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Interview

068:刀川和也さん(『隣る人』監督)
聞き手:松丸亜希子
Date: May 10, 2012
刀川和也さん | REALTOKYO

虐待、育児放棄、親の離婚や病気……、様々な事由により家庭で暮らせない子供たちが増えている。昨年10月の時点で、日本全国の児童養護施設で暮らす子供たちの数は約3万人という。社会の変化に伴って家族のかたちも変わる中で、仕事を超えて子供たちの隣りに居続ける、そんな家庭的な養育を実践している「光の子どもの家」。そこで巻き起こる日々の営みを追いかけ、8年かけてドキュメンタリー作品『隣る人』を完成させた刀川和也さんにお会いした。

『隣る人』が初監督作品とのことですが、これまで手掛けられたテレビのドキュメンタリー番組なども、子供をテーマとしたものが多かったそうですね。

 

意識して子供をテーマにしてきたわけではなくて、たまたまフィリピンで子供の問題に出合い、その後「アジアに生きる子供たち」という企画で撮って、やってきたことを見てみると子供を扱ったものが多かったんです。フィリピンやインドネシア、アフガニスタンなどの子供たちの過酷な状況を見てきましたが、日本で子供が虐待されて死亡するというニュースを目にするようになり、豊かな日本でなぜこういう事件が多発しているのだろうと気になって、それについて知りたいと思いました。

子供をテーマに撮りたいと考え、教育、学校、家族などに関するたくさんの本を読んで調べていた途上で芹沢俊介さんの著書『「新しい家族」のつくりかた』に出合い、後書きで児童養護施設「光の子どもの家」と、創立者で当時の施設長だった菅原哲男さんの著書『誰がこの子を受けとめるのか―光の子どもの家の記録』が紹介されていたんです。菅原さんの本を読んだところ、その家の在り方がとても興味深かったので、手紙で取材の申し込みをしました。

 

菅原さんには、最初から映画にしたいということでお話をされたのでしょうか。

 

そうです。テレビ番組でというのは念頭になかったですね。これまでの経験で、例えば子供の顔にぼかしを入れるとか、テレビには制約がたくさんあることも知っていましたし。そういう制約がないものを作りたいと思ったら、やはり自主製作しかなくて。最初から映画として作れたらいいなぁと思っていました。菅原さんの本の中に「居続けるしかない」という記述があったので、「僕も居続けて撮ってみたいんです」と言ったら、「とりあえず来たら」と言ってくださいました。しかし、それから長い時間がかかりましたから、こいつはいったいいつまでいるんだろう、映画は本当に完成するんだろうかと思ったでしょうね(笑)。

 

ぼかしなどの処理をしないことについては、すんなり許可が出たのでしょうか。

 

「光の子どもの家」にはこれまでにもテレビ局が来ていて、様々な取材を受けているんです。最初は「子供たちを守らなきゃ」と考えたため、映像はぼかしだらけだったそうですが、高校生くらいの子供たちが逆に差別されているんじゃないかと感じて、「どうして顔にぼかしが入ってるの?」と菅原さんに抗議した。そういうことがあったので、親御さんの承諾も必要だけど、子供がOKなら顔を出してもいいんじゃないかと菅原さんは思ったそうです。施設側も自分たちの判断基準を持つようになりましたが、職員さんの中には生活の場にカメラが入るのはどうなのかと思う人もいたようです。それでも少しずつ時間をかけてみなさんの気持ちをほぐし、関係を築いていきました。

 

刀川和也『隣る人』 | REALTOKYO

8年という長い歳月の中で

2003年から2011年まで、映画の完成までに8年を費やされたそうですね。

 

最初の1年半くらいは1人で通いました。とりあえず行ってカメラを回して。本園に家が3軒あって、民家を借りたグループホームが地域に2つあって、その中をぐるぐると巡って子供たちを知ることから。誕生会やお祭りなどイベントを撮影し、暮らしの部分は週1回行って撮っていたのですが、施設のことを知るにつれ、プライバシーのこととか、いろいろな問題があると気付いて、これは公開できるのかなと思いました。そのころに、この作品のプロデューサーとなる大澤一生さんと『アヒルの子』を監督した小野さやかさんに出会い、大澤さんに相談してみたら「まだまだこれからじゃないですか」とのことで、その後は3人で撮り始めたんです。それぞれほかの仕事があったので、交代しながら2、3年撮りましたが、3人でやっていてもどういう形になるのかなかなか見えてきませんでした。「企画」として関わってくれた稲塚由美子さんにも出会って、どう思いますかとプレゼンしてみたところ、「この中には普遍的なテーマがあります。映画にしたほうがいいですよ」と言ってくれました。それまでは迷いやジレンマがあったんです。例えば、児童相談所の人に連れられて子供が施設にやってくるところを最初から撮っていても、行かれなくなったらその後が追えなくなり、大事な場面が抜け落ちてしまう。やっぱり現場にいなきゃ、そこに居合わせなきゃ撮れないと思い、07年から08年はたくさん通って週の半分は施設にいました。そこにいなきゃ出くわせない。何かが起きたときにカメラが回せる自分でなきゃいけない。子供たちに僕という人間を信用してもらわないといけない。それが公開できるかどうかにもつながってくる。そう思って、長く滞在することを2年間やってみました。そうやって撮りためた素材は大澤さんと小野さんの分も合わせたら700時間くらいあって、それをどうまとめていくかということをまずは1人で考えたいと思ったので、2010年は素材を見ることに費やして。自分なりにこういうことだろうというのが見えてきてから、何を軸にするべきかと稲塚さんとたくさんの議論を重ねました。撮った僕としてはたくさんのことを盛り込みたいと思ったけど、どんどん削ぎ落としていく作業をしました。ムダな時間も使いながら8年が過ぎていったんです。いまとなっては、それだけの時間が必要だったとも思いますね。その間に施設を巣立つ子もいれば、新しく入ってくる子もいる。なんだか僕は施設の先輩みたいな気分になって。子供たちに職員だと思われていた感じも……。タッチーって呼ばれたりしてね(笑)。子供たちとずいぶんたくさん遊びましたよ。

 

刀川和也『隣る人』 | REALTOKYO

施設に住み込んで、まるで実の母親のように子供たちを育てている職員の方々が映し出されていますが、みなさんそれぞれ自分の家庭はどうされているのかなと気になりました。

 

そういう疑問は出ますよね。施設に長くいる職員の方々は独身なんです。結婚はまだしも、子供が生まれたら、施設の子供と自分の子供の両方を面倒みるのは難しい。施設の生活はずっと継続していくものなので、育児休暇を経て戻るというものでもないと思いますが、結婚しても続けられる形があればいいですね。職員には自分の部屋があり、週に1日は休みがあるので、それぞれ息抜きをしているようですが、夜は施設に帰って子供たちと一緒に寝ています。添い寝はルールとして始まったわけではなく、担当の子供がかわいくて横に寝ていたらそのまま眠ってしまったという感じで始まったそうです。職員のほうも子供に愛着が湧くんですね。マリコさんは20代早々に施設にやってきて、ここで働くのは5年くらいかなと思っていたそうですが、もう20数年。子供に何かがあったとき、担当が私じゃないほうがよかったんじゃないかと責任を感じて辞めたくなったこともあったようですが、私は自分の意思でここに来たけれど、子供はそうではない。そこには絶対的な差があるから、辞めるという責任の取り方はないだろうと思い直したとか。それが積み重なって長い関係が築かれていくんですね。子供を中心に物事を見ていくとそうなるでしょうが、現場で働く人たちが働きやすいようにもなったらいいなと思います。

 

子供はかわいいだけじゃない

居心地のよさそうな家庭的な施設だと思いつつも、なぜ子供たちはここに来なければいけなかったのかと思ってしまいますね。

 

家族っていったい何だろうと僕も考えます。幼い子供や老いた親の面倒をみるのは当たり前とか、ちょっと前まであった規範や規律みたいなものが失われ、経済の発展の中で個人主義というか、自分本位になってきたのではないでしょうか。社会も個人主義を助長するように、経済原理中心で動くようになっている。僕も高度経済成長期に生まれ、やりたいことをどんどんやって生きてきました。家族を持つ、子供を持つというのは、自分の思い通りにいかない存在が目の前にあるということ。子供や、子供のようになっていく老人、そんな存在のために生きるには、自己中心的な部分をどこか削らないといけませんし、難しいことだろうなと思います。3、4歳の子供を突然預けられて一緒に生活しろと言われたら、生活が破綻しますよね。一緒に食べていくための仕事を探したり、子供のごはんを作ったり、生活の中心をそこに移さないといけない。そういうことをちゃんとやっていこうと思えるかどうかは、自分たちの心の中にあるんだと思います。養護施設に子供を預けなければいけないお父さん、お母さんというのは、決して特殊な人たちではなく、なにかの歯車が狂ったから、そうなったと思うんです。自分の人生も大切だけど、子供の人生をいちばんに考えられるのかどうか。親が子供を中心に据えて家族の関係を作ることができたら、家庭に戻れたのかもと思われる子供たちをたくさん見ました。

施設の子供を引き取る里親さんたちも見てきましたが、たまに「やっぱりうちでは無理」と戻されてしまう子がいて、辛い気持ちになりますね。子供ってかわいいだけじゃない。成長の過程で、ちょっと乱暴になったりすることだってあるでしょうし、不良みたいになったりすることだってあると思うんです。だけど、そこであきらめないで、マリコさんのように「どんなムッちゃんでも大好き」って言わないとね。子供を生んだら取り替えられない、里親もそれくらいの覚悟があってのことだと思うんです。震災後、里親になりたい人が増えているようですが、同時に問題も発生していますし、児童相談所には管理ではなくサポートをしてほしいと思う。里親も実の親も1人で抱え込まないことです。なにかあったら相談できる誰かがいるとか、相談所にも親しく話せる人がいるとか、孤立しないこと。虐待の根っ子は誰にでもあると僕は思っていて、自分にも暴力性があると自覚すること、自分は善人じゃないと認めることが虐待を減らしていくと思うんです。

 

刀川和也『隣る人』 | REALTOKYO

ナレーションやテロップを使って説明をしなくても、映像から多くが伝わります。

 

最初から、ナレーションなどはないほうがいいだろうなと思っていました。編集の過程で必要であれば、あっても仕方ないとは思いましたが、例えばナレーションなどで「ここは埼玉にある児童養護施設で」というような説明をしていくと、自分とは関係がない場所というか、遠い所のお話を対岸から見るような感じになるじゃないですか。観ている人にいろんな感情移入ができるように、例えば作品の中に登場する子供を見ながら自分の子供のことを考えたり、自分自身の子供時代のことを思い出したり、そういう余地を残しておきたかった。特別な場所のお話にはしたくなかったんです。

 

「誰もひとりでは生きられない」

監督ご自身は、小さいころはおばあちゃんに育ててもらっていたそうですね。

 

母が市場で仕事をしてて、父は企業戦士で忙しく、僕は自分の家庭が居心地のいい場所ではなかった。この映画を撮ることによって、もう1回家族って何だろうと考えてみたかったんです。映画を撮りながら思ったのは、もっとちゃんと自分の家族とその時々にいろんな話をすることができていたらなぁと。虐待の件数や施設に預けられる子供が増えているのもそうですが、人間が人間らしく育てられない環境というか、家庭の中で傷を負ってる子供たちはいっぱいいると思うんです。社会全体も含めて、この問題は大きくなっていくでしょう。僕自身が育った家族もそうだったように、これは普遍化できるというか、映画の舞台は養護施設だけど、そこにいるのが自分自身であるかのようにも思えて。関係があまりうまくいかず、家族を責めたこともあったけれど、いまはもうそんな気持ちはありませんし、映画を作る過程で学んだことが多いですね。傷つけられたと言いながら、自分もいっぱい傷つけてきたはずなんです。自分だけが辛かったわけじゃない。暮らしというものは、お互いに赦し合わなければ。

児童擁護施設に子供を預けなければいけない家族と自分はそんなに変わらない。家族の面倒をみていない僕は、自分の時間を誰かのために使っていません。親の面倒をみるのと子供の面倒をみるのは少し違うけれど、ひとりでは生きていけないという意味では同じ。それができなくなっているという状況もあり、「誰もひとりでは生きられない」というコピーには、そういう想いが込められているんです。

 

菅原さんや子供たちはこの作品をどうご覧になったでしょう。

 

昨年の山形国際映画祭で上映されたときに、菅原さん、マリコさん、ムツミちゃんとマリナちゃんを山形に招いて観てもらいました。子供たちにそこで見せたいというのが大きな動機となって映画祭に応募したんですよ。終わった直後は子供たちも真剣な顔つきでしたが、質疑応答の中で彼女たちに向けた言葉を僕なりに語りかけたりしてみました。後で「どうだった、(撮られたくないものも映されて)怒ってる?」って聞いたら、「怒ってないよ」って言ってくれたので安心しました。長い時間をかけてじっくり向き合って作ってきたので、そういう関係があって成立した映画です。

 

この先、映画として撮りたいテーマはありますか。

 

高齢者のこともやってみたいという気持ちはありますが、まずは『隣る人』をちゃんと世の中に送り届けたいです。いろんな疑問が出てくるでしょうし、制度も含めて、いろんな問題も浮かび上がるでしょう。光の子どもの家はちょっと特殊な施設だけど、この特殊性が普通になったほうがいいよねということも一方では言えるし、いろんなことが出てくれば出てくるほどいいなと思っています。今後、子供たちの問題をもっと掘り下げていくかもしれません。「誰もひとりでは生きられない」というテーマは人間の根っ子にあるものだと思っているし、僕は独身ですが、自分自身の生き方も含めて「それは違うんじゃないの?」と世に問うていきたいです。

 

刀川和也『隣る人』 | REALTOKYO

(※このインタビューは2012年5月1日に行われました。)

 

プロフィール

たちかわ・かずや/アジアプレス・インターナショナル所属。フリーの映像ジャーナリストとして、2001年から02年にかけて、アフガニスタン空爆の被害を取材、テレビ等で発表。その後は主に、国内及び東南アジアでカメラマン、取材ディレクターとしてテレビドキュメンタリー制作に携わる。述べ8年に渡る撮影を経て『隣る人』を完成させた。本作が初監督作品。

インフォメーション

隣る人

5月12日(土)、ポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー

公式サイト:http://www.tonaru-hito.com/

寄稿家プロフィール

まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。