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Interview

025:小谷元彦さん×名和晃平さん(アーティスト) 1/4
聞き手:小崎哲哉+後藤繁雄
Date: December 29, 2010

情報化が進み、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が実体性を浸食しつつある現代において、彫刻/立体造形芸術の概念は大きく変わろうとしている。彫刻はどこから来てどこに向かってゆくのか? 現代日本を代表する2人の若手彫刻家に、自作について、互いの作品について、そして彫刻の可能性について、存分に語ってもらった。

左から名和晃平さん、小谷元彦さん、小崎、後藤

小崎:小谷さんは11月27日から森美術館で、名和さんは2011年の6月に東京都現代美術館で、それぞれ大規模な個展を開催されます。2月にはニューヨークでの日本アートのグループ展に2人とも参加される。現代アートの状況について語ってもらおうという案もあったのですが、国際的に活躍するこの2人を迎えて、状況論というのはちょっともったいない。やるならがっつり現代アートについて、それも2人とも彫刻家なので、現代彫刻はこれからどこに向かっていくのか、そんな話になるといいなと思っています。

 

2次元を3次元化した仏像

 

小崎:話を伺う前に、日本における彫刻の歴史についてざっとおさらいしておきます。というのは、2人とももちろん彫刻史の伝統に則って制作・創作を行っているわけですが、とりわけ小谷さんは日本近代彫刻史に関心が深く、これまでにも様々な作品で過去の作品や歴史に言及しているからです。やや教科書的な話で申し訳ありませんが、そもそも「彫刻」という概念が入ってきたところから簡単にお話しします。

ご存じのとおり、彫刻という概念はほかのジャンルと同様に明治の近代化以降に入ってきました。具体的には1876(明治9)年、工部美術学校が画学と彫刻学という2つの学科を作ったときに、初めて公式に彫刻という言葉が使われるようになったということです。英語やフランス語の「sculpture」、ドイツ語の「Bildhauerkunst」を翻訳したものですが、前者2つはラテン語の「sculptura」という言葉が語源で、「彫る」「刻む」という意味。「彫刻」以外に「彫像術」「彫鏤」という訳語も現れましたが、最終的に1890(明治23)年の第3回内国勧業博覧会で「彫刻」が採用され、定着したという話です。

ただし、その4年後の1894(明治27)年に、大村西崖という人が「彫塑論」という文章を著しています。簡単に言うと、「彫刻=彫る・刻む」だけでは「sculpture」の概念の広さをカバーし切れていないのではないか、つまり塑像(モデリング)の概念がないのはおかしいので、「彫塑」と呼ぼうと提案したんですね。賛同した人もいたけれど、結局この言葉は定着しなくて、「彫刻」に落ち着いた次第です。

そこで小谷さんに伺いたいんですが、小谷さんはデヴィッド・リンチやトビー・フーパーらSFやホラー映画が好きで、自身映像作品も制作している。とはいえ彫刻史には正面から向き合っていて、高村光雲や橋本平八、さらにはイタリアのバロック彫刻家ベルニーニの作品に対するオマージュあるいは引用を行ってもいる。子供のころから仏像が好きだったとのことですが、日本における彫刻史をどのように捉えているんでしょうか。

 

Odani Motohiko: Human Lesson (Dress 01) | REALTOKYO
Odani Motohiko: Human Lesson (Dress 01)
Fur of wolf, et al.
166.5×78×30 cm
1996
Takahashi collection, Tokyo
Photo courtesy: Yamamoto Gendai, Tokyo / P-House, Tokyo
Photo: Kunimori Masakazu

小谷:そうですね、まともに向き合い過ぎたかもしれません。もともと日本は、彫刻という概念自体がすんなり作られてきた場所だとは思えないところがあります。彫刻の歴史を日本で紐解いていこうと思うと、最初は、ほとんどが朝鮮半島などで見て描いた絵を立体化した仏像か、あるいは東寺みたいに、そもそも2次元であった曼荼羅の絵を3次元化した空間ですよね。いわゆる「彫刻」は、いまで言うフィギュアと同じような構造の中でだんだん出来上がってきたはずで。ということを考えると、日本のアート自体が「平面」という問題と切り離せないところがあって、ギリシアやイタリアの質実剛健な彫刻とはまったく別の歴史になっていると思っています。

 

小崎:小谷さんには平面作品や映像作品もいくつかありますけれども、ああいう2次元的な作品の出発点も日本彫刻史にあるということでしょうか。

 

小谷:仏像は制作当時は極彩色でしたよね。仏師ってものすごくストイックに精緻な形を作ってますけど、結局は漆を塗って、岩絵具や胡粉を塗って……っていう作業を繰り返して、最終的には極彩色を施し、要するに平面化してしまう。彫刻の本質というものをそこで隠蔽するというか、1回出来上がったものをもう1回平面に戻すような作業を繰り返してるわけです。そういうふうに考えると「彫刻って何なんだろう」とふと思うんですよ。形を作るという行為に精神性があるとしても、その上に豪華な文様や、ある法則をもった極彩色をがっちり塗ってしまう。この時点で、何か違うものが立ち上がると思うんです。

 

小崎:仏教に興味はあったんですか。

 

小谷:いや仏教にはさほど興味ないです。みうらじゅんさんが言われているのと同じように、幼少期はほとんど「仏像は怪獣的なもの」という感覚で見てましたから。イメージとして引っ張られた感じはあると思います。

ただ、しばらくして単純なイメージの層だけで捉えることはできなくなっていきました。彫刻は仏教の布教のためには必要だった、いわゆるプロパガンダとしてすごく有効に作用する手段であったとは思うんですけど、禁じられていたはずの偶像崇拝のために彫刻を作るという時点でちょっとねじれているっていう感じを受けます。理念と目的の狭間で彫刻という存在が必要になり、特定のイメージを作るってこと自体が矛盾していると同時に、彫刻メディアの本質的な力を利用し、社会へ伝播させるってことが非常に興味深い。その影響力としてのイメージが刷り込みレベルで僕らの仏教のイメージにつながっていたりする。僕は彫刻の成り立ちや存在を作ること自体がある矛盾を抱えている不可能性を持った行為だと思っているので、ここにも同じような不自然な自立があり、惹かれているのかなとは思いますけれど。

 

Odani Motohiko: Phantom-Limb | REALTOKYO
Odani Motohiko: Phantom-Limb
C-print
148×111 cm (Each, Set of 5)
1997
Edition of 3
Photo courtesy: Yamamoto Gendai, Tokyo

「依り代や神像に興味があった」

 

小崎:名和さんは、最初に古代美術や宗教彫刻などに関心を持って、その関心がどんどん発展していって現代彫刻にたどり着いたというようなことを以前に話していますけれども、いまの小谷さんの話を受けて、宗教と美術の関係についてどう思われますか。

 

名和:僕は京都芸大で彫刻を勉強したんですけど、最初は現代美術にあんまり興味がなくて、現代美術の展覧会を観に行くこともしていなかった。それよりは京都・奈良の神社仏閣を回って仏像や神像を見ていました。神聖に崇められる対象物がどういうものなのか、現代のような精神状況でもそういう神聖な感覚や崇拝が成り立つのかどうかということに関心があったんです。もちろん仏像は近代彫刻を含む彫刻の歴史にも、現代のフィギュアや造形物にも影響を与えていると思います。ただ、仏像だけじゃなくて、依り代(よりしろ)や神像みたいなものについて、もっと知りたかったんです。例えば熊野に、しめ縄が1本巻いてあるだけで神様みたいに見えてくる大きい木がありますよね。日本の彫刻史で言ったら、もの派なんかにもつながっていくことですが、そこにあるんだけど、実際にそこにあるものというよりは、それを超えた何か違うものと出会ってるという感覚。そういう場や対象がどうやったら作れるか、それを作る側にはどうやったらなれるのか。そういう意味で宗教にも宗教美術にも興味がありました。

古代美術の中には、それを宇宙のすべて、あるいは神だと信じてそれしかすがるものがないくらいの想いが籠もった造形物があると思うんですね。だから土偶やアイルランドのケルト美術やメソポタミア文明の、あの辺りの昔の神像はイメージの純度が高くて面白いし、ロンドンに留学したのが98年、99年だったんですけど、その間にヨーロッパの中世の教会を見て回ったり、大英博物館、ルーブル美術館などを何度も何度も観たんです。僕は授業とかレクチャーが苦手で、すぐ寝てしまうので(笑)、だから実際に見て辿っていったという感じですね。それで、昔の人が見ていた世界が、現代にどうつながっているのかが何となく見えてきました。

日本では、西洋と東洋のいろんなものがミックスしてるし、仏教と神道に加えてアニミズムみたいな土着的な感覚もある。だから僕は彫刻史というものを、1本の方向・軸ではなく複雑に捉えています。れっきとした「彫刻」と呼ばれているものだけではなく、民芸品とか、祭で作る奇妙な呪術的なオブジェや商業空間に飾られる造形物など、すべて興味の対象だった。僕の母親は愛媛の宇和島(鬼北町・牛ノ川)出身なんですけど、そこの祭で牛鬼っていう神輿みたいなオブジェがあって、子供のころに見聞きしたその牛鬼のイメージや民話の内容が強烈な印象だった。それで髪の毛を素材にしたり、麻の繊維(スサ)で獣のような彫刻を作ったことがあります。外側が毛で覆われ、顔がなく、中身は空っぽ、そこに何かを呼び込むための依り代みたいな造形物を作っていた時期がありました。そこから、動物の剥製をモチーフにすることへとつながっていきます。

 

Nawa Kohei: PixCell-Elk#2 | REALTOKYO
Nawa Kohei: PixCell-Elk#2
2009, mixed media, h.240 x w.249.5 x d.198 cm
Work created with the support of Fondation d'entreprise Hermès
Photo: Omote Nobutada

小崎:依り代にして招ぎ代(おぎしろ)ですね。そういう聖なるものとか、畏怖すべき対象としての自然物や人工的造形物、あるいは異世界への関心は小谷さんにもありました?

 

小谷:まあ、僕は日本の怪人、怪獣、妖怪とかの創造物も好きですし、彫刻というメディアを複雑化して捉えている構造は違うにせよ、考えは似ているとは思いますね。あと古いもので興味を持ってたのは、仏像に金箔を掛けたりすること。例えば奈良の聖林寺にある十一面観音像は、いま見ると煤だらけで金箔も大分剥がれているんですが、水から浮かび出した姿を表す美しい像です。なぜ金箔を掛けているのかというと、昔、真っ暗闇の中でろうそく1本を立てて見ると、金箔の像の存在がぼっと暗闇の中から浮かび上がって、表面が空間を巻き込んで特殊効果を引き起こす。仏像という超越的な存在が「エフェクト」であるわかりやすい例です。ある種「仏像エンタテインメント」みたいなものとして作られていたってことなんですね。そういうところにすごく興味があって。

 

痛覚と聖性

 

小崎:小谷さんの創作活動の中核には、痛覚など、身体感覚をどうやって表すかということがあるとよく言われますよね。初個展の『Phantom-Limb』(1997)では、題名通り「幻肢」を主題とし、四肢を失っても残る感覚の視覚化を試みました。その際に発表した写真作品は、キリストの磔刑図に似ていると指摘されたことがありましたが、その指摘はご本人的には正しいんでしょうか。

 

小谷:いや、磔刑図を作りたかったってことはまったくないですね。1つ念頭に置いていたのは解剖図です。解剖図の場合、写真を撮る真正面に対して手を内側に向ける。ああいう強いイメージは多種多様にあるわけじゃなくて、強いイコンの形は、やっぱり限定された中に出来上がってしまうという気がするんですよ。

 

小崎:いわゆる集合的無意識のアーキタイプみたいなものですね。

 

小谷:まさしくユングのいう集合的無意識ですね。偶然にもユングの理論は私の作品ではいろいろ見え隠れすることもありますね。そういうイメージの先に、多層的なイメージとして、宗教的イコンのようなものが見えるんだったらそれでもいいかなっていうくらいの話で、当初は僕自身の中でキリストの磔刑図というのはまったくなかった。結果として宗教を屈折して取り込んだ日本という場所をデコードし、作品に取り込めたのは良かったかなと思ってますが。

 

小崎:小谷さんの作品には、髪の毛や獣の皮を使ったものもありますよね。やはり初期作品のひとつ「Human Lesson (Dress 01) 」(1996)ではオオカミの剥製を使っています。一方、名和さんは『PixCell』シリーズで、例えば巨大なエルクやコヨーテなどの剥製を用いていますが、その表面はビーズやプリズムシートで覆われている。非常に単純素朴に言うと、2人とも皮膚あるいは表面への関心を示しつつも、小谷さんはあえてそれを剥き出しにするような、名和さんはそれを覆い隠すような作り方をしている。それについて、お互いにどう思っていますか。

 

名和:あ、でもまさに、小谷さんのエルメスの個展(2009年11月『Hollow』)のときもそうですよね。ソリッドな造形そのものを見せるっていうのが結構多い。

 

小谷:簡単に限定できないし、出力方法は変えますが、そう言われると多めかと。

 

Installation view of Nawa Kohei's "Synthesis" show at SCAI THE BATHHOUSE, Tokyo 2010 | REALTOKYO
Installation view of Nawa Kohei’s "Synthesis" show at SCAI THE BATHHOUSE, Tokyo 2010
Photo: Omote Nobutada
Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE

名和:ヨーロッパを旅してた時期にいちばん彫刻のフォーマットや歴史について考えてたんです。「造形を見せるのは終わった」とかって言われていた時期で、その意味がよくわからんまま。結局その後、そんなのにアーティストが振り回されたらあかんってわかったんですけどね。絵画は終わったとか、造形は終わったとか、写真は終わったとか、でもまだ全然終わってないやんって。

そのころは「彫刻(Sculpture)」が熱かったんです。90年代のイギリスの彫刻家で、いまでもすごく活躍している作家が非常に油の乗っているときで、アントニー・ゴームリーとか、レイチェル・ホワイトリードとか、リチャード・ディーコンとか、アニッシュ・カプーアとか、すごくかっこよかった。彼らは宗教美術のフォーマットやシンボルをいまだに意識しながらも、あくまで現代の表現として、マテリアルの可能性や新しい方法論を追求していた。それで、彫刻(Sculpture)ってなかなか面白い分野だなあと。自分もそこに何かを投げかけたいというモチベーションが初めて出来て、現代美術のフィールドでやってみようかなと思い始めた。「造形を愛でる」っていう意味での「造形を見せる」だけではない、もっと別の方法があるはずと思い出したんです。学部のころは塑像で、少年像とか女性の半身像も作ってましたけど。

 

小崎:それは写実的に?

 

名和:写実的に。モデルさんを目の前にして作ってました。まずは人体を覚えたかったし、トルソから。ただ、彫刻として完成させたとき、水粘土のみずみずしさが石膏やブロンズのぶっきらぼうな質感に置き換わるのが納得いかなかった。皮膚の質感とか身体(感覚している存在)をよりリアルに表現したいと思うようになり、自分の身長の比率に合わせた少年像を水粘土で作って、表面に樹脂をかぶせて中に水分を閉じ込め、それを磨いて表面に厚み2ミリぐらいの半透明の膜を作ったんです。水の入った袋みたいな状態の少年像、「少年の膜」というタイトルでした。

 

小崎:そのころから「膜」だったんだ(笑)。

 

名和:そうですね(笑)。

 

» Interview 026:小谷元彦さん×名和晃平さん(アーティスト) 2/4

 

 

プロフィール

おだに・もとひこ

1972年、京都府生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了。東京芸術大学先端芸術表現科准教授。個展に『Phantom-Limb』(P-HOUSE、東京、1997)、『Modification』(KPOキリンプラザ大阪、2004)、『SP2 "New Born"』(山本現代、東京、07)、『小谷元彦/Hollow』(メゾンエルメス、09-10)など。リヨン現代美術ビエンナーレ(00)、イスタンブール・ビエンナーレ(01)、光州ビエンナーレ(02)など、参加国際展も多数。03年には、日本代表作家のひとりとしてヴェネツィア・ビエンナーレに参加した。『小谷元彦展 幽体の知覚』は、2010年11月27日から11年2月27日まで、東京の森美術館で開催。

http://www.phantom-limb.com/

http://www.yamamotogendai.org/japanese/artist/odani.html

http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/

 

なわ・こうへい

1975年、大阪府生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程彫刻専攻修了。京都造形芸術大学准教授。98年に英国王立美術院(RCA)に交換留学。キリンアートアワード2003にて奨励賞受賞。個展に『GUSH』(SCAI THE BATHHOUSE、2006)、『AIR』(ノマル・プロジェクトスペース、大阪、06)、『L_B_S』(メゾンエルメス、東京、09)など。第3回バレンシア・ビエンナーレ(05)など国際展への参加多数。第14回『アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ』(10)では最優秀賞を受賞した。2011年6月に東京都現代美術館で個展を開催する。

http://www.kohei-nawa.net/

http://www.scaithebathhouse.com/ja/artists/kohei_nawa/

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学客員教授も務める。趣味は料理。

寄稿家プロフィール

ごとう・しげお/1954年、大阪生まれ。編集者、クリエイティブ・ディレクター、京都造形芸術大学教授。広告制作・企画・商品開発・web 開発・展覧会企画など、ジャンルを超えて幅広く活動し、"独特編集"をモットーに、坂本龍一、篠山紀信、蜷川実花らのアートブック、写真集の編集などを数多く制作。また、インタビュアー・ライターとして『high fashion』『エスクァイア日本版』『InterCommunication』などで、数々のアーティストへのインタビューを手がける。東京・恵比寿の写真とグラフィック専門のギャラリー G/Pディレクター。2010年3月、3331 Arts Chiyodaに新しいスペースg³/(トリプルジー)を開設。編集学校「superschool」とコンテンポラリーアートを中心としたギャラリーをスタートさせる。