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Interview

056:ワン・ビンさん(『無言歌(むごんか)』監督・脚本)
聞き手:松丸亜希子
Date: December 10, 2011
ワン・ビンさん | REALTOKYO

9時間超の『鉄西区』、14時間に及ぶ『原油』など、圧倒的な長さにも関わらず引き込まれて見入ってしまうドキュメンタリー作品で、山形国際ドキュメンタリー映画際をはじめ、各国で高い評価を受けてきたワン・ビン監督。初めての長編劇映画となった新作『無言歌』では、中国共産党を批判した「右派分子」を粛清するという、1957年に毛沢東によって発動された「反右派闘争」を描く。本作のプロモーションと、新作公開に先立ち開催されたレトロスペクティブ『ワン・ビン(王兵)全作一挙上映!』 に伴って来日した監督に会った。

体調がよくないとうかがって心配していたのですが、回復されたでしょうか。

 

日本に到着した日はあまりすぐれなかったのですが、昨日からやっと体が慣れてきました。いつも空気のいい広々した場所にいて、海外に出るのも、ホテルの小さな部屋で過ごすのも、とても久しぶりだったものですから……。

 

別の脚本を用意して臨んだ過酷な撮影

 

『無言歌』の撮影があまりにも大変だったとうかがいました。観ただけで過酷さが想像できますけど、いちばん苦労されたのはどんなことでしょう。

 

ロケ地はモンゴル国境に近いゴビ砂漠の荒涼としたところで、人が暮らしている町まで行くのにとてつもなく距離がある辺ぴな場所なんです。日常的に使う物資の調達や機材関係で足りなくなったものを補充するにも、遠い町まで出かけて行かなければならず、なにしろ時間がかかって、そのロケーションがまずは過酷でした。おまけに、季節が冬でしたからなおさらハードで……。私は撮影中に具合が悪くなってしまって、それ以来ずっと体調がすぐれず、今年の夏になってようやく仕事らしい仕事を再開したばかりなんです。いやぁ、本当にこれは大変な作品でした。でも、もう終わりましたからね(笑)。

 

ワン・ビン『無言歌』 | REALTOKYO
(c) 2010 WIL PRODUCTIONS LES FILMS DE L'ETRANGER and ENTRE CHIEN ET LOUP

当局の許可なしで撮影を敢行したそうですが、申請しなかったのは、「反右派闘争」を扱うこのテーマでは許可が下りないと思われたからでしょうか。

 

そうですね。申請したとしても、この内容ではおそらく審査に通らないだろうと。それが予測できたので、審査のための努力をしなかったんです。この作品は、香港、フランス、ベルギーの合作で、中国資本は入っていないということもあって、自由に撮りたいと思いましたし。とにかく辺ぴな場所での撮影ですから、当局の人間が注目することもないだろうと思いました。撮影が始まって、最初は予想通り放っておかれたのですが、そのうち「何してるの?」と言われたこともありました。でも、そういうときのために『無言歌』とは別の、当たり障りのない脚本をあらかじめ用意してあって、「こういう作品を撮っているんです」と見せて事なきを得ました。その脚本には私は関わってないので、どんな内容か知らないんですけど(笑)。

 

この作品には、ベースになった小説があるそうですね。

 

ヤン・シエンホイ(楊顕恵)の『夾辺溝の記録(原題:告別夾辺溝)』という実話ベースの小説です。私は飛行機の中でその本を読み、そのとき初めてここに描かれている事実を知ってすごいショックを受けました。大いに心を動かされて強い興味が生まれ、これをぜひ映画にしてみたい、映画でこの物語を語りたいと思ったんです。小説にはさまざまな人物が登場するのですが、19章の中から「上海女」「逃亡」「一号病室」の3章を選び、それをもとに脚本を作っていきました。

 

ドキュメンタリーと劇映画

 

監督のルーツについても知りたいのですが、最初は写真の勉強をされていたそうですね。

 

もう20年以上前の話になりますけど、私は高校から大学に直接行ったのではなく、高校を卒業した後は建築設計関係の会社で働いていました。写真とも映像ともまったく関係のない職場でした。当時の若い人たちはみんな大学に行きたいと思っていて、私ももう一度学びたいと思って魯迅美術学院写真科を受けたんです。なぜ写真を選んだかというと、絵画と建築はものすごく競争率が高くて、比較的入りやすかったのが写真だったから。ところが、大学の写真科を卒業してもたいして仕事がなく、あったとしても給料がとても低くて。卒業してから2ヶ月くらい安い給料で働いてみましたが、これではとても生活していけない、次の道を探さなければダメだと思って北京電影学院の研修科で1年間映像の勉強をしました。写真から映像へ、関連性のあるところに進んで、きちんと自分の未来を探したいと思ったんです。

 

ムービーを撮るという作業は、電影学院で初めてやってみたのでしょうか。

 

そうです。それまではずっとスチール写真でしたからね。電影学院でいろいろな課題を出されて、友人の手伝いで映像を撮ってみたり、テレビドラマの製作に携わったり、そういう作業を経て『鉄西区』に至りました。

 

私が監督の作品を初めて観たのもその『鉄西区』で、2003年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でした。それ以来ずっとドキュメンタリーが続いていたので、それもあって劇映画の『無言歌』にはちょっと驚いたんですよね。

 

『無言歌』が完成したのは2010年ですが、実はずいぶん前からスタートしていて、リサーチにも撮影にもかなり長い時間をかけましたし、ドキュメンタリー作品と同時並行で進んでいたんです。みなさん口々に私のことを「ドキュメンタリー作家だと思ってた」と言うのですが、そうではないんですよ。大学を卒業した後、ずっとフリーランスとして活動してきて、最初に『鉄西区』を撮ったときはちょうど仕事がない時期で、あのような題材で撮ってみようかなと思ったのが始まり。それがたまたまドキュメンタリーとして仕上がったということなんです。『鉄西区』によって多くの人々にドキュメンタリー作家として知ってもらえたのですが、私自身としては、ドキュメンタリー、劇映画、どちらを撮る監督かということをはっきりと線引きしているわけではないです。ドキュメンタリーを撮るチャンスがあれば撮るし、劇映画を撮る環境が整えば撮る。そのときどきで、どちらもやりたいと思っています。

 

ワン・ビン『無言歌』 | REALTOKYO
(c) 2010 WIL PRODUCTIONS LES FILMS DE L'ETRANGER and ENTRE CHIEN ET LOUP

『無言歌』の編集には、ダルデンヌ兄弟監督の全作品を手掛けたマリー=エレーヌ・ドゾさんが参加していますが、どのように作業を進めていったのでしょう。

 

マリー=エレーヌは有名な編集者で、私も名前だけは知っていました。ベルギーのプロデューサーが紹介してくれて、今回初めて会ったんです。仕事を受けるからには脚本をしっかり読みたいと彼女に言われ、まずは『無言歌』の脚本を渡して。そうしたら、「すばらしい! こんなすごい作品は最近観たことがない。一緒にやりましょう」と言ってくれて、協力関係が生まれました。およそ160本、130時間の膨大な素材があり、それを現状の109分にしていったのですが、まずは私が1人でラフな編集に取りかかりました。それが2009年の7月で、パリでの作業でした。じっくりと素材に向き合い、4時間くらいのものが上がったところでマリー=エレーヌを呼び寄せ、一緒に観てもらいました。彼女は中国語のセリフがわかりませんから、ある程度わかりやすく整えてから編集に入ってもらったんです。

 

現在のバージョンの前に130分のバージョンがあったとか。

 

2009年の秋の段階で125〜130分ほどのバージョンがあって、そのまま2ヶ月くらい置いてありました。もう少しストーリーを語るようなシーンが含まれていて、そのバージョンをカンヌ映画祭に出しましょうという話がほぼ固まりつつあったのですが、なんだか納得できない部分もあって。私自身もプロデューサーもマリー=エレーヌも、やっぱりもうちょっと削ったほうがよくなるんじゃないかと思ったんです。じゃあ、カンヌはあきらめて再編集して、ヴェネツィアに持って行きましょうと急きょ決定。気になっていた部分を15分ほど削った最終版をヴェネツィアで上映し、評価を得ることができました。

 

ワン・ビン『無言歌』 | REALTOKYO
(c) 2010 WIL PRODUCTIONS LES FILMS DE L'ETRANGER and ENTRE CHIEN ET LOUP

過度な期待はしないこと

 

中国国内で作品が上映禁止になっていることを、どう感じていらっしゃいますか。

 

もうね、いいんです。そういう状況には慣れてるから(笑)。私が撮っているのは商業的な映画でもないし、お金を儲けようとして撮っているわけでもないので、中国で観てもらいたいということはあまり考えないようにしています。私は自分の時間を無駄にしたくないし、撮りたいものを撮りたい。条件が整えばちゃんと撮っていきたいという、それが大事なので、撮った後にどのように公開されるか、あまり多くの期待をしないようにしています。現実的に見て、やはりいまのところ国内での公開は無理だろうと思いますし、それは仕方がないことだと納得しています。いつか上映されたらいいなということも考えてないですね。この先の中国の文化政策がどうなるのか、なかなか難しいところがあり、期待しても実現されないことが多いので、過度な期待はしないようにしているんです。

 

次回作の構想があれば教えて下さい。

 

次もまた劇映画の企画があって、いまはシナリオを書いている段階です。主人公の年齢は私よりちょっと下くらいで、彼の20歳くらいから30代にかけての半生を、農村と都会を舞台に分けて語っていくというものです。劇映画の場合は、なるべく近い感覚の俳優を、私と気が合って、一緒にうまくやれる人を見つけないといけません。ドキュメンタリーは劇映画よりずっと撮りやすいし、これからも両方やっていくつもりです。

 

ワン・ビン『無言歌』 | REALTOKYO
(c) 2010 WIL PRODUCTIONS LES FILMS DE L'ETRANGER and ENTRE CHIEN ET LOUP

(※このインタビューは2011年10月6日に行われました。)

 

プロフィール

Wang Bing/1967年、中国陝西省西安生まれ。魯迅美術学院で写真を専攻した後、北京電影学院映像学科に入学。98年から映画映像作家としての仕事を始め、インディペンデントの長編劇映画『偏差』で撮影を担当。その後、9時間を超えるドキュメンタリー『鉄西区』を監督。同作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞をはじめ、リスボン、マルセイユの国際ドキュメンタリー映画祭、ナント三大陸映画祭などで最高賞を獲得するなど、国際的に高い評価を受けた。続いて、「反右派闘争」の時代を生き抜いた女性の証言を記録した『鳳鳴(フォンミン)―中国の記憶』で2度目の山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞を獲得。初の長編劇映画『無言歌』は、2010年のヴェネツィア国際映画祭で大絶賛された。

インフォメーション

無言歌(むごんか)

12月17日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

配給:ムヴィオラ

公式サイト:http://www.mugonka.com/

寄稿家プロフィール

まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。