COLUMN

garden
  • 対話の庭
    聞き手:前田圭蔵
  • »最新版
garden

対話の庭

第16回:池田扶美代さん+山田うんさん【前編】
聞き手:前田圭蔵
Date: August 24, 2012

「対話の庭」始まって以来、初の三者対談となった今回のゲストは、ベルギー/ブリュッセルを拠点に活動する池田扶美代さん(振付家/ダンサー)と、山田うんさん(振付家/ダンサー)。9月にKAAT神奈川芸術劇場で開催される『KAFE9』で初共演するおふたりです。

 

池田扶美代さん+山田うんさん | REALTOKYO
左:池田扶美代 (C) Herman Sorgeloos/右:山田うん (C) Ran Himeda

こんにちは。お元気ですか? この春にブリュッセルを訪れたとき、池田扶美代さんは、ローザス『ドラミング』のリハーサルや、ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマの公演をされていました。そのときたまたま、秋に日本で山田うんさんと何かされるかもということを初めて聞きました。その後、帰国して割とすぐに、うんさんの新作『季節のない街』をシアタートラムで観ました。ちょうど震災から1年後くらいだったと思います。その公演が本当に素晴らしかった。そのときは公演中だということもあり、うんさんとあまり話せなかったのですが、とにかく体の震えが止まらないほど、えらく感動しました。

 

山田うん(う):嬉しいです。

 

扶美代さんは9月に日本に来ますよね。具体的にどういう経緯で、おふたりが共同作業をしようということになったのかということからお話し頂けたらと。

 

池田扶美代(扶):昨年10月に、私がローザスの仕事でベルリンにいるときに、ちょうどプリコグの中村茜さんがチェルフィッチュとベルリンに来ていて、そこでの雑談の中で、「山田うんさんって知っていますか。一緒にやったらいいと思うんだけど」と。なので、キューピッド役は中村茜さん。

 

そのときはまだ、扶美代さんとうんさんはお互いに面識がなかったということですか。

 

扶:いいえ、会ったことはありました。いちばん印象に残っているのはリスボン。

 

う:そうそう、リスボンがいちばん印象に残っているかも(笑)。

 

扶:その前にも、もしかしたらクロスしたことあるのかもしれないけど、私は覚えてなくて……。名前はもちろん知っていたけれども。

 

う:私はひとりで旅をしていて、アイルランドだっけ? 火山の噴火があって。

 

アイスランドだね、きっと。

 

う:その火山噴火で、滞在していたポルトガルから動けなくなっちゃったの。そうしたら扶美代さんが、たまたま今度日本でも上演する『in pieces』という作品のポルトガル・ツアーをしていて、「じゃあ私、観に行く!」と言って、リスボンの会場に行き、終演後パーティーでお話ししました。

 

池田扶美代×ティム・エッチェルス『in-pieces』(C) Herman Sorgeloos | REALTOKYO
池田扶美代×ティム・エッチェルス『in-pieces』(C) Herman Sorgeloos

では、おふたりはリスボンで初めて会ったと?

 

う:そう、屈託なくしゃべったのは。私自身はもちろんローザスの公演で扶美代さんの踊りはたくさん観ていたけど。

 

ローザスはいつごろから観ていましたか。

 

う:最初は1990年くらいじゃないですか。確か横浜でした。

 

扶:横浜は89年。

 

佐藤まいみさんがプログラムした『横浜アートウェーブ』ですね。あの公演を観てるんだ!

 

う:『横浜アートウェーブ』でダンスが面白いってことを知ったんですよ。それを観て、日本人でこういうふうに踊ってる人がいるんだなーと。

 

扶:記念すべきローザスの初来日ですね。

 

う:それまでは世界にああいうダンスがあるっていうことを知らなかったんです。山海塾とかアングラ演劇とかは知っていたんですけど。いわゆるダンスで、あのような表現があるってことを知らなくて。ちょうどあのころ、ピナ・バウシュやローザス、フォーサイスなど、いろいろなカンパニーが来日して、なんか自分でもつくることができるのかもしれない、何かつくってみたいと強く思いました。踊りたいとは思わなかったんですけど、つくりたいとはすごく思いましたね。

 

踊ってはいなかったんですか。

 

う:いや、踊ってはいましたよ、一応(笑)。けど、どちらかというと私はダンサーとしてやっていく才能はあまり自分に見出してなかったので、無理だろうなぁと思っていたんです。ダンサーというよりはつくる方をやりたかったですね。本を書くか、ダンスをつくるかみたいな感じで。何かつくりたいという意欲はすごくあったのですけど……。そのときです、最初に池田さんの踊りを観たのは。

 

扶:あの公演を観て人生変わった人、結構いるみたいよ。

 

う:いるの! 本当に。

 

僕はたまたまあの公演の制作を手伝っていたので、当たり前だけど、よく覚えてます。横浜の関内ホールですよね。

 

う:そうそう(笑)。

 

あまり観客席が埋まっていなくて……。でも、素晴らしい公演でしたよね。

 

う:覚えてます!

 

扶:ラ・フーラ・デルス・バウスも来てたでしょ?

 

そうそう、ラ・フーラ・デルス・バウスとローザスの制作を、以前僕がいたカンバセーションが請け負っていたんです。

 

扶:私たち、長い付き合いですね(笑)。

 

毎日、終演すると舞台裏で衣装の洗濯やら片付けをして、それから扶美代さんやアンヌ・テレサたちとお寿司とかを食べに行ってたんだよね。あのころは、なんだかみんな、血がたぎっていて、緊張感に溢れていて、もうピリッピリしてて。NYのB.A.M.(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)から来た舞台監督さんは、舞台袖の暗い中でずっと本を読んでた。あまり仕事しないで(笑)。

 

扶:そうだった(笑)。

 

山田うん「適わないような人と、負け戦みたいなダンスを」

話が脱線しました。で、その後おふたりは?

 

う:私、舞台の上ですごく泣くソロ作品があるんです。その作品をつくったときに、扶美代さんがアップで延々と泣いているビデオ作品を観たんです。もちろん全然違う作品なんだけど、似たようなテンションを持っている感じがして。ほかのダンサーが踊ってるところに靴を投げ飛ばしてる感じとか、ささいな振り向く感じとか。踊ってる姿というより、舞台から去るときとか、そういうときにすごく共感を持っていて、ずっと気になっていました。その後、『KAFE9』の企画が立ち上がり、茜さんから「何かやってみたいことある?」と聞かれたときに、適わないような人とダンスをつくってみたいなってすごく思っていて、自分がどう太刀打ちしても適わない感じの。負け戦みたいな。そういう人とだったら何かつくりたいって思ったんです。それで扶美代さんと何かしたいって言いました(笑)。

 

なるほど。扶美代さんはここ数年、ローザスと離れたところでもたくさんの人と仕事をしているけど、日本にいる人と共同作業をする機会はあまりないですよね?

 

扶:ないですね。たぶん初めてです。私、日本のダンスや演劇を何も知らないんです。何が起こっているかも知らないし、うんちゃんの作品も観たことない。演劇でも、チェルフィッチュなどは観たことはあるけど、それはこっちの人が選んだものを観てるので、同じような感じで観ちゃう部分もある。つまり、まったく知らないんですよ。どういう感じで踊っているのか、何を求めているのか、何に興味を持っているのか。YouTubeなんかで2、3分観てもわからないことだらけ……。だからこそ、今回ワークショップをして、そうしたことを探るのもいいかなと思って。みんな何を考えて、なぜ舞台に立って、表現するということをどう捉えているのか。そこがわからない。私はある意味すごく閉じた世界にいるんですよ。だってずっとローザス漬け。ローザスっていう強烈なカンパニーの中からしか世界を見てないので……。

 

そんなことはないと思いますよ。扶美代さんの周りにはたくさんの表現者がいるわけだし。もちろんパフォーマーとして、ずっと長い間ひとつのカンパニーにはいるわけだけれども。

 

扶:ローザスの場合、恵まれたことに同じ作品を最低80公演くらいはこなします。多い時は200回くらい公演する場合もある。つまりひとつの作品を生んだ後に、どれくらい成長させるかという過程があるわけね。ただ毎年、毎年、新作をつくっているだけじゃなく、その作品をどういうふうに成長させていくかということがある。さらに、既存作品をレパートリーとしてやり直して再演したり、若い世代にどうやって伝えていくかとか、そうした作業もあるので、同じクリエイティブな世界でも違う部分はあるかな。ただ毎回、毎年、毎月、毎週、新作出さなきゃいけないっていうノルマの中でやっていく人もいるわけじゃない。

 

ローザスはそういう意味では、活動範囲というか、ダイバーシティがすごく広いですからね。ダンスカンパニーと言ってしまえばそうですけど、例えば演劇作品やオペラ的な作品にも取り組んだり、映像作品もつくったり。その全体像っていうか、とくに扶美代さんは、そこに長いこと在籍して、ローザスの活動全体というか、その幅広い活動に中心的に関わっている人だから。

 

扶:自分がその流れにいるときは、意外と気付かない。80年代から今日現在まで、もう30年も経っちゃってるわけだから、流れとして名前を付けることもできれば、そういうことを専門的に解明したりする人もどんどん出てきているわけだけど、自分自身はそういうことには全然興味がない。うーん、なんなんだろう……。アンヌ・テレサの仕事の仕方にも関係あるのかもしれないけど、ずっと続いているので、自分が特別に何かをやってきたとか、そういう気は全然しない。ただ、そういう流れの上で、ほかの人とも仕事をしたいなとも思ったし。元の話に戻れば、日本の舞台関係とは何も接触がなかったので、そういう意味で今回はうんちゃんと仕事できて嬉しいなと思ってます。

 

Co.山田うん『季節のない街』(C) Yoichi Tsukada 塚田洋一 | REALTOKYO
Co.山田うん『季節のない街』(C) Yoichi Tsukada 塚田洋一

池田扶美代「プレッシャーがなければ、いますごくいい状態」

でも、どうなんですか。扶美代さんの中で『NINE FINGER』とか『in pieces』とか、ネイチャー・シアター・オブ・オクラホマとの仕事とか、アンヌ・テレサではないところで作品をつくったり表現をしたり、舞台に立ったりってことが、ここ最近連続していると思うんです。扶美代さんの中で、何か意識の変化とか、そういうことに対する欲求なり関心なりがことさら湧いているんでしょうか。

 

扶:それは昨日今日で起こったことではないけど、たぶん絶対あると思う。アンヌ・テレサは……、ほんと、こんなこと言っていいのかわかんないんだけど、割と私に好きにさせてくれていると思うのね。作品つくるときに。ほかのダンサーだと、アンヌ・テレサの中に彼女に対する絶対的なイメージがあって、汚い役はさせたくないみたいな。でも、私には変なことをさせるのが平気なわけよ、アンヌ・テレサは(笑)。変な衣装着せられたり、変なアクションつけられたり。「え、こんなこと、アンヌ・テレサ。私は嫌だー!」って思っても、「いや、やれやれ!」みたいな感じ(笑)、いろんなことに挑戦させて頂いたって思うのね。もう何作品つくったのか、数えないとわからないんだけど。やっぱり時々、だんだんカンパニーが大きくなってきて、いまやってる作品なんか、十何人いると疲れちゃうんですよね、私も。たくさん人がいるとだんだん疲れるようになってきた。だから、少ない人数で始めたローザスの、少ない人数のころに戻りたいっていうのがすごくある。私はそういうのに巻き込まれたくないんだけど、十何人いると場所取りが激しくなったりするのね。カンパニーだから仕方がないんだけど。アンヌ・テレサの最新作なんて、出ない人はほんとに出ないらしいの。踊っている人はたくさん踊らせてもらって、踊らない子は「え、いたの?」みたいな。そういうふうになってきちゃってるらしいんだけど。私がまだ参加していたころは全員がセンターに行くみたいな、彼女がそうやって気を遣って、みんなにそういうふうにつくっているの見るのも辛いし、自分でそこに持ち込まれるのもちょっと辛い。だったら少ない人数でやりたいなっていうのもあった。あと、ローザスにおんぶにだっこ状態から、ちゃんと自分でもやんなきゃいけないんだっていうのもあるし。そういういろいろなことがあって、ローザスに不満があるとか、アンヌ・テレサに不満があるとかいうことじゃなくて。自分が興味ある踊り方とか、自分の世界とか、そういうものをもっと時間がもらえる空間とか作品。たくさんでやると1人1分とかになっちゃうから。それはそれで楽しいんだけど。例えば『in pieces』なんかはひとりで70分間ぜんぶやんなきゃいけなくて。ほんとに途中で逃げ出したくなっちゃうんだけど。それはそれでやってよかったなってすごく思うのね。ソロとかやるのが初めてなので。

 

なるほど。うんさんとは、9月に来たときに何をしようかとか、もう話し合ったりしているんですか。

 

う:何をするかは、9月に来たときにわかるんですけど、いまは、いましかやれないことをやっているというか。まだ会ってないから、e-mailで単語を交換しているんですね。1日1個または2個。交換日記じゃないけど、交換単語をしているんですよ。それと、時々作品について、思いついたときにちょっと話したり、e-mailしたりっていう、言葉だけのやり取りで、体はまったくそこにはない、そうした不在の中で、いまはクリエーションしているって状態。それで、出会ったときっていうのは、ノイズだらけの体で、言葉みたいにはっきり言えないものがわさわさついている扶美代さんと私が、何やるんだろうって、結局何もできないまま1日過ぎちゃうかもしれないし、面白いこといっぱい言っていたけど、何もできないねってなるかもしれないし。そこをいま決めずに、会ってやってみようって。ライブで何かやってみようってだけですよね、とりあえず。

 

扶:うん。周りから何やりたいの? 何やるの? ってプレッシャーがなければ、いますごくいい状態(笑)。楽しい(笑)。単語交換とかしたりして。なるべく周りの圧力に負けないように。何もまだ決めたくないよね、とか。楽しいのをどれだけキープできるかっていう。そういう状態なので、なるべく頭の柔らかいままにできたらいいなっていう。

 

う:ただ、ふたりの中にキーワードがあって。もちろん同じ時代に生きているので、私はこの言葉が好きだとか、ここが気になるとか、再生するってどういうことだろうとか、すごくささいなことでも、共通に話せるいくつかの話題があって。そこはこだわってますけど。作品タイトルとか、試しに作ってみたりしましたね。

 

後編へ続く>

 

ゲストプロフィール

いけだ・ふみよ/1962年、大阪生まれ。1979年、モーリス・ベジャールのムードラに入学。同校でアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと出会い、1983年、共にローザスを結成。以来08年まで、ほぼすべての作品の創作に携わり出演する。ローザスの多くの映画やビデオ作品にも参加し、ジャンルを超えて映画や演劇にも活動を広げる。

 

やまだ・うん/2000年、横浜ダンスコレクション・ソロ×デュオコンペティションにおいて、〈若手振付家のための在日フランス大使館賞〉を受賞。2002年、ダンスカンパニーCo.山田うんを設立。これまでに国内外合わせて47都市で作品を上演し、話題を呼ぶ。代表作に『ショーメン』(2010)、『季節のない街』(2012)など。海外フェスティバルの参加も多数。

KAFE9

公式サイト:http://www.kafe-kaat.jp/

 

池田扶美代×ティム・エッチェルス『in pieces』日本バージョン

【横浜公演】9月7日(金)〜9日(日)、KAAT神奈川芸術劇場中スタジオ

【神戸公演】9月15日(土)・16日(日)、ArtTheater dB神戸

 

『ショーメン』(SHOMEN)野外バージョン

9月8日(土)・9日(日)、KAAT神奈川芸術劇場~山下公園周辺

 

池田扶美代×山田うん ショーイング(2013年発表新作の創作過程を公開)

9月30日(日)、KAAT神奈川芸術劇場中スタジオ

寄稿家プロフィール

まえだ・けいぞう/1964年生まれ。多摩美術大学芸術学科卒。在学中にポスター・ハリス・カンパニー設立に参加し、パルコ劇場、スタジオ200、夢の遊眠社などの宣伝協力に携わる。卒業後、世田谷美術館学芸課に学芸員として勤務し、その後(株)カンバセーションに入社、プロデューサーとして数々のダンス公演やコンサート制作を手掛ける。現在は東京芸術劇場のスタッフとして舞台芸術に関わる仕事に従事。NPO法人リアルシティーズ同人。