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Interview

031:小谷元彦さん×名和晃平さん(アーティスト) 3/4
聞き手:小崎哲哉+後藤繁雄
Date: February 11, 2011

なぜ平面や映像が「彫刻」なのか?

 

小崎:ちょっと話題を変えて「彫刻の限界」についての話をしたいんですが。2007年のミュンスター彫刻プロジェクトに、マーク・ウォリンジャーの「Zone」という作品が出展されました。街の中心から半径5kmの円になるように、約4.5mの高さに1本の糸を張っただけの作品です。ご存じの通りヨーロッパは、ミュンスターも含めて多くの街が城塞都市だったので、恐らくは、かつてあった城壁を象徴的に示して、歴史に思いを馳せさせるという概念的意図があったんだと思います。それを、彫刻という名のもとに、たった1本の糸でやってしまったのがすごいと思った。以前に名和さんに話したら、ブレーメンでの経験について語ってくれましたよね。

 

名和:そうですね。大学時代に、ブレーメンに2ヶ月間滞在するプロジェクトに参加したんですが、かなり濃い体験でした。ドイツでは、コンセプチュアリズムとミニマリズムを、同じくらい力を入れて教育しています。造形物ではなく、概念が彫刻になるという考え方が盛んでした。日本人の学生は、写真に映る造形物、つまり、ビジュアルがあるものを作らなきゃいけないと思い込みがちなんです。僕はそのとき、幅10mのギャラリーの壁にグルーガンで黒色のドローイングを描いたんですけど、まず、「なぜ黒なのか。なぜ見えやすくするのか」といった質問をドイツ人から言われるんです。

 

Nawa Kohei: Catalyst#11 (detail) | REALTOKYO
Nawa Kohei: Catalyst#11 (detail)
2008, mixed media
h.250 x w.400 x d.15 cm
Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE

小崎:作品は意味や概念だけでも成立する、ということでしょうか。

 

名和:はい。なぜコンセプトをビジュアルに置き換える必要があるのか、本当に必要があるのかどうか、というようなことを問い詰めてくる。ラディカル(根源的)なんです。さらに、マーケットに対する警戒心もすごく強かった。表現をアートとして売るのかどうかという選択についても問われましたが、社会における表現者としての立場が大事であって、そのスタンスをどのように押し進めていくのか、というほうに価値を置いている印象を受けました。京芸の先輩である竹岡雄二さんがブレーメン州立芸術大学で教授をされていて、「台座」彫刻というコンセプトのもとに制作を続け、第9回ドクメンタに出品されています。「オブジェ(もの)を置くことによって作られる空間」を追求する、台座に置かれた造形物が主体ではなく、むしろ台座だけで彫刻が成立するんじゃないか、という考え方です。竹岡さんやドイツ人の学生たちとのプロジェクトの中で、表現したい内容に合わせて表現する方法や媒体を選ぶべきだということをより意識するようになりました。そこから、もの派やミニマリズムの考え方と絡めて、どこに感覚の場みたいなものを作り、どこに人の思考を導いていくのか、ということを考えていったら、目の前にある造形だけで見せる必要がないんじゃないかと思い始めました。実際、空っぽな巨大な空間にメモだけ置いてあるとか、靴が1個だけ置いてあるとか、一見、「ばかにしてんの?」みたいに感じるんですけど、作家がコンテクストを語り、頭脳ゲームが成立してしまうと納得できるものはできちゃうんですよね。

 

小崎:リクリット・ティラヴァニの、額縁とキャプションだけ展示されてる作品を思い起こさせますね。キャプションにはテキストが入っているけれど額縁の中には何もない。

それはさておき、小谷さんも名和さんも平面や映像作品を作っていますね。冒頭でも少し伺いましたが、小谷さんの「9th ROOM」(2001)や「Rompers」(2003)、名和さんのグルーガンドローイングや「Dot – Movie」(2008)などは、やはり「彫刻」なんでしょうか。

 

小谷:概念のアーキテクチャーとしては一緒ですね。むしろ個人的には彫刻概念的に映像のほうが吐き出しやすい。ただ、感覚的に置かれている位置は違うけど、相互関係を持ってマッピングはされている。それゆえ、これらを並べていかに見せていくかという点が重要だと思ってます。

 

Odani Motoshiko: Inferno | REALTOKYO
Odani Motoshiko: Inferno
2008-10, Video installation: 8-channel synchronized HD video projection, 4.1ch sound
556×φ610 cm, 5 min. 37 sec. (loop)
Music: Takashima Kei
Production support: Stitch Co. Ltd., McRAY
Photo: Kioku Keizo
Photo courtesy: Mori Art Museum

小崎:2009年の『メディアシティ・ソウル』でアニッシュ・カプーアの映像作品を観て驚いたんです。映像なんだけれど、カプーアそのもので。やはり映像作品でも、「これは彫刻だ」という意志で作っているのかなあと思ったりしました。何度も聞かれているかと思いますが、なぜ「彫刻」と呼ぶんでしょうか。

 

小谷:「Rompers」は基本的に、デザートを作るような感じで作りました(笑)。ぐずぐずな幼児的触感はエロティックなものと関係があると思って作ったんです。彫刻の材料を扱っているときは、わかりやすい例を挙げると石膏もそうですけど、ただの粉が水と化学反応を起こしてだんだん固体化してくる現象は、かなり興味深い。だけど、その物質の可変的状態や触感を相手に伝えようとすると、そのテイストを表すのが立体にするとなかなか難しい。それで、映像に落とし込んでみてもいいんじゃないかと考えたんです。また、彫刻を造形化する過程を表すなら、時間軸のどこかのコマを切り出さなければいけない。前後を感じさせるような状態で、現実にどこか1個のコマを切り出すわけです。それは、時間をコントロールしていくこととあまり変わらない気がします。時間を前に置くのか、後ろに置くのかという考え方と同じだから、じゃあそれをコントロールしてしまえ! と思った結果、映像でやっているんですね。最近はそういったことをベースにして、シンプルなことをミニマルな演習方法で、より複雑化するという考え方で取り組んでいます。

 

Odani Motoshiko: Rompers | REALTOKYO
Odani Motoshiko: Rompers
2003, C-print mounted on aluminum
80.5×66.7 cm
Edition of 5
Photo Courtesy: YAMAMOTO GENDAI

すべての表現は絵と彫刻に分けられる?

 

小崎:名和さんのグルーガンドローイングは、グルーだから当然厚みがあるわけですが、それを「ドローイング」と呼んでいますよね。

 

名和:そうですね。彫刻とドローイングの間かなと思っていて。でも「ドローイング」と言ってますね。

 

小崎:「これは彫刻だけどこれはドローイング」「これはムービー」という、画然とした分け方はあるんでしょうか。

 

名和:それはないですね。全部彫刻的な感覚で作っているので、彫刻の範囲だと考えてます。その中でドローイングや映像という形式があったり、ソリッドな造形物としての彫刻というか、いわゆる「彫刻」があったり、液体を眺める画面のような彫刻があったり、「スタイルはばらばらだけど全部彫刻」という考え方で作ってしまえという気持ちはあります。

 

小崎:小谷さんはどう思いますか。

 

小谷:僕も一緒です。個人の彫刻概念を形成していくことが重要だと思っていて、むしろそれができないと行き詰まってしまうので、彫刻という考え方で、自分のコンセプトをどう展開させ続けていくことができるか、ということをずっと考えてますね。カプーアの映像も、彫刻家が作るとどうしても基盤は彫刻っぽくなるんです。去年(2009年)、国立近代美術館でリチャード・セラの映像作品を観たんですが、本人が『あれは彫刻じゃない』って主張しているらしいので逆に驚きました。本人がそう言うなら、まあ、しゃあないな、ですが(笑)。見る側は否が応でもセラの彫刻から透視してしまいますよね。

 

名和:そうそう、毎年夏休みに、河口龍夫さんと藤本由紀夫さんと3人で集中講義をやるんですよ。そのときに藤本さんがユニークな言い方をされていて、どんな表現でも全部、「絵」と「彫刻」に分けられるんじゃないかと言っていたんです。

 

小崎:音の作家である藤本さんが言うのが面白い(笑)。

 

名和:そうなんです(笑)。かなり面白いカテゴライズの仕方だと思って。というのは、「絵」というのは大体がフレームの中の世界を見ることで、「彫刻」というのは目の前にあるそのままを見る(見える)ことだと思うんですよね。表現スタイルが平面や音や立体であっても、感覚としては個々の作品によって受け止め方が変わると思うんです。彫刻なんだけど絵的な彫刻、映像なんだけど彫刻的な映像、彫刻的な彫刻……というように、明確に分けられる。意識の持っていき方次第なんだなあと思ったんです。

近代以降の絵画や彫刻の抽象化の方向性、進化というのは、ある程度のレベルまでは脳科学的にも解説できるんじゃないかと思うんです。どのようにものを見て、認識して、図像を処理して、エフェクトをかけて、アウトプットするか。ゴームリーなんかは、まさに自らをフィギュア化して、3Dの図像処理の中で、選択的に彫刻へとアウトプットしていますが、あの手法は、人物彫刻の価値を解体する過程でもある。それをあれだけのバリエーションで見せるっていう意味では、フィギュアから離れていた90年代のイギリスの彫刻家たちの中で、ひときわこだわり続けてるところがやっぱり面白い。

 

小崎:ジュリアン・オピーや佐藤雅彦さんの問題意識にも通じるものがありますね。

 

名和:グラフィック的な処理の仕方という意味では、オピーや佐藤さんはアナログからデジタルへの移行期、つまりPCのデスクトップですべてのグラフィックを作るようになった世代の感覚の画面性というか、画像の捉え方をデザインやペインティングに持ち込んでいて、それ以前とはやはり違う。村上さんのスーパーフラットな画面、画質の仕上げ方も、そういう文脈で捉えることができるでしょうね。もちろん、それだけではないのですが。

 

Nawa Kohei: Dot Movie | REALTOKYO
Nawa Kohei: Dot Movie
2009
Courtesy of Gallery Nomart and SCAI THE BATHHOUSE

スペクタクル・事故・ミューテーション

 

名和:小谷さんは、「スペクタクル」についてどう思ってますか? 僕は「うつろなスペクタクル」というのにこだわっています。単なるスペクタクルではなく、スペクタクルの裏返しだったり、表層だけの「うつろな」スペクタクルで逆に商業主義的なスペクタクルを批評することができないかと思っています。一方で、ハリウッドのアクションムービーや、精度の高いCGをそのまま消費するのは個人的に好きなんですけど。

 

小崎:名和さんが2007年の『六本木クロッシング』や、2009年のエルメスでの個展『L_B_S』に出していた「Scum」は「うつろなスペクタクル」ですよね。

 

名和:そうですね。いまSCAI THE BATHHOUSEで見せている30メートルほどのドローイングもそうです(『Synthesis』展。10/30に終了)。すべてがディテールの連続なので、本来はA4サイズくらいで近づいて見るようなものなんです。感覚の宿る場をシームレスにつないでいくことを目指したもので、いわゆる「絵」ではないし、スペクタクルな展示ではありません。現代は、みんながスペクタクルを求めながらも同時に飽きてしまっている、どこか醒めたままの時代なのかなと思っていて。やっぱり僕は、そういうところから外れた体験を作ることを目指したい。写真で観たらすごいけど、実際に観たら違うというのがいちばん怖い。ビジュアルだけで満足したらいけないと思います。

 

Nawa Kohei: Scum#2 | REALTOKYO
Nawa Kohei: Scum#2
2006, mixed media
h.310 x w.470 x d.500 cm
Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE

小谷:僕はスペクタクル、というより劇場性と儀式性との関係、ライブ感みたいなものには興味がありますね。ある種の生なものを提供しなくちゃいけない、という考え方もどこか根底にあります。僕の思うライブ感とは、脳科学を無視して言うなれば、脳を飛び越えて皮膚感覚や内臓など身体の内側へ訴える感覚とか、カメラのレンズで言えば、マクロレンズになったり、広角や望遠レンズになるような視覚と身体との相互作用のようなものです。それ以外もありますが、これらは僕の彫刻の概念と深く関与しています。最近はさらにこの中にある種の事故というか、アクシデントを導入できないだろうかと考えています。

 

小崎:それはどういうことですか。ウォーホルがやったようなことですか。それとも、ウィリアム・フォーサイスがダンスの振付に導入したような「偶然性」ですか。

 

小谷:それとは違うと思います。最近、事故性に惹かれているんですよ。どんどん情報化されている現代の社会状況の中で、脳だけが取り出されているけど、僕らが街に出ると、車がばんばん走ってる。そんな中、いつでも交通事故に遭う可能性がありますよね。体という束縛が必ずあって、事故に遭う確率はかなり高い。危険性があるにも関わらず、実体がないような社会になってきているから、脳と体が分裂してるようになってきてると思うんですけど、だからこそ事故的なものに出会うのは、人間である限り重要なことなんじゃないかなと思っていて、これは彫刻なるものと出会うと瞬間性と言えるかもしれないなと。

 

後藤:ちょっといいですか。いまの事故性という話も非常に面白いんですけど、「ミューテーション」というテーマはどう思う? 物質電送機の中にハエが紛れ込んで、合成されたハエ男が生まれる映画『ハエ男の恐怖』みたいに、情報化が生み出すある種のミューテーションがあると思いますが、小谷さんはああいうものに惹かれるところはないんですか。

 

小谷:情報化とミューテーションの関係は非常に重要です。ただ、ミューテーションを美術の中で作りましょうとなったときに、下手したら造形化するところで止まってしまうところもあると思います。例えばパトリシア・ピッチニーニとかがやってましたけど、ああいう形で精巧に作れば、ある種の説得力は出ると思うんですけど、そこまで行くのはなかなか難しい。彼女がやる前にあの手の方向でいろいろ調べたことがありましたが、日本では相当難しかった。実はミューテーションは、僕の裏側のテーマの柱の1つではあるんですけど、観客がミューテーションするのか、作品の中にミューテーションを作るのか、というので考え方が違う気がするんですよね。いまは、作品と出会ってそこで体験することで、ミューテーションに近い状態を起こしたほうが、より自然な形じゃないかなと思ってるんです。

 

後藤:経験としてのミューテーションですね。

 

小谷:はい。特別な人間だけに起こりえる変化ではなく、すべての人間がミューテーションする可能性を持っていると思います。

 

小崎:さっき名和さんが言っていた、フィギュアを作品として出すのではなくて、むしろ観る側をフィギュアとして感じさせるというのと同じことですか。

 

小谷:似ているかもしれませんが、フィギュアというより、意識や感覚含め、場を異化させて、他者を誘うということですかね。

 

名和:1回そういう見方をしてしまったら、ほかのものもそう見えてくる、というのがビジュアルアーツの強いところですね。僕の『ビーズ』や『プリズム』でも、ひとつのエフェクトの純度を高めていくだけで見せるんですけど、直感的にビジョンが見えてしまって、その見方をいったん覚えたら、ほかのものもそう見えてくる。目の前にあるオブジェだけが彫刻ではなく、それの見方や開き方を体得することも含めて作品体験だと思うんです。そういう可能性はまだまだ沢山あるんじゃないかと思います。

 

小谷元彦さんと名和晃平さん | REALTOKYO

» Interview 034:小谷元彦さん×名和晃平さん(アーティスト) 4/4

 

 

プロフィール

おだに・もとひこ

1972年、京都府生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了。東京芸術大学先端芸術表現科准教授。個展に『Phantom-Limb』(P-HOUSE、東京、1997)、『Modification』(KPOキリンプラザ大阪、2004)、『SP2 "New Born"』(山本現代、東京、07)、『小谷元彦/Hollow』(メゾンエルメス、09-10)など。リヨン現代美術ビエンナーレ(00)、イスタンブール・ビエンナーレ(01)、光州ビエンナーレ(02)など、参加国際展も多数。03年には、日本代表作家のひとりとしてヴェネツィア・ビエンナーレに参加した。『小谷元彦展 幽体の知覚』は、2010年11月27日から11年2月27日まで、東京の森美術館で開催。

http://www.phantom-limb.com/

http://www.yamamotogendai.org/japanese/artist/odani.html

http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/

 

なわ・こうへい

1975年、大阪府生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程彫刻専攻修了。京都造形芸術大学准教授。98年に英国王立美術院(RCA)に交換留学。キリンアートアワード2003にて奨励賞受賞。個展に『GUSH』(SCAI THE BATHHOUSE、2006)、『AIR』(ノマル・プロジェクトスペース、大阪、06)、『L_B_S』(メゾンエルメス、東京、09)など。第3回バレンシア・ビエンナーレ(05)など国際展への参加多数。第14回『アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ』(10)では最優秀賞を受賞した。2011年6月に東京都現代美術館で個展を開催する。

http://www.kohei-nawa.net/

http://www.scaithebathhouse.com/ja/artists/kohei_nawa/

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学客員教授も務める。趣味は料理。

寄稿家プロフィール

ごとう・しげお/1954年、大阪生まれ。編集者、クリエイティブ・ディレクター、京都造形芸術大学教授。広告制作・企画・商品開発・web 開発・展覧会企画など、ジャンルを超えて幅広く活動し、"独特編集"をモットーに、坂本龍一、篠山紀信、蜷川実花らのアートブック、写真集の編集などを数多く制作。また、インタビュアー・ライターとして『high fashion』『エスクァイア日本版』『InterCommunication』などで、数々のアーティストへのインタビューを手がける。東京・恵比寿の写真とグラフィック専門のギャラリー G/Pディレクター。2010年3月、3331 Arts Chiyodaに新しいスペースg³/(トリプルジー)を開設。編集学校「superschool」とコンテンポラリーアートを中心としたギャラリーをスタートさせる。