

製作・監督・脚本・編集・主演の5役をこなした『息もできない』で長編デビュー。東京フィルメックス初のグランプリ&観客賞ダブル受賞を含め、国際映画祭などで25以上もの賞を獲得という快挙を成し遂げ、世界の観客の度肝を抜いた。劇場公開を前にソウルから来日した監督に、作品に込めた思いについて聞いた。
主人公サンフンとは異なる素顔
まずは、東京フィルメックスのダブル受賞おめでとうございます。授賞式でスクリーンに映し出されたビデオメッセージにはびっくりしました。“喜びのダンス”があまりにお茶目で、作品と違うイメージだったものですから。
人にはいろいろな面があるものですよ。会場に来てくれた人たちが楽しんでくれたらいいなと期待を込めて踊ってみたんです。僕にはサンフンのような面もあると思いますが、もともとは愉快な人間。スタッフの誕生日には必ずお祝いのダンスを踊っていました。道ばたでもどこでも、いつもシラフで(笑)。スタッフも俳優もみんな仲が良かったので、恥ずかしさなんてありません。現場でもこんなふうに僕が気楽な感じだったから、ひとまわりくらい年下のスタッフも僕に気負わず接してくれました。
作品冒頭で、サンフンがペッと吐いたつばが女子高生ヨニにかかり、彼女が「なにすんのよ!」と怒り出し、ケンカになるシーンがあります。売り言葉に買い言葉というか、相手の反応によって人は変わるんですよね。サンフンが「ごめんなさーい。洗濯します」って言ってたら、もちろんこんな物語にはなってないわけですが(笑)。演出も相手によって変えたほうがいいんです。こういうふうにやって下さいと説明しますが、ヨニ役のキム・コッピの演技を引き出すときと別の俳優のときは同じやり方ではいけない。こちらがいろいろ模索して、それぞれに合った方法でやらないと。

変化した家族との関係
どうしてもこれを撮らずに生きていかれない、そんな気迫が伝わりました。ずっと抱えてきた家族の問題を吐き出したという本作を、ご家族はどうご覧になったでしょう。
たいへんだったねとか、よかったよとか、おおむね好意的に受け止め、ねぎらってくれました。妹はもう6、7回観ていて、観るたびに印象が違うと言っています。家族の中でこの作品が気に入らないという人はいませんでした。欧米にはカウンセリング文化のようなものがありますが、韓国ではあまり一般的でなくて、問題を抱えていても解決の糸口が見つからないことが多いんです。だけど今回、この映画が家族や僕の相談役になってくれたような気がするんです。家族が出せなかった答を出してくれた、あるいは答じゃなくても、こうやったらどうかと提案してくれる役割を果たしてくれた気がします。
家族との関係は変わりましたか。
とてもよくなりました。家族会議も開けるようになったし。これ以上よくなるためにはさらなる努力が必要だと思いますが、これだけでも大きな変化です。とにかく、やってみてよかった。単純ですけど、やらないで後悔するよりやってから後悔したほうがいいということがよくわかりました。

映画はキャッチボールみたいなもの
監督ご自身にも変化があったでしょうか。
この作品を撮る前はもじもじして、なにをするにも選べず悩んでしまうことが多かったんです。ビビンバにするのかテンジャンチゲにするのか選べなくて、両方持ってきて下さいという感じだったのに、ぱっと選べるようになりました。30代前半になってやっと(笑)。
それは、監督として常に判断を求められていたから?
そういった影響もありますけど、長編の監督をやったことで、いろいろと広がりができたように思います。だけど映画に関しては、これまでも悩むことはなかったんですよ。俳優をしていたのですが、どう演じたらいいか迷うことはそんなになかった。映画と日常は、どこか違うような気がしますね。監督はたいへんな仕事ですが、心を込めて作ればそれだけ得るものが多いと思います。映画のほうから何か問いかけてくれているような、そんないい結果が得られるはず。キャッチボールみたいなものですね。この作品はハッピーエンドとは言えないかもしれないけれど、観客は癒されるんじゃないかな。
壮絶なエンディングでしたね。
最初の構想では、サンフンは最後まで悪事の限りを尽くす悪い奴だったんです。書きながら変わってきて、あんなふうになりました。僕自身が抱いてきた怒りとかやるせない気持ちを込めたキャラクターだったんですが、エンディングではそういったヤン・イクチュンの感情をサンフンがすべて消し去ってくれた。でも、観客の捉え方は違っていたみたいで、いくらなんでも……という意見も。自分の中ではなんらかの結末を見たいという思いがあったんですよね。もちろん胸は痛みますが、怒りが消え去った後に幸せが訪れるという意味も含ませています。

監督から見て、主演のヤン・イクチュンに点を付けるなら何点くらい?
えー、わかりません。お母さんに聞いてみます(笑)。
これからも監督と俳優の両方をやっていくんですよね?
うーん、それもわからないな。先のことはまったく未定なんです。
最後に、東京で好きな場所はありますか。
東京は3回目ですが、以前スタジオジブリに行ったときに、一戸建ての家がずらっと並んでいる住宅街があって、そんな場所を歩くのは楽しいですね。下町っぽい路地裏とか、人が住んでいる空気が感じられる場所が好きなんです。
プロフィール
ヤン・イクチュン/1975年生まれ。商業高校を卒業し、数々の職を経験した後、21歳で兵役に就く。除隊後に演劇を学び、演劇俳優によって設立されたアクターズ21アカデミーを経て映画の道へ。チョ・グンシク監督の『品行ゼロ』(02)、チョ・ミノ監督の『強敵』(06)、ソン・ヘソン監督の『私たちの幸せな時間』(06)といった長編のヒット作にも小さな役で出演しているが、評価の高い多数の短編作品の主演を務め、韓国インディーズ界で信頼される存在となる。日韓合作の3話オムニバス映画『まぶしい1日』の第1話「宝島」や安藤大佑監督の短編作品『けつわり』にも出演。『けつわり』は、昭和18年の福岡の筑豊地方を舞台にした映画で、ヤン・イクチュンは飛行機代のみのノーギャラで主演を引き受けた。05年に初監督し主演も務めた短編『Always Behind You』が、ソウル・インディペンデント短編映画祭の観客賞を始め、国内の数々の映画祭で受賞し、監督としても注目を集める。さらに2本の短編を監督した後、本作『息もできない』で長編に初挑戦。家を売り払って製作費に充てるなど、多くの困難を乗り越えて完成させた。韓国の映画監督としては珍しく、映画学校で学んだり、助監督として経験を積んだりせずに監督となったが、驚くべき才能でロッテルダム国際映画祭タイガー・アワード(グランプリ)など、各国で25を超える賞に輝いた。俳優としての次回作は、チ・ジニと共演の『家を出た男たち』(原題)。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。