
横浜(Y)と東京(T)を中心に、横浜在住の私が観聴きしたひと月分のカルチャーイベントをレポートする「Y⇆T Notes(ワイティーノーツ)」。イベント前後に立ち寄った、会場近くのお気に入り飲食店も紹介しています。
4/2 CINEMA『無伴奏』@新宿シネマカリテ(東京・新宿)
あの時代をリアルタイムに知るものとして、最初に断っておきたいことがある。1969年、学生運動華やかなりし頃、ちょっと意識の高い(と自負している)女子学生たちは、バリバリに自意識過剰にあんな風な話し方をしていた。感情を抑えた平坦な語り方(実は今思えば、大人ぶった背伸びやファッションとしての表現スタイルでしかなかったけど)こそが、政治的だと言わんばかりに。だから、本作の主人公、野間響子のセリフが棒読みに聞こえたとしても、ネット上の観客レビューに散見されるような、成海璃子の演技の技量に起因するものではないということを擁護しておきたい。
もともと成海璃子は、はっぴいえんどや村八分が好きだと公言しているように、60~70年代のカルチャーには並々ならぬ興味があって、その時代を舞台とするこの作品にも少なからぬ思い入れがあったであろうことは想像に難くない。だからこそ、多少力が入りすぎてしまったのかもしれない(それなのに、冒頭から威勢よく下着姿になりながら、濡れ場では中途半端にしか肌を見せていないのは、役への取り組み方としてどうなのか…って自分が見たかっただけか(^^;)!? まあそれに関して、監督と本人と事務所との、相当なせめぎあいも目に浮かぶけど)。
ただ、映画全体に対する評価としては、事前の期待が高すぎたせいかもしれないが、やや肩透かし気味。というのも、ここに描こうとしたアヴァンチュールな恋愛を、本当にアヴァンチュールとして成立させるために、同性愛を未だ衝撃的な事件として成立させるために、あの熱き政治の季節をただの背景として利用しているに過ぎないように見えてしまったからだ。ファッションや考え方がいくら進歩的に見えたって、中身はまだまだ純情だったんだよ、あの時代って(そういえば、「純潔」なんて言葉も普通に流通してたな)。
だからなのか、制服廃止運動や学生集会、ヘルメットに角棒、無理したミニスカート、繁華街の名曲喫茶などなど、時代を彷彿とさせるものが数々登場しながらも、小道具以上の存在感はそこにはない(「パッヘルベルのカノン」をはじめ音楽は、唯一意味を成している)。というか、むしろ戯画として茶化しているかのようでさえある。ノンポリの学生にしたって、恋愛はあんなふうに政治と全く無関係にはあり得なかったはず。ちらしのキャッチフレーズには、「愛がなくては、革命なんか起こせない」とかってあるのに、そこのあたりを描き切れていないのが物足りない。


4/6 CINEMA『蜜のあわれ』@横浜ブルク13(横浜・桜木町)
金魚の化身少女、その未成熟のエロスを表現できる女優っていったら、もう二階堂ふみ以外いないでしょ。フライヤーにも使われている、ソファに横たわる姿はまさにバルテュス!! 無邪気な姿態の生み出す小悪魔的淫らさ、それはまさにバルテュスの少女と二階堂ふみが共有する引力に他ならない。
文豪室尾犀星の幻想小説を原作とする本作には、もうひとつのロマンも秘められている。二階堂の演じる「あたい」の纏う、水の鉢を漂う金魚の閑やかな尾ヒレを象ったドレスの赤に代表される色の対比や乱舞。コミカルなミュージカル仕立てで挿入されるダンスシーンや突飛な展開などなど。それはあの、鈴木清順のロマン世界なのだ。
かつて清順監督は、この小説の映画化を望んで、高齢故にあきらめたという経緯がある。アクション映画でならした石井岳龍監督は、ここでは清順監督の意を汲んでか珍しく幻想性を前面に(『ユメノ銀河』において、すでに幻想的な作品を手掛けてはいるけれど)、その他にもカット変わりにワイプアウトを使ったりなど、細かい点でも清順流ロマンを貫いている。とはいえ、そんな中でも彼本来のスピード感が失われていないのはさすが。
ただ、清順版も観てみたかったな…。

4/9 ART『ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞』@Bunkamuraザ・ミュージアム(東京・渋谷)
歌川豊国門下の人気浮世絵師、兄弟子国貞と弟弟子国芳の名品の数々を、浮世絵コレクション世界一を誇るボストン美術館の収蔵品を用いて、同一テーマのもとに比較展示するという興味深い企画展。
すでに名声を獲得していた10歳年上の国貞に対して、あまり人気も出ず埋もれていた国芳は、それまでの浮世絵にはなかった斬新な表現を大胆に取り入れる。そして評判をとったのが、武者絵といわれるシリーズ。今見ても驚かされるほどの、映像的スペクタクルに溢れている。ショットの分割と縫合、的確な画角や動きの表現、それらは現代の映画手法にも通じる革新的なスタイルで、当時の江戸っ子たちもさぞや驚嘆したことだろう。その後の冒険活劇の挿絵や、今の劇画の祖型もここにある。
一方、先行していた国貞は、浮世絵の定型を忠実に遵守しながらもそれを極めつくす。役者絵や美人画の極北ともいうべき、爛熟ぶりがすごい。江戸っ子たちがさぞや我先を争って、お気に入りの役者の大首絵やあこがれの美人画を買い求めたことだろう。国芳の描く美人が鉄火肌の姉御的な媚びない女性であるならば、国貞の美人は色香を漂わす、言うなれば九鬼周造の『「いき」の構造』を体現する、「媚態」「諦念」「意気地」に生きる「粋」の見本とも言えよう。
Web: 『ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞』

William Sturgis Bigelow Collection, 11.30468-70
Photograph © Museum of Fine Arts, Boston

Nellie Parney Carter Collection―Bequest of Nellie Parney Carter, 34.489
Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
4/16 ART:30年ぶりの大公開『頴川美術館の名品』@松濤美術館(東京・渋谷)
兵庫県西宮市にある穎川美術館、大阪の商家の四代目頴川徳助によって収集された貴重な日本美術の名品が、32年ぶりに東京で公開された。
円山応挙、谷文晁、池大雅などビッグネームの作品が並ぶ中、目玉は「無一物」(重要文化財)、長次郎赤楽茶碗の代表作で松平不味所持の中興名物として知られる名碗だ。さらに織田信長所持で本能寺の変に遭いながらもからくも残った茶道具の名品、茶入「勢高」。美術的な価値もさることながら、火事に焼かれたような跡は、歴史的な臨場感も味わえる。こうした貴重な宝物、茶の美、文人趣味の流れを東京に居ながらにして堪能でき、まさに眼福のひととき。

4/16 CINEMA『下衆の愛』@テアトル新宿(東京・新宿)
昨今ワイドショーを賑わしているゴシップのようなタイトルだけど、タレント不倫騒動とは一切関係ない。この映画、映画関係者が観たら一番楽しめるんじゃないかと思う。もちろん、誇張もおびただしいし、そこまで酷くは無いだろうという箇所も多々あるが、本質の部分でかなり日本映画の現状に切り込んだ、「映画」の映画として良質な自己言及的作品となっている。実際、私が観た回にも、映画人と思しき一団が、内輪受け的な場面でもひときわ盛り上がっていた。
『お盆の弟』など主演作も相次ぎ、その怪演ぶりが評判の渋川清彦扮するインディーズ映画の監督テツオは、唯一の映画祭受賞だけを自慢に、新作を撮ると公言しながらも女優候補を連れ込むなど自堕落な生活にふけるアラフォーニート。そのほか、打算だけで枕営業に耽る女優や、それを食い物にするプロデューサー、持ち込まれた人の脚本を自作としてしまう人気映画監督などなど、映画界に巣くう「下衆」ばかりがこれでもかと登場する。
でも、見ようによっては、それもこれも、映画を撮りたい、映画に出たい、映画に関わりたいという、映画への愛ゆえ。部屋に張ったカサヴェテスのポスターを拝むテツオも、可愛く思えなくもない。本作はだからこそ、映画愛の裏返しとも言える。関係者でなくとも映画好きなら、決して観て損は無い。しかし、登場人物たちの浅ましい所業をスクリーンのこちら側から覗き見ながら、他人事として大笑いしながら喜んでいる我々観客の方だって、所詮「下衆」なんじゃないかという気もまたしてくる…。

4/23 CINEMA『あやしい彼女』@TOHOシネマズ ららぽーと横浜(横浜・港北)
多部未華子の歌う「悲しくてやりきれない」に泣けてしまった、一粒で二度おいしい映画!! 2014年にヒットした韓国映画を、『謝罪の王様』などコメディ映画に定評のある水田伸生監督がリメイク、主演に『ピース オブ ケイク』での体当たりの演技が記憶に新しい多部未華子を起用して、日本では難しいといわれるコメディ映画に挑戦。笑えて泣ける、クオリティの高い本格ハートフルコメディ映画に仕上がっている。
そしてもうひとつ、多部本人がその真っ直ぐで透明感溢れる歌声を披露(あまりに上手くて吹き替えかと疑ってしまったよ)、「見上げてごらん夜の星を」「真赤な太陽」など、昭和歌謡ショーとしても存分に楽しめる。懐メロばかりでなく、クライマックスでバンドのリードボーカルとして歌うオリジナル曲、そのパフォーマンスのかっこいいことと言ったら!! 得意の変顔を交えた笑いの間や芝居の呼吸など、成長著しい多部未華子の飛び切りはじけた好演も魅力的だ。
また、『ローマの休日』が映画内のモチーフとなっていて、例えば商店街の福引箱の手を入れるところが「真実の口」になっていたり、のど自慢会場の入口階段がスペイン広場を模していたりと、クスリとさせるところが随所に盛り込まれ、手抜きのない丁寧な仕事ぶりがうかがわれる。
そして、もっとも印象に残ったのは最後の方、多部演じる二十歳の女子が、若返った自分の母親と知った娘役の小林聡美と抱き合うシーン。子供って物心ついたときには、年齢を重ねた親の姿しか知らないわけで、親にも若い時だって青春だってあったんだということを、頭では分かりながらもなかなかイメージし辛いもの。それがこの映画では、現在の自分よりもこんなに若くてかわいい時に自分を生み、苦労して育てるためにいろんなことをもあきらめてきたんだろうということが、この上ない実感、実像として迫ってくるわけで、言葉にせずとも母娘の心情が滲み出るふたりの演技も相まって、涙腺の緩むこと必至。

寄稿家プロフィール
ふかさわ・めぐみ/CMクリエイター、アート映画ディストリビューター、舞台公演企画、雑誌へのコラム執筆、社会学講師等を経歴。その間、子供時代から続く劇場や美術館通いは止んだことが無い。著書『思想としての「無印良品」』千倉書房