

長年の友人であり、多彩な音楽活動を続ける打楽器奏者、加藤訓子さん。今回は、6月頭にソロパフォーマンスを控え、アメリカから一時帰国した彼女に話を聞きました。
いまお住まいのナッシュヴィルは洪水で大変だったと聞きましたが……。
そうなんです。大量の雨で多くの家が浸水して、交通も麻痺してしまい、ほんとうに大変なことになっています。私は自宅が小高いところにあるので、幸い影響は少なかったんですけど。日本ではあまり報道されていないようですね。
そうですね。訓子さんから聞くまで、ぼくもそんな大変なことになっているとは知りませんでした……。訓子さんにお会いするのはずいぶん久しぶりですね。
そうかもしれませんね。前田さんとは出会ってからずいぶん時間が経っているから、久しぶりにお会いしても、あまりそういう気はしないけれど。
今回は彩の国さいたま芸術劇場と関西の伊丹AI・HALLでの公演ですね。

はい。今回のコンサートは、もちろんホールや機材等でたくさんご協力はいただいていますが、ホールは主催ではなくて共催、自ら主催しているんです。助成金申請なども自分たちですべて行っているので採算は非常に厳しいですね。
そうなんですか! 僕はてっきりホールの主催だと思っていました。いまは公共ホールも事業予算がふんだんにあるわけではないので、確かに大変ですよね。
しかたないのだけれど、助成金の申請とか、いわゆる制作にまつわる作業はほんとうに大変で、ときに落ち込んでしまうくらいです(苦笑)。日本では、アーティスト自身が動かないと、なかなか助成金集めも苦労する状況が続いていて、確かに大変ではありますよね。
仕事の相手は尊敬できる人たちばかり
ここ最近の活動について聞かせて下さい。

2000年くらいまでは、いただいたお仕事はなんでもかんでも受けていて、松本のサイトウ・キネン・オーケストラなどにも参加していました。その後、自分自身のプロジェクトを始動したいな、と考え始め、そのころにヨーロッパからアメリカに拠点を移し、2003年くらいから手探りでソロプロジェクトを開始しました。最初に行ったのは、前田さんも聞きにいらしてくれた銀座にある松竹ADKスクエアのホワイエを使ってのコンサート。階段状の空間を活かして楽器を様々に配置し、竹などの素材も使って音の響きを体感していただく、という趣旨で行ないました。その後、前田さんにも制作をお手伝いしていただき、2005年に宮城聰さんと共同演出で、三島由紀夫の作品を使ったミュージックシアター『浄土』(作曲:ジェームス・ウッド)を日本でも上演し、さらに、静岡や東京などで『打楽器奏者 加藤訓子演奏会』(宮城聰演出)の公演を重ねてきました。友人で作曲家の原田敬子さんや、ダンサーの康本雅子さんと共演するプロジェクトも実現できて、とても面白い経験を積んでいます。
さらに、元ネザーランド・ダンス・シアターのダンサーである中村恩恵さんと出会い、さいたま芸術劇場で、彼女がすべての振付を行ない、私が音楽監督を担当してのプロジェクトも行いました。
こうして伺っていると、ずいぶん違う資質の人たちと様々に作業をしているような印象があるのですが、どうしてそうした多種多様な、というか様々に資質の違う人たちと出会えるのでしょうか。

うーん……なんと言うか、人を介してだったり、なんとなくというか、自然に出会っていったという感じでしょうか。意図的に動いたことはないですね。皆それぞれ出会いや人のつながりがあるように、自分の回りに起こったことが自然に繋がっていった感じなんですけれど……。あらためて考えてみると、いままで一緒に作業をしてきた人は、皆、尊敬できる人たちばかりですね。一般的にすごく知られているというわけではないのだけれど、ほんとうにその世界で実力がある人たちと一緒に仕事ができているな、という実感はあります。強いて言えば、それが自分がやりたいことを正直にひとつひとつ積み重ねてきた結果なのかな、とは思います。売れようとか思ったことはないですし(笑)。大切にしているのは、自分が常に自然体であること。そうでないと自分の力自体さえ出せずに終わってしまう。こうしたら人が喜ぶだろう、などとは考えずにいることも大切かな。とにかく、舞台というところは、自分自身が根を生やしてしっかりと上に立っていないと、精神的にも身体的にも何かに食いつぶされてしまう。それを乗り越えると次があるという感じでしょうか。
ソロプロジェクトをするときとグループワークのときとで、意識の差はありますか。
それはないですね。
ソロプロジェクトをする際の手掛かりはなんでしょうか。演奏家としては、当然、作曲家の書いた作品、つまり譜面を再現する、ということがあると思うのですが……。加藤さんは、よく打楽器用に大胆な編曲を依頼したりもしますし、また、譜面のない即興的な演奏を行うこともありますよね。そうしたことを行う動機について伺いたいのですが……。
なぜかは自分でもわからないんです。もちろん自分のオリジナリティを探し続けていることもあるでしょう。ただし、こうは言えるかな。確かに、作曲家やその作品から自分にはない世界というものを得られる、と。逆に、即興ばかりしていても、自分自身のキャパを超えられないと思うんです。その一方で、譜面というのは演奏家を相当縛るものでもあって、だから膨大な時間を使って譜面と格闘しながら、音やその響きを自分の体の中にしっかりと入れていって、それが入りきったときに初めて体から取り外していくと、演奏そのものの質を高めながら最終的には人前で演奏することができる、と思います。それができるとひとつのキャパが広がるような気がしますね。
「素材」としての打楽器
今回の公演の選曲はどのように?

ここ数年追究していることのひとつでもあるのですけど、「素材」としての打楽器ということにこだわっています。特に今回は、ドラム缶をメインの「素材」として、そしてそれが発展してできたスチールパンもどこかで使いたいと思い、選曲を行いました。例えば、デイヴィッド・ラングの「アンヴィル・コーラス」は、昔の鉄工所で金属を叩くワーカーが、騒音や事故にならないようにリズムを振り分けていた、という史実にインスパイアされて書かれています。全体としては8-~9分の曲で、楽器の選択は演奏家に委ねられています。スティーヴン・シックという打楽器奏者がよく演奏しているレパートリーなんですけど、11のメタル素材と2つの木の楽器、+そしてバスドラムが用いられ、その内ペダルを使って足で奏するものが5つあり、ひとりの演奏家がすべてのパートを演奏していくという構成になっています。他のサウンドインスタレーションでは、素材への関心から、ピアノ線やギター線を使ってオリジナルの楽器を制作していて、今回もそれを使用します。私が構想する楽器の素材は、日曜大工店などにはないことが多いので、鉄鋼所や溶接屋さんに行って、いろいろ相談して、部材を揃えたり、楽器そのものを作っていったりしています。
では、今回演奏予定のライヒの「エレクトリック・カウンターポイント」は?

この曲は音響との共同作業が大切なんですけど、それ以前に、プリレコードで16パートくらい重ねていく必要があって、これがとにかく大変で、丸2日かけてすべてのパートを録音したのですが、弾いても弾いても終わらない! その後半年くらいずっとミックス作業をしていても、これまたまだ終わっていません(笑)。実際のライブでは、そのパートをいくつかに振り分けて、ステレオで音を出すだけではなく、会場に設置した様々なスピーカーから音を出していく予定です。
楽器編成は、第1楽章はスチールパンで、第2楽章はビブラフォン、そして第3楽章がマリンバという構成。この「ドラム缶」から金属鍵盤楽器の「ビブラフォン」、そして木製の「マリンバ」へと移っていく過程を可視化したかった。スチールパンはインダストリアルな素材というか、ただのドラム缶からできているので、それが楽器になっていく過程を見せたかったということもあります。
今後のご予定は?
横浜と名古屋でも、今年もしくは来年の3月に演奏会をする予定です。また、6月25日から、国際交流基金の主催で、鬼太鼓座とアフリカに行く予定もあります。7月はポルトガル、8月はオーストラリア、と結構海外が続きますね。
演奏会、楽しみにしています。
加藤訓子 SOUND SPACE EXPERIMENT
STEEL DRUM WORKS 2010
6月3日(木) 19:30開演 4日(金) 19:30開演
彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
6月11日(金) 19:30開演 12日(土) 13:30開演 / 18:30開演
AI・HALL 伊丹市立演劇ホール
寄稿家プロフィール
まえだ・けいぞう/1964年生まれ。多摩美術大学芸術学科卒。在学中にポスター・ハリス・カンパニー設立に参加し、パルコ劇場、スタジオ200、夢の遊眠社などの宣伝協力に携わる。卒業後、世田谷美術館学芸課に学芸員として勤務し、その後(株)カンバセーションに入社、プロデューサーとして数々のダンス公演やコンサート制作を手掛ける。現在は東京芸術劇場のスタッフとして舞台芸術に関わる仕事に従事。NPO法人リアルシティーズ同人。