

フランスが生んだ著名な哲学者カップル、ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワール。イラン・デュラン=コーエン監督が手掛けた本作には、2人の運命的な出会いから1949年にボーヴォワールが『第二の性』を発表するまでの20年間が描かれている。人間的な魅力あふれる哲人たちの青春時代を映し出すことで、監督が伝えたかったこととは? 劇場公開を前に来日した監督に聞いた。
あまりにも偉大な人たちですが、映画の中の2人は「自由恋愛」を掲げながらもジェラシーに駆られたり、思い悩んだり、とても人間くさくて、人物の描き方に心を引かれました。
私にとってもサルトルとボーヴォワールは学校で習う雲の上の人で、退屈な人たちというイメージがありました。映画化の話が来た当初は、彼らの「自由恋愛」がどういうことなのかよくわからなかったし、ああ、サルトルとボーヴォワールねという感じ。凝り固まったイメージしか湧かなかったのですが、シナリオを読んでみたら、へー、実生活ではこんなことがあったんだ! と、どんどん引き込まれ、ぜひ映画にしてみたいと思いました。恋愛があったからこそ哲学が生まれたということがわかって、そういう部分にとても興味を引かれたんです。哲学者たちを人間的なところに落とし込んでいくという、その作業はとても面白いものでした。
監督は小説家でもあり、いつもは脚本も手掛けていらっしゃいますが、本作の脚本はほかの方なんですね。
なぜ私にこの話が来たかというと、『Les Petits Fils (The Grand Sons)』という私の映画を観たプロデューサーのニコラ・トローブが、一筋縄ではいかない難しい人物を映画化する監督として適しているのではないかと考えてくれたことが始まりでした。サルトルとボーヴォワールは知性の塊のような人たちで、しかもその本は2人の初めての伝記でしたが、私自身が書いたものでないから距離感がありました。その距離感を上手に使おうと思い、そのお陰で自由に2人を描けたと思います。彼らの存在に恐れおののいていたら、これだけ自由な演出はできなかったでしょうね。神格化された2人を美術館で鑑賞するような感じではなく、若い人たちにも気軽に観てもらえるような作品になりました。身近な存在として観てほしいと思っていたので、そういう意味では成功したかな。
日本では、監督のこれまでの作品は映画祭で上映されていますが、劇場公開は初めてですね。
そうです。この作品が日本での劇場デビューになりますね。普通に劇場公開をしようと思って撮ったのですが、フランスでは1回テレビで放送してから劇場で上映するということがよくあって。この作品は、テレビの視聴率がよくて何度も再放送され、ほとんどのフランス人はテレビで見てしまったので、フランスではもう劇場では上映されないと思います。映画のフォーマットとして撮ったので、やはり劇場で観てもらえるのはとてもうれしいですね。日本人は過去の伝統を大事にしながらも現代的な高みを目指せる、バランスが取れた人たち。そういう日本の人たちは、神格化された2人の新鮮さみたいなものをよくわかってくれるんじゃないかなと思います。

相続者たちとの闘いの果てに
私は学生時代に『第二の性』を読んだきりですが、人物に興味が湧いて、改めて2人の著作を読み直してみたいような気持ちになりました。
うれしいですね。『第二の性』は、学校で懸命に勉強して思考して、考察して生まれたものではなく、サルトルや父親、またネルソンとの関係などを通して生まれた喜び、悲しさ、辛さや苦悩など、ボーヴォワールの実体験によるもの。それを踏まえて読み直してみると、また違った読み方ができるでしょう。学校の授業とか凝り固まった考えとか、常識から生まれたものでなく、1人の生身の女性から生まれたということを、映画を観て知ってもらえたらいいなと思います。
ちょっとびっくりのエピソードもありましたけど、すべて事実に基づいているのでしょうか。
すべて事実です。脚本はジャーナリストのシャンタル・ド・リュデールと大学教授のエヴリーヌ・ピジエの共作で、サルトルとボーヴォワールの著作、生徒が書いたものなど、ありとあらゆる要素をかき集めてパズルのように組み立て、仕上げたものです。偉大な人物の物語で、ガリマールという大手出版社もついていて、さらに、著作権の相続者たちもいます。2人に実子はいませんが、それぞれ養子がいて、シナリオを読んだ彼らから、サルトルとボーヴォワールのイメージを壊してほしくないと、この映画がテレビで放送される前に猛攻撃を受けました。弁護士をつけて、これは絶対に出してほしくないなどと言われたりもしましたが、すべて調査済みでウソを描いているわけではないという確信もあったので、ビデオを見てもらい、仕上がりがよいということでオッケーをもらいました。放送される前にものすごい闘いがあったんです。
実在の人物を映画にする場合はもめ事が避けられませんが、最終的に了承してもらえてよかったです。
シナリオ作りをするときに、本の中にある記載や、周囲の人たちへのインタビューなど、実際に起こったことだけを集めたわけですが、2人の相続者たちにしてみたら、触れてほしくない部分があったのだと思います。実名を変えてみたり、いろいろ配慮しました。私はこの作品を通じて、彼らが持っていた自由の精神を若い人たちにも知ってもらいたかった。いまの若い人たちは、考えること、考察することはつまらないと思って、読んだり書いたりする程度に留まっています。この映画を観てもらうとわかるように、2人は勉強だけしていたわけでなく、音楽を聴いたり、ダンスをしたり、はしゃいだり。その一方で、みんなで話し合って考える時間もある。すごく生き生きとした人生を送っていたということを伝えたかったんです。ステレオタイプなサルトルとボーヴォワールのイメージではなく、2人にも青春時代があって、みんなと同じような時間を過ごしていたということ。相続した人たちも改めて作品を見直して、これも1つの真実だと受け止めてくれました。私はそれがとてもうれしかったんです。

女優アナ・ムグラリスの発掘
2人の俳優の魅力もとても大きかったと思います。とりわけボーヴォワールを演じたアナ・ムグラリス。『シャネル&ストラヴィンスキー』ではシャネルを、『ゲンスブールと女たち』ではジュリエット・グレコを演じていて、佇まいだけでなく声も素敵ですね。
その2作品は日本では先に公開されたようですが、『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』の後に作られたんです。アナがフランスの著名人を演じたのは、ボーヴォワールが初めて。美しく知的で、とてもチャーミングで、しかも面白い人です。実際のボーヴォワールも魅力的な人でしたが、映画ですから彼女よりもっと美しい人を選びたかった。みんなに夢を持ってもらいたかったし、おしゃれでセクシーで、ハリウッド的な面も加えたかったし、アナがボーヴォワールを演じることで、哲学や考えることはつまらないことでもダサイことでもなく、素敵なことなんだと若い人たちに知らせたかった。哲学を、生き生きとしたセクシーでクールなものとして見せたかったんです。一般的には哲学とセクシーさは対極のイメージだと思いますが、哲学とセクシーさは結びついているという、それを表現してくれたアナの存在は非常に大きかったですね。
色やテクスチャーなど、この時代の空気もよく伝わりました。みんながカフェでタバコをくゆらせながら会話するというのは、いまではあまり見られない風景ですね。
いまやパリはすべて禁煙ですから、みんなカフェの外で吸っていて、この時代のような風景はなくなってしまいました。東京だったら、もしかしたらこういうシーンが再現できるかもしれませんね。ニューヨークのシーンは、実はパリのスタジオで撮ったんです。時間もお金も足りないし、私は撮影が終わったら必ず家に帰りたい人だし……(笑)。ニューヨークで40年代の雰囲気が撮れるところを探すのもなかなか難しいと思うのですが、パリのスタジオやそれらしいところを選び、美術や大道具担当の素晴らしい仕事ぶりによって再現できました。

美空ひばりをフランスに紹介したい
映画の中ではジャズが効いていましたね。監督は音楽もお好きだそうですが、特に日本の演歌が好きだとか。
そう、美空ひばり! 映画祭などで何度か来日したときに、ホテルでテレビを見ていたら、たまたま彼女のドキュメンタリーやっていたんです。日本語がわからないし、歌の内容もわかりませんでしたが、メロディや彼女の声とか、そういうものに感動して、こんなに素晴らしい演歌というものが日本にあったんだ! と興味を持ちました。フランス人がほとんど知らないのは残念だ、フランス人にもぜひ演歌を知ってもらいたいと思って、親しくしている俳優のギヨーム・カトラボーに演歌を歌わせ、プロデュースをしているところなんです。フランス風演歌ですね。ノスタルジーだけじゃなくて、古き良きものに現代性を加えて、いまに伝えていきたいので、その両方を合わせて1つの曲にして彼に歌ってもらっています。
音楽のプロデュースもされているんですね。
これがそのGinjiro(ぎんじろう/編集部注:ギヨームの芸名)のCDです。日本語だけの曲が5曲と、日本語とフランス語の曲が5曲。ギヨームは私の『Les Petits Fils(The Grand Sons)』と『Le Plaisir de Chanter (The Joy of Singing)』に出演している役者なのですが、歌もうまいんですよ。
映画のほうでは、新しい構想はありますか。
この作品が終わってから、よく伝記ものを頼まれるのですが、あまりやりたくなくて(笑)。いまは、ある枢機卿を描いた映画に取りかかっています。シナリオは『サルトルとボーヴォワール』のシャンタルが書いて、それが仕上がったところ。私は複雑な人間性を描いた物語が好きで、その枢機卿はカトリックに改宗したユダヤ人という、なかなかない人生の話です。サルトルとボーヴォワールだって哲学者や小説家でありながら自由恋愛を楽しんでいましたし、複雑で奥深い人間性や人生に私は興味があるんです。
(※このインタビューは2011年11月9日に行われました。)
プロフィール
Ilan Duran-Cohen/パリ在住の小説家、映画監督。過去に執筆した小説4作品はフランスの有名出版社Actes Sudより出版され、高い評価を受けている。ニューヨーク大学で映画製作を学び、1991年に『Lola Zipper』でデビュー。2001年の『La Confusion des Genres(カオスの中で)』は、横浜で開催されたフランス映画祭や、サンダンス映画祭、MOMAのニューディレクターズ・ニューフィルム映画祭に正式出品される。04年の『Les Petits Fils(The Grand Sons)』は、ヴェネツィア国際映画祭ORIZZONTI部門最優秀作品賞を受賞する。本作『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』は初の伝記映画であり、フランスの批評家及び一般観客から高い支持を得る。最新作は08年のジャンヌ・バリバールとマリナ・フォイス出演のスパイコメディ『Le Plaisir de Chanter (The Joy of Singing)』。本作以外の4本は全て脚本も担当している。また日本の演歌の大ファンでもあり、フランス人シンガーGinjiro Sweetの、日本の楽曲をリミックスしたファーストアルバムをプロデュースする。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。