

卒業制作のセルフ・ドキュメンタリー『あんにょんキムチ』から12年。怒濤の2011年が暮れゆく中で、前作『ライブテープ』で組んだミュージシャン・前野健太、撮影・近藤龍人、録音・山本タカアキらとともに3.11後の暗い東京を映し出した新作『トーキョードリフター』の劇場公開、その直前に過去作品を網羅した大規模な特集上映「松江哲明グレイテスト・ヒッツ1999-2011」、その会期中には著書とDVDのリリースも予定されている。多忙を極める松江哲明監督に会った。
映画作りの原点に立ち戻る
地震の当日、監督は『われわれ!日韓映画祭』内の特集上映に伴ってソウルにいらして、その後東京に戻られたそうですね。どんな気持ちで『トーキョードリフター』を作ろうと思い至ったのでしょう。
「こういうときこそ映画の力」とか、強いことを言う人もいましたけど、僕は映画を作ろうなんてまったく思えなくて。映画がどれだけ物を無駄にするか、お金も電気も使うし、路上の歩行者を止めたりもする。これからの世の中で映画を作るという、その価値観自体を疑わなければいけないし、映画を作るのに覚悟を持たなきゃいけないなと思いました。すぐに映画を作る気にはならなかったけど、暗い東京がけっこういいなと思ったんです。4月10日の高円寺での原発反対デモのとき、「松江くん、来ないの?」っていろんな人に声を掛けられたのですが、もしみんなと一緒に大きな声を出せるなら、僕はそもそも映画を作ってないでしょう。映画は小さい声を表現する仕事だから。でも、見に行こうと思って、カメラは持たずに出かけました。前野健太さんの音楽を聴きながら1時間半くらい、ただ見てたんです。
あの日は都知事選があり、すぐ石原さんの再選が決まったんですよね。僕も投票には行きましたけど、家に帰ってテレビを見て、圧倒的な差をつけたと知って驚きました。もっとびっくりしたのは、ニュースキャスターの言葉。「東京で30年以内に大地震が起こる確率が70%とか。強い東京を作って下さい」と石原さんに言っていて、1000年に一度の地震が1ヶ月前にあったのに、まだ同じ価値観を伝えようとしているということに、すごい違和感を覚えたんです。大きな犠牲があったり、ものすごいことがないと人間は変わらないから、これでやっと日本は違う価値観に向かうかなと思っていたら、まだ同じことを言い続けてる人がいてショックでした。これからは暗くてもよしとしなければいけないし、人間が弱いことも自覚しなくちゃいけない。強いとか、勝ち負けとは全然違う、そういう価値観ではないことに気付く機会だと思ったのに。このままだとすぐ東京は明るくなるなと思って、その前に映画を撮っておこうと思ったんです。
僕の知り合いもたくさん被災地に行って、瓦礫の風景を撮ったりしてましたけど、僕はとてもそんな気分にはなれなかった。映画を撮るときって、「映画としていいもの」を探すじゃないですか。もし僕が行ったら、きっとそういうことをしてしまうだろうけど、映画と関係ない人を傷つけるんじゃないかと思ったし、いままで福島に行ったことないのに、こういうときになってパッと行くことは出来なくて。ドキュメタリーは記録を残すという大事な側面があるから、ずっと福島や原発を追いかけてきた人が行くのは当然で、そういう人の作品をいま観るべきだと思うし、逆に新作って必要なのかなとも思う。例えば四日市ぜんそくのドキュメンタリー『青空どろぼう』とか、大きな何かを優先するときに小さなものが犠牲になるということを人間は繰り返してきた。それをいま観ると、これからのことが予測できますよね。だけど、残念ながら『青空どろぼう』ではなく、みんな『100,000万年後の安全』とか、原発の映画に行っちゃったみたいです。
それで松江監督としては、ご自身が生まれ育った東京を撮ろうと。3.11後の暗い東京が好きだったんですね。
ドイツやフランスに行くと街は暗くて当たり前で、ソウルから戻ってきたら、ヨーロッパの街みたいでいいなぁと思って。そして、東京も被災地だと思うのに、なんでみんな東京のことをやらないんだろうと。Chim↑Pomは大好きなんですけど、岡本太郎の壁画を扱った作品の映像に暗い渋谷の街が映っていて。でも、彼らはそこにはあんまり関心がなかったみたい。僕はむしろ注目すべきは暗い渋谷じゃないかと思ったんです。
『トーキョードリフター』をこういう形で作ったのは、一度リセットしたかったから。自分たちがいいと思う価値観や完成度で映画を作ったら、前と同じことの繰り返しなので、自分が映画を始めたころの、8mmやHi8で映画の真似事をしていた、そういう感じで撮ろうと。近藤龍人さんはいまや売れっ子の撮影監督で、この映画を作っているときに『さや侍』をやってたり、クランクアップの日が『マイ・バック・ページ』の初日だったり、熊切監督の『莫逆家族 バクギャクファミーリア』の撮影もあって超忙しくて、お金がかかった映画の撮影後に『トーキョードリフター』をオートフォーカスで撮って、彼は本当にスゴい(笑)。だけど、僕たちの出発点はインディペンデントだから、一度その原点まで戻って作ってみようと思いました。

雨が降っても、降らなくても
『ライブテープ』では被写体の前野さんと監督のやりとりがあり、監督も登場されますが、『トーキョードリフター』では前野さん1人が雨降る東京をドリフトしています。前作と違って、私にはなんだか寂しそうに見えたんですよね。
逆に、前野さんがとても力強く見えたと言う人もいて、この映画を作ってよかったと思うのは、観る人によって感想が全然違っていて、あの時期にどう東京を見てたかとか、3.11以降のいまをどう生きてるかというのを、なんとなく聞かせてもらっているような気がするんです。ラストが明るいと言う人もいれば、暗いと言う人もいて。それは本当にその人のいまの心境なんだなという気がして。こういう映画は初めてなので、面白いですね。
撮影の日、前野さんは体調が良くなかったとか。「雨なら中止のはずだったのに、監督ってヒドい人だ」って、東京国際映画祭のトークで語ってましたね。
あの日、新宿のガンジーっていうカレー屋さんで集合してカレーを食べてて、前野さんも来てくれたんだけど、何にも食べないし、明らかに調子も悪そうで。雨がこれから降ることがわかってたけど、僕は「降らないよ」って言ってたんです。最初から雨だったら中止にしたけど、正直、途中で雨が降ってもいいなと思ってました。だけど、あの時期は雨に対してもちょっと違う印象があったし、「雨に濡れるってことがどういうことかわかってんの?」ってスタッフに言われちゃったら、答えに窮してたと思います。あの場では「降ったらいいねー」なんてデリカシーのないことは言えませんでした。録音の山本タカアキさんとか、準備が必要なスタッフには「降っても撮れるようにしておいてね」とは言いましたし、タオルやレインコートや傘をたくさん用意してましたけど。
前野さんは具合悪そうだったけど、彼にとってのベストが映画にとってのベストとは限らないし、お客が少なかったりしてもいいライブになったりすることもある。前野さんが自分でいい演奏だと思うかどうかじゃなくて、撮ってる僕がいいと思うかどうか。少し気まずい感じで撮影が始まりましたが、『ライブテープ』とスタッフが重なっているので、お互いの信頼感があるんですよ。たぶん前野さんは、僕よりも近藤さんや山本さんを信頼していると思う。2人が揃わなければ止めようって言ってましたもん。『ライブテープ』の手応えがあるから、こういうときにも映画が作れるし、だからこそ壊そうっていうこと。1回やったことがある人たちだからそれができる。
雨はすごい効果を発揮しましたね。ポツポツ降り始めて、土砂降りになり、白々と夜が明けたときには上がっていて。スコーンと突き抜けた広い空が見える場所に前野さんがいるという。
それくらいしか演出できませんからね。そう見える映画にしないといけない。雨が降ったからそういうつくりになりましたけど、降らなかったらまた別のつくりに。どちらでも成立するように、その現場づくりができないといけないのがドキュメンタリーの監督だから。劇映画だったら、雨が降っちゃいけないときに降ったら中止で、今村監督や三池監督みたいに天気が変わってもつなげちゃうという天才肌の人もいますけど、映画監督ってそこだと思いますね。天気によって成立しない映画を作るのは監督としてダメだと。雨が降っても現場を変える空気を作りたいし、逆に言えば僕はそれしかできないんです。
最初のシーンは、近藤さんと僕は遠くの高い場所から撮っていて、前野さんのことが見えなかったんです。スタッフに電話して「どうだった?」って訊いたら、「いやー、よかったっす! サイコーでしたよ」って。「ああ、そう、よかったって。はい、オッケー」って(笑)。その間近藤さんと「さっきのピンぼけだったよね」「でしたね」っていう会話をしてるんです。「前に人が通るとピンぼけになるよね」「そうですね」「でもこの映画ってそういうことだよね」「うん、そうだと思います」って、すごい会話(笑)。実際にボケてる映像を目の当たりにするとアセりますよ。寄り過ぎてボケるのはダメ、人が通ってボケるのはいいというような自分たちの美学があって。でも、近藤さんは「監督、これボケてますよ」とは言わないんです。彼がいいと思ってくれているから、僕はオッケーって言えるんですよ。カメラをのぞいて責任もって撮ってくれてるのは彼だから、僕はそこで勇気をもらうというか。下に降りたら、「鴨川」がとてもよかったって言って、みんなテンション高くて。前野さんは、もうその時点で顔が違ってました。
前野さんにはどんな演出をされたんですか。
芝居の演出みたいに、「こういう気持ちで歌って」と言ってありました。AKB含めて曲もぜんぶ決めてあって、途中で雨が降ってきたから「雨のふる街」という曲を足したくらいで、1つもずらしてないし、カットごとに次はこういう感じでと伝えました。僕はスタッフにはあんまりあれこれ言わないし、ぜったいこう撮ってくれとか言うのは嫌なんですよ。カメラが回ったら、それはカメラマンのものだし。近藤さんとは映画撮る前から十数年の付き合いで、一緒に飲んだりはしないけど、彼が撮った映画を観ると僕は必ず電話して、ここがよかったよとか感想を言うんです。そういう話をしているから、僕の好きな感じがわかっているのかも。スタッフには、撮影前にこの映画を観ておいてとか言うんですけど、現場はスタッフその人のもの。決めることは決めるけど、実際その通りにならなくてもいいんです。予定を壊すために撮っているというか、そのために予定を決めるというか。さらにその先にあるものについては決して言わない。それを言ったら、みんな意識し過ぎてしまうから。

「トーキョードリフター」は『STUDIO VOICE』で連載していたときのコラムのタイトルで、僕はこれをいつか使いたいと思っていたんです。「この映画のタイトルにどう?」ってみんなに訊いたら、「いいんじゃないすか」って。前野さんには最後は「あたらしい朝」で終わってと言ってあったのですが、ロケハンしていたときに彼から「松江さん、歌詞を書いてよ」と言われました。そして、「トーキョードリフター」というタイトル曲でいこうと思って。僕が映画を通じて伝えたいことは、言わないけどずっとあったので、1週間くらいで書いて前野さんに送ったら、「『ジョンとヨーコのような笑い者になりたい』、ミュージシャンにはこの歌詞は書けませんよ」と言われました(笑)。「あなたを愛することだけがとりえでいいから」というところは最初「セックスだけがとりえでいいから」だったんだけど、前野さんが「意味わかんない」って。「愛とかでいいんですかねぇ」って言ったら「そうですね、愛なんてただの言葉ですからね」ってカッコいいこと言ってました。映画とは別アレンジでCD用にスタジオ録音したものが前野さんから届いて、「こんな風に作れたのは松江さんが『この東京で遊ばないか』って言ってくれたから」って。そんなこと言ったなんて僕は忘れてたんですけど。CDバージョンでは最後にガッと音が上がって、最後の歌詞が「セックスだけがとりえでいいから」になっていました。
松江監督は作詞もできるんだ! と驚きましたよ。
映画もやりたかったけど、僕はもともと歌う人になりたくて。大江千里さんになりたかったんですよ。ジャッキー・チェンも歌ってるし、ジャッキー・チェンにもなりたくて。でも、音符読めなくてあきらめたんです(笑)。楽器も弾けないし、縦笛すら吹けません。小学校の合唱コンクールとかで、女子から「松江くん、大きな声で歌わないで」って言われて。すごいショックで、カラオケだってよっぽど酒飲まないと行かない。年に1回くらいです。コンプレックスもあってシンガーソングライターに憧れて、それで前野さんへのリスペクトもあるんだと思います。
製作も流通も、なんでも自分でやってみる
新作公開と特集上映と、本とDVDのリリース。年末に向けて「松江哲明祭り」ですね。いろんなことが一気に押し寄せるという。
いやー、祭りにするつもりは全然なかったんですけど、いろいろやらないと生きていけない(笑)。11/21発売の本が一昨日校了で、『ライブテープ』のDVDも自分で作って。オーディオコメンタリーとかメイキングを入れて、10ヶ月かかってます。例えばDVDをどこかのメーカーにお願いしたら、僕に入る金額は10万円くらいになっちゃうから、それじゃ作る意味がない。自分ひとりでがんばって、ちょっとスタッフにも協力をお願いして、なんとかここまで出来ました。映画以外の人たちはみんな自分でやってるんですよね。そういうことが本にも書かれていますが、敷居を高くすると閉じる、閉鎖的になるじゃないですか。なんかもっと映画の人たちも身軽にやれないのかな。音楽やアートの人たちがやってることは参考になります。DVDの作り方の本がないのはおかしいと思って書きましたけど、「なんで自分で作んの?」「これ、普通に売ってるのと変わらないじゃん。なんで個人で作れるの?」って、僕がやってることはヘンに思われるみたい。1枚100円くらいで作れるとか、ケース付きでいくらとか、調べればちゃんと出てくるし、作ったら流通会社を調べて電話すればいいんです。
それをぜんぶ監督自身がやれてしまうのがすごいんですよ。
誰もやってくれないから(笑)。この本、学校で教材として使ってほしい。でも、映画でそういうことができる人はあんまりいなくて、そういうことができる人は映画をやらないんだと思います。若い子でなにか表現しようと思ったら、音楽やったり、雑誌作ったり、美術やるとか。僕はもし若かったら映画やってないかもしれません。映画は予想以上に閉じてる世界で、ネガティブなことを見たらきりがないけど、希望があるのは、お客さんはそんなことはどうでもいいという人が多いということ。『モテキ』のヒットは希望です。『童貞。をプロデュース』以降、すごく気にしてやってきたのは、池袋シネマ・ロサのレイトなんてあのとき誰も入ると思わなかったけど、知らない人には教えてあげればいいんだということ。シネマ・ロサってこういうところだよって。来たことがなければ来てよって言えばいい。初めての人にとって面白い体験になれば、もしかしたらまた来てくれるかもしれないし。先のことを考えたら希望はあると思うんです。映画館がなければスクリーンを張ってライブハウスでも上映はできるし。流通も自分で考えていかないと上映してくれないし。出がインディペンデントだから、そのへんは強みです。
3.11以降、いろいろなことに変化があって、映画業界も変わっていかなければいけないんだと思います。闘わなければ。前野さんとか、僕が尊敬している人はそういうことをやっている人たち。地震があったからではなくて、その前からやっていて、そういうことがよりクリアになった。やっぱり何かに守られて作っていたらダメですね。明るくしようじゃなくて、暗いことに慣れようっていう。それが大きな力になっていくと思います。
特集上映が終わる翌日から新作公開で、怒濤の2011年が暮れていきますね。
いやー、ほんとに。なんとか周りの人たちのお陰で生きてます。毎年新しい出会いがあり、その出会いのためにやってるような感じです。この映画はこれまで僕の作品を観てきた人だけでなく、「トーキョー」っていう単語を知っている人に観てほしい。あのときの東京は、誰もがイメージする「トーキョー」とはまったく違う風景だったから。「トーキョー」って聞いて、『ロスト・イン・トランスレーション』を思い出す外国人が観たらどう思うんだろう。「僕はこれ、いいと思うんですけど、あなたはどう思いますか?」ということの返答を聞きたいですね。

(※このインタビューは2011年11月7日に行われました。)
プロフィール
まつえ・てつあき/1977年、東京都生まれ。99年、日本映画学校(現・日本映画大学)卒業制作として監督した『あんにょんキムチ』が、99年山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波特別賞」「NETPAC特別賞」、平成12年度「文化庁優秀映画賞」などを受賞。その後、『カレーライスの女たち』『童貞。をプロデュース』など刺激的な作品をコンスタントに発表。2009年、女優・林由美香を追った『あんにょん由美香』で第64回毎日映画コンクール「ドキュメンタリー賞」、前野健太が吉祥寺を歌い歩く74分ワンシーンワンカットの『ライブテープ』で第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」作品賞、第10回ニッポン・コネクション「ニッポンデジタルアワード」を受賞。著書に『童貞。をプロファイル』『セルフ・ドキュメンタリー―映画監督・松江哲明ができるまで』など。ブログ http://d.hatena.ne.jp/matsue/
インフォメーション
12月10日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開
公式サイト:http://tokyo-drifter.com/
11月19日(土)〜12月9日(金)、オーディトリウム渋谷
公式サイト:http://tokyo-drifter.com/

Book
『映像作家サバイバル入門
自分で作る/広める/回収する』
松江哲明 著
フィルムアート社
2011年11月21日(月)発売
¥1,890
ISBN 978-4-8459-1182-0

DVD
『ライブテープ 2枚組コレクターズエディション』
2011年12月7日(水)発売
¥4,935
DQB-37〜38
公式サイト:http://www.spopro.net/livetape/

CD
前野健太『トーキョードリフター』
felicity
2011年12月14日(水)発売
¥1,500
PEDF-1037/felicity cap-134
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。