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Interview

060:イ・チャンドンさん(『ポエトリー アグネスの詩』監督・脚本)
聞き手:松丸亜希子
Date: February 09, 2012
イ・チャンドンさん | REALTOKYO

第11回東京フィルメックスでクロージング上映され、観客に感銘をもたらしたイ・チャンドン監督の『ポエトリー アグネスの詩』がいよいよ劇場公開へ。2003年から07年まで、監督業を中断してノ・ムヒョン政権下で文化観光部長官を務めるという異色の経歴を持ちながら、5年ぶりの復帰作『シークレット・サンシャイン』がカンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得。それに続く本作もカンヌで脚本賞を受賞した。作品の背景には実際に起きた少年犯罪があるが、日の当たらない場所にも澄んだ眼差しを向け、現代に生きる市井の人々の心の奥底を深く洞察する監督にお会いした。

創作と痛み、そして美しさ

 

主人公ミジャが詩を書く意味を通して、監督が映画を撮る意味を描いたとうかがいました。痛みを伴う真実を直視して、その向こうに表現する意味があるということを描こうとされたのでしょうか。

 

そういう捉え方もできると思います。苦痛と美しさは切り離されたものではなく、1つにつながっているもので、光があれば影があるように、美しさがあれば対極を成す醜悪さや苦悩もある。コインの裏表のような背中合わせのものではないかと思います。人生の真実も描かれていますし、真実と美しさも同じ名前だと捉えました。

 

監督自身も、映画を撮るときに痛みを覚えることがあるでしょうか。

 

ありますね。創作の苦しみは産みの苦しみに例えられますが、映画制作はとても苦しいこと。ほかの監督より、もっと私は苦痛を感じている気がするんです。監督にとって、それは決していいことではないですね。ほかの監督を見ていると、映画作りを楽しんでいる人がとても多い。撮影現場に行く前はまるで遠足に行く子供のような感じ(笑)。楽しみながら現場に行く人がほとんどなのに、私が現場に行くときは屠場に連れていかれる牛のような気持ちになります。

 

イ・チャンドン『ポエトリー アグネスの詩』 | REALTOKYO
(C)2010 UniKorea Culture & Art Investment Co. Ltd. and PINEHOUSE FILM. All rights reserved.

東京フィルメックスで「この映画を観て、みなさんが詩を書いてみようという気持ちになってくれたら」とおっしゃっていましたね。監督は、以前は小説家でしたが、言葉の力というものをどのように感じていらっしゃるでしょう。

 

そうですね。私はもともと小説も書いていましたし、文学に携わっていたので、詩の近くにいたことは確かですが、今回は言葉を扱うというより、その先にあるものを描いてみたかったんです。文学としての詩だけでなく、美しさを探す姿勢とは何か、人生の意味を求める眼差し、視点とはどういうものか。単なる詩や文学に留まらず、どんな心で創造すべきなのか、映画を含めた芸術がどういう気持ちで作られなければいけないのかと考えてみたかったんです。詩を書くことも、目に見えない美しさを探すことですよね。それはどういうことなのか、人生において何かを問い掛ける意味を求めるとはどういうことなのか。それを映画で問いたいと思いました。

 

いまお話ししたことは映画の中のミジャに通じるものがあると思います。ミジャという主人公は、最初は目に見える美しさだけを探していました。きれいな言葉を選んで、それを使って書けば詩になると彼女は思っていたのですが、それでは本当の詩が書けないと悟る。本当に1篇の詩を書くためには、目に見えない隠された苦しみを見つめてこそ初めて書けるのだと気付いていく。その苦しみは他人の苦しみですが、それを自分の苦しみとして受け止めたときにやっと真の詩が書けるということです。ミジャはそういう過程を経て1篇の詩に辿り着きますが、観客のみなさんにも、ミジャの気持ちがなんとか伝わってほしいなと思います。けっきょく人というのは、痛みを経た後にようやく初めて美しさと出合える。そういうことを知ってもらえたらうれしいですね。

 

映画の冒頭で、詩の先生が「ものをよく見ること」と言いますね。とても印象的ですが、監督ご自身は作品を作るときに、よく見たり、見た先で得たものを映画の発想として生かしたりすることはあるでしょうか。

 

そうしたいと努力しています。私が見たことや、あるいは私が世の中をどう見ているかということが、映画に反映されると思うんです。どんな見方をしたかということが、その作品を決定づけてしまうと思うので、できるだけしっかり物事を見ようと努力しているつもりです。作り手の姿勢、態度が大切だと思います。映画というものは監督が何かを撮って見せるものですが、ぜんぶを見せているわけではなく、自分が見たものの中から選別してこれを見せようとして提示しているわけですから、なおさら監督の視線は大切になってくる。映画は何かを見せる媒体であるにも関わらず、しっかりと物事を見せていないのではないかなと思うこともあるので、その点は十分に考える必要があると思います。例えば、観終わった後に世の中が違って見えたり、新たな視点で世の中を見られるようにしてくれる映画もあれば、とにかく見たいものだけを見せてくれた、で終わってしまう映画もある。また、見せているようでいて実はなにも見せてないという映画も……(笑)。しっかりと考えて物事を見ないといけません。

 

イ・チャンドン『ポエトリー アグネスの詩』 | REALTOKYO
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監督は以前教師だったこともあるそうですが、もしクラスにこの孫のような事件を起こした生徒がいたら、どんなことを伝えますか。

 

なんて言えばいいでしょうね。言葉で伝えるのは難しいですし、言葉では言えない気がします。だからこそ今回この作品を撮ったとも言えます。この映画はそういう人たちを対象にした作品であると同時に、論理的に言えないことをこの中で描いて、現実について考えてほしいという、そういう思いを込めました。詩は目に見えない美しさを探すことだと言いましたけど、同時に私たちの日常の人生の中で道徳性とは何かと問い掛けたいという思いがありました。私たちが人生を生きていく中で、一所懸命生きて、一所懸命働いて、税金を払って。悪いことさえしなければ何の問題もないと思いがちですが、そういう中でもどこかで誰かが苦しんでいると思います。例えばパレスチナのほうでも。こちらから見たら地球の反対側ですが、そこでも誰かが苦しんでますし、私たちの身近なところでも苦しんでいる人がいるかもしれない。私たちと一見無関係に思えるかもしれないけれど、やはり何らかの関係があるというふうな捉え方をしてほしいなと思いました。自分1人1人の日常を考えれば無関係かもしれませんが、私たちがここに立っていて、近くに水が流れている。そうしたら水は何か関係があると思いますよね。それと同じように観客のみなさんにも一見かけ離れた苦しみかもしれませんが、それを自分のこととして感じてほしいなという思いがありました。

 

開かれたラストシーン

 

ラストシーンがはっきりと描かれていませんね。孫と娘に罪を直視するように促して、ミジャ自身は認知症で死に近いという現実を受け入れる選択をしたのではないかと思ったのですが……。

 

結末は開かれた状態で残しておいて、観客に考えてほしいと思いました。観客に想像してもらって、お任せしたいと。ただ、この映画で重要なことは、ミジャの選択を見せることなんです。彼女がどんな選択をしたかということを語る映画でもあると思うのですが、最後の最後の選択は、観客に判断を委ねたい。空白というか、括弧にしたまま残しておいて、みなさん考えてくださいねということなんです。ミジャは孫が罪を犯したことを知ったわけですが、じゃあそれに対してどうしたかというのも明らかには描いていません。彼女が通報したからバドミントンをしているときに孫が連行されたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。はっきりと描いていないんです。ミジャの選択を見せないということは、彼女が道徳的な選択をしたのかどうかも含めてみなさんに考えてほしいと思ったから。観客が最後の選択をしてくれたらいいなと思っています。観客によっては、ミジャは現実を受け止めたと思うかもしれないし、受け入れない部分もあったと思うかもしれませんが、いずれにせよ究極の結末はミジャの不在です。彼女がいないということを最後に示して終わらせたかったんです。少女の苦しみを自分のものとして受け入れ、苦しみだけじゃなくて自殺した少女の運命さえもミジャが自分のものとして受け入れて、最後は少女になりきって代わりに詩を書いています。しかし、ミジャの顔も姿も見えない。そうやって彼女の不在を表して、観客にいろいろなものを感じ取ってほしいと思いました。ミジャも少女と同じように自殺したのかもしれないと思う人もいるでしょうし、そうじゃないと思う人もいるでしょう。

 

ミジャを演じたユン・ジョンヒさんにもラストについて聞いてみました。彼女は完全にミジャになりきっていますからね。「たぶんミジャはどこかに出かけていて、道端に咲いているきれいな花に感嘆して時間を忘れて見とれ、時間が経ったことを思い出して、きっと何事もなかったように帰宅したと思うわ」と彼女は言いました。それも1つの答えだなと思いましたが、いずれにしても観客に委ねたいですね。

 

イ・チャンドン『ポエトリー アグネスの詩』 | REALTOKYO
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なぜ音楽を使わないか

 

今回は音楽を使っていませんね。『オアシス』など、音楽が効果的な作品もありましたが、映画における音楽の効果というものをどう考えていらっしゃいますか。

 

私はもともと音楽を多用するのは好きではないんです。特にアメリカの映画を観ていると、終始音楽だらけだと感じてしまって、あまりにも音楽が多過ぎると、映画を観る行為の邪魔になってしまうような気がします。観客に対してもっともっと感情を感じてくださいというふうに、強要しているような気がしてならないんです。監督が音楽を入れるというのは、後から感情を付け加えているような感じがします。イメージとか現場で起こっている音はその空間の中にあるものですから、当然のことながら映画に伴うという前提で、フィルムは現場の音まで入れていますよね。しかし、音楽というのは、それとはまったく切り離され、後から足すもの。そういう側面を持っているので、映画にとって1つの要素であることは確かですが、私はあまり使いたくないんです。感動してくださいということを強要しているような感じがして、どうしても引っかかってしまい、反則を犯しているような気がしてくるんです。

 

そういう考えもあったのですが、この作品については、内容に照らし合わせてみて、この映画には音楽は合わないと思ったんです。目に見えない美しさを探すという内容なのに、実はそれ自体が美しい音楽というものをかぶせるのがどうしても噛み合ない。外から作られた音楽を観客に聴かせるのは合致しないと思って排除したんです。そして、なによりも私は現実の中にすでに音楽があふれていると思うんです。鳥のさえずり、風の音、水の音、人々の喧噪、車の音、すべてそれらには音楽性があると思ったので、何も加えなくても、すでに音楽があるんだという解釈もあって使いませんでした。

 

社会問題を扱う重厚な作品に、いつもじっくりと取り組んでいらっしゃいます。次回作の構想があれば教えて下さい。

 

日本の震災の状況に衝撃を受け、どうしても他人事に思えなくて。私の日常にまで災害が起こりうるかもしれないと実感し、そういったことに関連した作品を作ろうと準備をしていました。しかし、現実的な問題があって保留になっています。別の題材を探そうと思って悩んでいるところで、いまはまだ確実なものがなく、いくつかの物語がグルグルと頭の中を駆け巡っている状態です。

 

(※このインタビューは2011年11月9日に行われました。)

 

イ・チャンドン『ポエトリー アグネスの詩』 | REALTOKYO
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プロフィール

Lee Changdong/1980年に慶北大学師範学部国語教育学科を卒業。大邱で7年間演劇活動をし、10本余りの作品で演出や俳優を担当する。81年から87年までは、教師として教壇に立つ。83年に、『戦利』で小説家デビューし、東亜日報新春文芸中編小説部門に選出される。87年、南北分断下におけるタブーを題材にした小説『焼紙』(初出は85年)のほか、『親忌』『紐』などを発表。同年の『運命に関して』は、李箱文学賞推薦優秀賞を受賞した。92年に発表した『鹿川には糞が多い』は韓国日報文学賞を受賞する。『焼紙』は日本でも『現代韓国短篇選(下)』(岩波書店、02年4月)に収録され刊行されている。93年、友人のパク・クァンス監督『あの島に行きたい』(94)の脚本家兼助監督として参加したことをきっかけに、映画界へ進出。96年には、同監督『Jeon tae-il/美しき青年-全泰壱(チョン・テイル)』で第32回百想芸術大賞シナリオ賞を受賞し注目を集める。同年、俳優のミョン・ゲナム、ムン・ソングン、ヨ・ギュドン監督とイーストフィルムを設立、97年に『グリーンフィッシュ』を製作、監督デビューを果たす。98年には、スクリーンクォータ汎映画人非常対策委員会政策スポークスマンを務め、スクリーンクォータ制死守の先頭に立ち、99年には、アイチム・シナリオ創作基金責任作家と、映画投資会社であるユニコリア文芸投資理事に就任。シナリオ作家の育成や、韓国映画に対する投資などにも尽力する(00年には、スクリーンクォータ監視団が拡大・再編されたスクリーンクォータ文化連帯の政策委員会委員長に就任)。監督・脚本を手掛けた2作目、ソル・ギョング主演の『ペパーミント・キャンディー』(99)は、NHKとの共同製作作品で、98年秋に韓国において日本映画が部分解禁されて以降最初の日韓合作となった。また、この作品は第4回釜山国際映画祭で韓国映画としては初めてオープニング作品に選定され、翌年には第53回カンヌ国際映画祭<監督週間>に招待されるなど国内外で高い評価を受けた。続く、『オアシス』(02)は、第59回ヴェネチア国際映画祭で監督賞に輝く。03年2月には、映画界から一時退き、ノ・ムヒョン新大統領の下、文化観光部長官(日本の文化庁長官にあたる)に就任し、韓国における日本文化の開放を含む、様々な文化政策の実現に尽力した。 07年、5年ぶりとなる新作『シークレット・サンシャイン』を発表。第60回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、チョン・ドヨンに主演女優賞をもたらした。09年、ウニー・ルコント監督のデビュー作『冬の小鳥』をプロデュース。本作『ポエトリー アグネスの詩』で、第63回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。

インフォメーション

ポエトリー アグネスの詩

2月11日(土・祝)より、銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

公式サイト:http://poetry-shi.jp/

寄稿家プロフィール

まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。