COLUMN

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BankART1929代表のTOKYO仕掛人日記

第3回:横濱夢十夜 vol.3
池田修
Date: January 28, 2008

夢をみた。スタッフのみんなにぼやく夢をみた。

 

忙しいからできないのか? 不誠実になるのか? できないから、不誠実だから、忙しいのか?

こんなことを問うてみたところで、結論など出やしない。

20年ほど前になるけど、PHスタジオが担当したインテリアの仕事で、建築家の原広司氏に、磨りガラスの裏面の家具の背面が一箇所だけ白く塗られていないのを指摘されて、「建築家は誠実でなければいけない」というような意味のことを云われたのを思い出す。原先生といえば、僕たちは『集落の教え』の中で育った世代だけれど、真っ先に思い出すのはこのことだ。集落の教えではなく、原広司の教えだ。建築家は誠実でなければいけない。なぜなら、人の財産(人生)を預かり、還す仕事だから。

 

北川フラム氏にも、たくさんのことを教えられた。例えば、ヒルサイドギャラリーの企画を担当し始めたとき、展覧会のオープニングパーティを、よかれと思い土曜日に開催してしまったときのこと。仕事として参加できない人を呼んでどうするのだ。土曜日は背広族が私服でしか参加できない。そんな簡単なことも理解できていなかった。まだある。パーティでボーイを雇わなくて、自分でワインをついでまわったとき。若い作家だから、そこまでやらなくてもと思っていたけれど、2万円の経費も出せないなら、池田君はオープニングで何を売ろうとしているの?

 

川俣正+Phstudio 『工事中』(1984年、ヒルサイドテラス)

川俣正さんもたくさんある。四国の松山でのプロジェクトで合宿しているときのこと。遅くまで作業とミーティングしていて疲れて就寝する段になって、彼は東京に明日提出しなければいけない書類が残っているといって、手灯りの机の前で作業を始めた。何をするかと思ったら、封筒に宛名を記して、机の前におもむろに貼り付けて、「よーし」のひとこと。あとは知らないけれど、朝にはその封筒はなかった。川俣さんの個展のセッティングを担当しているときのこと。いつもどおり急にやってきて猛スピードで展示を行い、別の仕事に出て行く。そしてまた夜遅くやってきて、「池田くんあと2ミリ上にあげて」、とか「あと4ミリ左に移動して」とやりだす。こっちはずっとやっているのだからくたくたなのだけれど、まあそんなことは当たり前のこと。なぜなら、前よりずっとよくなるから!

 

僕の周りの人は、確かにみんないい仕事をして現在その世界を代表する人になっていったけれど、こういったエピソードは、この3人以外にも数多くのクリエイターたちとの出会いの中にある。クリエイターが立っている位置、表現されたもの、こと、言説。仕事をする度にびくびく、どきどき、リスペクトしている。

 

BankART Studio NYK

僕たちBankARTメンバーは、他の美術館の学芸員と比べても学歴もキャリアもない、でこぼこのチーム。だけどなんとか日本の芸術界を変えようとしている。どうかみなさん、学んでください。どうか吸収していってください。反応してください。それといつも言ってるけど、はき出さないと何も入ってこないよ。水泳の息継ぎだって、水中ではき出さないと何も入ってこない。月に一度ぐらいは自分のお尻を拭く時間をとって、徹夜でも何でもして、やりきってください。ぼーっとした連続した労働の中で、問題の中心が見えてくる! どうか皆さんその大きな海で泳いでいることを感じてください。

その一員であることを理解してください。

そんな横浜の、海に反射した広い明るい冬空に向かってぼやく夢をみた。

company izuru シアタープロジェクト能オペラ“ASAGAO”
能楽×現代音楽=現代楽劇
2008年2月2日(土)~2008年2月3日(日)
会場:BankART 1929 Yokohama 1F/1929ホール

 

BankART 1929 http://www.bankart1929.com/

寄稿家プロフィール

いけだ・おさむ/1957年、大阪生まれ。BankART 1929(バンカート1929)代表、PHスタジオ代表。84年、都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチームPHスタジオを発足。ヒルサイドギャラリー(代官山) ディレクターなどを経て、2004年から横浜市が推進する文化芸術創造プログラム「BankART 1929」に副代表として携わる。06年より現職。