


ある横浜市広報関係の取材で、10年後のBankART 1929の夢は? などという考えてもみなかった質問があったので気になって眠れなくなった。これまで、次から次へと新しい事件が起こり、その対応でここまでやってきて夢などみている間もなかったというのが本音だ。ずっとさめていて眠る暇、すなわち夢などみる暇がなかったように思う。一方、逆にこの4年間を思い起こすと今回のNYKの突然の改修工事[*]のように、いつも夢の中にいるような感じで進んでいっているようにも思う。いずれにせよ、ずっと起きているかずっと夢をみているかの状態なので、夢をみることなど考えたことがなかったのだ。でも人間、そう言われてみると気になるものだ。眠れないついでに考え始める。

BankART ドバイ、BankART北京……いろいろ考えてみるがどうもテレビの影響を受けていてあまり面白いものはでてこない。BankARTニューヨーク、BankART東京、BankARTアイランド、うーん……いっそのこと彦坂尚嘉さんのようにBankART皇居!? 文字通り夢みたいなことを考えていると、老人ホームの中で絵を描きながら現代美術のことをとうとうと話している村田真さんや、杖をつきながらメガホンをもって山の中を行く北川フラムさんの姿が脳裏を駆けめぐる。そうかと思うと川俣正さんが横浜の歴史的建造物を橋で繋いでいくプロジェクトを真面目に企画していたりもする。あそこを口説いて、あの人に頼んで、お金はこうして集めて……。

さらにBankARTの組織構造論になってきて、真剣に組み立てだしたりする。3年後は優秀なスタッフを6人輩出して、6年後は国際的なチームに育って、9年後には年の収益事業を12億にのばして、年の入場者数が300万人など、えらく実現不可能な数値目標をかかげたりする。3の倍数はおもしろい。これもテレビの見過ぎのせい。逆に急に、そんなに上手く続くわけがないと、どんどん不安が増してくる。10年後には天狗になりすぎて、斜陽の一途をたどり、建物はぼろぼろになって崩壊寸前、毎日草むしりをしているような風景、そしてここで何故だか、星一徹がでてくる。あーあこれはだめだ。そんなこんなでうつらうつらしていると、僕が将来住みたい場所はなどと、また違うことを考え始めてしまって眠れなくなる。暖かくて海と山がすぐ近くにある都会か、寒くて人気のない漁師町の居酒屋の2階かで……すやすやすや。
結局みた夢は、4年前に記した文章だった。あーあ夢がないなあ。

『BankART1929は駅でありたいと考えている。ヨーロッパの駅のように様々な人々が往きかい、コーヒーやビールを飲み、ベンチで眠っている人、たまにはケンカをする人、自由に音楽を奏でる人がいる、そんな包容力のある心地よく過ごせる空間を目指していきたい。また横浜は貿易の街。人が集まり、アーティストが育ち、物が動き、情報が行き交い、経済が動く、交易の場所。何か表現する人もそれをサポートする人も、それで食べていけるような経済構造へと共に変換していきたい。BankARTはそのための実験の場所でありたいと考えている』
編注:BankART Studio NYKは、9月13日から始まる「横浜トリエンナーレ2008」の会場のひとつとなることが決定。このため建物の一部改修工事が行われている。
BankART 1929 http://www.bankart1929.com/
寄稿家プロフィール
いけだ・おさむ/1957年、大阪生まれ。BankART 1929(バンカート1929)代表、PHスタジオ代表。84年、都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチームPHスタジオを発足。ヒルサイドギャラリー(代官山) ディレクターなどを経て、2004年から横浜市が推進する文化芸術創造プログラム「BankART 1929」に副代表として携わる。06年より現職。