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Y⇆T Notes ─ 横浜/東京カルチャーレポート

013:2016年2月
ふかさわ・めぐみ
Date: March 15, 2016

横浜(Y)と東京(T)を中心に、横浜在住の私が観聴きしたひと月分のカルチャーイベントをレポートする「Y⇆T Notes(ワイティーノーツ)」。イベント前後に立ち寄った、会場近くのお気に入り飲食店も紹介しています。

2/2 CINEMA『世紀の光』@シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷)

2010年作の『ブンミおじさんの森』で、カンヌ映画祭パルム・ドール受賞を果たしたタイの奇才、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督による06年の作品。日本での劇場公開は初となる。

 

『ブンミおじさんの森』では、森の精となった息子や死んだ妻が帰ってくるなど、マジックリアリズムばりばりだったが、本作では神話的、魔術的な要素は微塵もなく淡々と日常が描かれてゆく…かのように思わせておいて後半一転、観客は観たこともない不思議な感覚にとらわれる。

 

田舎の病院を舞台に医者や患者などのやり取りが、とりたてて大きな事件もないままに複数の逸話が抑揚無く描かれる前半、変わって後半は都会の病院に舞台が移るのだが、登場人物も逸話もほとんど前半と同じ内容が繰り返される。カメラの位置や視点は微妙に前後半で変わるが、そこに大きな意味は見出せない。ただ、観客を煙に巻くような奇妙な感覚が刻々と反復され、"時間"というものの不思議さ、面妖さといった手触りだけが残される。

 

舞台や背景を変えることで生じてくる微妙なズレとか差異を孕みながらも、ほとんど意味もオチも結論もない同じ内容のエピソードに私たちは、幾多の疑問や多様な意味づけを持つことを課せられるだろう。記憶の曖昧さや人生に真の意味などあるのかとか、あるいは物事の因果や共時性、パラレルワールド、もしかしたら神の存在などにも思い至るかもしれない。ちなみに私は、描かれる意味もないような小さな出来事の一つ一つが実は、"存在"の全体を映す鏡なのではないかなどと、モナドや華厳経の珠を想起した。

 

しかしアピチャッポン監督は、映画の内容と同様、答えなど用意はしていないのだろう。"問"や疑問、違和感を持つことの崇高さ、それこそが人生だと言うかのように。

 

Web: 『世紀の光』公式サイト

 

CINEMA『世紀の光』 | REALTOKYO

 

2/5 CINEMA『の・ようなもの のようなもの』@渋谷シネパレス(東京・渋谷)

2011年に急逝した森田芳光監督が、いまや伝説となった『の・ようなもの』で映画監督デビューを果たしたのが1981年。あれから35年、『の・ようなもの』に登場した落語家たちはどうなったのか? 森田監督が生前温めていたアイデアを、森田組で助監督を務め続けた杉山泰一が初監督として撮りあげた。

 

前作で落語家新弟子を演じた伊藤克信や兄弟子尾藤イサオ、でんでんなどがオリジナルと同じ役で勢ぞろい。そこに『僕たち急行 A列車で行こう』の松山ケンイチ、『間宮兄弟』の北川景子が主演で加わり、さらに同じく森田組ゆかりの役者たちが脇やチョイ役などで顔を出す。えっ、こんなところにあの人が! という発見だけでもとても楽しい。

 

物語は先代の師匠の十三回忌に企画した一門会興行を成功させるため、落語を辞めて行方不明になっている志ん魚(伊藤克信)を、下っ端の志ん田(松山ケンイチ)が探し出し再び高座へと引っ張り出すという話を基軸に、人生の選択や幸せの在りかなどが人情喜劇として描かれる。

 

先代師匠への供養という物語が、森田師匠に対する杉山監督からのオマージュになっているという入れ子構造が何とも粋で落語の世界にふさわしく、映画の内と外が人情でつながっている。だからこそ、スタッフはもとより、出演者たちも森田組がこれだけ揃ったのだろう。映画人たちの心意気が感じられた。

 

Web: 『の・ようなもの のようなもの』公式サイト

 

CINEMA『の・ようなもの のようなもの』 | REALTOKYO
(C)2016「の・ようなもの のようなもの」製作委員会

 

2/5 CINEMA『蜃気楼の舟』@UPLINK(東京・渋谷)

囲い屋(ホームレスの年寄りたちを、世話をするなどの甘言で小部屋に閉じ込め、生活保護費を掠め取る行為)で働く若い男が、かつて自分や母親を捨てて出て行った父親が年老いたホームレスに成り果てているのを見つけ…と、ストーリーはあるにはあるが、そこから現代社会の歪み云々などをこの映画で論じても意味は無い。

 

主演の小林たいがの異形ともいえるような尋常ならざる面貌を観てほしい。"今"がカラーで、若き日の母親のイメージなどの"回想"がモノクロであったのが、いつしか画面上でのそうした区別はあやふやに消滅してゆく。まるで夢幻能のように、現実と異界、個と他、今と過去などが溶融してゆく、そのえも言われぬ狭間に浸ってほしい。

 

その果てにこそ、"現代"への本源的な問が立ち現れる、表面的なストーリーになどではなく。解りやすさばかりが重宝される世の中に、この"わからなさ"が何故美しいのかと。

 

Web: 『蜃気楼の舟』公式サイト

 

CINEMA『蜃気楼の舟』 | REALTOKYO
(C)映画「蜃気楼の舟」(2016)

 

2/5 CINEMA『俳優 亀岡拓次』@ヒューマントラストシネマ渋谷(東京・渋谷)

撮影談(1月29日付朝日新聞夕刊)によると、主演の安田顕は、「安田さんの目力を消したかった」という監督の横浜聡子から、「もっと下手にやって下さい」との注文を受けたとか。凝った演技を禁じられ、より抑制された演技を求められながら安田は、「映画が生まれた頃の、映像に音声がなかった原点にかえったようなカタルシスを感じた」と言う。プロの役者の技巧的で芝居がかった演技や必要以上の感情表現を嫌った、ロベール・ブレッソンをどこか思わせる逸話だ。

 

また、外国の有名監督がお忍びで来日し撮影所の空舞台で隠密裏にオーディションを行うシーンや、主人公の亀岡が地方ロケで知り合った居酒屋の女性(麻生久美子)を慕い、豪雨の中、遠路バイクを飛ばして会いに行くシーンなどで描かれる、現実と虚構が溶け合ったような映像は、何となくフェリーニっぽかったりする。

 

その他にも、亀岡が脇を務める撮影場面や監督たちも、過去の映画や実在の監督などに似ていなくもない。そう考えると、脇役が主役という設定や、安田が演じる亀岡の憎めないキャラクターなどで評判の作品だが、それに反して"映画"そのものへ捧げたオマージュとも思えてくる。だが、"映画"の映画を企図したのだとしたら、横浜監督の経験や力量は、正直もうちょっとな感じは否めない。安田の演技を抑制したのに対し、小手先の映像手法が少々鼻についた。

 

Web: 『俳優 亀岡拓次』公式サイト

 

CINEMA『俳優 亀岡拓次』 | REALTOKYO
Photo: Kasia Chmura

 

2/7 CINEMA「第37回ヨコハマ映画祭」@関内ホール(横浜・関内)

横浜の映画ファンたちが誇る熱き映画の祭典「ヨコハマ映画祭」が、今年で37年目を迎えた。制作会社や配給会社などのしがらみに囚われたくないということで、当初からこれまで一切スポンサーを募らず市民レベルの手作りで運営、観る側が主体となって本当に観客に愛された作品を毎年公開された国内映画から、作品賞、監督賞や主演賞などの個人賞、さらに脚本賞や撮影賞など裏方にもスポットを当てた各賞が選定される。年1回、2月上旬の日曜日に1日だけ映画祭を開催。当日には、授賞式とベスト10の中から選ばれた映画数作品の上映が実施される。

 

映画ファンに支持されているということで、横浜という一地域のイベントながら、授賞式には巨匠監督や大物俳優本人たちが訪れ、受賞者の出席率が高いことでも有名。それがためか、まだ誰がゲストでホントに現れるか明らかじゃないうちから、年末に売り出される前売りはいつも即売り切れ、今年も1100席ある会場の大ホールは満員だった。

 

で、ふたを開けたら、授賞式には欠席・代理受賞ゼロで全員勢ぞろい。さらに、新人賞の3人が若い女優さんばかりだったり(特に超売れっ子の広瀬すずの登場には会場が沸き立った)、特別賞の樹木希林さんや主演女優賞の綾瀬はるかも登壇したりと、例年にも増して華やかで、その眩しいことったら、気のせいかいい匂いもしたような(^^;)。

 

そうそう、今回選ばれた作品賞ベスト10は、当コラムで採り上げ評価した作品とほぼ重なった。私も浜っ子映画ファンのひとりである証、などとちょっと自慢してもいい?(^^:)

 

Web: 「ヨコハマ映画祭」公式サイト

 

CINEMA「第37回ヨコハマ映画祭」 | REALTOKYO
撮影:フォトスタジオ ミューズ 田村充

 

2/9 MUSIC「ジ・オブザバトリー」@神奈川県民ホール小ホール(横浜・山下町)

シンガポールを拠点とするエクスペリメンタル/プログレ・ポストパンク/ネオサイケ/ダークウェーブ/アヴァンロックバンド(^^;) の来日公演。ガムランの銅鑼や鍵盤打楽器をもとにカスタマイズしたオリジナル楽器を交えての演奏ということで、自然音階、民族音楽好きとしては捨て置けない。

 

反復するパーカッションのミニマルなリズムに、独特の音階、メロディーで民族楽器とエレキギターやキーボードなどがアンサンブルを奏で、音調は強弱を繰り返し、この上なく気持ちのいいグルーブを生み出してゆく。調べに身が溶けてゆくような感覚も覚えたり…

 

しかし、トータルにはひと時代昔のプログレッシブな感じが拭えず、予想以上の驚きは無かった。それというのも、件のガムランをベースにアレンジされている楽器は、エレキやキーボードなど現代楽器の平均律に合うようにスケールが調整されてしまっていて、本来の自然音階のあのうねるような、たゆたうようなハーモニクスが聴けなかったから。所詮ちょっと毛色の違う音色のするミニマル・プログレッシブの域に納まってしまっていた。

 

Web:  TPAM2016:ジ・オブザバトリー

 

MUSIC「ジ・オブザバトリー」 | REALTOKYO

 

2/9 TOWN「洋食のtaku」(横浜・山下町)

ジ・オブザバトリーのライブに来合わせていた知人4人と、終演後の空腹を抱えて向かったのは、会場近くKAATの裏辺りで美味しい洋食を出すと評判の店。ときどきランチに来たことはあるが夜は初めて。ランチで味は確かめてるし、ワインも飲めるので、皆を案内した。

 

牛ホホ肉の肉ジャガ、玉ねぎの丸焼き、子羊ローストなどワインに合うあてを豊富な前菜メニューやメインからチョイス、さらにお腹の足しにカキフライやピザなどを頼み、ワインも2本を飲み干し、味もボリュームも大満足。しかも1人2900円(4人でシェアしたせいもあるけど)、おすすめです。

 

Web: 洋食のtaku

 

洋食のtaku | REALTOKYO

 

2/11 CINEMA『十字架』@横浜ニューテアトル(横浜・伊勢佐木町)

 

つい先日も、広島の中学で進路指導のミスから中3男子が自殺したという事件があった。詳細は明らかにされていないので安直なことは言えないが、担任が記録(しかも誤った)だけでしか生徒のことを把握していないというのは、どうなっちゃってんだろう。茶飯事のいじめ関連報道をはじめ、今いったい、中学校という現場で何が起こっているのか、この映画がますます生々しくよみがえる。

 

重松清原作の映画化。原作に感動した五十嵐匠監督が、数多の映画会社やTV会社に企画を持ち込むも、中学校のいじめを扱っているということでどこも尻込み。プロデューサーの関顕嗣や俳優の永瀬正敏、小出恵介ら共感者が集まり始め、さらにロケ地茨城県筑西市の全面協力を得て企画から3年の歳月の後、完成に至った価値ある作品。

 

いじめ場面のリアルさが半端じゃない。というのも決して非日常の特殊な出来事ではなく、いじめる側もいじめられる側も、それを取り巻き見ているだけの生徒たちにも、見慣れた光景と化している。ただそこにあるのは、いじめる側の遊び意識と、いじめられる側の必死に平気を装う痛みという、本人だけにしか知りえない、可視化しない非対称性だけ。しかし、それこそ格差社会にも通底する一番の問題なのだ。

 

父親役の永瀬の、やり場のない怒りと苦悩を耐える、しかしその矛先をいつも求めて止まないような演技も凄まじい。ただ一点、小出恵介がそのまま、いじめられる生徒の同級生である中学生を演じるのには無理がある。脂肪の付き方がまんま30過ぎのオヤジだし、最初、引率の先生かと思ってしまい、感情移入するのに正直困った。せめて痩せるぐらいの努力はあってもよかったのでは。が、作品が世に問うその価値を減じるものではない。

 

Web: 『十字架』公式サイト

 

CINEMA『十字架』 | REALTOKYO
ボリス・シャルマッツ『子供』 2011年 パリ市立劇場
写真提供:レンヌ=ブルターニュ国立振付センター© Marc Domage

 

2/17 CINEMA『最愛の子』@シネマジャック&ベティ(横浜・若葉町)

ボロボロ、クシャグシャになってしまったよ。なにせ、子供を誘拐されてしまう両親からも、その子供を誘拐されてきたとは知らずに育てていた母親からも、どちらからも最愛の子供を失われる痛みや苦しみが伝わってきて、一概に被害者と加害者と割り切ることのできない切なさに泣けて泣けて。親子って何? 誘拐事件を頻出させてしまう政策って何? 情を法律でしか裁けない社会って何? 解決できない思いが溢れるばかり…これが、実話を基にしているってことに言葉を失う。

 

映像のトーンがいい。甘すぎたりドラマチックになりすぎたりせず、かといって乾きすぎてもいない。主観的になりすぎず、かといって突き放してもいない演出もいい。子供を誘拐される父親に扮する中国を代表する名優ホアン・ボーは言うまでもなく、育ての母親役のこれまた名優ビッキー・チャオの、子供を取り戻すためのなりふり構わない苦闘ぶりが鬼気迫ってさらに涙を誘う。

 

Web: 『最愛の子』公式サイト

 

CINEMA『最愛の子』 | REALTOKYO

 

2/18 CINEMA『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』@シナマジャック&ベティ(横浜・若葉町)

ウィーン・フィル、ベルリン・フィルと並ぶ世界三大オーケストラ、オランダが誇るロイヤル・コンセルトヘボウ、その創立125年を記念した2013年の世界ツアーを追ったオーケストラ版ロードムービー・ドキュメンタリー。

 

普段は目立ちにくいパーカッショニストやコントラバス、ファゴット奏者などにスポットを当ててのインタビューや、ツアーの中でも特に南米や南アフリカ、ロシアでの公演を中心に取り上げるなど、視線の配り方、切り取り方が気が利いていて、一流オーケストラの普段は知ることのできない面を見ることができ興味深い。かつてメニューインの来訪に影響を受け苦労してヴァイオリンを学んだ南アフリカのおじいさん、クラシック音楽を拠り所に生き、公演を待ち望んでいたアルゼンチンのタクシー運転手などなど、行く先々で皆を幸福にしてゆく姿が音楽の真の力を示してくれる。

 

マーラーの1番やチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ジョセフ・カレーヤをテノールに擁し、誇らしげなアムステルダム市民たちの前で演奏される「アムステルダムの運河に捧ぐ」などなど、クラシックファンならずともなじみのある曲が使用され、観どころ聴きどころ満載。クラシックファンなら、マリス・ヤンソンスを始め、アントニオ・パッパーノ、シャルル・デュトワ、アイナルス・ルビキスと、登場する指揮者マエストロの面々を観るだけでも楽しい。

 

Web: 『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』公式サイト

 

CINEMA『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』 | REALTOKYO
(C)2014 Cobos Films & AVRO

 

2/21 CINEMA『キャロル』@横浜ブルク13(横浜・桜木町)

ケイト・ブランシェットがすごいって、今更あらためて言うことではないけれど、でもやっぱすごい!! 眼だけで恋のためらいや誘惑や決意を演じきってしまうって…

 

女性同士の恋愛ということで、話題になってたりもするけれど、同性異性関係なく、これは最上質の恋愛映画だ。ラブストーリー、ロードムービー、サスペンス感、どれを取ってもハイレベル。

 

小物や衣装も秀逸、キャロル役のケイト・ブランシェットのゴージャスな衣装やカラーコーディネートの素晴らしさもさることながら、相手役のテレーズ(ルーニー・マーラ)の付けているブリティッシュチェックな帽子やフードと、ポケットにトリコロールの縁取りの付いたネイビーコートとの取り合わせの可憐なこと。写真家を目指すテレーズがアーガス(当時のアメリカ製大衆カメラ)しか持ってないのを見かねて、キャロルがバルナックライカをプレゼントするとこなんて、唸ってしまう。

 

そして今般、臨場感を醸したいためか、手持ちカメラの揺れる映像が安易に多用される傾向にあるけど(私は不必要な手持ちは、うるさくて嫌いです)、この映画では最後の最後、ホテルのレストランでキャロルを探すテレーズの不安を表す主観映像だけに使われていて、飛び切り印象的だった。『エデンより彼方に』以来、トッド・ヘインズと組んでいる撮影監督、エドワード・ラックマンは、かのケイト・ブランシェットの眼の演技も画面サイズで絶妙に際立たせるなど、抜群のカメラワークで魅了してくれた。

 

さて、この2月はほかにも『ライチ☆光クラブ』『ピンクとグレー』『ホテルコパン』など映画に集中しちゃったのだけど、特に日本映画で"これっ!"っていう作品に今のところ出合えていないのがちょっと残念。でも、『密のあわれ』や『無伴奏』、ちょっと先になるけど『そこのみにて光輝く』の原作者、故佐藤泰志の『オーバーフェンス』の山下敦弘監督による映画化なども予定されていて、映画館通いは続いてしまいそうです。

 

Web: 『キャロル』公式サイト

 

CINEMA『キャロル』 | REALTOKYO
©NUMBER 9 FILMS(CAROL)LIMITED / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2014 ALL RIGHTS RESERVED

寄稿家プロフィール

ふかさわ・めぐみ/CMクリエイター、アート映画ディストリビューター、舞台公演企画、雑誌へのコラム執筆、社会学講師等を経歴。その間、子供時代から続く劇場や美術館通いは止んだことが無い。著書『思想としての「無印良品」』千倉書房