

年末が近づくと、電池が切れて、年末進行の2月号を校了したら、胴体着陸。正月休みはひたすら三崎港の家でのんびり過ごす、というのが、ここ数年の通例だ。目覚めたら港まわりを散歩して富士山を眺めたり、CDやLP盤をとっかえひっかえ聴いたり、食事を作ったり、夜が更けたらお酒を飲んで、DVDで映画を見て、目覚ましをかけずに寝る、そんな毎日。いや、正直にいえば、休み直前にネットブックとモバイル接続用端末を導入したら、東京と変わらない常時ネット接続状態になってしまった(当たり前ですね)。港でネットから切り離されることは、自分にとってきわめて重要な選択だったはずなのに、気がつけば、だらだらとブログや動画サイトを……こりゃマズい。昨年は1昨年と同様に港に100泊以上滞在することができた。次の目標は年間3分の1の120泊で、そのためにもネット環境は確かに必須なんだけど、かといってずっとブラウザの前にいるのなら、なんのために港にいるのか? ということになる。そのへんのバランスは課題。とにかく、ノイズもストレスもない環境で原稿を読む、というのが港にいる一番の目的なのだから。
12月27日
冬休み初日。早起きして三崎港着。作家いしいしんじさんが三崎最高の鮮魚店「まるいち」とコラボしたマグロセットの発送を少しだけお手伝いする。中トロと赤身のサクに、いしいさんの書き下ろし掌篇小説『マグロ』と書き下ろしマグロ解凍ガイドがつき、しかも直筆サイン入り。予定販売数の100セットはたちまち完売したらしい。作業は零下50度で固まったマグロのサクを、いしい夫妻とともにひたすらラップし、小説といっしょに発泡スチロールの箱に詰め、発送伝票を貼る。この作業、何かに似ているなと思ったら……入稿作業だった。ある意味では機械的なんだけど、独特の緊張と集中が求められ、しかもそれを続けていると、不思議なトリップ感がやってくる。数時間の作業の後、「まるいち」よりマグロ丼と肝がパンパンのカワハギの煮付けをご馳走になった。
12月29日
1日だけ東京に戻って、イベント『エクス・ポナイト』の中のプログラム「"雑誌"のサヴァイヴァル」に出演。主催者の佐々木敦氏による司会で、『ファウスト』編集長の太田克史氏、『スタジオボイス』編集長の品川亮氏、『ユリイカ』編集長の山本充氏と90分ほど話す。『ファウスト』というか太田氏の狂気じみた情熱にはたえず最大の刺激を受けているし、『スタジオボイス』は学生時代から愛読し、昨年の「アンビエント&チルアウト 環境音楽のすべて」特集は最高だった。『ユリイカ』はある意味で『新潮』とガチンコでぶつかる雑誌だと思っていて、最近の増刊号「初音ミク」の堂々たる特集ぶりには正直、脱帽した。そんな畏敬する同業者を相手に、「金融不況やメディアのネット化/ペーパレス化が進行する混沌とした状況だからこそ、面白いものが生まれるはず。ボクぁ、やる気マンマンっすよ!」といった前向きスタンスで発言したつもりだが、そのスタンスは、<事実認識>というよりも、<作業仮説>に近いというのが本音だ。ただひとつだけ間違いなく言えることは、もし文芸編集者としての自分に希望があるとすれば、その根拠は、同時代を生きる文学者にしかないということだ。それを少しでも疑った瞬間に、足は止まってしまう。
12月31日
深夜、寂しいシャッター商店街の中で唯一煌々と照明を点して、数日間の冬休みを前に最後の仕舞い作業をしている「まるいち」に缶ビールのケースを持って激励。年末の「まるいち」は戦争状態なのだ。年が変わる寸前に、ようやく彼らの作業も一段落し、皆と乾杯。料理長の握ったマグロ寿司。気がつけば港町のいたるところにある寺から除夜の鐘が鳴り出して、馬鹿話をしているうちに、ゼロ年代最後の年になった。
1月1日


3時間ほど寝て、夜明け前に起床。ふらふら港に向かう。太陽が昇る房総半島方面には少し雲がかかっていたものの、ドラマチックな日の出を見ることができた。三崎港の日没は見慣れているけど、日没は人をどこか内省的にさせるのに対して、日の出を見ていると、自分などはダイナミックな天体の運動のほんの隅っこの砂粒にしか過ぎない気がしてくる。日没が天動説的なら、日昇は地動説的? その港から徒歩1分のカフェにいって、熱燗をいただき、再度就寝して、目覚めたら日没直前だった。本当に深く長い眠りだった。
ネットを立ち上げると、年賀メールにいくつかの返事が。実は今年の4月で、編集者生活20年になるのだが、ある20代前半の作家が年賀メールへの返事で「ということは、編集成人ですね」と書いてくれていた。そうか。私が成人になったのは京都の学生になった最初の年で、浅田彰さんや市田良彦さん、毛利嘉孝さんなどと知り合って、世界が爆発的に広がったような気がした時期だった。今年も新しい窓を開けよう。その窓は既にそこに、目の前にあるのだから。
<付記> 前回の当日記で、水村美苗氏の話題の書『日本語が亡びるとき』について触れたが、その後、Realtokyo編集長のコラム「Out of Tokyo」で、とても示唆的な議論が展開された。私に投げかけられた球は、いまだ打ち返せていないのだが、水村美苗氏と梅田望夫氏の対談(『新潮』1月号掲載)を新潮ウェブサイトに全文掲載したので、興味のある方はご一読いただきたい。
寄稿家プロフィール
やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。