

両親の離婚により、兄は鹿児島で母親と、弟は博多で父親と暮らしている。離ればなれの家族を再生させるため、奇跡を信じた子供たちが、南から、北から走り出す……。九州新幹線をモチーフに是枝裕和監督が作り上げた新作『奇跡』は、当たり前の日常の中で育まれる人と人との絆をナチュラルな筆致で描いたホームドラマ。前田航基&旺志郎ほか小さな役者たちが活躍する本作には、未来を担う子供たちの背中をそっと押すような温かな眼差しがある。そこかしこで輝くミラクルに気付かせてくれた是枝監督に会った。
3月12日に全線開通した九州新幹線がモチーフの作品ですが、JRからはどんなオファーがあったのでしょう。
「電車で人が殺されたりしなきゃいいですよ。いつも通り好きに作って下さい」と、JR九州の社長さんに笑いながら言われました。制約がなくて、ありがたかったですね。新幹線がモチーフと言われていたのに、僕が書いた脚本にはほとんど出てこない。乗らずに、子供たちが新幹線を見に行く話にしたのは、そのほうがタイアップくさくなくていいなと思ったから。「やっぱり新幹線に乗せてくれないと……」とか言われたら、失礼しましたって言って降りちゃおうと思っていたんです。やる自信ないなと。でも、「それでいいですよ」と言ってくれました。
九州での映画撮影は初めてですか。
そうです。曾祖父が鹿児島出身なのですが、人間が大らかですよね。じゃないとあんなとこ住まない(笑)。すぐそこで毎日のように噴火してるのに、みんな普通に暮らしてるんだから。僕が初めて鹿児島に行ったのは20歳を過ぎたころですが、なんでこんな火山の近くに住んでるんだろうとすごい驚きだったんです。今回、九州新幹線を題材に考えようとしたときに、鹿児島と博多を結ぶ電車だから、鹿児島で暮らす子供の話にしようかなと思ったのですが、やっぱり鹿児島で生まれ育った子を描くのはなかなか難しい。僕が20歳で経験した違和感を持っている子を主人公にすれば、書きやすいかなと思って。それで、親が離婚して鹿児島に引っ越して、地域にもなじめないし、なんで灰が降るんだとうんざりしている男の子という設定になったんです。

子供たちとの映画の作り方
これまでの作品にはないユーモアというか、突き抜け感がありました。旺志郎くん扮する龍之介がオダギリさん扮する父親に説教するシーンとか、くすくす笑えるシーンがいっぱいで。キャスティングありきで脚本を書いていったのでしょうか。
圧倒的に航基くんと旺志郎くんの力ですね。彼らに僕が引っ張られたんです。明るい映画を作りたいなというのはありました。子供と電車で暗い話ってなかなか着地しにくいし、子供が成長する前向きな話にしたいなと。僕が計算していたよりも笑いが色濃く出たのは、この2人に出会ったからですね。ある程度の流れはあって書き進めていたのですが、2人に決まってから彼らに寄せて書き直していきました。彼らが話すことを前提で書いています。
まさに2人が言いそうなセリフでしたね。映画の中ではおっとりした兄とちゃっかりした弟という対照的な兄弟ですが、実際もそうなんですか。
実際の2人を増幅させて脚本を書いて、僕は彼らに近いキャラクターになったと思っていたんです。でも、取材に来た人が「お兄ちゃんは普段も繊細でいろんなことを深く考えているんですか」と質問したら、「そうですね」と航基くんが言い、旺志郎くんが「そんなことない」って……(笑)。
あはは(笑)。航基くんは映画の経験があり、旺志郎くんはこの作品が映画デビューだったとか。子供たちには台本を渡さずに口頭で伝えるそうですね。
そう、大人には台本を渡しますが、子供には渡さないんです。そのシーンごとに説明して、セリフも1つずつ口頭で伝えていくという方法で作っていきます。電話のシーンは、相手の録音した声をイヤホンで聞いてもらって。それも、その場で初めて聞かせて、「お兄ちゃんがこう言ったら、次はこう言ってね」と伝えていきました。
離れていても兄弟はつながっていて、電話はいつもプールの後、2人ともソーダ味のアイスキャンディーをかじりながら話すんですよね。
そうそう、「ガリガリ君」(笑)。航基くんも旺志郎くんも演技は素晴らしかったですよ。ほかの子供たちも1人を除いて全員オーディションで選びました。鹿児島の航一の友達で、東京からの転校生の佑を演じたのは『歩いても 歩いても』でYOUさん演じるちなみの息子役だった林凌雅くんです。この子は演技が上手いので航基くんに対抗できるなと思って僕が引っ張りました。
子供たちのシーンはNGも多いのでしょうか。
NGというか、もう1回やってみようかというのは何度かありましたね。飽きてきたらアプローチを変えて。でも、撮り直してもだいたい最初のほうがいいんですよね。大人でもあると思いますが、ああ、この子とはコミュニケーションが成立するなっていう相性があるじゃないですか。何百人も会っていれば、この子とは成立したなというのがわかるし、そうじゃないと無理ですね。撮ってもいいよっていう顔をしてるかどうか、こちらも撮りたいと思えるかどうか。コミュニケーションがとれるかどうか、お互いに信頼関係が築けるかどうか。オーディションではそのへんをいちばん重視しました。
「鹿児島発の新幹線さくらと博多発の新幹線つばめ、その一番列車がすれ違う瞬間にすごいエネルギーが起こって願いが叶う」という、いかにも小学生が考えそうなアイディアは?
すいません、大人の僕が考えました(笑)。この話の言い出しっぺである佑は、「大きくなったらヘラクレスオオカブトになりたい」というちょっと変わった子。3人の男の子たちの中で、自分が言った話をあの子だけ信じてないんです。それをちょっと言ってみたのは、彼にとってはある種の現実逃避なんです。
花火のシーンや、コスモス畑で遊んでいるシーンはアドリブですか。
花火のシーンは、「友達のお父さんの家で花火をします。さぁ、どうぞ」って。お父さんの友達に楽器を習うということだけは決めてあって、どこかのタイミングで花火に合わせて太鼓を叩いて下さいと言ってありました。「アフリカに行ったことあるの?」とか、セリフもアドリブですが、太鼓に合わせて踊ったり、花火を持ってぐるぐるしたりしているのは楽しくなっちゃって勝手にやってるんです(笑)。コスモス畑はロケハンで見つけて、そのときはまだ咲いてなかったんだけど、撮影のときにちょうど咲くねと。あのシーンは航一だけが1人そこには行かずに残り、みんなを呼ぶということだけ決めてあって、あとは好きに動いてもらいました。
未来を担う次世代を軸に描いていますが、以前『東京フィルメックス』のトークで、未来の観客や次世代を育てることについてお話しされていましたね。
うん、でもそれは一方的な作業ではないですよね。観客に作り手が育てられることもあるし、両方必要。両方ないと育たないので、一方的に私が教えてさしあげましょうというのはないですね。「作り手を育ててくれる観客を育てる」ということです。お互いにね。

岸田繁のダメ出し、そして賞賛
これまでの作品は音楽が抑えめだったと思いますが、今回はけっこう前面に出ています。くるりの岸田繁さんが作った主題歌、いい曲ですね。
この作品にはくるりしかないと思ってお願いして、初めて一緒に仕事をしました。岸田さんに荒編集した2時間半くらいのバージョンを観てもらい、作曲してもらって。彼は航一の感情に音楽を付けているので、音楽が引っ張るシーンもあるし、いつもよりはもう少し登場人物に近いところで鳴っていると思うんです。これまでは隙間に音楽を付けていて、歌付きの曲を使ったこともほとんどありません。ちょっと引き目で空間にぽつりぽつりと響いている、シーンとシーンの間の間奏として入っているというような。せいぜい伴奏だったのですが、今回は音楽が彼らの感情に寄り添いながら走っている感じですね。
構成を変えて編集したバージョンを観た岸田さんから「違う!」という手紙が届いたとか。初タッグの若い音楽監督からそう言われることもあまりないでしょうね。
岸田さんは音楽家だけど、映画のこともすごくよくわかってるんです。確かに彼の指摘のとおりで、僕が間違ってたなぁと思ったから構成を元に戻しました。間違っているときは僕は素直です(笑)。深くコミットしてくれて、ありがたいですね。彼も僕も鉄道ファンなのですが、彼の前ではとてもそう言えないくらい。彼は乗るのも好きだし、電車の部品も好きみたい。すごく詳しくてびっくりしました。映画ではなかなか満足に電車が撮れないんですよ。許可が出ないし、時間も限られてるし。今回はJR九州が特別協賛してくれているから電車が好きに撮れるよって言われて、「え、そうなの?」って喜んだ、僕はそれくらいの鉄道ファン(笑)。撮り放題だって言われましたからねぇ。でも、実際はそんなにたくさん撮れるわけじゃなく、たくさん登場させちゃったらそれはそれでたいへんそうだったので控えめにしました。
子供たちの演技もそうですが、すべてにおいてナチュラルで、わざとらしさがないですね。
「電車の撮り方が日常的で、これみよがしにすごい風景の中を電車が走るとか、そういうんじゃなくて、普段僕らが目にしているような電車が描かれていてとてもよかった」って、岸田さんがほめてくれました。ちょっとうれしかった(笑)。
無理せず柔軟に、ほかの人の意見にも耳を傾けて、アイディアを取り入れながら作っていくというオープンなスタイルなんですね。
それを志しています。ついつい頑なになるからね。ときには思い込むことも必要なんですけど、集団作業なので、なるべく現場は開かれているほうがいいんです。大人の役者には台本を渡しますが、現場でセリフを変えることもあるし。「今回は方言だから、そんなにはできないよ。いつもみたいには無理だよ」って樹木希林さんとか、役者さんたちにも言われました。方言指導の方に入ってもらってある程度やりましたけど。いつものやり方を踏まえて楽しんでもらえる人たちに集まってもらって、僕としては心強かったし、やりやすかったですね。

些細な日常のかけがえのなさ
是枝監督の作品には欠かせない山崎裕さんのカメラワークも大好きです。お付き合いも長いと思いますが、どのように画を作っていくのでしょう。
作品によるんですけど、『歩いても 歩いても』のときは、1カットずつレンズも含めて、ああでもないこうでもないと2人で話して決めました。今回は比較的おまかせです。家の中はきっちりコンテを描いてホームドラマとして撮ったのですが、外に出たときにはカット割りがどうのというよりは山崎さんがどう子供を追いかけていくかということだから。僕も一緒に後ろから付いていくということで、ファインダーを覗いている余裕もなかったし。
しっとりした湿度や場の匂いを感じる瑞々しい映像ですよね。
ドキュメンタリー出身というのが大きいと思うのですが、その場所の空気や時間や匂いにまず感覚がいく方なので、物語だけを切り取って先に進めていこうとはしない。ちゃんと人が際立って、物語よりも人の印象が残るというところが僕は好きですね。
鹿児島の白っぽくけむった映像はどう加工したんですか。
踏み切りのシーンとか、ぱーっと火山灰を撒いてから撮ったんです。これはほんとうに経験したことなのですが、実際に火山灰が降った日の踏み切りは、正直あんなもんじゃなくて凄まじかった……。もう何にも見えないくらいです。鹿児島の人はみんな慣れちゃって普通にしてるんですが、僕らは無理でしたね。
奇跡はいつでもそこにあるという、温かなメッセージを感じます。この作品は地震の前に撮影されましたが、震災によって監督の中に何か変化はあったでしょうか。
あの震災を経験した後で、ものを作る人間も作品も変わっていかざるを得ないと思いますが、どう変わるかは自分ではわからないですね。僕は基本的にはいつも、些細な日常がいかにかけがえがないかという映画を作っています。日常の中にいろんなものがあって、あんまり非日常的なところへ話を持っていかない。奇跡もそういうところで日々起きていくということだと思っているし、そんな描き方をこれまでもしてきました。いままさにそういうものが一瞬にして失われるということを目の当たりにし、そういうものの再評価みたいなことがあちこちで語られている時期にこの映画が公開される。映画の意味が変わったとは思わないけれど、震災後初めて作品を改めて見直してみて、主人公が映画の中で語る「世界」という言葉や、フラッシュバックで回想されるかけがえのないものは多少僕にも変わって見えたので、そういう見方をされることもあるのかなと思います。
(※このインタビューは2011年4月28日に行われました。)
プロフィール
これえだ・ひろかず/1962年、東京都生まれ。87年、早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組の演出を手掛け、『しかし…福祉切り捨ての時代に』(91/CX)でギャラクシー賞優秀作品賞、『もう一つの教育』(91/CX)でATP賞優秀賞、『記憶が失われた時』(96/NHK)で放送文化基金賞を受賞する。95年、劇場映画初監督作『幻の光』が、ヴェネツィア国際映画祭金のオゼッラ賞ほか多数の賞に輝き、一躍世界にその名を知られる。続く『ワンダフルライフ』(99)でも、ナント三大陸映画祭、ブエノスアイレス映画祭のグランプリなどを受賞し、世界30ヶ国、全米200館で公開され、ヒットを記録する。04年の『誰も知らない』では、同映画祭にて、主演の柳楽優弥が映画祭史上最年少となる最優秀男優賞を獲得し、国際的なニュースとなる。08年、自身の体験から生まれた『歩いても 歩いても』が国内外で絶賛を浴び、ヨーロッパ、アジアで様々な賞を受賞する。最近では、AKB48の『桜の木になろう』のPVを手掛けた。さらに西川美和監督の『蛇イチゴ』(03)、『ゆれる』(06)など、若手監督作品のプロデューサーも務めている。リアリズムと独自の感性の融合により、国内外から唯一無二の存在として敬愛されている映像作家である。そのほかの映画作品に『DISTANCE』(01)、『花よりもなほ』(06)、『空気人形』(09)などがある。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。