、自分がさっちゃんの中に入って追体験しているような感じがしてきました。それは撮り方がそうさせていたのではと……。元々、『この、世界』という短編があって、それを膨らませていったのがこの『聴こえてる〜』とか。その前にも1本『ゆめの楽園、嘘のくに』という作品を作っているんですね。
はい、『ゆめの楽園〜』も野中さんが主役で、そのときは小学4年生で5年生の役(『聴こえてる〜』は中学1年生のときに小学4年生の役)を演じてもらいました。それからずっと会ってなかったので、もう大きくなっただろうなと思ったんですけど、「オーディションに来ませんか」と伝えました。『ゆめの楽園〜』のときは事務所に所属してたんですが、その後は辞めて、普通の中学生になってたんです。声をかけたら、最初は「ちょっと考えさせて下さい」と言ってたんですが、その後「出ます」と返事をもらいました。
野中さんと再会してどうでしたか。変わっていましたか。
やっぱり大きくなったなと(笑)。でも、5年生に見えなくもないしと思いました。4年生の頃からもう大人しめな子で、勝手にはしゃいだり、疲れて機嫌が悪くなったりする子じゃなく、頑張りやさんで、そういうところはそのままでした。
野中さんは今泉監督の小さい頃と重なる部分もあるんですか。
私自身はうるさい子だったのでキャラクターとしては違うんですけど、私の中の一時の暗かった鬱々としていた部分をよく表現してくれたと思います。
現場ではどうだったのでしょう? 橋の上からの長回しシーンは圧巻でした。
撮影10日目にあのシーンを撮ったんですけど、実はオーディションでそのシーンをやってもらったときも本当に泣いて、あ〜凄いなと思ったんです。現場で実際にやると緊張もしてましたけど。

頼る人がいなくなったとき、子どもは……
ストーリーは監督の小さい頃の記憶を元に作られたそうですね。
小学5年生のときに父が病気になってしまい、母が精神的にダメージを受けて、初めてお母さんが泣いているところを見たんです。そのときはこの映画と一緒で、私のほうがよくわかってなくて。お父さんがこのまま戻らないのかと不安にはなったんですが、お母さんから「かおりちゃんのほうが大人だね」って言われたりして。それがなんだかちょっとショックで、それまでは親というのは100%頼りにする存在だったのに、私のほうが慰めたり、気を遣わないといけないという感じが、それまでの自分とは100%変わっちゃったというか。学校に行けば、お父さんのことは周りの友達は誰も知らないし、自分からも言いたくないし、私はおしゃべりでうるさいタイプだったので、いつものように友達と過ごさないといけないし、いきなり泣いたりもできない。そんな感じだったんです。
本当なら泣きたいし、お母さんに「私を頼らないで」と言いたいけど、一生懸命無理をしていたのですか。
そうですね、自分では無理してたとかいうのも全然意識してなくて、とにかくどうしたらいいかよくわからないっていう感じだったんです。
学校ではなかなかシビアな友達関係が描かれていてリアルです。そんな中でさっちゃんと転校生のん(希)ちゃんとの関係性は、子どもの残酷さもちらりと見えたりして、のんちゃんの面倒をみるさっちゃんの気持ちも興味深かったです。
お母さんの霊的な存在を信じたいさっちゃんにとって、のんちゃんは都合のいい存在だったんですね。逆に大人っぽいみゆきちゃんという子が出てきますが、「お化けなんているわけないじゃない」と言って、さっちゃんもお化けがいるのかいないのかわからなくなってるときに、本当にお化けを信じてるのんちゃんが現れた。だから自分の気持ちを支えてほしい存在として、最初は友達として近づいたのではなくて、自分の慰めにしたいという気持ちで近づいていったんですね。
計算してますね(笑)。それまでの仲良しの友達は「あっちに行くなら私たちのグループじゃない」という雰囲気を出したり、女の子たち独特の世界ですよね。のんちゃんが体験した「脳みそと魂の関係」は、ご自身の実体験だったとか。今泉さんにとってそれは永遠のテーマなのでしょうか。看護師さんとして精神科で仕事されているというのも?
そうですね。自分なりにすごく興味があるところなんです。

こういう映画を作ることで自分への答えになったりしますか。
5年生で私のお父さんが病気になったとき、さっちゃんみたいに気持ちを強く持って乗り越えることができなくて、ちょっと荒れたりとかいろいろあって。でも、大人になって振り返ってみると、「そんなこともあったな」ってやっと思えるようになったんです。その頃のなかなか消化しきれなかったこととか、悔しい思いをしたこととか、そういうのを形にして出すことで癒されるというか、溜まっていたものを出して解決できる気がしたんです。
「間が淋しさを伝える」とベルリンの子どもたち
ベルリン国際映画祭で子どもたちが選ぶ賞(“子ども審査員特別賞”)を受賞したときの、子どもたちの反応はどうでしたか。
映画の上映後に毎回Q&Aがあって、11人の子ども審査員たちは参加できないのですが、会場の子どもたちからは、大人だったらしないような質問がきました。例えば「どうしてドアを揺らしたんですか」とか、「どうして指輪を投げちゃったんですか」とか、ストレートな質問が面白かったです。ひとつ鋭い質問で「さっちゃんは幸せになれたんですか」って訊かれて「あ〜、この子はちゃんと観てくれたんだな」って思いました。
やはり子どもたちには現実に向き合っている世界で切実なのでしょうね。
審査員じゃない子どもたちはやっぱり客席で集中力が続かなくて、途中でおしゃべりしたり、寝っ転がって書き物したりする子もいたんですけど(笑)。でも審査員をやってくれた子どもたちの総評では、間が長いところが逆に淋しさが伝わってきたとか言ってくれて、あ、そこは気に入ってくれたんだなって嬉しかったです。
鋭いですね。さっちゃんが感情を吐き出すシーンは圧倒されます。あのシーンはどういう演出を?
自分でもよくあんなに難しいことを言ったなと思うんですけど、野中さんに具体的に動きや気持ちの流れを説明しました。それを聞いてあの子なりにやってくれたんです。
それから、庭のお花やお母さんのエプロン、溜まっていくホコリなど、いろんなディテールをかなり効果的に使っていたように思いましたが、度々出てくる新聞屋さんも気になりました。
あれは実は助監督がやってたんです(笑)。

死後に人はどうなるんだろうという話を、先日『I'm Flash』の豊田利晃監督としていたとき、結局、答は誰にもわからないわけなんですが、神を信じるか信じないかという話になりました。この映画の中には死後についての今泉監督の考えがちょっと描かれてますね。
小さい子が「死んだお母さんが見守ってくれてる」と考えると、逆にそのお母さんの姿が見たくて期待してしまうあまりに苦しくなっちゃうというのをここでは描いてるんですけど、そう思うことで救われる子はそれでも全然いいと思うんです。本当に幽霊がいるかいないかは誰にもわからないですし。『ラビット・ホール』(ジョン・キャメロン・ミッチェル監督)という映画も、子どもの死を母親(ニコール・キッドマン)が乗り越えるためにひとつの独特の考えを持って終わるんですが、それもすごく好きで、そういう考えもすごくいいなと。何かを失った人は何かの糧がないと生きていけないと思うんですけど、その糧は人それぞれでいいと思うんです。神様を信じる人はそれでいいし、お化けを信じられるならそれでもいいし、なんでもいいと思うんです。
震災があったりして子どもが辛い場面を乗り越えることも多く、みんな頑張ってると思うんですが、そこで大人がどうしたらいいかというのはなかなか難しいですね。映画の中でも親戚のおばちゃんも学校の先生もベストを尽くしているのですが、子どもの本当の心の中心まで届かないもどかしさもあります。
そうですね。結局は自分自身でなんとかするしかないので、さっちゃんの場合はお母さんの言葉を自分の中に取り込んで、お母さんが望んでいたような自分になろうと自分を奮い立たせます。子どもがそういうふうになれるように、このお母さんがしていたからそうなったという意味では、そういうことが大事かなと思いますね。自分の子どもじゃなくても、先生の立場でも「自分を信じられる」ように子どもを育てていくことですね。
(※このインタビューは2012年7月13日に行われました。)

プロフィール
いまいずみ・かおり/1981年、大分県生まれ。現在、看護師として働きながら子育てをしつつ、映画の企画を考案中。大阪で看護師として働いていたが、監督を志し、 2007年に上京、ENBUゼミナールで映画製作を学ぶ。卒業制作の短編『ゆめの楽園、嘘のくに』が2008年度の京都国際学生映画祭準グランプリとなる。第7回シネアスト・オーガニゼーション・大阪(CO2)の助成対象作品に選ばれ、長女の育児休暇を利用して制作された『聴こえてる、ふりをしただけ』は、2012年ベルリン国際映画祭「ジェネレーションKプラス」部門で、準グランプリにあたる"子ども審査員特別賞"を受賞。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。