

様々なジャンルの表現を支える「仕掛人」をゲストとして招き、東京カルチャーシーンの魅力と問題点を探る連続対談『東京の仕掛人たち』の第3回。ゲストは、2003年の開館以来、現代アートを中心に様々なジャンルの展覧会をキュレーションしてきた森美術館チーフ・キュレーター。日本的なアートの可能性について大いに語ってもらった。
小崎:片岡さんは東京オペラシティアートギャラリーや森美術館、さらにはロンドンのヘイワード・ギャラリーなどで様々な展覧会を企画されています。森美術館の2010年年間テーマは「日本を再定義する」という野心的にしてチャレンジングなものですが、僕も日本的なアート、あるいは非欧米的なアートというものがあり得るとしたら、どんなものなのかということに関心がありました。今日はそこに絞って聞いていきたいと思います。
片岡:森美術館では年間3本の展覧会をやっていて、その1本がアジアのアーティストを中心とした個展です。2010年のプログラミングをする前、2007年から2009年の2年間、イギリスのヘイワード・ギャラリーでインターナショナル・ディレクターを務めていて、東京とロンドンを1ヶ月半おきくらいに往復するという、アクロバティックなことをしていたんです。ロンドンでは、インドやバングラデシュ系の移民に加え、ポーランド系の移民が増加していることなど、グローバル化の影響や変化が確実に街の風景から実感できました。変化する世界構造の中で中国やインド、中近東など経済的な新興国の美術についても話題になっていました。そういう中で、ヨーロッパ内での日本文化のプレゼンスが、こと美術に関してはまったく希薄であると思ったわけです。
悲しい話ですね(笑)。
行ったことがなくとも中国への関心は高い。日本はすでに既知もあり、「Japanはとてもいい国だよね。スシおいしいよね」で終わってしまう(笑)。一方で、2009年9月にソウルでキム・ソンジョンと一緒に『PLATFORM SEOUL』展をやったとき、直前の8月の選挙で民主党が勝って政権交代となり、いろいろな国から来たアーティストたちが「日本を再定義しないといけないときだよね」と。日本は経済大国でもあるし、ある種の国際的な位置付けはあるけれど、最近の日本がどうなっていて、この先どうなっていくのかというのは、私たちにも見えないのだから、外からだと余計に見えない。こんなきっかけもあり、イギリスとの二重生活を終えて日本にフルタイムで戻るに当たり、2010年は3本の展覧会を通して「日本」を再考したいと考えました。

森美術館 2010/07/24-11/7
吉岡徳仁「スノー」 フェザー 2010年(1997年~) 600x1400x500cm
そのひとつが、7月から11月まで開催された、日本の自然観を考える『ネイチャー・センス展』ですね。
「日本を再定義する」ということは私の中では継続した課題で、日本的なものは何か、非欧米的なものは何かというのは、オペラシティで仕事を始めてからずっと考えています。いくらグローバル化が拡大したことで、逆に結局は自分が立っている所からしか始めることはできないという思いが確信に変わっています。
現代アートには国籍とか作家の出自は関係ない、ワールドスタンダードに則ってやればいいじゃないかという見方もあると思いますが、そうではないと。
おそらく世界基準のアートというのはいま、存在しないと思うのです。世界がある程度共有する現代美術のボキャブラリーはあると思いますが、確実にそれぞれの地域の社会的、政治的、文化的な文脈の中に固有の表現があって、近年はそれがより明らかになっていると感じています。冷戦構造が崩壊し、ヨーロッパやアメリカの現代美術があらゆる周縁地域から注目されていた時代から、アジアもラテンアメリカもアフリカも東欧も欧米を意識しつつ、それぞれが自らの文脈に立って生産して、しかもそれが情報産業の発達によって世界中に明らかになった。芸術生産の場としての中心性は確実になくなっています。ただディスコースの中が英語圏にならざるを得ないという課題はいまだにある。

森美術館 2010/07/24-11/7
篠田太郎「残響」 ヴィデオ(各:10分) 2009-2010年
撮影:髙山幸三 写真提供:森美術館
2020年、2050年の日本はどうなるか?
日本に関しては『ネイチャー・センス展』の図録に、西洋的な「自然(しぜん)」、つまり人間とそれ以外を分けて考える二元論的な見方ではなく、「自ずから然(しか) らしむ」すなわち、自らを含むあるがままの状態を意味する「自然(じねん)」が日本人の根底にあると書いていましたね。
世界をどういうふうに見るかという、その見方が違います。人間対自然というふうに考えると、人間が自然を制御し、征服しなければならない超えるべき、闘うべき対象だということになります。雨、風、雪といった自然現象を指す言葉や森羅万象という言葉はあったけれど、西洋的な自然の概念は明治期まで日本になかった。これが象徴するように、日本では宇宙的なスケールの中に自然現象や自然環境が内包され、自ずと我々人間もその一部であるという考え方を日本人はいまでも理解できる。人間中心的な考え方は迷信や卜占など非科学的なことを排除してきた近代化とリンクしてきたけれど、解釈できない、説明のつかない存在をそのまま認めて、共に生きていくことをよしとするという曖昧さが実は必要なんじゃないでしょうか。
「ネイチャー」と聞いて思い出すのは、1989年にサンフランシスコ近代美術館で開催され、その後、米国の7都市と名古屋に巡回した『アゲインスト・ネイチャー ―80年代の日本美術』展です。片岡さんも『ネイチャー・センス展』の図録で触れているけれど、日本人は自然と一体化して生きていると言われることに反発するアーティストがいて、そこから企画がスタートしたという話ですね。実はそれは椿昇さんなんですが、もちろん自然と一体化したくないなどという単純な話ではなく、自然と接するスキルを失ってしまった現代日本に対する怒りから発した反発です。『ART iT』の編集長対談に出てくれたときには「我々の気候風土と民族性に合うものは根付く」と明言していました。
同じ時期に『プライマル・スピリット』という、もうひとつの日本アートの展覧会が北米4都市を巡回しています。これだけ日本の美術が注目されていた時代があったということを改めて実感します(笑)。
『アゲインスト・ネイチャー』展が開かれた89年というのは、11月にベルリンの壁が崩壊し、日本では昭和天皇が崩御した年ですが、12月の日経平均株価が4万円近い歴代最高値を記録した年でもある。いまは1万円前後ですが、当時はバブル最高潮だったわけですね。その89年終わりを境に日本経済は下降し、気がついてみれば「失われた10年」と言われつつすでに20年です。社会全体が内向的だった間に、頭を上げてみたら世界の政治や経済の構造は激変している。
実際、日本が「再定義」を迫られたのは、明治黎明期のほうが緊急だったはず。面白いのは、大日本帝国憲法発布が1889年で、東京藝大開校や初めての美術館(帝国博物館)が出来たのも同じ年。日本の美術界にとって非常に重要な年だったわけですが、1989年のちょうど100年前、日本も政治的、社会的に激しく変化していたんですね。国粋主義というと政治的に捉えられがちですが、当時は椿さんが言っているような気候風土や国民性みたいなものを「国粋」と考えていた人たちもいるという議論があったりした。福沢諭吉や岡倉天心ら、明治のインテレクチュアルな人たちの議論からは、いまの日本がいまだに学ぶものがあるんじゃないかなと思います。

岡倉天心は日本で美術教育を始める一方、例えば『茶の本』をいきなり英語で書いたり、日本文化を海外に向けて発信するようなことをやっていましたね。東洋思想の精神的優位を説いたりもしていた。
英語で3冊の本を書き、横山大観や菱田春草を連れていって、ボストンで展覧会をやったりしています。当時の「現代日本美術展」だったのかもしれません。天心の英語の著書のひとつ『東洋の理想』は「アジアは一つ」という言葉で始まります。中国文明とインド文明の間にヒマラヤがあって、その二大文明を擁するアジア、東洋の精神性につながりがあると。それがすべて砂浜に打ち寄せる波のように日本に流れ着いたことで、「アジアの文明すべてを博物館のように見ることのできる国は日本しかない」と言っています。ここでいう日本文化の優越性は1900年代前半の日本の帝国主義と重なったときに、アジアの人には批判的に語られることもあると思いますが、これだけ幅広い視野で、日本の文明とアジア全域とのつながりを考えていたことは示唆に富んでいます。
当時の日本はアジアにおける近代化のトップランナーでしたが、いまは気息奄々ですね。
日本が2020年とか2050年にどういられるのかなと考えたとき、感覚的に食とファッションは残っているような気がする。スシが面白いのは、日本以外の国で一番人気のネタはサーモンなんです。伝統的な江戸前寿司にはないネタですが、海外に広まるためには必ずしもオーセンティックではないサーモンスシが必要だった。ある文化が別の文化に翻訳される段階で変容が加わり、それによって定着した非常に面白い例になっている。日本の風土や民族性みたいなものを外部で定着・理解させるには、サーモンスシ的なことはひとつの戦略としてあるかもしれない。
アーティストにもサーモンスシ的表現があり得る一方で、会田誠のように日本の中でさえ語られないタブーやコンプレックスを開示しようとするのは、スシネタなら何でしょう。日本の社会的、歴史的な文脈化と同時に、それを国際的に広めるのは比較対照の可能な他文化の文脈との関連づけなどの作業が求められる。2012年に会田誠の個展をやることになったんですが、日本人が公に触れて来なかった、説明しないままで過ごして来たことをパンドラの箱を開けて見つめていかないといけないという思いもあります。会田誠の美術と対峙することで、大げさに言うと日本の未来が開けていくかなぁと(笑)。
パンドラの箱の底には希望があると。
そう思ったので、いまやるべきアーティストだと確信したんです。会田誠の作品を通して、明治期の近代化、西洋化と日本の固有文化の間の葛藤やアジア圏域での帝国主義、戦後のアメリカ化や企業戦士的なサラリーマン文化など、それこそ日本の文化や美術の歴史が芋づる式に開示されるだろうなと。
人間中心ではない世界の見方
片岡さんが最初にキュレーションした展覧会は、オペラシティの開館記念展『感覚の解放』(1999年)。「感覚=センス」という関心は当時からいままで一貫していますね。
『感覚の解放』では、理論よりも感覚を優先して美術を理解するということをやってみたのですが、それは私の中で何度も蘇ってきます。啓蒙主義以降の合理的で科学的な世界の理解にはまらない多くのものを近代人は周縁化してきましたが、そうではない世界の見方をもう一度模索しようとする動きは確実にある。9月にオーストラリアに調査に行ったときにも、そのような観点から面白いアーティストがたくさんいて。自然観の再確認や感覚的な理解への回帰や欲求が、現代の若い世代には特にあると実感しています。

東京オペラシティアートギャラリー 1999/9/9-11/21
クリスチャン・ マークレー「エコーとナルシス」 CD 13,500枚 1992-1999年
撮影:桜井ただひさ
以前、昨年100歳で亡くなった人類学者のクロード・レヴィ=ストロースさんにお会いする機会があって、シャンパーニュとブルゴーニュの境にある別荘でお話を伺ったんです。愛知万博の取材で、インタビュアーは中沢新一さん。「自然の叡智」という万博のテーマに関連して、日本では古来、森には男性しか入れないという話をしたら、それは面白い、ここでも森の精霊に接するのは男性だけだと。ヨーロッパの表層はキリスト教文化に覆われていますが、深層にはケルトなどの多神教文化があって、いまでもわずかながら残っています。これは日本の古神道に通ずるものと言えなくもない。
ケルトやムーミンを生んだ北欧の妖精や神話、アメリカの先住民もイヌイットもオーストラリアのアボリジニも、西欧近代化以前の文化を持ち続ける地域には、大地のエネルギーを感じ取ったり、ヒエラルキーや時間の概念さえない社会や共同体で暮らす人たちがいる。彼らが共有する近代化とは別の価値観を再検証してみると、日本の自然観や宗教観にも驚くほどつながりがあって、それが現代アーティストの作品にどのように反映されているのか、いまとても興味を深めています。
一方、ニューヨークやハリウッドのカフェで編み物をするのが流行っているという話もあるように、ハンドメイドという非効率的で生産性の低い作業への欲求も広がっています。スターリング・ルビーのように彫刻の素材として粘土や焼き物をアーティストが使うような現象からも、近代化、大量生産、合理化、効率化と相反する価値観が再評価されていることは実感します。意識の中で仮想空間の占める割合が大きくなっている世代の中で、温度や触感など感覚や精神性といったものに対する自然な欲望が生まれているのだと思います。

図式的に言うと、バーチャルなものに囲まれる中で、リアルで確かなものを体で感じたいということになるのかもしれないけど、映像みたいなバーチャルなものでも、テーマがそういう方向に行っているということはありますよね。『ネイチャー・センス展』に出展した篠田太郎さんもそうだし、アピチャッポン・ウィーラセタクンのように、一貫してタイの東北部の村に伝わる神話・伝承の類いをテーマに作品を作るアーティストもいる。
アピチャッポンも含め固有の文化や伝統を新しい視点で見つめている若いアーティストにも多く出会いますし、今年のシドニー・ビエンナーレをやったデヴィッド・エリオットも、西洋の啓蒙主義の功罪を問うているところがありました。黄永砅(ホワン・ヨンピン)のように、当初から漢方薬や昆虫などの素材や、易学や占いなど前近代的な行為を作品に使うアーティストもいます。なので、私がいま共感できると思っている作家はアジアだけでなく世界各地に実際たくさんいます。
固有の文化をどのように開示し、視覚化していくか。単純な自己エキゾティシズムにもつながりかねないし、輸出向けナショナリズムにもなりかねませんけれど、その意味で「日本」が問われていた明治黎明期を参照するのは興味深いと思っています。当時の国粋主義も欧州の帝国主義がアジアに向けられた時代や万国博覧会が始まった時代と重なり、そこで日本の工芸や装飾品、浮世絵などが紹介されて人気を博し、新たな輸出政策につながった。その100年前のナショナリズムと、いまの文化庁、経済産業省、外務省による、アニメやゲームなどメディア芸術や「クールジャパン」と呼ばれるものの振興策は、意識としては極めて近いところにあると思います。
とはいえ後手後手だから、韓国や中国にはるかに出遅れている(笑)。明治時代は日本がアジア唯一の近代国家だったわけで、そこが100年前と決定的に違いますね。
かつてはシノワズリーとジャポニズムみたいなことが存在していましたが、いまはアニメやマンガ、ゲームに依存している。3省合わせて27億円くらいの予算を要求していますが、結局は技術や表現メディアをブランドにしようとしている。そこでは日本の文化が伝承してきた精神性や感覚的な自然観や価値観など、言語化や商品化が困難なものは世界に伝えにくく、広がらない。ただ、言語化できない感覚というものを日本だけの問題として捉えるのではなくて、東洋、アジアをつなぐ何らかの課題として見たときに日本の在り方が見えてくるのではないか。日本は他のアジア諸国と比べて中途半端に早く近代化してしまいましたが、近代化と自国の伝統や文化という二重性は、この20〜30年、どの非欧米系文化の中でも大きな課題になっています。メキシコでもロシアでも、ラテンアメリカでも、みんなが独自性を模索している。日本はその課題を100年前に議論し、その後戦争に突入し、戦後はアメリカの背中を追いかけて、バブル崩壊して、この20年は目標や位置づけを喪失して漂流している。
一度も立ち止まって考えたことがない。
そうなんです。たぶん戦後の我々が受けた教育では、日本やアジアの近現代史をほとんど教えられていないので、東洋という地域の中で日本がどういう働きをしてきたのか、政治的にもきちんと掌握していないところが大きな問題。だから私も、台湾や中国や韓国の現代アートを理解するためにその社会的、歴史的な背景を勉強することの連続だったわけですが、この部分をきちんと義務教育のなかで教えていかないと成長するアジアの中で2020年の日本像を模索するのは極めて難しい。
『文明の衝突』を書いたサミュエル・ハンチントンが『文明の衝突と21世紀の日本』という本に日本が孤立化する理由を書いているんですが、そのひとつが人類史上初めて多様な文化や文明が共存する世界になった段階で、日本は他の地域と文明的なつながり(言語的なものも含むと思いますが)のないということです。そんな日本が何か関係性やつながりを模索するとしたら、やはり宗教も含めた精神的な世界というもの、人間中心ではない世界の見方というものをもう一度掘り起こしてみることで、少なくともアジア、さらには非欧米圏とのつながりを見出すことはできると思います。そこから派生して、欧米ともつながれると思っていますし、このような世界の見方をしていくことで、日本は孤立せず、固有の文化を自覚した上で世界の一部であり続けられると考えています。
(※2010年11月23日、3331 Arts Chiyodaで開講中の『ARTS FIELD TOKYO』にて収録)
ゲストプロフィール
かたおか・まみ/森美術館チーフ・キュレーター。民間シンクタンクにて官民の文化・芸術プロジェクト研究員(1992-)、東京オペラシティアートギャラリー・チーフキュレーター(1998-2002)を経て、2003年より森美術館勤務。『六本木クロッシング2004』(2004)、『小沢剛展』(2004)、『笑い展』(2006)、『アイ・ウェイウェイ展』(2009)、『ネイチャー・センス展』(2010)などを企画。2007年から09年はロンドンのヘイワード・ギャラリーにて国際キュレーターを兼務。
インフォメーション
森美術館では、2011年2月27日(日)まで『小谷元彦展:幽体の知覚』を開催中。
ARTS FIELD TOKYO「東京の仕掛人たち」スケジュール
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。