COLUMN

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Tokyo Review

第6回:遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』
礼門河馬
Date: March 05, 2012

REALTOKYO×Tokyo Art Research Labが共同で企画運営する批評家・レビュワー養成講座「『見巧者』になるために」。2011年10月14日に行われた第2回では、『フェスティバル/トーキョー11』で上演された遊園地再生事業団の『トータル・リビング 1986-2011』をピックアップ。作品を観賞した受講生がレビューを寄せてくれた。

 

イベント概要

フェスティバル/トーキョー11

日程:2011年9月16日〜11月13日

会場:にしすがも創造舎ほか

1986年の四谷四丁目には「タイガー・リリー」という名前の男がいた。さかのぼること25年前、バブル前夜、ビンゴゲームに興じる場面で。派手な服装の画家が現れ、そのように名乗った。誰もが「タイガー・リリー」とは一体何だろうかと訝ったが、舞台上の別の役者が教えてくれた。「『ピーター・パン』に出てくるインディアンの娘」(※1)であると。

TSUTAYAのキッズコーナーでディズニーアニメ『ピーター・パン』(※2)を借りてみると、確かに、「タイガー・リリー」はネバーランドに住むインディアン族の酋長の一人娘の名前であった。ただし、フック船長に誘拐され、ピーター・パンに助けられ、ウェンディに多少の嫉妬を抱かせはするものの、せいぜいその程度の役回り。別段印象に残るキャラクターではなかった。

 

「遊園地再生事業団」の演劇『トータル・リビング 1986-2011』に登場するその画家の名前は、おそらく、ネバーランドの住人の名前でさえあれば「ティンカー・ベル」でも、「ロストボーイズ」でも、「ピーター・パン」でも構わなかった。ただし、舞台上の会話で自然と『ピーター・パン』に触れさせるためには、誰かにまず「その名前に、何か意味があるのかな?」と問わせる必要性があり、そのために比較的地味なキャラクター名を採用したのかもしれない。いずれにせよ、ご丁寧に役者に原典を解説させることによって、観客はあの夢の国の物語を念頭に置いてその後の舞台上のできごとを追うことになる。

 

『トータル・リビング 1986-2011』公演から | REALTOKYO
『トータル・リビング 1986-2011』公演から / (c)引地信彦 / 提供=フェスティバル/トーキョー

『ピーター・パン』について再確認しておくと、一口で言えば、主人公のピーター・パンがフック船長と戦う物語である。だが、実際は、ピーター・パン対フックは代理戦争に過ぎず、「成長(をめぐる葛藤)」というテーマに沿って物語構造を整理し直せば、主人公はウェンディで、戦うべき相手は彼女の父親ダーリング氏である。ダーリング氏の役割は、おとぎ話に耽る娘を子ども部屋から一人部屋に移して「成長」させることにあり、一方、ウェンディはこれに抗う形で、ピーター・パンと一緒に窓から飛び立ち、成長を忘れた子どもたちの住むネバーランドへとたどり着く。

 

「ピーター・パン対フック船長」を「ウェンディ対ダーリング氏」の代理戦争とする制作者側の意図は、フック船長とダーリング氏の2役を同じ声優が務めていることからも十分読み取れる(※3)。『ピーター・パン』は典型的な「行きて帰りし物語」であり、ウェンディがネバーランドという異世界を通過して現実世界に戻ってくるプロセスを通じて、自らの成長を引き受けるようになるまでを描く。

 

『トータル―』では、1986年と2011年という2つの時代が対照的に、あるいは相互に絡み合いながら描かれる。1986年は4月にソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ原発事故が起こった年であり、2011年は――言うまでもなく――3月に東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所事故が発生した。タイガー・リリーが登場するのは前述の通り、1986年夏の四谷四丁目である。そして2011年、都内の映画学校の屋上で会話を交わす人々は、1986年の記憶、あるいは当時の現実感を失っている。「忘却の灯台守」と「欠落の女」は、忘却を回避しようと、あるいは、欠落を埋めようと、もう一度火を点すべく灯台の場所を探し始める……。

 

タイガー・リリーを「ネバーランドの住人」として読み取るとすれば、彼の登場した1986年夏の四谷四丁目は「ネバーランド」的空間と位置づけられるだろう。そこではタイガー・リリーたちが夜な夜なパーティーを開き、「欠落のビンゴゲーム」に興じていた。本体のないリモコンや靴のない靴ひもなど、賞品はすべて何かが「欠落」している奇妙なビンゴゲーム。すなわち、1986年夏の四谷四丁目は、両親のいない子どもたちや成長しない空飛ぶ少年の暮らす「ネバーランド」同様、「欠落」に満ちた幻想世界として描かれている。

 

では、2011年の都内の映画学校の屋上は、何を意味するのか。「欠落」の幻想世界に対し、最終的に戻るべき現実世界としての「ロンドン」であろうか。いや、それは単なる「25年後のネバーランド」であろう。ロンドンに戻り、大人になることを引き受けたウェンディの成長体験とはまったく異なり、我々日本人は25年が経過しても――「忘却」が進行するのみで――「欠落」の幻想世界からは抜け出せずにいるらしい。そこに近代的な歴史的進歩はみられず、どうやら悪い場所的に円環は閉じられている。

 

『トータル―』は、「忘却の灯台守」と「欠落の女」が灯台に火を点し、「忘却」と「欠落」を回避・回復しようとする物語である。10月14日の「にしすがも創造舎」での初演後、「遊園地再生事業団」主宰の宮沢章夫は、小説家の高橋源一郎と舞台上で対談を行った。そこで宮沢は次のように語っている。

「単純に自分自身にも腹が立つんですよね。(略)3.11で福島で事故が起こるまでチェルノブイリのことちゃんと憶えてたかっていうと、憶えてなかったよ俺って」(※4)

1986年の記憶を、2011年の人々は少なからず損なっている。そのような、教訓の根付かない単なる「忘却」に対する宮沢の怒りと嘆きがうかがえる。

 

『トータル・リビング 1986-2011』公演から | REALTOKYO
『トータル・リビング 1986-2011』公演から / (c)引地信彦 / 提供=フェスティバル/トーキョー

対談相手の高橋が群像11月号で発表した書きおろし小説『恋する原発』は、チャリティAVを作成する男の話である。同対談での高橋本人の説明によると、この構想は2011年の同時多発テロの直後に得たものの、当時はうまく作品化できなかった。それが、3.11後にあらためて取り組んだところ、完成した。なぜか。本人いわく、「距離がすごく近いところに来たときに、笑っても良い」と気づいたから。9.11というできごとは距離が遠すぎて、第三者がそれを茶化すことはかえってしづらかった。「いくら書いてもすごいシリアスな話になっちゃう」。だが、3.11は「自分のこと」だと実感した。「自分のこと」だから「笑っても良い」のだという。

 

高橋の正面で、宮沢はそれほど熱心にうなずいていなかったように筆者には見えた。「僕も、本棚が倒れたりして被災者のひとりとして、関わることができるのでは」などと、極めて首都圏民的な3.11体験を語るにとどまった(ちなみに、筆者宅も本棚が倒れただけだった)。3.11は「自分のこと」。本当だろうか。宮沢の心には、どこか引っ掛かるものがあったのではないか。

 

タイガー・リリーのいた1986年夏の四谷四丁目。バブル前夜の喧騒に沸く数千キロメートル離れた日本にまで、チェルノブイリ原発事故の現実感や詳しい情報は十分には届かなかっただろう。それこそ屋上から眺める花火のように、遠く離れた場所のできごとだった。25年の経過に伴う「忘却」を待たずして、1986年時点ですでに人々は「欠落」していたのである。

 

2011年のフクシマはどうか。確かに、都心から約200キロのフクシマは、チェルノブイリに比べれば、圧倒的に距離が近い。連日の報道を通じて情報も豊富だ。1986年時に比べれば、確かに「自分のこと」であるように感じられるし、そう感じるべきだという共同体意識もあるだろう。だが、果たして都内のすべての人が、高橋のように「自分のこと」としてフクシマをとらえきれているだろうか。宮沢は劇中、ドキュメンタリー作家に次のように語らせている。

「いますぐ現場に向かうべきでしょうか。北へ? 東北へ? その土地へ? カメラを手にして行くべきでしょうか。(略)まったく無縁の土地です。たしかにその土地に生きていれば、意味もあったのでしょう。でも、そんなふうに思えない…。(略)なにかしたいという気持ちはあるんです。(略)だけど、欠落している、なにをしていいか、その答えが」(※1)

 

『トータル―』には、1986年と2011年の共通要素として、原発事故だけでなく「アイドルの自殺」も描かれている。両時代の「ネバーランド」で起こったこれらの不幸な事件は、しかし、チェルノブイリやフクシマと比べてどれだけ深刻であると主張できるだろうか。むしろ、この2件のアイドルの自殺は現実から遠く離れた幻想世界の「欠落」を強調しているように筆者には映る。

 

宮沢は、3.11前後の無数の「声」をひたすら拾い集め、「記述」することで、将来の「忘却」を回避しようとする。だが、「欠落」は一体どうなるのだろうか。

 

『トータル・リビング 1986-2011』公演から | REALTOKYO
『トータル・リビング 1986-2011』公演から / (c)引地信彦 / 提供=フェスティバル/トーキョー

役者がビデオ撮影した映像が舞台上のスクリーンにそのまま投影される演出が特徴的だったが、眼前の生の役者たちと、映像内の役者たちとが、あまりにも別物であるがゆえの違和感が通奏低音としてずっとあった。これは、震災被害を伝えるテレビニュースの映像がいかに実際の現場と別物であるか、ひいては3.11前後の「声」の「記述」を将来再生したところで現実が再現されるわけではないという事実もまた――図らずも――示唆してはいないか(だとすれば、「記述」はむしろ「欠落」を助長しうる)。

 

むろん、芸術は答えを示すためにあるわけではない。「素直に(3.11と)向き合ったほうが、今の自分にとって正しい」(※4)。そのように感じ、宮沢が手掛けた『トータル―』。ただし、描かれていたのは、日本人の3.11後では決してなく、被災地から200キロ離れた“首都圏民の3.11後”であり、そこは閉ざされたネバーランドの円環の内側である。

 

 

※1:戯曲「トータル・リビング 1986-2011」(『悲劇喜劇』2011年11月号所収)
※2:1953年公開。原作はJ.M.バリーの1904年の戯曲。

※3:戯曲における、フック船長とダーリング氏の2役を同じ俳優が演じる習わしに準じたものであろう。ただし、ディズニーアニメの日本語吹き替え版では別の声優が割り振られている。

※4:F/T OFFICIAL BLOG「宮沢章夫×高橋源一郎(10/14『トータル・リビング』ポスト・パフォーマンストーク)

 

Tokyo Art Research Lab (TARL)

アートプロジェクトにまつわる問題や可能性をすくいあげ、分析することで、それを持続可能にするシステム構築を目指す、東京アートポイント計画(※)のリサーチ型人材育成プログラム。REALTOKYO編集長の小崎哲哉がナビゲーターを務める本講座「『見巧者』になるために」は、TARLとREALTOKYOが共同で企画運営しています。

 

※「東京アートポイント計画」は、東京ならではの芸術文化の創造・発信と芸術文化を通じた子供たちの育成を目的に、東京都と公益財団法人東京都歴 史文化財団が実施している「東京文化発信プロジェクト」の一環として、平成21年度よりスタートした事業です。東京の様々な人・まち・活動をアー トで結ぶことで、東京の多様な魅力を地域・市民の参画により創造・発信することを目指しています。

寄稿家プロフィール

れいもん・かば/各種原稿執筆業。1980年生まれ。慶応大学文学部卒。各種表現分野に関心があるものの、実際は偏食気味であり、演劇は30歳で初体験。愛読書は『週刊ポスト』。