
横浜(Y)と東京(T)を中心に、横浜在住の私が観聴きしたひと月分のカルチャーイベントをレポートする「Y⇆T Notes(ワイティーノーツ)」。イベント前後に立ち寄った、会場近くのお気に入り飲食店も紹介しています。
1/1 STAGE『さすらい姉妹 寄せ場路上巡業2015→2016 ぢべたすれすれバッタもん』@横浜市寿生活館(横浜市・寿町)
横浜の我が家から徒歩10分圏内に寿町はある。寿町とは、大阪の釜ヶ崎(西成あいりん地区)、東京の山谷と並ぶ日本三大寄せ場(日雇い労働者の集まるドヤ街)のひとつ。二十数年前に私が横浜に移り住んできたときには、危ないから部外者は絶対近寄ったらいけないと言われてた。実際、近所のパチンコ屋で流血騒ぎがあったり、飲んだくれたちが路上で管を巻いたりケンカしたりしてる姿を通り掛けに見かけることもたびたび。しかしあれからバブル崩壊などを経て、土木工事は激減し、暮らしてた労働者たちもめっきり少なくなった。簡易宿泊所も、外国人バックパッカーなどに安宿を提供するゲストハウスに変貌。アーティスト・イン・レジデンスに使われたりもしてる。たぶん事情を知らない人がいま立ち寄ったとしても、そんな危険な場所だったとは思いもしないだろう(だからって用もないのに興味本位で行くことは、あまりお勧めしませんが)。
でも、そんな寿町にいまも暮らしている人々がいる。かつての日雇い従事者、いまでは土木仕事どころか足腰も立たなくなってしまったような高齢者たちだ。社会から置いてきぼりをくい、行き場の無くなってしまった彼らは、ほとんどホームレス同様の生活を送っている。
さすらい姉妹(水族館劇場)は毎年の年末年始、山谷や上野、新宿中央公園など寄せ場やホームレスの居住地区で慰問公演を行っているのだが、元旦公演は必ずここ寿町で行うことが恒例となっていて、今回でなんと18年目を迎えた。生活保護の受給促進など住人たちの支援を行っている、寿日雇労働者組合委員長たちの努力もあってのことだ。
今回の『ぢべたすれすれバッタもん』、脚本はいつものように水族館劇場主宰の桃山邑だが、演出に東京芸術大学准教授の毛利嘉孝を起用するという初めての試み(毛利氏は実は私の古い知人でもあり、その著作などからはいつも刺激を頂いている)。弱者やストリートのノイズにいつも耳を傾けている彼の感性と水族館劇場を愛する一観客という外の視点からの演出が功を奏し、期待以上いつにもましてエンターテインメントと社会批判の融合したキャッチーな舞台が展開された。会場のジイちゃんたちも大喜びで、毎年正月にこのジイちゃんたちの熱気に交じってみる芝居は、"藝能"が本来有している本質やパワーを体感させてくれるようでとっても楽しい。あと、やはり毛利氏の仕掛けで、幕前にシカラムータの大熊ワタルの生演奏が聴けたのもサプライズで最高でした。
Web: 『さすらい姉妹 寄せ場路上巡業2015→2016 ぢべたすれすれバッタもん』
Web: さすらい姉妹寄せ場路上巡業2015-2016の演出のためのメモ : 2015年11月21日第1回目の台本前稽古を観た後で- 毛利嘉孝 | Fishbone online

1/1 TOWN「馬さんの店 龍仙」(横浜・中華街)
そして、こちらも元日の好例になっている観劇後の「馬さん」詣で。元日はどこもお店がお休みだけど、中華街は春節がお正月のため、日本の正月に関係なく普通に営業しているお店が多い。で、ここ「龍仙」は、現在88歳の馬(マー)さんがやっている上海料理メインの人気店。さすがに、ご本人が厨房に立つことは最近あまりないみたいだけど、正月に店先でニコニコしている馬さんの元気な姿を見ると、一年がいい年になりそうな気がする。もちろん、料理だって申し分ない。メニューも豊富で「鴨舌の唐揚げ」なんて珍味もある。営業時間も朝7時から翌日の午前3時までと、飯に飲みにと使い勝手もいい。
横浜市中区山下町218-5

1/8 STAGE『クロスグリップ』@象の鼻テラス(横浜・海岸通)
ローザスの池田扶美代を中心とした4人のダンサーと、打楽器・マリンバなどパーカッショニストとして世界で活躍する加藤訓子によるコラボレーション。毎年、その一年のベストを予感させる作品に、早くも年初に出合ってしまうことがままあるのだが、この『クロスグリップ』もそんなひとつ。
加藤訓子の奏でるスチールドラムやマリンバが響き渡る空間(象の鼻テラスのほどよい容積も音響効果を盛り上げる)に躍り出た4人は、音と戯れるというよりも一人一人がまるで音符と化して舞うような、音と身体が交じり合い一体化した航跡を描いてゆく。すると加藤の演奏もさらに呼応するように、新たなフェイズでハーモニーを生み出し、音と体があたかもふくよかな倍音となって場を満たす。もちろんきっちり振り付けられているのだろうが、それと感じさせないインプロのような奔放なダンスもいい。
踊り手も演奏家も満たされ楽しみながら興じているのが、客席にもよく伝わってきて、観客もハーモニーのパートとなったかのような愉快な感覚をもたらしてくれた。

1/15 STAGE:イザベラ・フレヴィンスカ&トメク・ベルグマン「ダンス・プロジェクト『DP1』」@トーキョーワンダーサイト本郷(東京・本郷)
ポーランドのダンサー・振付家、イザベラ・フレヴィンスカと同じくポーランドのミュージシャン・アーティスト、トメク・ベルグマンのユニットによるパフォーマンス作品。
解説に「『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー/1932年)、『1984年』(ジョージ・オーウェル/1949年)、『タイタンの妖女』(カート・ヴォネガット/1959年)といった古典的SF小説からイメージを得ており、伝統文化と近代文明が共存した社会として私たちヨーロッパ人に多くを教えてくれる日本社会に捧げる作品」とあるように、社会や文明といったものに対するシニカルな視線を終始感じさせた。
エフェクターをいくつも繋がれノイズを奏でるトメクのギター、ときにゆったり、ときに取り憑かれたように激しく動くイザベラの身体。小道具にはペットボトルのロボットやギターのフレット上を走るチョロQ、体にいくつも纏わせた膨らませたレジ袋などなど。そこに背後の壁面に投影された東京の人並み。パフォーマンス自体はかなり抽象度が高かったが、どこかチャーミングで可笑しみさえ感じさせ、好演であった。
Web: イザベラ・フレヴィンスカ&トメク・ベルグマン「ダンス・プロジェクト『DP1』」

1/16 日仏ダンス会議『思考と身体のパ・ド・ドゥ』@早稲田大学大隈講堂(東京・早稲田)
早稲田演劇博物館で開催されていた企画展示『Who Dance? 振り付けのアクチュアリティ』の関連企画として行われた講演。
まず、パリ第八大学客員教授で、ダンサー、振付家としても活動するローラン・ピショー(Laurent Pichaud)氏が、自身が行っている美術館でのダンスによる「ガイド(visite guidée)」の実践を含め、昨今の潮流となっている美術館や博物館での展示とダンスとのコラボレーションに関して報告。
続いて、パリ第八大学(サン=ドゥニ)ダンス学科准教授のジュリー・ペラン(Julie Perrin)氏が、空間やダンスの生じる状況への関心から、ダンスはいかにして風景の発明の歴史に位置づけられるのか? ダンスと風景の関係について考察が開陳され、最後に、東京大学教授で歌舞伎研究を専門とするパトリック・ドゥ・ヴォス氏も加わり、登壇者らによるディスカッションが行われた。
静的な展示を前にした生の身体によるダンスが、鑑賞者を刺激し展示作品に対する新たな見方や要素を発見させること。それら劇場から抜け出し、演劇的な枠組みが不在となったダンス作品と空間との関係性。ダンサーの欲望や視線が異なる空間を位置づけ、風景を構成し直し、さらにその風景がダンスにどう再帰されるのか。ダンサーの触覚、運動を介した環境や空間の認識が、ユクスキュル的な視点や、都市計画家、建築家、デザイナー等からも注目されだしていることなどなど、予定時間を大幅にオーバーする興味深い講演、熱のこもった討議が交わされた。
どれも私自身の関心と大幅に重なるスピーチで大いに興奮させられたが、例えば浄瑠璃の景事(けいごと)など日本の古典芸能には景色と舞踊の関係が強いものがあること、さらには空間ということでいえば、土方など舞踏が風の音など自然や空間の音を意識していたように、"音"との関係性はいかにあるのかなど、登壇者それぞれの専門分野や時間の制約があることは重々承知した上で、もう少し突っ込んで欲しかったというのは、少々欲張りすぎだろうか……。

1/21 『YOKOHAMAデモクラシー道場Vol.4-いまこそ学ぶ!憲法改正&緊急事態法制』@さくらWORKS関内(横浜・関内)
ライターの柳澤史樹氏やその友人らが、昨今急速に変化を遂げている日本の政治状況を静観するだけではなく、自分たち市民も自主的に民主主義を勉強しなければならないと始めた活動。これまでには、元NHKのジャーナリスト堀潤、紛争解決人の呼び名で活躍されている東外大教授・伊勢崎賢治、元自衛隊ミサイル部隊に所属していた泥憲和などなどがゲストスピーカーとして登場。

今回は「明日の自由を守る若手弁護士の会」の太田啓子弁護士と、緊急事態法制を専門に研究している小口幸人弁護士の二人による、「憲法改正と緊急事態法制」に関して警鐘を鳴らすトークが、満員の聴衆の中展開された。
海外への派兵を安保法案の強行採決により決めた安倍政権が、悲願としている憲法改正と、テロや災害時の緊急事態法制がどのような考えのもとに進められているのか、またそれが可決した場合、国民の生活にはどのような影響があるのか、そしてこれは残念ながら、単なる構想としてではなく、まさに今夏の選挙の結果次第では一気に日本の国が変わる可能性を秘めているということが、専門家としての弁護士から詳細に語られ、会場には危機感がしっかり共有された。
現在世界を取り巻く情勢を冷静・客観的に判断できるリテラシーをもつことは、市民として最低限の義務であるという思い。現在日本を取り巻く状況と市民の理解度においてはあまりにも隔たりがあり、「それが普通の国になることなのだ」という声も多数聞かれる中、政府任せの強引な法整備が逆にリスクを増加させてしまうのではないかという疑問。そして、人任せにしてこの国が変わっていくのを静観する、その感覚自体が理解できない、どうしても選挙前に多くの人とこの問題について共有したいという、主催者たちの熱い気持ちがあふれていて、今後の活動にもぜひ参加していきたい。

1/25 ボリス・シャルマッツ『子供』@早稲田大学演劇博物館(東京・早稲田)
※『Who Dance? 振付のアクチュアリティ』展での記録映像上映
先日の日仏ダンス会議のときには、展示までゆっくり観る余裕がなかったので、早大演劇博物館に再訪。中でもお目当ては、ボリス・シャルマッツの『子供』、2011年のアヴィニョン演劇祭メイン会場の教皇庁中庭で初演された際の録画上映だ。
1996年、「バニョレ国際振付家コンクール」の振付賞と最優秀ダンサー賞を23 歳で受賞して、華々しくコンテンポラリーダンス界にデビューしたボリス・シャルマッツ。2011年には、アヴィニョン演劇祭のアソシエイト・アーティストとして、本作『子供(enfant)』を発表。この3月には「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 SPRING」において、ボリス・シャルマッツ / ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス『喰う』(2014年にドイツで初演)の上演も予定されている。
『子供』では、プロの成人ダンサー9人と6歳から12歳の26人の子供が出演。稼働するクレーンや金属製のベルトコンベアなどインダストリアルな舞台装置の中、引きずり出された子供たちは、まるで人形か骸のように、大人たちに乱暴に扱われ揺さぶられたり転がされたりする。しかし、後半になると立場は逆転、子供たちは自由気ままに跳ね回り無定形なダンスを繰り返し、大人たちは圧倒されてゆく。
ここのところニュースにならない日は無い現代社会に横溢する児童虐待やDV、その世代間の連鎖といった問題がすぐにも思い浮かぶだろう。あるいは、大人たちが子供たちを玩具や人形ででもあるかのようにもてあそぶ姿に、自身の分身に仇する自己愛に関する病(どこかの総理大臣にも、あきらかにその兆候が見て取れる)を見出すかもしれない。
だが、そうした意味付け以上に、ダンスのフレームには収まり切りようのない子供たちのデタラメな動きと、プロのダンサーたちの技術に裏打ちされた動きの出会いが生み出すカオスな状況が、常套句に陥りがちな振り付けやダンス作品の創作といったものに対して強烈に再考を迫るとともに、虐待や自己愛障害などをも含めた、社会やシステムにくびきを課せられた身体性そのものへの告発となっている。
Web: 『Who Dance ? 振付のアクチュアリティ』

写真提供:レンヌ=ブルターニュ国立振付センター© Marc Domage
1/25 TOWN「すず金」(東京・早稲田)
東西線早稲田駅の出口すぐ近くにある「すず金」は、明治10年創業の老舗ウナギ屋さん。当時、夏目漱石も味わったとか。売り切れ御免のお店のため、下手な時間に行くと食いはぐれることがある。この日は、早大演劇博物館での展示を観終わってちょうどお昼のいい時間、思い立って訪れた。
数年前までは、1500円も出せば立派な鰻重が出てきたが、最近はウナギの高騰で、その日の仕入れで値段が変わるらしい。それでも、2000円前後から頂ける。この日も、写真のお重が1900円。味も量も、そして値段も申し分ない。久しぶりの蒲焼、美味しかったぁ。
すず金
東京都新宿区馬場下町61

1/27 ART『スペインの彫刻家 フリオ・ゴンサレス―ピカソに鉄彫刻を教えた男』@世田谷美術館(東京・用賀)
鉄彫刻を手がけた最も初期の彫刻家フリオ・ゴンサレス、日本初の体系的回顧展。会期終了直前、急ぎ駆け付けた。
会場に入って最初に飛び込んでくるのが名品「ダフネ」(チラシに使われている作品)。1937年ごろの作品で、もちろんギリシャ神話に登場する女神、アポロンのしつこい求愛を逃れ月桂樹に変身してしまうダフネを題材としている。数枚の鉄板と、たわめられた鉄筋などを溶接したそれは(展示品は、鉄の原型を鋳造したブロンズ)、硬い金属でありながら、あたかも空間というカンバスに描かれた柔らかな素描のように、女神の悲哀を優しく繊細に、かつ神秘的に表現している。
フリオ・ゴンサレスは、50代で彫刻をはじめ65歳で死亡するまでの10年あまりしか彫刻家として活動していない。しかし、その短い期間に、キュビズムなど当時の先端の芸術運動にかかわり、ブランクーシら多くのアーティストと交友し、ピカソに溶接技術を手ほどきし、ふたりのコラボレーションも実現させた。欧米の彫刻界に大きな影響を及ぼし、鉄彫刻の父と称えられる所以である。
すぐれた彫刻を前にすると、直観というほどのものでもないが、"在る"ということの核心に触れたような気がすることがある。単なる質量や容量としての占有ではなく、存在の地平(空間)に新たな価値や強度を呼び込み、その地平や客体間の関係性に変容を拓くこと、それが"在る"ということでありはしないかと。
作品を取り巻く空間をカンバスの余白のように見なし、「空間と物質の結合バランス」を重視した彼。硬いはずの金属が空間に描かれたドローイングと化し、そのたおやかな強度でもってフリオ・ゴンサレスもまた、場を再編する価値を確かに開示してくれた。
Web: 『スペインの彫刻家 フリオ・ゴンサレス―ピカソに鉄彫刻を教えた男』

1/28 "文化装置としてのアーカイヴ構築"研究会@慶應義塾大学三田キャンパス(東京・三田)
慶應義塾大学アート・センターの重要な活動の一つに、アーカイヴ事業がある。「土方巽アーカイヴ」をはじめとして、瀧口修造、ノグチ・ルーム(イサム・ノグチ)、油井正一など、アーティスト・評論家の活動を主題とする4つのアーカイヴをもっていて、さらに新たなアーカイヴの構築や他の施設との協業なども行っている。
そこでは一次資料の収集・保存・管理・調査など日々の業務はもちろんのこと、「身体的感性と知が交通する新しい場の創出をめざし」、そもそもの意義や方向性、マネジメントのあり方など、思想的・学問理論的にも可能性を秘めているアーカイヴという装置そのものを多角度から考察しようという研究会も行われてきた。
その拡大・公開版として今回、「文化装置としてのアーカイヴ構築」研究会が開催された。通常の研究者やアーキヴィストに加え、アーティストや在野のビジネスマンが参加、私も文化批評・ライターの立場で参加させてもらった。
アーカイヴはギリシャ語のアルケイオンに語源を有し、「国家権力/国家当局」や「公文書館」という語義がある(権力の根拠は王や玉座ではなく公文書にある)とのこと。つまりアーカイヴを構築するということは、否応なくポリティカルな意味をまとってしまう。国家権力と学知、その両方の根拠が生成される場所であるアーカイヴという装置の可能性とは何なのか、これまでの研究会で用いられてきたフーコー、ベンヤミン、ブレーデカンプといったテキストや過去の論点であるモナドロジー論などが引用されながら興味深い議論が交わされ、知的で有意義な会合となった。文化創出装置としてのアーカイヴ構築に期待していきたい。
寄稿家プロフィール
ふかさわ・めぐみ/CMクリエイター、アート映画ディストリビューター、舞台公演企画、雑誌へのコラム執筆、社会学講師等を経歴。その間、子供時代から続く劇場や美術館通いは止んだことが無い。著書『思想としての「無印良品」』千倉書房