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    聞き手:前田圭蔵
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対話の庭

第11回:三宅純さん
聞き手:前田圭蔵
Date: October 20, 2009
三宅純 | REALTOKYO
ポートレート:三宅純

ニューヨークでキャリアの地歩を固め、オリジナリティあふれるサウンドで世界的な称賛を受け、CMから映画まで多くの作品に楽曲を提供する。協働した芸術家はロン・カーター、ロバート・ウィルソン、ハル・ウィルナー、ピナ・バウシュ、フィリップ・ドゥクフレ……。PARCO劇場で上演された『中国の不思議な役人』(作:寺山修司 演出:白井晃 出演:平幹二朗、岩松了ほか)の作曲家として、一時帰国した音楽家に話を聞いた。

現在上演されている『中国の不思議な役人』は、とても音楽の比重の重い作品だと思います。三宅さんは音楽家として多岐にわたる活動を長年してきたわけですが、今回の仕事を引き受けた理由と、この仕事に取りかかる上での意図や考えていたことについて聞かせて下さい。

 

演出家の白井晃さんとは2年前に『三文オペラ』で初めて仕事をご一緒しました。そのときは敬愛するクルト・ワイルの楽曲に、いかに鋭角的にアプローチするかというのが課題でしたが、今回は寺山修司自身が「見世物という意味で自分の演劇の原点」と位置づける作品の32年ぶりの再演。白井さんから「寺山の毒気と色彩感を現代に蘇らせるのは至難だが、三宅さんの音世界に誘導してもらえば現代版を再構築していくことができるかもしれない。初演時の音楽はすべて忘れてオリジナル書き下ろしで」という光栄なオファーをいただいたので快諾したんです。寺山の原作と白井さんの音楽ノートを頼りに、メールでやりとりを重ねながらデモを制作し、その曲に基づいて脚本が書き換えられ、演出プランが練られてゆくというスタイルで進行しました。僕は言わば先行逃げ切り型だったのですが、それだけに責任は重大でした。

僕自身の寺山体験は書物を通してだけで舞台は観ていませんが、あらためて当時の東京の空気に充満していた彼の言葉の力を思い出しました。寺山の歌詞はイントネーションやソングフォームを無視していて、「これに曲は付けられないよ!」という印象を持ちましたが、意外と逆境に燃えるタイプなので、言葉から浮かぶ光景に耳を澄ましながら、4曲ある歌曲を柱に、他の器楽曲を壁に見立てて全体を構築していきました。

 

中国の不思議な役人 | REALTOKYO
『中国の不思議な役人』公演より 撮影:阿部章仁

ピナ・バウシュやロバート・ウィルソン、フィリップ・ドゥクフレなど海外の演出家とは仕事の多い三宅さんですが、日本人の舞台演出家との仕事は白井さんだけなんですよね。

 

三宅純:中国の不思議な役人 | REALTOKYO
三宅純:中国の不思議な役人
©VIDEOARTS MUSIC

そうですね、いまのところは。舞台作品に関わるようになったのは、2002年にロバート・ウィルソンと仕事をしたのがきっかけです。『The White Town』という作品で、ひとつの目標に向かって共同で作り上げていくプロセスが面白いなあ、と思って。デンマークの建築家アルネ・ヤコブセンの生涯を描いた作品で、実際にヤコブセンの設計した劇場で上演されました。当初はトム・ウェイツが主演する予定の役を、ウラ・ヘニングセンという素晴らしい女優さんが演じました。歌曲に関しては、新曲だと彼女が覚える時間がないということで、ハル・ウィルナーが既存曲から選曲することになったのですが、ボブが照明に割く時間が異常に長くて、シーンごとの照明が丸1日以上かかるんです。ミュージシャンは板付きのまま音を出さずに待っている。やっと決まった段階でハルがニーナ・シモンやトム・ウェイツやベートーヴェンなどの曲を提案し、決定した段階で、ホテルで待っている僕のところにやってくる。もう深夜です。それを受けて翌朝までにシーンに合わせて編曲していく、という過酷な……。その後はフィリップ・ドゥクフレとも知己を得て、ワークショップに楽曲を提供したりしています。

 

ピナ・バウシュとの出会い

 

先日惜しくも亡くなってしまったピナ・バウシュとの出会いは?

 

ふたり組のピナの音楽監督から連絡があって、「実は(事前許諾なく)君の曲をすでに使っているんだけど(笑)、なんていうタイトルの曲ですか?」という問い合わせがあったのがきっかけです。その後、ピナ本人にも会い、「既存曲使用だけでなく、新曲を作りませんか」と提案したところ、「私の制作スタイルを知ったら、とてもそんなことはできないわよ」と言われたのだけど、「振り付けは完成してなくても、手がかりさえあれば、貴女の作品のためなら喜んでトライしますから」と伝えました。ピナの作品作りは最後までどんでん返しの連続ですし、作った曲も使われたり使われなかったりしているんですけど、この5年間は刺激的な体験ができました。なかなか振り付け自体が確定しない上に、そのシーンそのものが突然カットされてしまったりもしますから予測不能でした。

 

考えてみるとCMの音楽作業なども、膨大な作業量の中で、実際に世に出るのはそのほんの一部であるわけですよね。

 

まぁ、そうですね。ピナからの注文は要求の内容も抽象的というか大掴みというか、「ただただ早い曲をお願い」「果てしなくゆっくりな曲」とか「ステージでは(ダンサーが)走っているから!」とか……。禅問答みたいでしたね。

 

舞台作品やCM音楽のように依頼されて制作する音楽と、ご自身で自主的に作曲して制作する音楽とで意識の差はありますか。

 

委嘱作品であろうと自分の作品であろうと、あまり差はないですよ。何かにフォーカスすると、その対極が見えてくることも多いので、パラレルに仕事を進めるのも面白いです。そういえば、ピナと知り合う前から、ずっとピナ作品のサントラ盤がほしかったんですよ。誰がこの素晴らしい曲を作り、誰がセレクションをしているのだろうと。これからもライフワークとして、ピナ作品のサントラ盤を出していけたらいいな、という強い気持があります。

 

ピナの舞台作品は音楽も素晴らしくて、アルバム『Vollmond』(フルムーン)が出たのは画期的なことだと思うし、世界中のピナ・ファンが待ち望んでいたものですよね。

 

制作中にピナが「これは売るものなんでしょ? 私にはそういうものはわからないわ」と言っていたのが印象的です。

 

Pina Bausch: Vollmond | REALTOKYO
Pina Bausch: Vollmond © VIDEOARTS MUSIC

レコーディングとライブの違い

 

三宅さんの音楽って、変幻自在というか、カメレオン的な印象もあります。どのように音が生まれてきているのでしょうか。

 

なかなか難問ですね。 すべての音楽様式が飽和したいまの世の中で、オレはジャズだとかテクノだとか現代音楽だとか言っているアーティストは一元的すぎるというか、感度が低いと思っています。僕の個人史としては、小6のときにジャズトランペッターになる決意をし、その後22歳くらいまで、ジャズ以外は聴かないように純粋培養して自己確立を図りました。当時のジャズは日進月歩、何が出てくるかわからないというスリルが魅力的でした。しかし留学生活も終わりに近づいた81年に、NYリンカーン・センターで聴いたマイルスのカムバックコンサートで「天才マイルスにしてこの音楽性では、ジャズに未来はない、ジャズは終わった」と思ったのです。突出した先駆者たちが可能性を突き詰めた結果、クラシックはとっくに飽和していたし、ロックもジャズとほぼ同時期に飽和して、「こうなるともうなんでも並列だな、これからは突然変異の新種が出現するまで、異種交配していくしかない」と思ったんですよ。そのときから一気に耳が開きました。帰国して広告の仕事をするようになったのも、それに輪をかけました。そもそも日本人は異種交配で文化を作ってきたわけだし、表現として東京の街みたいに、マクドナルドの屋上に神社があって、クラブの隣に銭湯があって、みたいな……。そういった感覚の音楽がもっとあっていいと思うんです。

 

作曲をし出したのはいつごろですか。

 

バークリーに行ってからすぐくらいかなあ。僕は即興演奏家を目指していたので、必須の作曲コース以外は選択しませんでした。あさはかにも、作曲はゆっくりやった即興演奏で一段下だと思っていたから。独自のスタイルを持ったエリントンの分析とかは面白かったですけど、いわゆるバークリー・メソッドに縛られるとつまんないんですよね。むしろ菊地雅章さんとか日野皓正さんとかを身近に見て、なんかすごいことやっているな、と思って譜面をコピーさせてもらったり……いろいろしていました。

 

グレン・グールドやXTCのように、作品は録音として発表し、コンサートはしないという姿勢を堅持する人たちもいます。でも、音楽ではライブという体験がとても大きな要素だと思うんです。最近の三宅さんの音楽も緻密に構成された繊細な音楽ですが、だからこそ生で聴いてみたい、と思っている人も数多くいるのでは?

 

ライブのスリル、大好きですね。でも実はある時期「トランペットが毎曲鳴っているなんてうるさいな」とか「トランペット担当だと、他の人がアドリブしている間やることがないな、暇だな(笑)」と思い始めて、もっと自分の思い通りに音楽の全体像を構築できるレコーディング作業にぐっと比重をかけるようになりました。ところがまた転機が来て、95年にディストーションの掛かったフェンダー・ローズ(打弦式の電気ピアノの一種)の音に惹かれ、それを手に入れて弾くようになってから、音楽のグルーブ自体に参加できる喜びを覚え、ライブへの意欲も再度出てきました。だからもっとライブもやりたいけど、スケジュール調整とブッキングがたいへんだし、一緒にやりたい人たちが世界に拡散しているし。がんばらないとです。

 

普通、演奏家から、演奏中に苦痛になったり退屈になったりするという話はあまり聞かないですけど(笑)。

 

ひと晩に1回、すごい一瞬があれば、それで良いと思うのです。でも、できたらそのすごい一瞬だけを演奏したい、と思ってしまうんですよ。アフリカやブラジルの人たちは、朝から晩まで演奏をダラダラ、というか、ほんとうに空気を吸うように演奏を続けることができるんですけど、僕は日本人だから、どうしても「一発入魂」という精神性があるのかもしれません。

 

ジャズやロック、ブルーズなどブラックミュージックでは「グルーヴ感」は最も大切な要素のひとつですよね。けど、言葉では簡単にグルーヴといいますけど、実はその感覚は人種や民族的背景によってかなり違うのではないか、という気もします。ところで、いままでセッションを随分してきていますが、印象に残っている人はいますか。

 

ロン・カーター(レコーディングしたときは怖かったです)、スティーヴ・グロスマン、デイヴ・リーブマン(刺激的でした)、アル・フォスター、ローランド・ハナ、マイケル・ブレッカー、デヴィッド・サンボーン……。いろんな人たちと演奏してきましたけど、少し遠い話になってしまったなあ……。グルーブという意味ではヴィニシウス・カントゥアリアが凄いですね、バネの利いた、ホントにすごいグルーブです。

 

三宅純:Stolen from strangers | REALTOKYO
三宅純:Stolen from strangers © VIDEOARTS MUSIC

パリに拠点を構えて活動をされていますが、近い将来の計画は?

 

新しいアルバムの制作と、来年9月に予定されているパリのシテ・ド・ラ・ミュジックでのコンサート。ブルガリアン・ヴォイス、アート・リンゼイ、ヴィニシウス・カントゥアリアらを呼んでやる予定です。ジャン=ポール・グードが再来年ルーヴル美術館で大きな個展を準備しているので、彼のためにも何かやりたいと思っているし。

それから、ずっと温めている、記憶にまつわる舞台作品の企画を実現させたいと思っています。東京って街がどんどん変わっていくでしょ。様々な建物やお店が突如消滅しますよね。それで、行き場のなくなってしまった様々な人の記憶が流れ込んでくる劇場があり、そこに失った記憶を求めて迷い込んでくる観客がいるという設定の舞台(コンサート?)ができたらいいな、と。デヴィッド・リンチの映画『マルホランド・ドライブ』に出てくるクチパク劇場みたいな感じというか……。デヴィッド・バーンやグレイス・ジョーンズが出てきたりしてもいいし。アルバム『Stolen from strangers』もそういったコンセプトが背景にあるんですよ。

 

今日はありがとうございました。

 

ゲストプロフィール

みやけ・じゅん/1958年、京都生まれ。鎌倉育ち。日野皓正に見出され、バークリー音楽大学に学び、ジャズミュージシャンとして活動を開始。その傍ら作曲家として、CM、映画、舞台など多くの作品に携わる。個性的なサウンドにより国際的賞賛を受け、ハル・ウィルナー、アート・リンゼイ、デヴィッド・バーン、グレイス・ジョーンズ、アルチュール・H、ヴィニシウス・カントゥアリアら音楽家とのコラボレーションも多い。2005年からはパリにも拠点を設け、精力的に活動を続けている。最新アルバム『Stolen from strangers』はフランス、ドイツの音楽誌で「年間ベストアルバム」「音楽批評家大賞」などを受賞。ギャラリー・ラファイエットの「2009年の男」にも選出されている。

寄稿家プロフィール

まえだ・けいぞう/1964年生まれ。多摩美術大学芸術学科卒。在学中にポスター・ハリス・カンパニー設立に参加し、パルコ劇場、スタジオ200、夢の遊眠社などの宣伝協力に携わる。卒業後、世田谷美術館学芸課に学芸員として勤務し、その後(株)カンバセーションに入社、プロデューサーとして数々のダンス公演やコンサート制作を手掛ける。現在は東京芸術劇場のスタッフとして舞台芸術に関わる仕事に従事。NPO法人リアルシティーズ同人。