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Interview

011:高嶺格さん(アーティスト)【前編】
聞き手:小崎哲哉
Date: September 09, 2010
高嶺格さん | REALTOKYO

インスタレーションやパフォーマンス、映像作品や舞台作品に至るまで、多彩な活動で知られるアーティスト。その精力的な創作に通底する独自の問題意識とは何か。京都での学生時代やダムタイプでの経験について聞きながら、活動のルーツを探る。

(写真:橋本誠)

 

高嶺さんは現在、2010年8月7日オープンの『反応連鎖——ツナガルシクミ』展に向けて、国際芸術センター青森(ACAC)で滞在制作をされています。藤浩志さん、小山田徹さんとの3人展ですが、実は皆さん鹿児島出身で、高校と大学も一緒だそうですね。大学は京都市立芸大ですが、高嶺さんは学生時代、どんなことをされていたんですか。

 

京都芸大の学生時代

 

学科としては工芸科の漆工専攻ですが、まあ妙なことばかりやってました。大学3年生のときには1年休学して、海外に行きました。ずるずる大学にいても出口がない気がして。そのとき何となく、ライブな作品がやりたいと思い始めたんです。帰国後、お客さんと電話で話す作品を作ったのが最初のリアルタイム作品です。NTTの専用回線のサービスを使って、自分の部屋に置いてある電話と美術館の電話を繋いで、お客さんが受話器を取ったら僕の家の電話が鳴るという仕組み。それで観客と話をするんです。

 

オノ・ヨーコの「テレフォン・ピース」に似てますね。

 

僕のほうが先だといいんだけど(笑)。その当時作ってた作品がいろいろあるんですけど、誰かが以前作ったのと同じのがいくつかあるらしくって、「お前、あと10年早く生まれてたらなあ」みたいなことをよく言われてました(笑)。僕自身は知らずに作ってるんだけど。実は僕、歴史がすごく苦手で、美術史の流れとかあまり知らないんです。そのコンプレックスは今でもあります。

 

京都芸大では、中原浩大さんが先生をされていたんですよね。

 

浩大さんは、僕が大学に入ったときにちょうど彫刻の先生になったんです。僕が学生だった80年代終わりから90年代初めの時代で、いちばん刺激的な作品を作っていた人だと思います。とてもミステリアスな存在でした。

 

レゴを用いた先駆的な作品(「無題(レゴ・モンスター)」)なんかはよく知られていますよね。もしかしたら村上隆さんは、中原さんがいなかったら今のような作品を作ってないかもしれない。

 

浩大さんはほとんどしゃべらない人で、一緒にいて楽しいとかそういうんじゃないんだけど(笑)。当時彫刻科にいた西松鉱二と僕とで、「地域さん」という名前のバンドをやってたんですが、それを見に来てくれたりしてて、それで浩大さんの結婚式のときに地域さんで演奏したりして、そのあたりから付き合いが始まりました。それで91年に名古屋市美術館で浩大さんの個展があったんですが、「何かパフォーマンスみたいなものをやってくれへんか」と言われて、ダムタイプの砂山典子さんも誘って一緒にパフォーマンスをやりました。

 

ゲスト出演みたいなものですか。

 

ゲストというか、「中原浩大とその周辺たち」って感じだったと思うけど、僕にとっては初めての美術館をフルに使った大舞台なわけで、大スペースのためのアイデアを一生懸命考えました。そのときも、良かったとも悪かったとも、ただ「一勝一敗かな」って意味深なことを(笑)。それで10年前ぐらいに発表するのを急にやめて、オファーも全部断ってた。その沈黙はすごい気になりましたね。デュシャンの沈黙並に。

 

高嶺さんの作品に直接影響はあったと思います?

 

うーん、直接かどうかわからないけど、何らかは絶対あると思います。

 

高嶺格さん | REALTOKYO

ダムタイプでの経験

 

もう1つ、ダムタイプにメンバーとして加わったことが、高嶺さんにとっては大きいと思います。きっかけは何だったんですか。

 

きっかけは大学入学時なのでほとんど運命的ですが、鹿児島の先輩が2人もメンバーだったんです。小山田さんと泊博雅さん。彼らに会いにいくというと、もうそこはダムタイプだったっていう。

 

そのころから、もう「ダムタイプ」だったんでしたっけ。

 

「ダムタイプ・シアター」から「ダムタイプ」に変わる時期です。

 

で、高嶺さんは始めからパフォーマーだったんですか。

 

いや。僕は当初は興味本意で、ただその場にいたら面白かったから遊びに行ってただけです。将来自分がその舞台に立つなんて思ってもみなかった。ダムタイプもそうですけど、大学入って1人暮らしするのも初めてだし、いろんなことが新鮮で。しかもやってることがすごく新しくて、何か意味のあるようなないような、でもおしゃれなことがいっぱいあった。京都によくいる不良外人みたいなのも出入りしてて、なんか、パーティに行って初めて酒を飲んでフラフラになっているような感じですね。そこにはアングラ芝居の風情も残っていたり、やたら卑猥な人がいたり。

 

高嶺さんがそう言うなんて面白いな。相当卑猥な人なんですね(笑)。

 

なんかもう、そんなものもどんどん吸収していって。頭が軟らかかったんでしょうね。1年生のときは、「裸でパフォーマンスする人がいる」って聞くだけで頭を殴られるほどショックだったのに、次の年には自分が裸で街を歩いて捕まっているという(笑)。

 

京都のど真ん中でストリーキング。有名な話ですね(笑)。カルチャーショックはあったんだけど、それを全部受け止めて、自分の中で育てていったみたいな感じですかね。

 

そうですね。外国人、活動家、同性愛者、障碍者……はじめて出会う人種がたくさんいて、最初はドキドキするけどだんだんそれが普通になっていくという。

 

僕は東京にいたから、ダムタイプを実際に観たのが結構遅かったんですよ。初めて観たときはすごくショックでした。映像あり、音楽あり、照明も効果的で、まず技術的にすごくカッティングエッジ。そしてかなり社会的・政治的なテーマが含まれていた。それまでの日本の演劇っていうと、新劇とか、すごく重い感じでしたよね。表現の方法自体が重い。ダムタイプはテーマは重いけれども表現の仕方が非常に軽やかで、スピードが速い。すごくかっこいいな、と感じました。

 

僕も大学に入ってから演劇を少しずつ観るようになっていったんですが、ダムタイプがほかと違うのは、いい意味でも悪い意味でもすごく戦略的だったことです。グローバルな視点が最初からあった。

 

戦略的っていうのは、カンパニーが認められるためにどうしたらいいかっていうことに関してですか。

 

日本の中で突出するとかそういう発想ではなかったんですよ。アンテナを常に世界に向けていて、フェスティバル同士の関係とか、どこを押さえればどうなるかってことを意識している。例えば(古橋)悌二さんが「ちょっとドイツ行ってくる」って言って帰ってきたら、4つぐらい発表の場を決めてきたりしてるんです。

 

すごいなあ。優秀なブッキングプロデューサー。

 

彼の希有な才能は編集能力だと思います。新作のパフォーマンスを作ると、いろんな角度からビデオで撮って20-30分にぱぱっと編集する。その出来がすごく良くて、それをヨーロッパに持っていって配ると、どんどん話が来る。

 

補足すると、古橋悌二さんはダムタイプの創設メンバーの1人で実質的なリーダー。90年代初頭にAIDSを発症し、95年に敗血症で亡くなった方です。『S/N』という作品の中で、自分がゲイでありHIVのキャリアであることをカミングアウトしました。ただカミングアウトするだけではなく、そこに性的であったり政治的であったりする様々なマイノリティの問題や、当然ながらアイデンティティや身体性の問題も絡めて、一見するとドキュメンタリー風の作品に仕立てていました。今回の『六本木クロッシング2010』でも記録映像が上映されてましたね。高嶺さんにとって古橋さんはどういう存在でしたか。

 

んー、悌二さんは悌二さんですね、誰にも似てない。あんな人には会ったことがないです。

 

夜ともなるとグローリアスさんという名前のドラァグクイーンになって……。ちなみに京都はドラァグカルチャーがすごく盛んな場所ですけれども、その中でも重要な役割を果たしていましたね。

 

いわゆる「ビッチ」ですよね(笑)。なんていうか全然オープンじゃない。付き合う人をすごく選ぶんですよ。話したくない人とは目も合わせない。それでいて卓越したコミュニケーション能力を持ってる。芸妓さんのところのおうちの出らしくて、その身のこなしや振舞い方が生まれついてるような。芸妓さんって、そういうところありますよね。お客さんに対して心を許す許さないといった駆け引きとか。そんな悌二さんが『S/N』で急に本心を語り出したからびっくりしたんです。

 

『S/N』の中では、ブブ・ド・ラ・マドレーヌさんがセックスワーカーという役どころで、自分の「体験」を告白するシーンもありましたよね。あれは設定だけ古橋さんが作ったんですか。

 

ブブがセックスワーカーをやっていたのは事実です。『S/N』のプロジェクトがスタートしてからだったかな、その前後にセックスワーカーを始めたと思います。作品中の自分と生活の間にギャップを作りたくなかったんじゃないかな。とても誠実な人なので。

 

つまり、古橋さんの設定に対して、ブブさん自ら?

 

それはブブさん自ら。

 

そういう作られ方をしていたんですね。古橋さんのHIVなどがきっかけとなった上でアイデンティティやジェンダー、マイノリティといった主題を持つ話が作られ、その枠の中でそれぞれのパフォーマーが自分の演じる何かを見出していくみたいな感じですか。

 

そうですね。自分はいったい何をしたいのか、発言の意味を問い直される日々でした。頻繁にミーティングが開かれていたけど、自分を掘り下げていかないとミーティングで叩かれる。不用意に発言したことに対して、「いまの発言にはこういう意味が隠されているんじゃないか」と、突っ込みが入る。そこで気づきがあるわけですよ。そうやってだんだんと共有できるものが生まれて、それをもとにアイデアを出していくような作業だったと思います。

 

後編に続く>

 

※このインタビューは2010年7月21日、3331 Arts Chiyodaにおいて、東京アートポイント計画「批評家・レビュワー養成講座『見巧者になるために』」の講義として行われました。

 

プロフィール

たかみね・ただす/1968年鹿児島県生まれ。1990年代初頭よりパフォーマンス活動を行い、「ダムタイプ」のメンバーとしても活躍。現在はインスタレーションや映像、舞台作品など多彩な活動を展開し、また音楽家や振付家などとのコラボレーションも数多く手がける。2008年には初の著書『在日の恋人』(河出書房新社)を発表した。『反応連鎖ーツナガルシクミ』展(国際芸術センター青森)は9/5で終了したが、このときに制作したツリーハウスは少なくともしばらくは残される予定。金沢21世紀美術館での家と体に関するプロジェクト『Good House, Nice Body 〜いい家、よい体』は2011/3/21まで開催中。あいちトリエンナーレでは10/8から10/17まで、名古屋の小劇場「七ツ寺共同スタジオ」で新作を発表する。横浜美術館での個展は2011/1/21から3/20まで開催される予定。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。