

水に浮かんでいる夢をみた。ダスティン・ホフマンのようにサングラスをかけてプールに浮いて空を見上げている。アーユーゴーイングトゥースカボロフェア。パセリ・セイジ・ローズマリー&タイムによろしくと伝えて。
世界中を巻き込んでいる北京オリンピックの後のささやかなアートのお祭り、横浜トリエンナーレがもうすぐはじまる。そしてBankART Life IIがはじまる。BankART 1929の総力を挙げての展覧会。市内各所でのアート展示、パフォーマンス、イベントが繰り広げられる。横トリとの共通チケットも発券。山野真悟さんたちの黄金町バザールとも連動。「横浜トリエンナーレにいこう!/BankART Life II&黄金町バザール」という横断幕は市内23施設にかかり、店舗等のフラッグは300以上。駅舎、市役所、ルーフトップ、巨大な空き地、駅ビル、川の上……あらゆる場所に棲みかをもとめて彷徨う。館を捨てて街に出よう?! などと息巻いても、世の中はそれほど優しくはない。雨、風、台風、騒音、迷惑、車、危険、ヤジ、お金、等々。魑魅魍魎の世界。箱入り娘のアートさんには、普通の人が普通にクリアーしていることが苦になって仕方がない。交渉、折衝、あきらめ、進まない。前にちっとも進まない。逃げ足ははやく、気づかれないようにいくしかない。

カニの親子のように水底でぷくぷくいってる夢をみた。頭には水がみっつで森。森の冠、くるくる水が頭をめぐる。カワセミが下りてくる。下りてくるのではなくて殺しにくる。水面を境に生死が反転する。魚は天国にカワセミは地獄に、カニの親子はあいかわらずぷくぷく。こんな話までのぞみ号のスピードアップにつながってくるのだから。トンネルに音もたてないでつっこんでいくなんて、賢治も驚いていることだろう。
おなかの中で眠っている夢をみた。女の子にふられたのに、落ち込んだり、やけ酒を呑むこともできずに、どこかにいってしまうことだけを考えている。とても悲しい出来事がおこっているというのにそちらにはいけない。どうも戦いに疲れているようだ。

もう少し、子供を育てるとか、犬と散歩するとか、朝の食事を楽しむとか、浴衣を新調して花火を見にいくとか、ナイター観戦にいって負け試合に飲み屋でぶつぶつあーだこーだというとか、普通のことができないものか。久しぶりの屋根裏は、ハイジの山小屋のように、暖かくて静かな場所だった。わらに囲まれて子馬のように眠りにつく。
ある人から、美しさにはふたつあると教えられた。純水のような美しさと海の水のような美しさ。前者は何の混じりけもなく水を入れる器さえも拒絶する絶対的な美しさ。後者は、何が入ってきてもどんなに汚いものが混じっても、包容してくれる、汚(よご)れても汚(けが)れても許してくれる美しさ。そんな振幅をいったりきたり。
映像はメタファーであると語ったタルコフスキーの映画には水が幾度となく登場する。映像はシンボルではなく比喩であると。水は映像、映像は水、水は夢。
横浜トリエンナーレとBankART Life IIはどんな夢(水)をみるのだろうか?
今年の夏は暑かったので水三昧の夢でした。
BankART 1929 http://www.bankart1929.com/
寄稿家プロフィール
いけだ・おさむ/1957年、大阪生まれ。BankART 1929(バンカート1929)代表、PHスタジオ代表。84年、都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチームPHスタジオを発足。ヒルサイドギャラリー(代官山) ディレクターなどを経て、2004年から横浜市が推進する文化芸術創造プログラム「BankART 1929」に副代表として携わる。06年より現職。