

ガン宣告を受けた父親の、半年間の“終活”記録。「娘としての自分と、ディレクターとしての自分」をニクいほどにスイッチングしながら撮影し、心温まるドキュメンタリーを撮った砂田家の“末っ子”、砂田麻美さん。大学時代から映画制作に没頭し、是枝組などのスタッフとして現場を経験、本作『エンディングノート』が監督デビューとなる。被写体となった砂田知昭さんは、高度経済成長期を支えた企業戦士として、またマイホームパパとして走り抜いた“日本の昭和のお父さん”。持ち前の明るさ、仕事柄身に付いた“段取り上手”、まわりへ気配りを怠らず、自身の最期をプロデュースしていく。その過程も見事だが、それが実の娘によって映画となるという最高のオチがつく。新進気鋭の監督に、編集術や撮影の裏話などを聞いた。
「これってどういうものですか?」という気持ちで…
映画は大学時代から撮っていたのですか。
はい。大学ではまわりに映像をやっている人が多かったのですが、『はだしのゲンが見たヒロシマ』を監督した石田優子さんも同窓なんです。私は映像学科ではなかったのですが、大学には機材を貸し出すシステムがあって、当時出たばかりのノンリニア編集ができる編集機を使える環境があったり、そんなところだったので映像をやる人が多かったんです。
いまも編集機のお話が出てきて興味深いのですが、この映画については、元々映画にしようと思って撮ってた素材じゃなかったそうですね。お父さんがガンの告知を受けたころからですか? 映画にしようという意識が芽生えたのは……。
いえ、父を撮っているときは、これを何かの形にしようという意識はなくて……。だからといってホームビデオというのとはやっぱり違ってたんです。それはカメラの向け方だったり、両親のそれぞれのリアクションにカメラをパーンするとか、たぶん私の仕事柄もあって、そういうことが身に付いていたので、家族に対する撮り方と、他者に対する撮り方が違ったかというと、それは一緒だったと思うんです。そういう意味では意識の違いはなかったと思います。
編集に関しても、それを家族とか親しい人に見せるときと、もっとマスに見せるときとで何かを変えるかというと、私のなかでは「変える」という気持ちはなかったです。是枝監督に作品を見てもらったときも、いま思えば、是枝さんに見せたということは、誰かに見せたいという思いがどこかにあったんだと思うんです。でも、そのころは映画になるとは思っていなかったので、自分が作ったものを冷静な目で見てほしいという気持ちがまずありました。たとえ家族に見せるだけのものでも、それが他人の目から見るとどういうふうに見えるかを知りたくて、是枝さんのところへ持っていったんです。
「ご意見下さい」とか「どう思いますか?」という気持ちで?
そうですね。「これってどういうものですか?」というか、特に親のことなので、他人から見るとどういうふうに見えるのかを、もっと客観的に知りたかったということです。
見せたときはどういう状態のものだったんですか。いまと同じ?
そうですね。ナレーションも私の声で付けたいまと同じ状態です。最終的にはもう一度録り直してますけど。本当に家でずっとiMacで編集して、それをそのままDVDに焼いて持っていったんです。いまの状態と比べると、音楽がいちばん変わった点で、音楽以外のところは公開ギリギリまで細かいところを直しましたが、全体的にはいまの状態とほぼ同じでした。

編集の秘密
編集の話に戻りますが、もちろん素材として惹き付けられる瞬間もいっぱいあるのですが、最初に映画にするつもりじゃなくて撮った素材を、作品として他人から見ても「おもしろい」というステージにどう持っていくかっていうところが興味深いです。普通は家族のホームビデオの映像を他人が見てもさほど引き込まれないものですし、編集力というか、監督の編集センスにうなりました。何か編集で心がけていることはありますか。
たとえ何百本素材があっても、すべての文字を起こすことです。なんとなくこういうことをしゃべってる……ではなくて、語尾に至るまで全部、何ヶ月もかけて文字に起こすということを必ずやります。テレビのドキュメンタリー番組のように、オンエアの締め切りがあるわけではないので、まず文字に起こして、それはほんとに時系列ですよね。その文字をずーっと本のように見ていくと、パズルみたいに、こことここを引き出していけばこういうストーリーが浮かび上がってくると思いながら並べてみたり。ある程度並べたら、ポストイットにブロックごとに書き出してノートに整理したり、文字化して、いま自分が作っているものがどういう構造になっているかを、かなり細かくチェックしますね。
やっぱり段取り! お父様の血が流れてますね(笑)。
ポストイットは色分けして、母のブロック、父のブロック、姉、兄とかグルーピングします。けっこうこれは編集の手法としてみなさんやってます。テレビ番組を作るときも、是枝さんもよくやる方法だったりしますね。ポストイットは必需品です。
だけどその並べ方やピックアップの仕方、繋げ方の妙技ですよね。素材の料理の仕方というところも特に観てほしいなと思ったりしました。一般の人が撮った素材も方法によっては映画っぽくなるなんてことも……。
ありがとうございます。家族の中にはきっと濃いキャラの人がいると思うんです。私の家が特殊なわけじゃなくて、どこの家にもちょっと個性的なキャラクターが混じってると思うので(笑)。

家族の反応、自分の位置
ちょっとネタバレになりますが、「ここは撮影を止めてね」と言った後も映ってる緊迫したシーンは、どうやって撮ったのでしょう?
私も後でびっくりしたのですが、あのときはカメラを置いて部屋を出たんですけど、ちゃんとふたり(父と母)がフレームに入っているかわからないし、母親がフレームの外にいる可能性もあったと思うんです。ただあのシーンだけじゃなく、ほかにも不思議なことが起きました。特に最後の数日間に関しては、家族としてすごく忙しかったですから、自分でもどこを撮ってどこを撮ってなかったかというのは、編集を開始して初めてわかったこともあったんです、こういうものを撮っていたんだと。そういう意味では、自分の中にディレクターの自分と、娘としての自分が、スイッチを切り替えるように存在していたと思います。
近親者が亡くなるときというのは、やはり冷静ではいられないですし、それを撮っている監督がカメラの外側に冷静にいることがやはり凄いなと思いました。
カメラを回してるときはそうだったんですが、24時間回してたわけじゃないので、カメラのないところでは娘として父親との距離が非常に近くなる瞬間も当然ありました。カメラ越しに被写体に話しかけるような、被写体に向かって距離をどんどん縮めていくタイプの人もいますが、私はそういうタイプではないので、カメラを持ったら基本的に距離を保つという姿勢に自然になっていました。
今回、ドキュメンタリーだけど、どこか素敵なエンタテインメントを観ているような温かい気持ちになりました。次はどういう映画の構想を考えていますか。
ドキュメンタリーも好きですが、まったくゼロから物語を作っていきたいという気持ちもあるので、次はフィクションを作りたいですね。

(このインタビューは2011年8月2日に行われました。)
プロフィール
すなだ・あさみ/1978年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部在学中よりドキュメンタリーを学び、卒業後はフリーの監督助手として是枝裕和らのもと、映画制作に従事。本作品が第一回監督作品となる。姉、兄を持つ末娘。主な参加作品に、『追臆のダンス』(02/河瀨直美監督)、『虹の女神』(06/熊澤尚人監督、岩井俊二プロデュース)、『市川崑物語(06/岩井俊二監督)、『歩いても 歩いても』(07/是枝裕和監督)、『大丈夫であるように—Cocco終らない旅—』(08/是枝裕和監督)、『空気人形』(09/是枝裕和監督)、『ANPO』(10/リンダ・ホーグランド監督)。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。