

“観察映画”番外編となる『Peace』は、韓国のDMZ(非武装地帯)国際ドキュメンタリー映画祭のオープニングを飾り、第11回東京フィルメックスで観客賞を受賞した。韓国の映画祭から託された“平和と共存”というテーマの大きさに戸惑いながら、岡山市で義父・柏木寿夫がエサをやっている野良猫にカメラを向け始め、やがて義父の福祉有償移送サービス、義母・柏木廣子のヘルパーの仕事の現場へと観察の眼は向けられていく。その中で橋本至郎というホスピス介護を受ける老人と偶然に出会い、その死に立ち向かう姿がとりわけ胸に迫る。社会の中で“無視してはならない”現場に、温かく、鋭く、しかも「テーマに縛られずに」カメラを向け続ける。フィルメックスのために、ニューヨークから来日した想田監督に話を聞いた。
観ていて思わず感情が盛り上がる場面もあり、なにかが前の2作とちょっと違うようにも感じました。いつもは忍者のように姿を消している想田監督が、今回は比較的“いる”ことを感じさせたように思いました。
僕もだんだん成長しているところもあって(笑)、必ずしも忍者にならなくても、人々の人生の重要な瞬間に立ち会えるんだなということがわかってきたんです。完全に姿を消すよりもむしろ“リラックスした存在感”でいることが大事なんだって。つまり、普段の生活でも話をしやすい人と、話しかけにくい人っているでしょう。なんとなくつい話したくなる人のオーラを撮影者が出せればいいんだなっていうことが、だんだん経験でわかってきたので、最近は必ずしも忍者になってないんですよ。

岡山では上映会をしたのですか。
まだですが、出演してくれた義父や義母、それから親類のために、親戚の家に集まって上映会をしました。やっぱり被写体に観てもらうのが毎回いちばん緊張します。
反応はいかがでしたか。
すごく面白かったのは、義父はなんだか他人事のように、自分が出ている映画だというのを忘れてるふうで「これは力作じゃ。よう出来とる」とほめてくれたんです。ホッとしてる感じでした。やっぱりどんなふうに映ってるかというのは気になるんでしょうね。「猫と移送(ドライビングサービス)と橋本さんと廣子と、どうしたら一緒になるのか全然想像がつかん」と心配していたので。
逆に義母のほうは、自分の顔のシワとか話し方が気になるみたいで「私はしゃべりすぎじゃ」とか「支援の掛け声の仕方がまずい」とか反省していたりして、映画を個人的に観ていました。『選挙』や『精神』と比較して、物足りなさも感じているふうでした。でも義父の証言によると、義母はその後DVDを何度もひとりで観ていたらしいです(笑)。
そのお義母さんやお義父さんの視点、野良猫の興味深い勢力争い、生と死を見つめる視点、しかも最終的には福祉に対して政治的な視点に辿りつく、なんとも多様な視点が持てる映画です。編集はどんなふうでしたか。
今回は撮影も早かったのですが、編集もスルスルとできてしまって、3ヶ月もかかってないんです。最初の2週間ぐらいでほとんど形が出来て、後はもう細部の微調整的なものをやって。『選挙』も『精神』も10ヶ月くらい編集にかかりましたし、いま編集中の『演劇(仮)』はもう1年以上編集してるのに終わらない(笑)。こんなに早く編集が進んだのは初めてです。そういう意味でも今回は、本当に自分で作ったような気がしてないんですよね。勝手に出来ちゃったっていう感じの映画なんです。

DMZ映画祭との出会い、橋本さんとの出会い
フィルメックスのQ&Aでも話していらしたように、映画を撮るきっかけは韓国の第2回DMZ国際ドキュメンタリー映画祭で“平和と共存”をテーマにした短編映画を依頼されたことだったわけですね。テーマが大きすぎると思いつつ、猫を撮り始めたらどんどん進んで『Peace』ができたという。
そう、もし依頼を受けていなかったら、絶対この作品は撮ってないです! そういう意味では、依頼をしてくれたことにすごく感謝してるんです。
DMZ映画祭には出品されたんですか。
もちろん出しました。僕も短編を作るつもりで作業を進めてたんですが、次第に映画が長くなってしまって。「長編になっちゃうかもしれないんだけど」って映画祭のプログラマーであるカン・ソクピルにメールしたら、「とにかく作家の意向を尊重したいので、長さは気にしないでくれ」と。途中でラフカットを見せてくれということもなく、完成したものを送ったらすごく気に入ってくれて、「オープニングでやりたい」と言われました。それで映画祭初日に野外で上映するはずだったのですが、当日はものすごい雨。北朝鮮と韓国を結んでいる“Freedom Bridge”(自由の橋)のたもとの特設会場で大々的に、韓流スターも大勢ゲストで参加して、派手に上映する予定だったんです。ところがものすごい嵐になって、雷も鳴るし。韓国人にとっては橋のたもとでやることがすごく意味があるらしく、情熱的に「どうしてもここでやるんだ」と言って、プランBを考えてなかったらしい(笑)。観客にもレインコートを配って、開会式だけかろうじてやったけど、さすがに映画は無理ということでキャンセルになってしまったんです。義父も会場に駆けつけたんですが、映画を観ないで帰国することになりました。韓国はしばしば「アジアのラテン」と呼ばれますが、その理由がよくわかったね(笑)。まあ、とても残念だったんですが、その2日後にはインドアで上映されて、観客の反応はすごくよかったです。

お義父さんは残念でしたね、仕事を休んでいらしたのに。
そうですね。留守にする数日分のエサを猫に用意して来たのに(笑)
エサやりは妻には頼めない……。
猫の世話は義母には言い出しにくいんですよね。
映画でも、そういう夫婦の空気がとても素敵なシーンがありました。
義理の息子としては、すごくハラハラしてるんですよ、ああいう場面は。でも映画的には非常に……。
うまみがある(笑)。「『ここで何かが起こってくれないかな』とか思ってるとよく起こるんです」って、想田監督は『選挙』のときにも話してくれました。今回は、奥様(柏木規与子=ふたりのキャストの実娘)は撮影現場にはいらしたんですか。
いえ、岡山にはいたんですけど、現場にはいないんです。妻の母方の祖母が危篤だというので、一緒に帰省していたんです。実は、祖母の様子を撮って映画にしようと妻や義母と相談し、撮影し始めたんですけど、親戚の反対とかいろいろあって、途中で断念したところだったんです。祖母は広島出身で、義母がお腹の中にいるときに被爆し、でも94歳まで長生きして、大勢の子供や孫たちに看取られてこの世を去ろうとしていました。すごくいい映画になると信じていたので、僕は相当がっかりして落ち込みました。でも親戚の反対を押し切ってまで撮ってしまうと、一族が空中分解してしまうという危険もあったので。義母は「撮りたけりゃあ撮りゃあええのに。わたしゃあ撮ってほしいわ」と最後まで言ってたんですけどね。ただ、その撮影過程で、生と死ということについて考え始めていたこともあって、『Peace』で橋本さんに出会ったときに、すでに僕の感性みたいなものが感応しやすくなっていたんでしょう。出会った瞬間に橋本さんには人間的な魅力を感じましたし、だからこそ撮影させてもらったんですが、そういう観点から橋本さんに惹かれていくということがあったのかもしれない。ある意味、祖母を途中まで撮ることで、『Peace』を作るための準備をさせてもらったということはあるかと思います。
鳥肌の立つような、なにか運命の糸のようなものを感じますね。
人生って、実はそういうことに満ちてるんですよね。それをよく観察してそのまま映画に撮ると、あたかも普段経験できないような奇跡が起こってるかのように感じてしまうんですけど、本当は誰の身にも起きている。日常は常に流れているので、僕らはそれに気付かないというか、気にも止めないだけなんですね。
僕らはあらゆる瞬間になんらかの選択をしながら生きています。いま怒るのか、笑うのか、ショッピングに行くのか、映画に行くのか、会いたい人に会いに行くのか、昼寝をするのか。毎秒毎秒の選択によって、僕らの人生は紡がれていくんですね。ドキュメンタリーを撮るとそれを本当に実感できます。
例えば、最初橋本さんはテーマとなってる“平和と共存”に関係なさそうだから、撮るのは止めようかなって思ったくらいで、そのときに撮影をやめていたら、この映画はできなかったと思うんですね。でも、そのときにふと僕の観察映画の方法が思い浮かびました。テーマに縛られないことがすごく大事なんだ。自分が惹かれた人に対してカメラを向ければいいんだ。テーマと関係があろうがなかろうが、向ければいいんだ。その考えが浮かんだから撮り続けたわけです。そしてこの映画が出来た。撮影の最終日に、橋本さんが戦争体験を突然話し始めてくれた場面だって、僕や義母と橋本さんの出会い方やその後の関わり方がほんのちょっとでも違っていたら、あんなふうにはならなかったはずです。ドキュメンタリーを撮っていると、人生って本当に不思議だなあと思わされます。

本当の福祉の最前線の人たちにスポットを当てたい
柏木寿夫さんの有償福祉運送、廣子さんの介護ヘルパーの仕事の中で、想田監督がすかさず眼を向けるのは、厳しい経営の現状で、後継者を育てるにしても、そのことをまず話しておかないといけないという、苦しい現実ですね。
これは『精神』を撮ってるときから目についていた現実です。福祉とか介護の現場というのは、それを担っている人たちが社会から正当に評価されていないという気がずっとしてたんですね。これだけ高齢化社会と言われ、障害者自立支援法が施行され、その改正がどうのこうのと新聞紙上を賑わせているんだけど、その本当の最前線である現場自体は、全然語られていない。それどころか、無視され続けてるという気がしてるんです。そして、制度が変わるたびに状況はキツくなるわけですが、その負の影響は、現場の人たちが個人的な無理をすることによってかろうじて吸収し、現状を維持している。福祉や介護はみんなが必要としていて、ものすごく重要なのに、それを担っている人たちの善意に、政府というか社会のシステムが甘えている。政治家たちは概念の世界で偉そうに議論はするけど、そういう議論と現場とは常に乖離・断絶しているわけですね。それは映画の中で義母が、たまたまラジオで流れていた鳩山首相の演説には気付きもせずに、制度に対する文句を思わず口にしてしまった場面にも象徴的に表れているんですが、なにかこういう状況に対して光を当てる作業がしたいという気持ちは、『精神』を撮ってるころからフツフツと湧いていたんです。それは必ずしも彼らを支援するために映画を撮るとか、そういうことじゃなく、とにかく英語で言うところのウィットネス(目撃者)になりたい、と思いました。そもそもドキュメンタリー作家の重要な役割のひとつは、「その人はそのとき確かにその場にいた」ということを見届けることにあると思うんですね。つまりそこで働く人たちの仕事ぶりや、利用者との関わり合いを、映画的な記憶に留めておきたいという気持ちが強くなっていったというところがあるんです。最初は猫を撮っていたのですが、そこから義父や義母の仕事に自分の関心が広がっていったのは、そういう気持ちがやはり前提としてあったからだと思うんです。
しかも『精神』の撮影のときには、お義父さんはドライバーとして、撮影チームに参加なさってたそうで、そこからすでに『Peace』につながっていたのでしょうね。劇場公開されるのを楽しみにしています。

プロフィール
そうだ・かずひろ/1970年、栃木県生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ卒。93年からニューヨーク在住。NHKなどのドキュメンタリー番組を40本以上手掛けた後、台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。その第1弾『選挙』(07年)は世界200ヶ国近くでTV放映され、米国でピーボディ賞を受賞、ベルリン国際映画祭へ正式招待されたほか、ベオグラード国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞。第2弾『精神』(08年)は釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞、マイアミ国際映画祭で審査員特別賞、香港国際映画祭で優秀ドキュメンタリー賞、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で宗教を超えた審査員賞を獲得するなど受賞多数。DMZ国際ドキュメンタリー映画祭のオープニング作品として上映された本作『Peace』は、ドバイ国際映画祭コンペ部門とバンクーバー国際映画祭に正式招待され、第11回東京フィルメックスでは観客賞を受賞。現在、平田オリザ氏と青年団を撮った『演劇(仮)』(観察映画第3弾)を編集中。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。