

完成披露試写会の舞台挨拶のため、作品に敬意を表したフォーマルなスーツに身を包んだ萩原聖人さん。穏やかな語り口の中に、真摯で熱い役者魂をひしと感じさせる。「仕事に対する向き合い方の誠実さがすばらしい」と高橋伴明監督は評し、さらに「リスキーかもしれない役をよく引き受けてくれた」と讃えた。1966年に起きた袴田事件から44年。いまなお服役中の袴田巌死刑囚を冤罪から救い出すため、あらゆる手を尽くしている熊本典道元判事。自らが下した「裁き」によって苦しみ続けることになった実在の人物を、魂を込めて演じた。TV、舞台、映画と幅広く活躍、長いキャリアを持つ萩原さんが、40歳を前にして挑んだ異色な役と作品への思いを聞いた。
わかった振りで体現できる痛みではないと思った
いまだ未解決の話であり、また去年から裁判員制度も始まり、タイムリーに様々な問題を投げかける、重い作品でした。熊本判事を演じた感想を聞かせて下さい。
これまでも実在の人物は何度か演じさせていただいてますが、なかなかここまでデリケートで、かつ結論の出ていない内容での、そういう役は初めてでした。演技の技術や、僕のキャリアの中で培った俳優としての経験などは問題ではなく、まさに体当たりでした。そうしないと熊本さんの痛みは、わかった振りで体現できるものではないと思いました。監督と、作品に、体当たりでぶつかるしかなかったです。自分の演技がどうとか言うよりも、とにかくこの作品の持っているものだけは届けたいという思いでした。

高橋監督の、事件に対して一歩も後ろへ引かない覚悟の強さを感じましたし、その中で熊本判事の苦悩を萩原さんが全身で表現されていて、圧倒されました。
いつも自分の出演作品を初めて観ると、自分のアラばかりが気になって映画に入りこめないんです。だけどこの作品は、そういうものを超越したところで、最後まで本当に入りこんで観ることができました。
観た人は、きっと考えると思うんです。「ああ、こういうことがあったんだ」というだけで終ってしまう映画ではない。それ以上のものが、監督の力でこの作品にはある。映画の持つ力のすごさを感じました。
熊本さんと袴田さんが出逢うシーンは特に印象的で、とても好きなところです。運命であるかのような列車での出逢いが監督独特のタッチで描かれていました。
そこはモノクロに近い映像で、僕もいいなあと思いました。誰かを恨むとか、そんなものを超越している。ふたりは何とも言えない関係ですね。ただ事件については、別の観点でみると、すごく大きなものを人間社会に残していると思います。
それは確実にそうですね。撮影前や現場で、高橋監督とはそんな話をされましたか。
監督はある意味、信頼してくれてるからだと思うんですが、何も言わないんです。撮影の最中は、何も考えずというわけではないですけど、その人物を背負って生きるというか、僕らはそれを考えてやることで、監督が形を作ってくれるのだと信じてました。
高橋監督を始め、石橋凌さん、新井浩文さんと、なんともロックな面々が揃って、熱いエネルギーが画面からほとばしり出ていました。
全編を通してそれはもう隅々から感じますね。

熊本判事が裁判所を去るときに、誰もいない暗い法廷の証言台にひっそりと立って、裁判官の席を見上げる姿が心にとても残りましたが、どんなことを感じていらっしゃったのでしょう。
あのシーンは、その後の熊本判事の生き方にとってとても重要なシーンで、あれがあるとないとでは後半部分がガラリと変わってくる。証言台に立って初めて、五感を通して感じられること。例えばおいしいとか、まずいとか、好きとか嫌いとか、人間はいろいろ感じるものですが、あそこに立つことでしか感じ得ないこと、それを感じたかったということだと思うんです。
熊本さんは、物理的なことだけじゃなく、すべてやるという方なんだと思うんです。実際に熊本さんが立ってみたのかはわかりませんが、少なくとも、裁判で出された材料だけではない「何か」を感じたからこそ、ここまで闘い続けることができた。それも40年以上です。考えられないですよね…。
この映画は、裁判員制度についても問題提起していますね。高橋監督ははっきり疑問を唱えているのが映画からも受け取れますが、そこは観客にも、他人事ではなく、自分事として考えて下さいと言っているように思います。
僕も、対岸の火事のように思っていたことが、年を重ねるほど、そうじゃないというのが世の中だと感じるようになりました。若いときは、痛みは痛みとして捉えられても、目前に広がる自分の未来のほうが気になっていました。何歳で感じるかというのは個人差があって、20歳で感じる人もいるとは思います。でも、いまこういう作品に参加させてもらったというのは、役者としてとかではなくて、残された時間を生きていく上で、すごく大切な、忘れちゃいけないようなことを感じさせてもらえたように思います。

ご自身にとっても転機のような作品ですか。
いままでやってきたものとは、やっぱり向き合い方が違いました。自然とそうなったんです。そうしないときっと乗り越えられないというか、それは僕だけじゃなくて新井君もそうだったと思います。
僕はどちらかと言うと、いつもはオンとオフの切り換えがはっきりしているタイプなんです。だけどそれができる場合もあるし、例えば切り換えなかったら演技はどうだったんだろうとか、それはわからないですよね…。今回は、台本を読んだ回数がそれまでとは違いました。単純に難しいセリフが多かったというだけではなくて、終わったシーンさえも気になって、圧倒的に毎日読んでいました。
新井さんもいつにも増して壮絶な役でしたが、萩原さんと一緒のシーンは意外と少ないですね。
電車のシーン、線路のシーン、最後の雪のシーンくらいですね。実際もそうで、熊本さんは、袴田さんが尋問で苦しんでいるところは見ていないんです。そこは撮影も同じでした。

話はちょっと逸れますが、以前『CURE』(黒沢清監督/1997年)を観て、萩原さんの映画での居方にすごく引き込まれたんです。心の闇の表現というか。黒沢監督は役者にあまり入りこませないで、動きを細かく決めていく演出をすると聞いたのですが、萩原さんに対してもそうだったのですか。
あのときは、黒沢監督は何も言わなかったんですよ。「そのまんまでいてください」と言うだけでしたから。ああいう役をやるときの恐さというのが、この仕事ってあるんです。でも、役と向き合うときに「役に入りこんでくれ」とか「役所(広司)さんとやり合ってくれ」なんて黒沢監督は言わない。そうじゃないということがわかったときに「やれる」と思ったことがあるんです。
なるほど、今回の映画を観ているときに『CURE』の萩原さんがふと浮かんできたのがなぜなのか、なんとなくわかりました。高橋監督も何も言わなかったということですし…。
とにかく、役者が僕であるとかないとか関係ないところにある作品だなと思うんです。熊本さんがどういうものを背負い闘い続けているかということ。本当にそれさえ伝われば、役者としてどうとかというのはどうでもいいと、映画を観たときに思いました。
熊本さんとふたりで一緒に写真を撮りました
熊本さんとは、お話はされましたか。
してないです。映画の感想なんて聞けないですから。でも、一度熊本さんが現場にいらっしゃったときに、ふたりで一緒に写真を撮りました。僕はあまり現場で、こちらからお願いして共演者と写真を撮ったりはしないほうなんですけど、今回は残しておきたいと思ったんです。
何か現場での思い出はありますか。

監督とは『光の雨』(2001年)以来で、そのときのロケがやはり知床でした。僕にとって知床は「伴明組」にはなくてはならない想い出の場所で、当時お世話になった方たちにも再会できてうれしかった。個人的にも去年から今年にかけて「再会」の年で、監督や俳優さんにも5年、10年経って再会することがなんだか多いんです。その中でも、伴明監督とは特別な再会だったなって思います。すごく感謝してます。知床でクランクアップしてから、監督からお誘いを受けて、新井君も一緒に麻雀をやりました。アップした後だっただけにすごく楽しかったです。
最後に、裁判員に選ばれたらどうしますか。
こういう作品に関わった後に選ばれたとしたら、悩むでしょうね…。自分のそのときの精神状態だったり、人生の中での状態だったり、というのはすごく大きく左右するような気がします。同じ裁判をまったく違う状態のときにやると、まったく見方が違うのが人間なんじゃないかなと思うんです。自分の人生のいつ関わるかが大きなことのように思います。
どうもありがとうございました。
インタビュー後の舞台挨拶で、監督、出演者とともに熊本典道さんも登壇し、「映画は真に迫っている」と感想を述べた。高橋監督が「人は間違う、ということを描きたかった」と語る本作品は、モントリオール国際映画祭のコンペティション部門に正式出品が決まり、世界の観客に日本の司法制度の問題点が紹介されることになる。
プロフィール
はぎわら・まさと/1971年、神奈川県生まれ。90年『ウォータームーン』(工藤栄一監督)で映画デビュー。『学校』(山田洋次監督)、『月はどっちに出ている』(崔洋一監督)などの作品で数々の映画賞を受賞した後、『マークスの山』(崔洋一監督)で日本アカデミー賞優秀助演男優賞、ブルーリボン賞助演男優賞を受賞し、『CURE』(黒沢清監督)で2度目の日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞した。ほかに『カオス』(中田秀夫監督)、『光の雨』(高橋伴明監督)、『この世の外へ クラブ進駐軍』(阪本順治監督)『樹の海』(瀧本智行監督)など多くの出演作品がある。また韓国ドラマの日本語吹き替えや、アニメーションのアテレコ、ドキュメンタリー番組のナレーションなど多方面で活躍している。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。