
REALTOKYO×Tokyo Art Research Labが共同で企画運営する批評家・レビュワー養成講座「『見巧者』になるために」。2011年11月12日に行われた第4回は、東京アートミーティング第2回として開催された展覧会『建築、アートがつくりだす新しい環境―これからの"感じ"』をピックアップ。受講生とともに鑑賞した、朝日新聞編集委員の大西若人さんに寄稿していただいた。
イベント概要
『建築、アートがつくりだす新しい環境―これからの"感じ"』展
日程:2011年10月29日〜2012年1月15日
会場:東京都現代美術館
私はミミズになりたい、とまでは言わないが、ミミズの偉大さを再認識した、という言い方なら成り立つだろう。
もちろん、ここではミミズを肯定的な存在としてとらえて言っている。だとしても、公立美術館の展覧会には似つかわしくない響きがあるかもしれない。
まず、整理しておくと、東京都現代美術館(MOT)の『建築、アートがつくりだす新しい環境 これからの“感じ”』展は、「2010年ベネチア・ビエンナーレ国際建築展リターンズ」と位置づけることができる展覧会だ。
ベネチアの国際建築展は、世界最大規模の建築展で、昨年はその企画展「People meet in architecture」の総合ディレクターを建築家の妹島和世が務め、彼女と建築ユニットSANAAを組む西沢立衛とMOTチーフキュレーターの長谷川祐子がアドバイザーとなっていた。今回の『建築、アート』展も、この3人の共同企画だし、出品している建築家、アーティストもかなりだぶっているのだ。
しかし違いも大きい。巨大会場でのベネチアの企画展では、出品者自身に展示内容をかなりゆだねていた。それに対し、今回は美術館規模。作品のスケールは小さくなりがちだが、その分コントロールがきいて、よりコンセプトに従った展示になっている。
ただし、それはすぐに頭で理解できる類いのものではないかもしれない。会場を巡っているうちに、じわじわと体を通して伝わってくるように思える。
美術館3階の最初の展示室で、まず出会うのが、ウォルター・ニーダーマイヤー(イタリア)が撮影した写真だ。被写体は、SANAAの設計でスイス・ローザンヌに完成した「ロレックス・ラーニングセンター」(2009年)で、穴あきの空飛ぶじゅうたんがうねるような姿をしている。驚くのは、この建築をガラス越しにとらえた写真に、ガラスに付いた水滴までが写っていることだ。しかも工事中。抜けるような青空を背景に、竣工した建築のエッジを際だつように撮る通常の建築写真とは大きく異なっている。意図は何か。少なくとも、工事中、雨天という「状況」が写っていることは確かだ。
そしてこの写真の手前には、そのラーニングセンターの模型が置かれている。SANAAの建築は、抽象性や透明性で知られているが、この模型はへこみがあったりノリの跡が残っていたり、とかなり武骨。見せるためというよりも、手と体を使って懸命に作り、その結果として「穴あき空飛ぶじゅうたん」が生まれたのだと思えてくる。
同室には、建築家・平田晃久の、小さな塊を重ねたようなスタディ模型がいくつも置かれていて、こちらも手を使った試行錯誤の跡がうかがえるのだ。

次の部屋の奥には、極限に挑戦する建築家として知られる石上純也の「ガラスのシャボン玉」が鎮座する。1.8メートル角厚さ3ミリのガラス板を25枚、テープで貼り合わせたドームだが、展示作業中の試行錯誤の末に割れたと見られるガラスの破片も、いっしょに置かれている。
このあたりまでくると、繰り返し登場する要素が見えてくる。手作り感、試行錯誤、それに身近でチープな素材や「状況」への意識だ。それは、長谷川が図録テキストでブリコラージュとして指摘しているものだ。
それを確信させるのが、建築家、大工、石工、家具職人ら150人で構成されるインドのスタジオ・ムンバイの展示だ。展示といっても、壁の破片や柱のような建築部材、塗料の瓶、模型が並んでいるだけだ。しかし、彼らがこうした身近な素材で、日々、手を動かして建築空間を生み出していることが分かる。
そして、佐々木正人『知性はどこに生まれるか』(講談社現代新書)に登場するミミズの話を思い出したのだ。この本では、あのダーウィンによる観察記録が紹介されていて、ミミズ(日本のものとは違うようだが)は巣穴の入り口を、葉や花、小石など実に的確な素材でふさぐのだそうだ。ここから、ミミズは接触によって物を把握し、巣穴のふたに適しているかどうかを知るのではないか、という見方が示されている。
狭義の知性だけではなく、身体感覚を動員して試行錯誤を重ね、身近な状況、素材の可能性を探り、空間や環境(ミミズでいえば巣穴)を造り出してゆく今回の建築家たちと、とてもよく似ているといえないだろうか。より「しなやかな知性」と呼んでもよい。美術家の荒川修作が、かつて「虫の方が人間より完全な建築形式をつくり上げている」と語ったことも、思い出す。
SANAAや平田の模型にいくつもの「穴」があることが、ミミズや虫というイメージを補強する。展示順でいえば少し先に登場する、建築家アントン・ガルシア=アブリル(スペイン)の「トリュフ」に至っては、干し草のブロックをコンクリートで固めた後で、草を牛に食べさせ、洞窟状の空間を生み出している。まさに巣穴。
さらに石上の展示の隣に写真で紹介されているダグ+マイク・スターン(米国)の仕事は、既存の建物に竹を組みあわせた塔状の構造物を「寄生」させるものだが、これがまるで逆立ちしたミノムシのように見えるのだ。
「建築」には、理論に基づきものごとを構築するイメージが強くある。しかし、今回の展覧会で示されるものは、もっと身体的で、もっと状況や環境に即したものといえる。これが「これからの“感じ”」ということなのだろう。あるいは、21世紀に入り、高度な構造解析による、アクロバティックな構造を備えたアイコン建築こそが新しい建築像に見られがちだったが、それとは異なる選択肢を示しているといえるだろう。
そして、こうした動き、志向が現代アートにも見られることを、アトリエ・ムンバイと同室に展示されているエル・アナツイ(ナイジェリア)の作品が示す。アシスタントたちによって板状にされた瓶の蓋などをつなぎあわせて作られたタペストリーもまた、身近で安価な素材、試行錯誤を重ねた手作業によるものなのだ。

3階の展示の最後は、フィオナ・タン(インドネシア)の映像作品。これ自体は美しく精妙な映像による完成度を備えているが、そこに展開するのは、妹島や西沢が建築設計を依頼された瀬戸内の島に暮らす人々の日常や思い、つまりは状況を描き出している。建築家やアーティストが、ここから何を読み取れるのか、と問うようでもある。
ここから1階の展示室に移る。まず目に飛び込んでくるのが、天井からつられた大小さまざまなレンズ約600枚。荒神明香の「コンタクトレンズ」で、多様な視点という解釈も成り立つだろうが、レンズの向こう側の風景がさまざまな倍率に湾曲されて見え、理屈抜きに目を奪われる。「複眼」ととらえれば、ここでも昆虫を連想させられるのだが。
スペインの建築ユニット、セルガスカーノの表現は、やはりスタディ模型の集まりで、波打つアクリル板に載っていて、スタジオ・ムンバイに比べてずっとスタイリッシュだが、間違いなく試行の跡。伊東豊雄も、「台中メトロポリタンオペラハウス」の大小さまざまなスタディ模型を並べている。洞窟のような包み込む空間の試みだけに、ここでもミミズの巣穴が思い起こされることになるのだ。
展示室の最後は、再びSANAAの「ロレックス・ラーニングセンター」に戻る。といっても、この建物をヴィム・ヴェンダースが3Dでとらえた映像作品だ。「もし建築が話せたら…」のタイトル通り、建築が語りかける形で、登場する人物たちは、まるで地形のような内部空間を持つこの建物の、谷や山で、建築の声に耳を澄ます。建築の声とは、「場」が持ち、つくりだす環境や状況を意味する。
こうして展示室内の展示は、手作業、身近な素材、状況の読み込み、といった「新しい環境」「これからの“感じ”」のイメージをまとめあげて終わることになる。

全体としては、問題意識、時代感覚が伝わる展示といえる。ただ引っかかるのは、ここまで紹介した作品に、東日本大震災にかかわるものが何もない、ということだ。確かに関連展示として、12月13日からはエントランスホールには震災前の被災地に町並みを再現した模型群が並び、妹島や伊東がつくった「帰心の会」が世界中の建築家や子供たちに呼びかけて描いてもらった「みんなの家」の絵が張られているが、これは建築やアートによる新しい提案とはいい難い。
もちろん震災後の表現は、震災にかかわらなければならない、ということは全くない。しかし建築や建築家の存在意義は、震災によって改めて問われる事態になっている。妹島や西沢も、被災地におもむき、活動をしているし、そもそもこの展覧会で示されている、手作業、身近な素材、状況の読み込みといった志向、しなやかな知性はまさに今、被災地で求められているものではいだろうか。
さらに言えば、「みんなの家」とは、昨年のベネチアの「People meet in architecture」と意味するところは同じではないか。そうした方向性に基づく提案や展示も可能だったのではないかと思うと、残念でならない。
しかし、それを差し引いても、展示全体で「新しい環境」や「これからの“感じ”」の可能性を、じわじわと、鑑賞者がそれこそミミズや虫が環境を探るように感じていく展示になっているとはいえる。一方で、図録テキストで建築家の原広司が示しているように、建築には「世界のなりたち」を示すことも期待されている。環境や状況、素材に埋め込まれた小さな意味を集めていって、世界のなりたちを示しうるかどうか。建築家たちの「しなやかな知性」の真価と広がりが問われることになる。
アートプロジェクトにまつわる問題や可能性をすくいあげ、分析することで、それを持続可能にするシステム構築を目指す、東京アートポイント計画(※)のリサーチ型人材育成プログラム。REALTOKYO編集長の小崎哲哉がナビゲーターを務める本講座「『見巧者』になるために」は、TARLとREALTOKYOが共同で企画運営しています。
※「東京アートポイント計画」は、東京ならではの芸術文化の創造・発信と芸術文化を通じた子供たちの育成を目的に、東京都と公益財団法人東京都歴 史文化財団が実施している「東京文化発信プロジェクト」の一環として、平成21年度よりスタートした事業です。東京の様々な人・まち・活動をアー トで結ぶことで、東京の多様な魅力を地域・市民の参画により創造・発信することを目指しています。
寄稿家プロフィール
おおにし・わかと/朝日新聞編集委員。1962年京都生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同修士課程を中退し、87年に朝日新聞入社。東京本社、大阪本社、西部本社の文化部などで、主に、美術や建築について取材・執筆。同部次長などを経て、2010年より現職。『大地の芸術祭――越後妻有アートトリエンナーレ2000』(現代企画室)、『リファイン建築へ 青木茂の全仕事』(建築資料研究社)、『文藝別冊 [永久保存版]荒木経惟』(河出書房新社)などに寄稿。