

<前編からの続き>
※作品の後半部分における内容が含まれます。観賞後にお読み下さい。
森の抜け方が見つかったとき、見えたのは?
中盤からの舞台となる「森」。最初から森を舞台にしようと決めていたのですか。諏訪さんの森についての考えも聞かせて下さい。
(両親の離婚や日本に行くことに)抵抗するためにどうするか、彼女たちが何を経験していくかというとき、最初は単なるちょっとした抵抗の旅だったのだけれども、その先でユキは自己の「存在」と向き合わざるを得なくなる。そういう場所として、コミュニティの外部、つまり親や住んでいる場所から切れた場所(=森)に行く。それは物語の必然として出てきました。「森」と文字で書くと、いろんなイメージが湧く言葉で、ミステリアスでもあり、シンボリックだったりもしますよね。
ところが映画っていうのは、ただの森しか映らないわけです。「森」と文字で書くのとは全然違う。その観念的な森をどうやって映画として映すかというのが、難しさなんですね。で、僕はその難しさを知っていました。というのは、南方熊楠の映画(山本政志監督の未完作品『熊楠KUMAGUSU』)に演出補として関わったときに経験していて、山の中ではまず技術的に難しいのと、どんどん天候状況が変わってしまうとか条件的にも難しい。1日3、4時間しか撮れない。できることなら森なんか撮りたくないと思うくらい、難しいんです。
例えば街というのは、カメラをどこに置くか位置がだいたい決まるし、構図ができちゃう。そうすると場面構成も決まって、人がどう動くかわかるので空間構成ができるわけです。森はどこにカメラを置いてもいいし、役者もどこにいてもいい。映画を撮る側としてはよりどころがなくて、とても怖い。僕は森が怖かったし、イポリットはノエが怖かった(笑)。

森がいろんな表情を持って映っていました。どのように撮ったんですか。
とにかくひとつずつできることをやっていきました。まず場所を探して、そこでどういうことをやるか、どういう芝居を作るか、森のシーンのいくつかの段階を想定して、最初ふたりは遊んでいるけれども、次のこういう場所に迷い込んで、ひとりぼっちになって不安になってとか、森の表情みたいなものを構成していくはずだったんですけど…。
だけどノエが「泣かない」って言ったのが大きくて。当初は、いくつかの森をつないでいく物語というのがあって、クライマックスでひとりぼっちで倒れてしまうとか、泣いちゃうとか、暗くて怖いとか。いろいろ考えてたんだけど、結局「私は泣けないし、泣きたくない」と言われてしまい、スタスタ歩いていくことに。
歩いているだけで映画になるんですか、っていう恐ろしい問いが僕たちに突きつけられて(笑)。それで森を表現できるのか、全然自信がなくて。
森の中の岩の上でユキが決意するところは、ひとつのターニングポイントでした。ノエを使っては、ああいうふうにしか撮れない。僕たちが想定してた道筋は進めないってわかったのですから。
当初あそこでニナが転んで怪我をして動けなくなって、それまではユキはニナに付いていったんだけど、「じゃ、私が誰かを呼んでくるわ」と言って、初めてユキがひとりで森に入って行く。そうすると道に迷って淋しくなって…、という感じだったんです、最初の脚本では。
でも転んで怪我をするところも撮れなかったと思うし、「イテッ」とか言うのも絶対ウソっぽいし、まして泣いちゃうっていうのは…。そういうことをやってこなかったし、ノエはそこまでの演技はできない。だから歩くしかない。
だとしたら、ひとりで歩き出すきっかけをどうするか。現場で「理由は無い」というのはいいんじゃないかとイポリットと話して、「とにかく行く。それでいいよね」って確認し合いました。スタッフに「どう?」って訊くと、「それ、わかんないでしょう。意味がわからなくなると思う」と言われました。イポリットと僕は結託して、「これは賭けだ。でも僕はこういうのが好きだ!」とイポリットが言って、撮っちゃえと。
すごい。
理由がないというのは、それでいいんだろうなと思います。人間の行為とはそういうことだと、ユキは常にそういうふうに振る舞ってきたというか、彼女の内面のことはわからないという関係で進んできたし、彼女自身にもわからないんだろうなと思うから。
結果的に倒れなかったというのが、後半を特徴づけました。森に入っていくまでのカメラがユキを追っていったら、倒れてるユキを発見することになるんだろうけど、あそこでカメラの性質が変わってしまって、ユキの中に入っちゃってる。客観的には、たぶんどこかで倒れてるんですけど、内面的には歩いてる。歩いていくと日本に出ちゃう。たぶんそういうことじゃないかと思うんです。
はっきり目が覚めるシーンは撮ってないので、そうとは言えないんですけど。でも、彼女の内面的な体験にカメラが変わっていく。だから観客はユキと一緒に夢を見てる。夢を見てるユキを見るんじゃなくて、ユキと一緒になっちゃってる。それまでは、彼女の悩みはわからないという観点だったけど、いきなり悩みに入っていく。夢ってそういうもので、何が起きても「あ〜そうか」って思うものですから。
「あ〜かわいそう」なんていう共感を与えるものになってたかもしれないものが、ああいう流れになったのは、ユキを演じたのがノエだったから。彼女と一緒に歩ける道を探さなくちゃいけない、ルートを変えなくちゃいけないと思いました。
僕はどちらかというとこれまでは演技に依存してきたし、俳優に頼ってきたんだけど、それが変わったんです。そういう意味でも、ユキは私たちとノエが合体してできた存在だと思う。 森の抜け方が見つかったとき、「映画を一緒に作っていくんだ」という気持ちになりました。
ありがとうございました。
プロフィール
すわ・のぶひろ/1960年生まれ、映画監督、東京造形大学教授、学長。東京造形大学卒業後、『はなされるGANG』(84)で、ぴあフィルムフェスティバル入選。『2/デュオ』(96)でデビュー。『M/OTHER』(99/カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞)、『H STORY』(00/アラン・レネ監督『二十四時間の情事』をリメイク)、『不完全なふたり』(05/スイス・ロカルノ国際映画祭、審査員特別賞&国際芸術映画評論連盟賞受賞)を発表。オムニバス『パリ、ジュテーム』(06)は、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門、オープニング作品に選ばれた。※( )内の数字は公開年度。
インフォメーション
『ユキとニナ』
恵比寿ガーデンシネマで上映中
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。