

撮影準備に9ヶ月、セット建設に1年、撮影に1年半をかけ、俳優はプロ・アマ合わせて200人、エキストラは3万人、スタッフは500人をそれぞれ超えた。これらの数字だけで壮大さがうかがえるスケールを駆使して1930年代から80年代という時代を再現し、人と人のあわいに横たわる繊細な感情を映し出す。ジュゼッペ・トルナトーレ監督にしか実現し得ない、映画史に残る新たな傑作『シチリア!シチリア!』がまもなく公開に。それに先立ち、ローマにいる監督にインタビューを試みた。
監督の故郷「バーリア」(バゲリーアを指す地元の方言)を舞台に展開するこの物語には、お父さんの人生とご自身の半生が投影されているそうですね。大切な素材を映画化するに当たり、気を配られたのはどんなことでしょうか。
すべてが本物かどうかという部分です。シナリオの中に生きている人間、彼らが話すバーリア方言による会話、半世紀にわたる時代それぞれの音、リズム、セリフも俳優たちの動きも含めて、それらすべてが本物かどうか。そのすべてに重点を置き、全力を注ぎ込みました。
映画の中に、監督ご自身やご家族が経験された実際のエピソードはありますか。あるとしたら、どの部分でしょう。
たくさんあります。例えば、真夏の暑さから逃げるために、家族みんなで下着姿になってひんやりした床の上に寝転ぶシーンがそうです。私が小さかったころはまだエアコンというものがなかったので、母親に「服を脱ぎなさい」と言われ、みんなであんなことをやっていたんです。

自分が生きた時代と場所を再現することの難しさ
街を丸ごとタイムスリップさせるかのような、ディテールにもこだわったセットに驚きました。街並、服装、車などを巧みに使い、少しずつ現代に向かって変化する時代を忠実に再現するのはさぞかしたいへんだったのでは?
すべての舞台装置を作り込むことも難しかったのですが、さらにそれが時とともに変化していくところも描かないといけない。ひとつのプロジェクトの中に、もうひとつ別のプロジェクトを抱えていたようなものでした。俳優のスケジュールの都合によって、セットを3日ごとに変えないといけなかったり、時代そのものを変えないといけなかったりということもありました。家具や雑貨、お店や商人たちは、私自身がよく知っていて、実際に見たことがある時代のものなのですが、そうは言ってもそれを再現するのはとても複雑で容易なことではありませんでした。周りのスタッフたちも、とてもたいへんだったと思います。自分自身が知っている時代だから、どこかが少しでも違うと嫌になってしまうんです。スタッフにはかなり厳しく私の要望を伝えましたが、もちろんその時代を知らない人も中にはいるわけだから、私よりもっと苦しかったでしょうね。一度自分が生きた時代と場所を再現することは、とても難しいことだと実感しました。
故郷へのあふれる愛情と同時に、活弁から吹き替えへ、時代を反映する映画への愛も感じました。時代を象徴するように登場する、シドニー・ルメット監督の『橋からの眺め』(1962年)やフェデリコ・フェリーニ監督の『サテリコン』(1969年)などは、監督の記憶に残る作品なのでしょうか。
父に連れられて初めて見た映画が『橋からの眺め』でした。子供が父親に映画館に連れていかれるシーンは、私の経験とまったく同じように作っています。いろいろな映画が登場しますが、すべて私の実体験に基づいて選んでいる作品たちです。『橋からの眺め』と『サテリコン』は、子供だった当時の私にとって、とても重要な映画でしたね。

新星マルガレット・マデのスクリーンデビュー
マンニーナ役のマルガレット・マデがすばらしかった! どのようにキャスティングしたのでしょう。スクリーンデビューで初主演となりましたが、撮影現場ではいかがでしたか。
マンニ―ナ役を見つけるのはとてもたいへんでした。100人以上をオーディションしたはずです。ある日、机の上にマルガレット・マデの写真が置いてあり、いいなと思いました。彼女は素人だったので最初は対象外だったのですが、オーディションに呼んでみたら、ものすごい特徴を持っていた! マルガレットにはクラシカルな美しさがあったんです。演技経験はゼロでしたが、彼女はシチリア方言を知っていたので、何回もテストをしてみました。モデルだから動きが繊細すぎて、マンニーナ役には合わなかったのですが、ある日ツメを切ってもらって、物置に入れた物を全部出してもらうという作業をしてもらって。そのときはもう、モデルのような動きをしませんでしたね。マルガレットは性格がタフなので、彼女ならきっとやれると確信しました。実際には苦労もあったと思いますが、見事にやり遂げてくれました。
エンドロールで使われている映像と声が印象的でした。バーリア出身の方々だそうですが、どんなことをしゃべっているのでしょう。
詩人、政治家、一般庶民、物売り、キリスト教の教会関係者、農民、子供たちなど、様々な人々が登場し、それぞれがいろいろなことをしゃべっています。映画に関係のあることをしゃべっているわけでなく、まったく関連性のない会話で、それをそのまま使っているんです。

映画を作らせてくれるストーリーを探す
1989年の『ニュー・シネマ・パラダイス』以来ずっと音楽を手掛けているエンニオ・モリコーネさんとはもう長いお付き合いですが、本作についてはどのようなオーダーを出されたのでしょう。
「一緒にやっていきましょう」と言っただけで、特にオーダーはしていないんです。彼は彼の音楽で、私は私のストーリーで、「同じことを語りましょう」ということです。私たちの約束ごとはいつも、「簡単に満足しない」ということだけなんです。
集大成とも言える作品を完成させ、監督が次はどこへ向かうのかも気になります。
過去の作品についてはお話ししますが、私は未来の作品については話さないようにしているんです。作らなければならない作品であれば作らない。“なければならない”という言葉があると、私は作りません。私はいつだって私をとらえるストーリー性を探していて、私に映画を作らせてくれる物語探しにいつも奔走しています。たくさんのストーリーが成熟することで映画として結実しますが、それが成熟しなければ流れ去ってしまってもいい。それが私のやり方なんです。
プロフィール
Giuseppe Tornatore/1956年、イタリア、シチリア州パレルモのバゲリーア生まれ。76年に短編ドキュメンタリー映画『荷馬車』で監督デビューし、82年には『シチリアの少数民族』で、サレルノ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。86年の『“教授”と呼ばれた男』で初の長編劇映画を監督し、イタリア・ゴールデングローブ賞新人監督賞を受賞。89年に脚本・監督を務めた『ニュー・シネマ・パラダイス』で、カンヌ国際映画祭審査員特別賞、アカデミー賞最優秀外国語映画賞を始め、数々の栄誉ある賞を受賞し、世界へとその名を馳せる。95年には、『明日を夢見て』で、ヴェネツィア国際映画祭審査員特別大賞を獲得し、アカデミー賞最優秀外国語映画賞にノミネートされ、名匠としての地位を確立する。98年、映画への貢献により、イタリア政府から勲章コメンダトーレを授勲する。そのほかの主な作品は、『みんな元気』(90)、オムニバス映画『夜ごとの夢/イタリア幻想譚』の中の「青い犬」(91)、『記憶の扉』(94)、『海の上のピアニスト』(99)、『マレーナ』(00)、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で12部門にノミネートされた『題名のない子守唄』(06)など。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。