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BankART1929代表のTOKYO仕掛人日記

第2回:横濱夢十夜 vol.2
池田修
Date: December 28, 2007

波がいっちまった。ちぐさが死んだ。ばらそうが死んだ。けんぞうも消えた。けんぞうは、いつも歪んだ顔でこう話していた。「俺はジミーヘンドリックスではない。ギターは弾かない、やめたんだ。くっていけないもんな」と歌ったのはみゆきだ。一体何がおこったのか? キャベツ畑? マンション街?

 

夢をみた。大きな繁華街がある日突然なくなってしまう夢をみた。古くから続いたジャズ喫茶やバラの絵が飾ってあったオーシャンバー、怖くて優しいお婆さんの居酒屋、朝までやっていたおでん屋等が次々と店じまい。街には空っ風が吹きはじめ、周りの店も次々と閉店。人気(ひとけ)がなくなり、常連の灰色のサラリーマンたちも姿をみせなくなる。クレーンギドラが小さな居酒屋群を食い散らかし、大きな空き地をひとつ、ふたつ、みっつと生みだしていく。大震災跡のような荒れ果てた俯瞰映像が続く。琵琶法師がべんべんとやりだす。誰もいなくなった廃墟の街。この風景は?

 

最近、人が増えはじめているというので足を運んでみる。そんなに代わり映えしないが、よく見ると空き地にキャベツがにょきにょきと生えている。人参も小松菜もトマトもある。さらに近づくと何やらみんなでがやがや話し合っているのが聞こえてくる。「ここは独立国だ!」「重要なことはとどくことだ」「いや街がまずきれいになることです」「いや違う。昔のような居酒屋がいい。人なんかこなくてもいい」「でも、ギャラリーとかケーキ屋とかあって若い娘とかがくるといいと思うけどな」「あまい! 絶対高級マンション街。やっぱり青山代官山六本木」……と言いたい放題。議長らしいキャベツの姿をした「のげら」が困っているとパセリとセージとローズマリーとタイムが小さな声でささやく。「どうしたら皆で仲良くできるのか………」

そこら中の空き地で、ひそひそがやがやと、にわか井戸端会議が始まる。それを聞きつけて、市(いち)がたっていると思ってたくさんの人が集まりだす。化学反応はどんどん加速する。路上で色とりどりの野菜を売る人、横浜の郊外野菜を使ったレストラン、お洒落な古家具屋、若者や中高年向けのブティックがオープン。若いアーティストも自分たちの脚で空き家を見つけて何かやりはじめる。そんな動きにつられて、店仕舞をした居酒屋も少しずつ再開。娘たちを連れた初老のサラリーマンが姿を見せ始める。どの店も大きなお金はかけていないけれど、オープンであたたかく、明るく、やさしい。どこも変わっていないはずなのになんだか少し様子が違う。

 

もっと真実の日常を獲得したい。やさしくて辛くて大きい。
こわれつつあるものをもっともっとこわすこと。
捨ててあるものをもっともっと捨ててしまおうとすること。
なくなっていくことの構築性。
きちんとしたゲリラ。ひっくりかえす力。
並べること、売ること、なくなること。またならべること、売ること、なくなること。その日その日がスピード感の中で進んでいく。けっして目茶苦茶しているわけではなく、整理整頓だって、毎日掃除もきちんとしているのに、ごちゃごちゃしている。置くところだって決まっているし、ルールだってとてもしっかりしている。だけどなんだかはみ出して、ぶつかったりしている。ざわざわしていて、なくなって、そしてやってくる。
そんな横浜の夢をみた。

 

*この街にときどき姿をあらわす「のげら」について
「のげら」とは古い街が再開発される際に現れる猫(空間)の総称である。基本的に姿、形はない。新しいものと古いものの間に鋭く貫入したかと思うと、ここあそこの屋根の上で眠っていたりする。内部と外部を自由に行き来し、あらゆる次元を飛び越えて、時空を移動する。狸のようでもあり、実際の猫のようでもあり、家や船のようでもあるが、決して具体的な形はとらない。ときおり抽象的な(猫と抽はなんだか似ているな)思考を行い、哲学的に振舞うこともあるが、そう見られることも決して好まない。「のげら」は具体的な形と抽象的な思考(空間)の間を往き来する。

『食堂ビル1929 — 食と現代美術part4』
2008年1月11日(金)〜29日(火)
会場:BankART 1929 Yokohama、BankART Studio NYK(河岸)、近隣店舗ほか

 

ベリビーヨ ストラスブルグ カンパニー『世界最高の演劇 Italian Restaurant!』 
2008 年1月12日(土)、1月13日(日)
会場:BankART Studio NYK(1F NYKホール)

 

BankART 1929 http://www.bankart1929.com/

寄稿家プロフィール

いけだ・おさむ/1957年、大阪生まれ。BankART 1929(バンカート1929)代表、PHスタジオ代表。84年、都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチームPHスタジオを発足。ヒルサイドギャラリー(代官山) ディレクターなどを経て、2004年から横浜市が推進する文化芸術創造プログラム「BankART 1929」に副代表として携わる。06年より現職。