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Y⇆T Notes ─ 横浜/東京カルチャーレポート

015:2016年5月
ふかさわ・めぐみ
Date: June 22, 2016

横浜(Y)と東京(T)を中心に、横浜在住の私が観聴きしたひと月分のカルチャーイベントをレポートする「Y ⇆ T Notes(ワイティーノーツ)」。今回は、ちょっと体調を崩し、あまり出かけることが叶わず、レポート件数が少なくなってしまいました。申し訳ありません(楽しみにしていた大好きなアクラム・カーンの、直前での公演中止もショックでした)。

5/2 CINEMA『モヒカン故郷に帰る』@TOHOシネマズ ららぽーと横浜(横浜・港北)

「故郷に帰る」といえば、カルメンと相場が決まっていたけれど、今回帰ってくるのはなんと「モヒカン」!?

 

1951年に製作された木下恵介監督の日本映画史に残る『カルメン故郷に帰る』では、高峰秀子演じる東京でストリッパーをしているハイカラ娘たちの突然の里帰りが、静かな村に騒動を引き起こした。けど本作では、東京でマイナーなパンクバンドをカツカツでやってるモヒカン頭の青年(松田龍平)が、妊娠した恋人(前田敦子)を親に会わせるために瀬戸内の小島に帰郷、親子の葛藤、周囲の波乱が巻き起こる。

 

まず何たってタイトルがずるい。木下監督の名作をあからさまに意識させといて、なんと“モヒカン”!! さらに『南極料理人』、『横道世之介』の沖田監督と来れば、どうしたって観たくなっちゃうだろ。で、期待にたがわず、すでに巨匠の風格、手練れの技で沖田流家族ドラマを楽しませてくれた。

 

木下作品からの本歌取りは、タイトルばかりではない。定職にもつかず音沙汰もなかった息子の帰郷やそれに重なる親の発病などによって、予想通り巻き起こる悶着やゴタゴタが、深刻ではなくユーモラスに展開するそのタッチは、『カルメン故郷に帰る』のコミカルさを見事に踏襲している。大笑いした後に、家族のつながりのありがたさにふと目の潤んでいることに気付かされるような、そっと琴線に触れるその感覚は、木下節のペーソスそのもの。ここで瀬戸内の自然を背景に紡がれた、包まれるような時間の豊かさは、昭和の時代に日常や家族の描写を極めることで風靡した松竹大船、木下映画の系譜を今に蘇らせながら、そこに新たな命を吹き込んだとも言えよう。

 

前田敦子が、『もらとりあむタマ子』以来の好演を魅せてくれたことも、ぜひ付け加えておきたい。

 

Web: 『モヒカン故郷に帰る』公式サイト

 

CINEMA『モヒカン故郷に帰る』 | REALTOKYO
(C)2016「モヒカン故郷に帰る」製作委員会

 

5/6 BOOK:ジョーゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕』上・下(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

昨年末の発刊以来、ずっと取り上げようと思いながら、つい紹介が遅くなってしまった。古典的名著『千の顔をもつ英雄』が新訳で、しかも文庫となって、読みやすく入手もしやすくなった。

 

ジョーゼフ・キャンベル(1904年〜1987年)は、ニューヨーク生まれの神話学者。比較神話学や比較宗教学の権威として知られている。本書の原典は1949年に本国で出版、専門家らを中心に関心を集めるが、後年ある映画がきっかけとなり、広く一般にも知られ一挙に世界中から注目されるようになる。その映画というのは、1977年に第1作が公開された『スター・ウォーズ』。ジョージ・ルーカスは、「本書に出合っていなければ私はいまだにスター・ウォーズ・シリーズの脚本執筆に追われていただろう」と、84年のインタビューで答えている。

 

キャンベルは、その知見を最大限に生かし、古今東西から収集した神話や昔話、宗教儀礼などをつぶさに比較研究、英雄や主人公を巡る冒険の中に繰り返し現れる共通の構造があることに気が付いた。その構造というのが、簡単にまとめると、<出立>(主人公が事件などに巻き込まれ否応なく日常から未知の領域に駆り立てられる)、<イニシエーション>(超常的な力や人物のサポートを得て困難を克服する)、<帰還>(通過儀礼を経て成長と飛躍的なパワーを手に入れた主人公が元の世界に戻り恩恵をもたらす)という円環構造であり、この発見と詳細をまとめたのが本書なのである。

 

以降、映画はもとより、小説、戯曲、漫画など様々な分野のプロット作成に応用されるようになった。特にクリストファー・ボグラーというシナリオ開発者が本書をベースに映画用のマニュアル化を果たして以来、ハリウッドを中心に映画で目立って利用されている。例えば本書に照らして『ダイ・ハード』を観てみれば、ほとんどそのまま使われているのがよくわかる。キャンベルの基本構造をストーリーの根幹に、ディテールを張り付けただけといっても言い過ぎではない。ジブリの『もののけ姫』をディズニー系のミラマックスが海外配給をするのに際し、リスク回避として世界中で受け入れられやすいように、キャンベルの構造を織り込むように要求したとも言われている。

 

そのため、映画やその他創作物を鑑賞、批評するツールとしても本書は重用されている。私にとっても、ユングの集合無意識と合わせて重要な参考書である。近年では、人を説得するための話の組み立て方として、企業のプレゼンや企画書にも応用され、ビジネス書としても活用されていると聞く(新訳・文庫化はこうした要望を受けてのことだろう、すでに増刷を重ねている)。

 

とはいえ、参考書やビジネス書などといった道具的な価値ばかりで本書を測ることは大間違い。古今東西から丹念に収集されてきた伝承たち(そのひとつひとつも興味深い)が、キャンベルの展開する理論の由来や裏付けとなりながら、さらに大きなひとつの物語へと収斂していく筆さばきは圧巻というほかなく、読み物としても秀逸である。

 

CINEMA『蜜のあわれ』 | REALTOKYO
ジョーゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕』上・下
ハヤカワ・ノンフィクション文庫 各799円 2015年12月18日発売

 

4/13 CINEMA『ひそひそ星』@シネマジャック&ベティ(横浜・若葉町)

ジョーゼフ・キャンベルの物語論で言えば、ここで冒険の旅へと召命されているのは、生身の人間ではなく女性アンドロイド鈴木洋子である。旅立ちの誘因は、英雄譚の怪物退治やレイア姫の求めに応じるルーク・スカイウォーカーの場合などと違って宅配便の配達、そのパートナーは、レンタル宇宙船に搭載された相棒のコンピュータ(「きかい6・7・マーMだよ」のナレーションがカワイイ!)である。

 

ここでも通常の冒険譚とたがわず、主人公のビルドゥングスが語られているが、それは人間的な成長ではなく、アンドロイドの人間への共感性の育成である。滅びゆく人類がひっそりと暮らす星々を巡り、廃墟の中の孤独と出会い、その営みや睦まじさに触れ育まれていく人間への理解……、ある星で出会った男(遠藤賢司)の自転車や踏みつぶした空き缶への密やかな憧れは、切なくもあえかなイニシエーションとも言えよう。

 

過呼吸ぎみのいつもの園子温作品とは異なり、どこまでも空気薄い系世界……、彼の詩人としての一面が、独りよがりではなく滲み出た懐かしい未来、昭和な六畳一間宇宙船の旅は、ひそひそと続いてゆく……。

 

Web: 『ひそひそ星』公式サイト

 

CINEMA『ひそひそ星』 | REALTOKYO
(C)SION PRODUCTION

寄稿家プロフィール

ふかさわ・めぐみ/CMクリエイター、アート映画ディストリビューター、舞台公演企画、雑誌へのコラム執筆、社会学講師等を経歴。その間、子供時代から続く劇場や美術館通いは止んだことが無い。著書『思想としての「無印良品」』千倉書房