COLUMN

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Tokyo Review

第2回:遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』
佐々木敦
Date: December 03, 2011

REALTOKYO×Tokyo Art Research Labが共同で企画運営する批評家・レビュワー養成講座「『見巧者』になるために」。2011年10月14日に行われた第2回では、『フェスティバル/トーキョー11』で上演された遊園地再生事業団の『トータル・リビング 1986-2011』をピックアップ。受講生とともに観賞した、批評家で音楽レーベルHEADZ主宰の佐々木敦さんに寄稿していただいた。

 

イベント概要

フェスティバル/トーキョー11

日程:2011年9月16日〜11月13日

会場:にしすがも創造舎ほか

「何を」ではなく、「どのように」だ。

おそらくいちばん大事なのはそのことだ。

 

宮沢章夫は、この作品の当日パンフに記された「ごあいさつ」の末尾近くで、こんな文章を書き付けている。きわめて興味深いのは、それにもかかわらず、遊園地再生事業団の『トータル・リビング 1986-2011』という作品は、宮沢氏のこれまでの演劇のどれにも増して明らかに、「何を」語るのか、という点こそが重要視されているように見えるということだ。

 

宮沢演劇の近作の例に漏れず、この作品もまた、幾重にもレイヤーが織り込まれた、非常に複雑な造りとなっているが、しかし前作『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』や『ニュータウン入口』と較べると、ある種のわかりやすさを纏ってもいると思える。それはまず第一に、タイトルにも含まれる「1986」と「2011」という双つの西暦が否応無しに孕む事実性に因っている。そこでは2つの出来事が共通している。アイドルの自死と、原子力発電所の事故。この演劇の「物語」は、この2つの事柄と双つの年を掛け合わせるようにしながら進んでいく。それはもちろんややこしいが、しかし同時に、かなりはっきりと語りの定点が押さえられてもいる。観客は、これは要するに25年前と現在をめぐる話である、という了解のもとに舞台を見つめ続けることができる。いかにも宮沢章夫的と言ってよかろう隠喩の張り巡らしの全部を理解できなくとも(もちろん私もできていない)、この作品が何を語っているか、何を語ろうとしているかという肝心要の核心を見失うことはない。

 

遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』 | REALTOKYO
『トータル・リビング 1986-2011』公演から / (c)引地信彦 / 提供=フェスティバル/トーキョー

私はかねてから、宮沢章夫と青山真治と阿部和重には、その主題と話法の処理の仕方において、明確な共通性があると論じてきた。それは、広い意味での「寓話」を語っている、ということである。表面上、物語られているストーリーの背後に、もうひとつの、もう幾つかの、語られざるテーマが存在していて、それはいわばあからさまに隠されているのだが、それ抜きに受容することもできてしまうし、作者自身が表立って語っていないのだから、別にそれでも構わないということにもなる。だがしかし、寓意と隠喩の多重の幕をくぐり抜けて、真の主題へと到達した者だけが、ほんとうの意味で作者の意図を理解したことになるのだ、とでも言うような。たとえば青山監督の『東京公園』は、皇居をめぐる物語、すなわち「天皇制」がテーマだし、阿部和重『ピストルズ』は、戦後のアメリカと日本との政治的パラドックスを通観する物語である。だが、どちらもそのようには語られていない。そして、このような語り方は、たとえば『ニュータウン入口』が、ラストまで観ていたら、実はパレスチナ問題をめぐる物語であった、というのと似ている。けれども、青山や阿部に較べると、宮沢章夫はここ一番になると、もっと踏み込んだ語り方をしているのも確かだ。それはもしかしたら世代的な問題かもしれない(そうではないのかもしれない)。だがともかくも、作品の中枢に「直截に語ることの許されない何ごとか」が横たわっており、それを語ることの不可能性を前提として踏まえながら、いうなれば語れないことによってどうにか語ろうとする、という試みの構えにおいて、三者には明白に通底するスタンスがある。そしてこのことは、そういうことをやっている表現者が、現在の日本では他にあまり見当たらない、という点によって補強されてもいる。

 

何故、このような「語り方」が要請されてくるのか。この問いへのひとつの答えは、だって「それ」はそもそも隠蔽されているからだ、というものである。真っ向から物語られたり、公然と問題にされることが、何らかの理由で困難あるいは不可能とされてしまっているような主題を扱おうというのだから、ただ単にそれを赤裸々に丸出しにしたからといって、それでは語ったこと/語れたことにはならない、ということである。表象不可能性の問題。だが、ここで話を戻すが、では『トータル・リビング』の場合はというと、ここでの宮沢章夫は、これまでになく直截に、あからさまに語っているように見える。そしてこのことが、この作品を評価する際の最大のポイントになるだろうと、私には思える。

 

遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』 | REALTOKYO
『トータル・リビング 1986-2011』公演から / (c)引地信彦 / 提供=フェスティバル/トーキョー

ところで『トータル・リビング』には、二度にわたる前哨戦があった。3月27日のワークショップ「春式」のリーディング公演と、8月14日、15日の2日間のリーディング公演である。私はどちらも行った。当然ながら、本公演に至るまでには、さまざまなワーク・イン・プログレスが存在していた。たとえば本公演のクライマックスに相当する、あの印象的な「記述者たち」のパートは、「春式」から既にやっていた。だが、本番を観るまで、一度も演じられていなかったエピソードがある。それは終盤近く、永井秀樹が演じるフレデリック・ワイズマン好きのドキュメンタリー映画作家が、いささか唐突に、自分が死んでいることに気づかされる場面である。宮沢氏本人に確かめたわけではないが、私はこれは、明らかに、ワークショップ/リーディングの段階では意識的に伏せられていたか、もしくは本番での描き方に、まだ迷いがあったのではないか、と思う。ドキュメンタリー作家は、あの日、新作の取材のために福島の小さな村を訪ねており、あの日あの時間、北の岬の塩屋崎灯台に居て、津波に遭ったのだ。この決定的な事柄は、『トータル・リビング』という2時間半の芝居のラストの直前になって、まるで種明かしであるかのように、やっと明らかにされる。だがしかし、それは、はっきりと語られるのだ。

 

観劇後、何人かの知人友人たちと感想を話し合った際にも、やはり引っかかりとなっていたのは、とりわけこの場面のことだった。ひとつの受け取り方としては、これではちょっとあまりにもわかりやす過ぎるのではないか、というものがあった。このエピソードの披瀝によって、この長く複雑な演劇の諸要素が、いわばこの一点へと収斂してしまう。だから良いのだという捉え方もあれば、だからつまらない、という人もいるだろう。しかし一方で、ならばこの挿話が存在しなかったか、あるいはここまでストレートに語られていなかったとしたら、この作品から受ける印象は、どのように変わっていただろうか。そして、おそらくは宮沢章夫自身が、ここまで直截に言ってしまっていいものなのかどうか、少なからぬ躊躇と逡巡があったのではないだろうか。実際のところはわからないが、私なりの考えを述べるなら、これはやはり、悩みに悩んだ末のことではあれ、こうするしかなかったのだと思う。けれども、こうするのには相当な勇気が要っただろうとも思う。だが宮沢章夫は、それを選んだ。

 

「語ることができないこと」と「語ることが許されないこと」は違う。後者は禁忌や自粛の問題になるが(言うまでもなく、その代表的なものが「天皇制」である)、前者はつまるところ、語っても語っても、それに追いつけない、どうしても、語れたことにはならない、ということである。「あの日あの時」そして「あれ以後」という問題は、前者に属する。だからこそ、婉曲に「それについては言い得ない」ということを語ってみせるのではなくて、ただ端的に、真正面から、語ってしまうしかないのだ。そうではないか。無論、それでは語れたことになどならないのは百も承知だ。しかし、そうする以外に「語ることができないこと」に近づく方途はないのだ。私は、この選択を「勇気」と呼んでいる。この一点によって、この作品に批判的になってしまう視点があり得ることは理解できる。しかし重要なのは、それでも、それが予想できていても、宮沢章夫がそうした、ということなのである。これは作家としての重大な決断であって、ひとつの賭けでさえある。その賭けに宮沢章夫が勝ったのかどうかも、どうでもよい。肝心なことは、そうしなくてもよかったのに、そうしないという選択肢もあったかもしれないのに、自らのフィクションの内側に「津波で死んだ男」を登場させることを選ばざるを得なかった、そのことが意味する宮沢章夫の私的な切実さを、どう受け取るか、ということなのだ。

 

遊園地再生事業団『トータル・リビング 1986-2011』 | REALTOKYO
『トータル・リビング 1986-2011』公演から / (c)引地信彦 / 提供=フェスティバル/トーキョー

あの日以後、けっして望んでのことではないが、私は少なからぬ数の「あの日以後の演劇」を観てきた。率直に述べてしまうなら、私はその多くに、さまざまな不満や失望を感じた。何故ならば、そこでの「語ること」のリアリティが、作り手が自分の中で勝手に醸成した「他者」や「社会」からの無意識の強制によるものであるかに映る表現が、あまりにも多かったからである。言うまでもあるまいが、こうなったからといって、こうなってしまったからといって、そしてこれがいつまで続くのか誰にもわからないからといって、誰もが「あれ以後」について語らなければならないわけではない。そこには義務はない。それでも殊更に語ろうとする者たちの仕草の端々に、芸術をパブリックに無理にでも接続しないではいられない一種の疾しさと、責任を権利と取り違えているような欺瞞の影を私は見出してしまう。敢て書いてしまえば、この感じは舞台芸術と美術に多く見られる(それは両者が共に公的助成金とメセナのバックアップによってかろうじて成立している場合が多いという事実と間違いなく関係している)。『トータル・リビング』という作品もまた、この影と完全に無関係ではないだろう。だが、それでも私はこの作品に「勇気」という形容を与えたいと思う。

 

「どのように」ではなくて「何を」なのだ。おそらくいちばん大事なのはそのことだ。宮沢章夫には、今、どうしても語りたいことが、語らないでいられないことが、あったのだ。だから彼は、それを語った。私にとって、『トータル・リビング 1986-2011』とは、そういう作品である。

 

Tokyo Art Research Lab (TARL)

アートプロジェクトにまつわる問題や可能性をすくいあげ、分析することで、それを持続可能にするシステム構築を目指す、東京アートポイント計画(※)のリサーチ型人材育成プログラム。REALTOKYO編集長の小崎哲哉がナビゲーターを務める本講座「『見巧者』になるために」は、TARLとREALTOKYOが共同で企画運営しています。

 

※「東京アートポイント計画」は、東京ならではの芸術文化の創造・発信と芸術文化を通じた子供たちの育成を目的に、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団が実施している「東京文化発信プロジェクト」の一環として、平成21年度よりスタートした事業です。東京の様々な人・まち・活動をアー トで結ぶことで、東京の多様な魅力を地域・市民の参画により創造・発信することを目指しています。

寄稿家プロフィール

ささき・あつし/1964年生まれ。批評家。音楽レーベルHEADZ主宰。CD/DVD、雑誌『エクス・ポ(ex-po)』および『ヒアホン(HEAR-PHONE)』を編集発行する傍ら、音楽、映画、小説、舞台表現、美術、哲学、サブカルチャーなど幅広いジャンルで執筆活動を行なう。著書に『ニッポンの思想』『文学拡張マニュアル ゼロ年代を超えるためのブックガイド』『「批評」とは何か? 批評家養成ギブス』など多数。近著に『即興の解体/懐胎 演奏と演劇のアポリア』『小説家の饒舌』『未知との遭遇: 無限のセカイと有限のワタシ』など。