

瀬々敬久監督の『ヘヴンズ ストーリー』の素材にもなった光市母子殺害事件、和歌山毒カレー事件、オウム真理教事件と、数々の有名な死刑事件を請け負い、“悪魔の弁護人”とバッシングを浴びていた安田好弘弁護士に、東海テレビのディレクターでもある齊藤潤一さんは取材で出会い惹きつけられた。なかなか密着のOKが出ない中、齊藤さんが仕掛けたあるマジックのおかげで、ついにドキュメンタリー『死刑弁護人』が完成。カメラは強靭な信念と執念の行動の裏に隠れる、穏やかで優しい表情やおちゃめな人柄、雨で濡れる人にそっと傘を差し出す安田さんを捉える。さてそのマジックとは? 安田さんを近距離で見つめた感想や「司法シリーズ」を作り続ける意図なども聞いた。
"悪魔の弁護人"がだまされた?
安田好弘弁護士の「マスコミは嫌いです」というやや挑戦的な言葉で始まるのですが、そう言われたことで逆に、最初からスッキリとすべてが明快に沁み込んでくる感じがしました。ところで齊藤監督と安田弁護士との出会いはいつですか。
『光と影ー光市母子殺害事件 弁護団の300日』を作るために取材をしたときからです。広島高等裁判所で2007年に取材を始めたのですが、これは弁護団がバッシングされた事件で、そこで初めて会いました。『光と影』は弁護団の中の名古屋の弁護士を追ったものだったのですが、弁護団では安田さんが主任弁護人をされていて、単独インタビューも行って、そこで安田さんの人となりも伺うことができたんです。
安田さんを撮ろうと思ったのは?
安田さんの弁護士としての力量、21人の弁護士を率いていく統率力、なにより弁護士としての弁護活動の中身、これが凄いなと思いました。マスコミ報道を通してだけですが、それまでの僕の中の“安田さん像”というのは、強烈に怖い悪魔のようなイメージだったんです。でも取材に入ってみると全然違うおちゃめな人で、なおかつ有名な事件—オウム真理教事件や和歌山毒カレー事件にしても安田さんにばかり弁護人の仕事が集中してる、「なぜなんだろう?」という疑問を持ちながら取材を終えました。そのときにいつか安田さんに密着したドキュメンタリーを撮りたいと思ったのですが、なかなかマスコミ嫌いな人ですからね。『光と影』のときは“弁護団”の中のひとりとして取材したのでOKだったのですが、やはり単独で密着で「主人公」でというのは恐らく難しいだろうなと、半ば諦めてたんです。
2007年に『光と影』の取材が終って、その後『平成ジレンマ』等を作りながらも、やっぱり安田さんを撮りたい撮りたいという思いが高まってきました。とにかくお願いしてみようと、安田さんを主人公とした企画書を持って行ったのですが、案の定断られました。

理由は何でしたか。
「そんな時間も暇もないし、カメラに映りたくないし、とんでもない」という理由だったんです。でもそれで引き下がるわけにいかないので何度もお願いしていたら、ある方から「安田さんひとりの企画書では恥ずかしがるので、4、5人の弁護士のひとりとして撮るという企画書にしたら?」というアドバイスをいただいて。つまり「死刑弁護人“たち”」ですね、そのうちのひとりという企画書を持って行くと「しょうがないな」という感じで引き受けて下さったんです。
マジックをかけましたね(笑)。
実際は安田さんの密着を作りたかったので、本人には内緒で、他の人にも取材しているフリをしながらずっと撮ってたんです。周りの人たちも「安田さんはそんなの気にしないから、放送のときに“ご免なさい”ってすれば許してくれるよ」って言ってくれて。そんな形でだましながら撮ってたんです。いよいよ作品を安田さんが観て……。
安田さんはテレビ番組をご覧になったんですか。
去年(2011年)の暮れにテレビ放映したんですが、それは観てくれなかったんです。普通、自分が対象のドキュメンタリーなら気になって観ますよね。でも観ないんですよ。すぐ東京にDVDを送ったのですが、1週間後に電話しても、1ヶ月後に電話しても「観てない」って。お正月はお休みだと伺ったので「観て下さいね」ってお願いしたら「気が向いたらな」って言われ、お正月明けに電話するとまだ「観てない」って……。「いいや、観てもらわなくても」って半ば諦めたのですが、たまたま4月に1日だけの京都の先行上映会で安田さんと私のトークショーがありまして、そこでようやく観ざるをえなくなりました。観てひと言、「だまされた」と。
なんだか恋がやっと実ったって感じですね。
そうなんですけど、「だまされた」ってひと言ポツリと。
先ほども「おちゃめ」と言われましたが、ユーモアもあって温かい感じで、頭ごなしに冷たく否定するのではなく、“マスコミ嫌い”と言いながらも協力してくれる。お答えもとても丁寧で。そんな人柄を齊藤さんがずっと横から見ていて撮りたいと思われたのかなと、映画の安田さんを観ながらそう感じました。
そうですね。弁護士としての力量もさることながら、安田さん個人として、これだけ自分の信念を貫いて仕事をしている姿に、ひとりの男として惚れ込んだというか。いまの世の中、自分の信念を持って生きるのはなかなか難しくて、いろいろなプレッシャーがあり、とりわけ我々サラリーマンみたいに組織に従わないといけないということもありますし、それこそバッシングを受けたらすぐ折れてしまう……。いまは政治家なんかでもすぐ折れますね。でも安田さんは光市の事件のときにも、「悪魔だ」とか「死刑廃止運動に事件を利用している」とバッシングを受けて、事務所にカッターナイフの刃や銃弾を送られたりしてます。それでも曲げずに、自分の弁護の方針を貫いている。さらにオウム事件の弁護のときはご自身が逮捕までされてます。現在また麻原の再審弁護人をやってますから、そういう信念を貫く姿に惚れ込んだんです。それは裏テーマみたいな感じでこの映画を観た人に感じてほしいなというのはありますね。

できれば安田さんが嫌いな人に観てもらいたい
安田さんは眼光も鋭くて、報道のイメージだけだとやはり「怖い人」という印象がありました。もちろん報道では断片しか見えませんが。
元々マスコミ嫌いの方なので、マスコミには登場しないし、カメラを向けられると「なんだ?」っていう目つきをしますからね。そうすると、一般的な安田像はどんどん悪い方に上書きされますよね。
だからなおさら驚きでした、このイメージのギャップは。それから『平成ジレンマ』と違うと感じたのは、齊藤監督が被写体をすごく好きだなという感じが伝わってきたのですが。
それは作り手としてはたぶん失格です(笑)。ある程度は懐に入るけれども、どこかのタイミングで引いて観察することが必要な作業だと思うのですが、おっしゃる通り安田さんに関しては、僕もカメラマンも入り込んでしまいました。この人の魅力に引き込まれて、引くタイミングを忘れちゃったところはあったかもしれないです。
阿武野プロデューサーのノートによると、「毎晩のように安田さんとお酒を飲みに行った」とありましたが、やはり引き込まれましたか。
引き込まれたのと、もうひとつは撮影上の作戦でした。とにかくカメラが嫌いでシャイな方ですから。面と向かってインタビューされるのは法廷などでも慣れていらっしゃいますが、我々としてはそれだけじゃなくて日常生活も撮りたい。例えば事務所で黙々としている姿や裁判所に向かうところ、お酒を飲みに行くところとか、プライベートをなんとかして撮りたかったのですが、それは絶対イヤだと……。「俺は俳優でもタレントでもないから」と言われてしまいました。でもある日、一緒にごはんを食べに行って、料理屋の中でいつもの大きなカメラではなくて、小型のVTRを回してみたら、それはOKだったんです。「あ、なんだ、お酒が入るといいんだ!」って(笑)。
作戦成功しましたね。
だいたい1時間ぐらい取材すると「もういいだろ、飯行こう」って誘われるので、それに便乗してお酒を飲んでいただいて、そこからようやく日常生活を撮れた、という作戦ですよね。だから安田さんの事務所やインタビューのシーン以外は、ほんのり顔が赤いかもしれません。映画を観て「あれ? 俺、撮られた記憶ないんだけどな」っておっしゃってました。
柔らかい笑顔やほころんだ表情が観られたのはお酒のおかげでしたか(笑)。とは言え、阿武野プロデューサーは編集第1稿を観て、「距離感が近い!」と感じてたということですが、齊藤監督は現場でそんなふうに感じたことは?
そうですね、いわゆる“公平中立”に撮ると言うならば、どちらかというと安田さんはこれまで「悪者」のイメージが強かったので、我々がすごく接近して撮ったとしても、全体としてはバランスが良くなるんじゃないかなとは感じてました。作ってるときはバランスなんてそんなに考えないのですが、結果論としては、悪い側のおもしが重いだけに、とにかくこの人の懐に入って、撮れるものを一生懸命撮ろうと。そうすれば、作品としては接近しすぎというように見えないのではないかと作ってました。

『平成ジレンマ』の戸塚さんの撮影とは違う感触ですか?
戸塚さんのときも同じような取材スタイルでしたが、ちょっと違うのは、やはり戸塚さんオーラというのがあって、我々もそれほど入り込めないという感じはありました。一方、安田さんは懐までストンと入り込めた。でも戸塚さんが嫌いとかそういうのではなくて、それぞれのキャラクターの違いという感じです。
まさに映画を観てると、私自身も安田さんの懐に引き込まれていくようでした。
できれば安田さんが嫌いな人に観てほしいですね。別に好きになってほしいとは思わないのですが、仕事の中身や考え方が解って、その結果、好きにはなれなくても印象が変わるといいなと思います。安田さん側からの視点で観るとちょっと違う風景が見えてくると思うので、もしかしたらそれで裁判の見え方も違ってくるということもあるかもしれません。
そうですね。視点が変わると事件はまるで違って見えますね。
我々テレビもだいたいは犯罪被害者の目線でニュースを伝えることが多いですし、視聴者もどうしても被害者側から事件を見ることが多いと思うんです。それはそれで正解だと思うんですが、例えば裁判員裁判になったとき、実際に自分が裁くということになると、“加害者を視る”という作業があります。そういう意味でも加害者からの視点は新たな視点になると思います。
<後編に続く>
(※このインタビューは2012年6月5日に行われました。)
プロフィール
さいとう・じゅんいち/1967年生まれ。関西大学社会学部卒業、92年東海テレビ入社。営業部を経て報道部記者。愛知県警キャップなどを経てニュースデスク。2005年よりドキュメンタリー制作。これまでの発表作品は『重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~』(06・ギャラクシー優秀賞)、『裁判長のお弁当』(08・ギャラクシー大賞)、『黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~』(08.日本民間放送連盟賞優秀賞)、『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(08・ 日本民間放送連盟賞最優秀賞)、『検事のふろしき』(09・ギャラクシー奨励賞)、『罪と罰~娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父~』(10・ギャラクシー奨励賞)、『毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~』(10・ギャラクシー奨励賞)。戸塚ヨットスクールのその後を追った『平成ジレンマ』(11・モントリオール世界映画祭出品)を劇場公開し、現在、名張毒ぶどう酒事件を題材にしたドラマ『約束-名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯-』を制作中。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。