

2008年の年末から翌年にかけて、イスラエルがパレスチナのガザ地区を攻撃。パレスチナに20年以上も通い続けているジャーナリスト、古居みずえさんが現地に飛んだ。攻撃で犠牲になった1400人のうち子供が300人。無垢な命がなぜ奪われたのか。親を失い、遺された子供たちはどう過ごしているのか。古居監督によるドキュメンタリー『ぼくたちは見た ―ガザ・サムニ家の子どもたち―』には、気丈に現実を見つめ、たくましく生きようとする子供たちの姿がある。小柄な体にバイタリティと情熱を秘めた監督が、本作への思いと今後の活動について語ってくれた。
ガザ地区の攻撃が始まったとき、監督はどこにいらっしゃったんですか。
アフリカ北部にいました。BBCかなにかのニュースで知って驚いて。ガザに電話したら通じたんですね。「いま地上戦が始まって、たいへんなことになってる」という話を聞き、居ても立ってもいられなくなって。すぐに用意して出発しました。でも、外国の報道関係者は簡単には現地に入れなかったんです。イスラエルによって報道規制がしかれていましたから。イスラエルに到着して5日後に、やっとガザに入ることができました。
サムニ家の子供たちとの出会い
子供を撮ろうと思ったのは?
イスラエルはイスラム組織ハマースを攻撃目標にしていたわけですが、実際に殺された大多数は民間人。殺し方もひどいし、人道的にも度を超えていました。子供には責任がないのに、300人もの子供が犠牲になった。その事実にショックを受け、撮り始めたんです。
攻撃直後の過酷な状況下、「私はこう思う」と、それぞれが自分の意見を語っていますね。子供たちの気丈さとたくましさが健気でした。
親を失った悲しみや怒りを、外に出そうとしていたと思うんです。誰かに訴えたい、知ってほしい、そういう気持ちがすごく強くて。亡くなったお父さんの血が付いた石を集めたり、薬莢を現場から集めたり、攻撃のときの絵を描いたり。お父さんとお母さんが亡くなった現場にずっといたいと言う子もいる。日本人だったら、思い出したくないとか、そういう気持ちになると思うんですけど、考えられない行動ですよね。攻撃は天災ではなく人災。理由があってやられたことを子供もわかっていて、そのことに対してどうしてもなにかを残したい、誰かにわかってもらいたいという思いがあるから、覚えている間に絵を描いておかなければいけない、拾っておかなければいけないということなんですね。

サムニ家の子供たちとは、どのように出会ったのでしょう。
瓦礫が散乱する場所を歩いていたら、1人の男の子に出会ったんです。最初は普通に会話をしていたんですけど、「お父さんがここで殺されたんだ」と言い出して、家があった場所に連れていってくれました。それが映画の冒頭のシーンです。その後次々と、一族の29人を失ったサムニ家の子供たちに会いました。たくさん話してくれる子もいたけれど、話したくないという子もいました。あまりのショックで、そのときの記憶がなくなってしまった子も。パレスチナは大家族制で、親を失った子供たちは親戚と暮らしています。家族関係の絆が強くて、親戚も周りにいっぱいいて。同じエリアにサムニ家が40軒くらい。ちょっとしたコミュニティですね。
子供たちそれぞれが自分の記憶に留める行為をしながら、口々に「忘れたくない」と言っていたのが印象的でした。
それによって状況を変えたい、変えてほしいという気持ちがあるんだと思います。このままでは嫌だと。幼いころから日常的にイスラエルの侵攻を経験しているので、子供たちもどうしてこういうことが起きたのかわかっているのでしょう。年齢以上に大人びたところがありますね。
ボランティアたちがワークショップを開いたりして、子供たちが絵を描くシーンが多く登場しますね。
描くことで心が癒され、絵を見てくれる人との共有関係ができて、痛みを分かち合えますし、絵は証言になります。私も子供たちに話を聞いて、こういう状況かなと想像していましたが、全体的なものが見えてこなかった。絵を見せてもらって、ああ、そうだったのかと状況がわかりました。

ガザに入ったときは、ほかに何人くらいのクルーがいたんですか。
えーと、私ひとり(笑)。いつもそうなんです。現地の人に協力してもらうんですけど、毎回同じ人が一緒に行ってくれるわけではないから、前に同行してくれた人がいなければ、その場で探します。そうやって見つけた通訳の人が、私が子供たちに聞いてほしいことを英語で伝えると、アラブ語に通訳してくれるのですが、ときには私が言ってないことまで聞いてくれたりして(笑)。今回の人は初めてお願いした人でしたが、慣れるまでは毎回けっこうたいへんです。
パレスチナに20年も通っていらっしゃいますが、この地域の魅力とは?
私だけではなくて、行く人みんなハマってしまうんですよ。ずっとここにいたいと言って、会社を辞めて別の仕事をしながら居着いてしまう人も。やっぱり、人でしょうね。親しみやすいし、人間っぽい人たちで、すごく魅力的。日本人はいろいろ持ち過ぎたせいで失ってきたものがあると思うんですが、彼らは人間らしさを持ち続けています。そして、たくましい。やられても黙っていないという強さに私は惹かれます。女性も肝っ玉母さんみたいだったり、おばあさんにもおばあさんなりのたくましさがあって。宗教の聖地がある場所で、自然の豊かさや歴史もある、肥えた土地そのものも魅力です。
前作ではパレスチナの女性を追いかけていましたね。
女性同士で入り込みやすいということもあるし、イスラム世界では同性でないと接触しづらいということもありますが、男性は建前ばっかりで面白くないんです。女性は自然体ですね。わーわー言って、「こんちくしょう、バン!」ってやったりして(笑)。ストレートで楽しいです。

日本の子供たちに観てほしい
日本でも、震災で多くの子供たちが犠牲になり、親を失いました。
被災した日本の子供たちとはそんなに話していませんが、パレスチナの子供たちと違って、我慢して自分の中に閉じ込めてしまうんじゃないかしら。親も悲しいんだから自分も我慢しなくちゃと、泣くことすら我慢してしまう。余計にたいへんかもしれません。絵を描いて状況をわかってもらったり、話したりすることがやっぱり必要ですね。
いまは飯館村に通われているとか? 3月11日はどちらにいらしたんですか。
地震発生時は東京の自宅にいて、数日後にアジアプレスの仲間と宮城県の若林区や南三陸に行きました。ガソリンもなく、泊まるところもないから県庁に泊まって。その後、何度か岩手県にも行きました。陸前高田、大船渡、大槌、そして宮城県の気仙沼にも行って、カメラを回して取材させてもらいました。継続していきたいと思っているのですが、同時に原発が気になり始めて。福島県の飯館村は村ごとなくなり、生活を根こそぎ奪われてしまうという。そういうことがいま起きているなら、自分で行かなければいけないと思って。5月の初めくらいから通い始め、東京と行ったり来たりの生活です。
飯館村には、パレスチナと似ているところがあるんです。1948年にパレスチナの人々が故郷を奪われたように、いまの日本で故郷を奪われようとしている。酪農家や農家という、人々の日々の営みも似ていて、それを手放さなければならない辛さや、自分の田んぼに触れられない辛さも重なりました。
いまは飯館村の何人かの女性たちを追っています。お店がなくなって買い物もできないし、もうそこでは生きていかれません。生活の手段を奪われたのに、1家族100万円の見舞金だけ。家のローンや高額な農作業の機械のローンを組んでいた人もいるし、後継者が決まってやっとこれからという人もいるのに、それがぜんぶパーになってしまった。津波の被災地は深い悲しみの中でも前に進もうという気持ちが生まれていますが、福島の人たちは先がないと言っています。廃業すると、ほかにすることがなくて家にいるしかない。50代や60代でまだまだ働けるのに、このままボケてしまいそうだって。映画にできるかどうかわかりませんが、撮り続けたいと思っています。

私は『ぼくたちは見た ―ガザ・サムニ家の子どもたち―』を親子で観てほしいと思っています。この年代の子供であれば伝わるんじゃないかと思いますし、同じ地球上で起こっていることを日本の子供たちにも知ってほしい。震災以前はわからなかったこともわかるかもしれませんし、喪失した者同士で気持ちが通じるかもしれません。ガザの子供たちも、苦労しているから、ほかの人の痛みがわかると思うんです。
まもなく映画と同名の本も発行されますね。
このドキュメンタリーを撮影していたときのことを、サムニ家以外の子供たちのことも含めてもう少し詳しく書いています。映画には出てきませんが、辛い経験をしている子供たちがいます。攻撃で負傷して逃げられなかった子供、イスラエルの許可が出ず、3日目にやっと救出された子供。もっと早く救急車が到着できたら命を取り留めた人もいたでしょう。お母さんがまだ生きていたのに助けられなかったと悔やんでいた子供もいました。
監督は、パレスチナの未来をどうイメージされているでしょう。
アラブの民主化が始まって、若い人たちが立ち上がっている。その影響はパレスチナも受けていると思うんです。ガザのエジプトとの境界線が開いたのもそのひとつ。まだまだ時間はかかると思いますし、なかなかたいへんなことですが、この民主化の勢いがパレスチナにも及んでほしいですね。
この先もパレスチナを追いかけ続けますか。
そうですね。生きている限り(笑)。
(※このインタビューは2011年6月21日に行われました。)
プロフィール
ふるい・みずえ/ジャーナリスト・映画監督。アジアプレス所属。1988年よりパレスチナを取材し、新聞、雑誌、テレビなどで発表。第1回監督作品『ガーダ パレスチナの詩』が好評を博し、同作品で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞。2011年7月末、新著『ぼくたちは見た ―ガザ・サムニ家の子どもたち―』(彩流社)を刊行。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。