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Interview

004:岡田利規さん(劇作家/演出家/小説家 チェルフィッチュ主宰)
聞き手:小崎哲哉
Date: February 12, 2010
岡田利規 | REALTOKYO
Photo by 久保田佳克

チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』の上演が始まった(2/14〜26@STスポット/3/1〜10@横浜美術館)。約2年ぶりの新作は、何を契機として書かれ、何を訴えかけるのか。チェルフィッチュ以外の舞台の演出や小説の執筆などでも多忙を極める劇作家/演出家に、新作について、演劇とダンスの相違点について、そして他ジャンルとの協働について聞いた。

 

まず、最新作『私たちは無傷な別人であるのか?』について伺います。作品のテーマに関して岡田さん自身が書いている言葉の中に「2009年8月30日」という具体的な日付が出てきます。『三月の5日間』にも時事的な問題が背景にありましたが、これって政権交代が起こった選挙戦の投票日ですよね。

 

そうですね。『三月の5日間』のときもイラク戦争という時事的な背景があって、同じような方法論に沿ってはいるんですが、ただ今回の場合、それが何を意味して、どういう帰結をもたらすのかがまったくわからないんですよ。この大きな変化が好転なのか、悪転って言葉があるのかどうか知りませんけど、悪転するのかっていうことさえわからない。不安っていうとネガティブですけど、そういう暗い意味を抜きに、純粋に先行きが見えない。良いか悪いかもわからない。

 

ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶 | REALTOKYO
『三月の5日間』(2006年3月。東京 スーパーデラックス) Photo by 横田徹

演劇とダンスの境界線

 

『私たちは無傷な別人であるのか?』って作品タイトルも意味深長ですけど、これはどういう思いを込めて付けたんですか。

 

最近、日本があからさまに階級社会化していくことに戸惑っているんですね。「一億総中流」っていう言葉があって、現実はそうじゃないってわかっていながら、その幻想を割と真に受けて育っちゃったもので。幸せな人とそうじゃない人が分かれていくときに、一方は他方に対して何ができるのか、何もできないのか。そういうところから生まれるいろんな感情や戸惑いを扱いたいと思って、素直にタイトルを付けたつもりです。

 

格差社会の問題がテーマだと?

 

かなり直接的に扱うことになると思います。幸福について考えようということを台詞でも露骨に言ってますし。

 

最近の岡田さんは「言葉や文法などを律儀に守ることによって何かができる」ということも主張していますが、今回の作品は物語性が高いものなんでしょうか。

 

お話をしっかり書こうという意識は強いですね。これまで、物語性がなくてもいいという言い方をしていたのは、演劇においては結局、俳優のパフォーマンスがいちばん前面にあるべきだと思っていたからなんです。物語性みたいなものを立てちゃうと俳優がそれに負けちゃうっていう判断をしていたのかもしれない。でも、いまは物語性があっても負けない強さを、チェルフィッチュの俳優の体が獲得していると思っています。だから、劇作家としてはつまんないことは気にしないで、きちんとお話を書きにいこうと。もしかしたら観客は、いままでのチェルフィッチュの体の動きと全然違うなと思うかもしれません。でも僕らの中では連続性があるんです。

 

2005年の『トヨタコレオグラフィーアワード』に『クーラー』という作品で応募されましたね。ダンスと演劇の境界線についての問いを突きつけた「事件」だと思いますが、ダンスにできて演劇にできないこと、またはその逆はどんなことだと思いますか。

 

演劇にできてダンスにできないことはあると思います。「具象」と「具体」という言葉で考えるとわかりやすいと思うんですが、ゴッホの絵で言えば、描かれたひまわりが「具象」で、厚塗りで盛り上がった油絵具が「具体」。演劇はあえて具象を引き受けることで、具象と具体が重なり合う中から、具象の中身がむき出しになって見えてくる。もちろん具象を引き受けるダンスもありますけど、でも、僕はそれは演劇だと思うんです。

 

『クーラー』には台詞がありましたよね。意味性は少ないと言うけれども、言葉である以上、我々はどうしても意味を取ろうとしてしまう。それは具象じゃないんですか。

 

具象ですね。ダンスっていうのは体を見る喜びを感じること、演劇は具象を引き受けて、それをやってみせることだと思っているので、同居可能なんです。でもあのときはそこまで深くは考えていなかったですね。単純に体の動きの面白さや身体性が、ダンスというフレームの中を通ってみたらどうなるのか知りたいという気持ちがあった。いい加減なんだけど、結果的に割とよかったと思っていますね。なんか、馬鹿っぽい感じが(笑)。

 

ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶 | REALTOKYO
『クーラー』の拡張版に当たる『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』(2009年10月。ベルリン Hebbel am Ufer)。5月には東京公演が予定されている。
Photo by Dieter Hartwig

誰のために演じるか

 

今回は横浜公演ですけれど、会場が2ヶ所ありますね。STスポットと横浜美術館レクチャーホール。これには何か理由があったのですか。

 

STスポットの公演を経て、何かわかったことを横浜美術館の方で反映させて、ちょっとまた進歩させていきたいなという思惑がありまして。できるだけフォームを変えずに、可塑的な状態にしたまま上演をやれるかということに挑戦したい。それから、STスポットは僕たちのホームグラウンドですが、横浜美術館のほうは、美術というコンテクストの中で上演するというあり方ですよね。

 

美術のコンテクストの中でというのはどういう意味でしょう。

 

僕が演出をしたデーア・ローアーの『タトゥー』で、塩田千春さんが舞台美術をやってくれたんですが(2009年5月。新国立劇場)、舞台上に変化がないとお客さんに飽きられてしまうんじゃないかと懸念されていて、そこで初めて自分がそういう懸念を持っていないことに気が付いたんです。僕にとって、観客が椅子に座って劇が終わるまで作品を観ているというのはあまりにも当たり前のことだから。でも、美術家の人にとっては当たり前のことではない。考えてみると美術では、ある作品が気に入ればそれをずっと観ているし、そうでなければ素通りしてもいい。観る時間も位置も自由に決められますよね。本当は演劇も、劇場の最前列で観るとディテールが、いちばん後ろからだと全体の空間の配置がよく見える。それぞれ違っていて面白いんですが、普通はどちらか1回しか観ることはない。そこで、その直後にやはり塩田さんとコラボレーションした『記憶の部屋について』(09年7月。金沢21世紀美術館)で、美術のフォーマットの中に自分たちが入っていくということをやってみたんです。尺を決めず、特に物語を作らず、断片を書いて、すべての断片をすべての俳優に覚えさせて、演技の順番や、俳優同士、あるいは舞台美術との位置関係などを全部即興で決めたんです。公演自体がどの程度うまくいったのかはよくわかりません。ただ、チャレンジしたことはよかったと思いますし、その経験で僕たちが得たものは、もう本当に計り知れないくらい大きかったです。

 

というのは?

 

平日とかまったく観客がいないときがあって、それでもやれるって気づいたんですよ。リハーサルっていうのも観客がいないわけで、本番のためにやってるということは思いつつも、本当にそれだけで一生懸命できるんだろうかって思ってたんですね。でもそのとき、パフォーマンスをすること自体に価値があるという気がしたんです。上演に立ち会っている観客だけではなくて、観客の抽象みたいなものに向かってやっているようなところがあるなって思って。それは単に演出家の自己満足に収束してしまうものかもしれない。でも、現代演劇の正反対にある収穫祭とか、芸能の起源というものでイメージできると思うんですけど、基本的に神様に向けてやっていて、お客さんがいなかったりする踊り、ダンスってあるわけですよね。神様を信じることができず、信じないでいる自分たちでも神様に捧げるのとほとんど近い状態でパフォーマンスできるし、やってるんじゃないかっていう気持ちになれたんですよ。作品を何回も何回もやって成熟していく、その作品のライフをまっとうさせるというか。そういうことをひとつでも多くやっていくことができたら、それが演劇の作り手としていちばん快楽に感じることだって思ったんです。

 

「観客の抽象」って、演劇史のことかもしれませんね。あるいは、我々自身の人生だとか、世界だとか。

 

そうだと思います。そもそも上演って本来、全部違う作品なんですよね。僕、昔から絵とかを観ていると、なんでこの画家はいつも同じようなものの絵を何枚も描いて飽きないのかなって思っていたんですよ。いつも同じ山を描いているとか、いつも静物画、同じじゃんこれ、みたいな。でも、最近やっと理解できるようになったんです。昨夜のパフォーマンスと今夜のパフォーマンスっていうことと同じなんだなって。

 

ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶 | REALTOKYO
Photo by 久保田佳克

※このインタビューは2009年12月17日、京都造形芸術大学で行われた。
編集協力:REALKYOTO(鵜飼慶樹+河原果林+永江大+服部菜美+山脇益美)

(同じ記事がREALKYOTOにも掲載されています)

 

プロフィール

おかだ・としき/1973年、横浜市生まれ。劇作家、演出家、小説家。97年に演劇ユニット「チェルフィッチュ」を旗揚げし、2005年、『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。08年4月、『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第2回大江健三郎賞受賞。竹中直人演出の『竹中直人の匙かげん』への戯曲提供、ドイツの劇作家デーア・ローアーの『タトゥー』や、安部公房の『友達』の演出も行う。10年2月から3月にかけて、最新作『私たちは無傷な別人であるのか?』をSTスポット、横浜美術館でロングラン上演する。

チェルフィッチュ公式サイト:http://chelfitsch.net/

インフォメーション

公演情報

チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?

STスポット(2/14〜2/26)/横浜美術館(3/1〜3/10)にてロングラン上演

 

チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』

2010年5月7日(金)~5月19日(水)

会場:ラフォーレミュージアム原宿

作・演出:岡田利規

出演:山縣太一、安藤真理、伊東沙保、南波圭、武田力、横尾文恵

【チケット】2010年3月20日(土)発売開始
 前売:3,500円/当日:4,000円/学生:3,000円
 取り扱い:プリコグWEBショップ http://precog.shop-pro.jp

【問い合わせ】プリコグ http://precog-jp.net
 info@precog-jp.net 03-3423-8669

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。