

韓国の鬼才キム・ギドクの助監督を経験して監督になった人といえば、『ピーターパンの公式』のチョ・チャンホ、『映画は映画だ』のチャン・フンがいるが、またひとり愛弟子がデビューした。カンヌ国際映画祭、プチョン国際ファンタスティック映画祭で話題になり、第11回東京フィルメックスのコンペティション部門で上映された『ビー・デビル』を手掛けたチャン・チョルス監督だ。劇場公開に先立ち、来日した監督に話を聞いた。
ご友人のチェ・クァンヨンさんが書いたこの作品のシナリオは、2008年韓国映画シナリオマーケット最優秀作品賞を受賞したそうですね。実際に韓国で起きた事件をモチーフに2人のヒロインを描いていますが、映画化に当たってどのようにドラマの肉付けをしていったのでしょうか。
最初にシナリオを読んだとき、ヘウォンを中心とする物語の前半がとてもいいなと思ったんです。現代人の強迫観念とか、都会に暮らすヘウォンの姿はまるで自分の姿を鏡に映しているようでした。ただ、ボクナムを中心とする後半はあまりに強烈過ぎて、正直このシナリオを映画にするのは無理じゃないかという話もあったんです。前半がとてもいいので、ぜひ映画にしたいと思ったのですが、後半の激しい部分はその激しさを薄めるのではなく、どうしてそうなるかという理由付けをしていったんです。そういう部分に手を入れつつ、全体的にはボクナムを応援したいと思ってもらえるようにして。特に、ヘウォンが島に行く前の都会のシーンに気を遣いました。この部分は要らないんじゃないか、さっさと島に行ったほうがいいんじゃないかという意見もあったのですが、僕は都会のシーンもすごく重要だと主張しました。それがこの作品を作りたいという理由の1つだったから。ヘウォンは島に行くのを最初は嫌がりますが、そこをじっくり見せたいと思ったんです。それによって、島でおかしなことが起きたときに、「ああ、そうか。だから彼女は行くのを嫌がっていたんだ」と観客は思ってくれるじゃないですか。島での出来事が、単なる不可解な事件だと捉えられないように配慮しました。
確かに、前半には緻密な伏線が張ってありましたね。作品全体の中でその部分が効いていたと思います。
普通こういった作品だと、主人公は1つか、せいぜい2つの理由で島に行くと思うんです。この作品では、「これでも行かないの?」「え、これでもまだ行かないの?」と思えるくらい執拗にやって、しぶしぶ行くというふうに導きたいと思ったんです。

対照的な2人のヒロインを演じた女優たち
ボクナムは浅黒い丸顔でほわんとした雰囲気、ヘウォンは色白の細面で冷たい雰囲気と対照的なキャラクターでした。それぞれを演じた女優のキャスティングについて教えて下さい。
ボクナム役のソ・ヨンヒさんを推薦してくれたのはキム・ギドク監督なんです。これまでの作品では、かわいそうな被害者の役が多い人ですよね。できればイメージが付いていない人がいいなと思っていたのですが、ソ・ヨンヒさんはぜひやりたいと言ってくれて。ところが、投資会社がもっと有名な女優がいいと言い出したんです。探してはみたのですが、とても負担が大きい役ですから、誰もやりたがらなくて。投資会社に説明して、けっきょくソ・ヨンヒさんにお願いしたのですが、私たちがほかの女優にもシナリオを渡していたことを彼女は知っていたらしく、ちょっとよそよそしくて……(笑)。「誰のせいでもなく、僕たち2人にまだ力がなくてこういうことになったんだから、がんばって一緒に撮っていこう」と、お互いを慰めながらやっていきました。一方のヘウォン役は新人を探していたんです。都会の女性というキャラクターですが、自分自身や親しい友達かもしれないという気持ちで観てほしかったので、距離感を覚える有名な女優よりまだ知られていない人のほうがいいなと思って。さらに、都会的でちょっと冷たい印象もある人ということでチ・ソンウォンさんに決めました。
残酷で性的な描写も多々ありましたが、ソ・ヨンヒさんは現場でひるむことなく、スムーズに撮影できたのでしょうか。
もともと彼女のほうからやりたいと言ってくれた役なので、現場でも動じませんでしたよ。単に演技力を見せたいとか主役がほしいとか、イメージチェンジしたいとかそういうことではなく、ソ・ヨンヒさんにはこの作品に出演したいという理由がちゃんとあったんです。彼女のお母さんが嫁ぎ先でとても苦労して、「恨(ハン)」というか、辛い思いがしこりとなって残ってしまって。それを娘であるソ・ヨンヒさんが慰めてあげたいということを言っていました。自分自身がそういった苦しい経験をしていないと、心を痛めている人を癒せないというような、そういう気持ちを持っていたので、これはできない、あれはできないということは一切なく。劇中で本当に殴られているシーンがあって、そのときは痛くないから大丈夫だと言っていましたが、撮影終了後1ヶ月くらい寝込んでしまいました。山の中で沐浴するシーンは、出資会社の人たちからもっと肌の露出をと言われ、その部分だけちょっとためらいはあったようですが、それでもちゃんと演じてくれました。
ガッツのある女優さんですね。彼女を推薦してくれたキム・ギドク監督はこの作品をご覧になったでしょうか。たくさんの賞を受賞されましたから、弟子の活躍を喜んでいるでしょうね。
そうですね。でも、残念ながら連絡が途絶えてしまっていて。キム・ギドク監督が制作していた作品にいろいろな問題が生じ、外部との連絡を絶っている状態が続いています。僕がこの作品を撮ったことはわかっていて、喜んでくれているとは思うのですが。

「観客の目をそむけさせてはいけない」という師匠の教え
助監督をされていた頃は、キム・ギドク監督は毎年1本ずつ精力的に発表されていましたよね。アーティスト肌のキム監督が弟子を育てるのかと驚いたのですが、学ばれたことでいちばん大きなことは何でしょう。
僕は『コースト・ガード』『春夏秋冬そして春』『サマリア』の3作品で助監督を務めました。キム・ギドク監督の下に何人も助監督がいて、ほかの人たちはだいたい1本で辛くなって逃げ出していったのですが、僕は続けてやることができた。それが自慢です(笑)。ちょうどその時期に、キム・ギドク監督の映画が変化していきました。それ以前はあまりにも激し過ぎたりして、距離感を覚えた人たちもいたかもしれません。しかし、その頃からはたくさんの人たちに好まれるような作品を撮るようになり、『サマリア』はベルリンの銀熊賞も受賞しました。監督が変化する時期に立ち会えたことは誇らしく思っています。でも、やっぱり彼は人に何かを教えるようなタイプではないんですよ。本人も「僕から教えることはないから、勝手に学んで」と言うので、そうしようと思いました。意識するしないに関わらず、ただ一緒にいるだけで学べたことはあると思います。唯一映画を撮る上でのテクニックとしては、「観客の目をそむけさせてはいけない」ということ。今回これを撮るときもずっとそれを頭に思い浮かべ、何度もその言葉を繰り返しました。『コースト・ガード』を撮ったとき、現場があまりにたいへんでスタッフと俳優が逃げてしまい、これからどうしたらいいんだろうと心配になったんです。ほかにも逃げたがっている人が多かったので、さらに減るんじゃないかと思っていたら、「最後に1人だけ残ったとしても僕は映画を撮れる」と監督が言ったんです。虚勢ではなく本当にそうなのだと僕も思いました。草や魚を撮ったイメージだけでも、彼なら映画を作れそうな気がして。それはとても大きなことで、どんな困難があっても映画をやり遂げるんだと。今回、僕もそう思いながら作りました。
じゃあ、映画制作への執念も学んだのですね。チャン・チョルス監督はデビュー作でこんなに多くの賞を穫ってますから、すでに師匠を超えたのでは?
ははは(笑)。キム・ギドク監督は巨大な山のような方で、それに比べたら私は小さな木のような存在。比較自体が不可能ですよ。次回作について製作会社と話をしている最中ですが、2本目を撮るに当たって特に思っていることがあるんです。1本目は知らずに撮った部分もあるのですが、2本目はかなりのプレッシャーだということ。期待してくれている人も多いですし、これから2本目、3本目と作っていくわけですが、やっぱり作るのはたいへんだなと。でも、失敗して抱えているプレッシャーではなく、いい意味でのプレッシャーなので、これは気分のいいことだと前向きに捉えて、いっそう努力しなくちゃと思っています。

(※このインタビューは2010年11月25日に行われました。)
プロフィール
JANG Cheol-soo/1974年生まれ。弘益大学美術学部で視覚デザインを専攻。2000年初め、日本での語学研修中にキム・ギドク監督の『魚と寝る女』(00)を観て直ちに帰国。その後、ひたすらキム・ギドクのもとを訪ね、『コースト・ガード』(01)に演出部スタッフとして参加。さらに同監督の『春夏秋冬そして春』(03)と『サマリア』(04)で助監督を務め、クォン・サンウ主演の『恋する神父』(04)の制作にも参加。短編『天国のエスカレーター(原題)』(06)を監督した後、2010年に『ビー・デビル』で念願の長編監督デビューを果たす。初長編にしてカンヌ国際映画祭批評家週間に招待され、観客を熱狂の渦に巻き込み、第8回大韓民国映画大賞、第47回韓国アカデミー賞の新人監督賞ほか、多数の新人監督賞を獲得するという快挙を成し遂げた。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中の1999年にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。