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  • 『新潮』編集長
    矢野優
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『新潮』編集長の東京編集長日記

第12回:小林秀雄の言葉
矢野優
Date: November 17, 2008
 『新潮』2008年12月号 | REALTOKYO
『新潮』2008年12月号

11月5日

12月号の見本日。今年の新年号で、古川日出男さんが近・現代の日本の詩を自ら選び朗読したCDを『新潮』としては初めて付録にして以来、2回目のCD特集となった。その内容は没後4半世紀を迎えた小林秀雄(1902~1983)の講演記録だ。小林秀雄といえば、一方では批評の神様として崇められ、他方では国語の試験問題の定番だったけれど(それも過去の話か)、その講演の名調子は、しばし「志ん生ばり」と評される。つまり、すごく面白くて、すごく深いのだ。例えば、今回のCDの目玉である27分の未発表音源「勾玉(まがたま)について」(1972年講演)では、縄文時代から作られてきた装身具を蒐集するようになった小林秀雄が、まるで掌の上の勾玉を通じて古代人と対話をするかのように思考を深めていく。美とはひとつの経験であり、知識では決してない――そんな小林秀雄の言葉を聞くと、あらためて自分自身が美術(そこには言語作品も含まれるはずだ)を情報や先入観から自由な場所で<経験>しているのだろうかと思う。

 

11月8日

ちょっとした必要があって、PCによる音楽制作(というか音声データ編集)の実情を調査。なんかジジくさくて恥ずかしいけれど、現在の音楽作成技術の驚くべき多様さと安価さにあらためて驚いた。フリーでダウンロードできる音楽編集ソフトを試しに使ってみたけれど、最初に思ったのは「これが自分の中学生のときにあったら!」ということだった。同時に思い出したのは、梅田望夫著『ウェブ進化論』で印象的だった将棋棋士、羽生善治の「ITとインターネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています」という言葉だった。もちろん音楽においても同じことが起きている。他方で、しばらく前に購入したニンテンドーDS用のシンセサイザー・シミュレーション・ソフト「KORG DS-10」の優秀さにはびっくりしたけれど、同時に、これを使って作成した音楽を<データ>としてはPCに転送できないこと、その自己完結性に微妙な違和感を感じたのだった。<創ることと公にすることの関係の変動>といえば単純過ぎるけれど、職業作家の創作を印刷物として有償で公開する雑誌を編集している自分にとって、なにか胸騒ぎがする体験だった。

 

11月10日

水村美苗『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房刊) | REALTOKYO
水村美苗『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房刊)

『新潮』9月号で小説家・水村美苗さんの長編評論「日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で」を掲載したのだが、このたび筑摩書房から、大幅に加筆された形で(『新潮』掲載分は全7章のうちの冒頭の3章にあたる)単行本となった。以下はあまりにも乱暴な要約だが――アメリカという一国家の勢力とは別の次元で、人類の叡智が、かつてのラテン語のような<普遍語>となった英語に集約されつつあり(昨今はネットの影響が大きい)、明治維新以降に<国語>として成立した日本語はローカルな言語として、かつての豊かな力(とりわけ著者は日本近代文学のそれを強調する)を喪失しつつあるという内容だ。

11月5日の発売から2日後の11月7日、梅田望夫氏が自身のブログで熱烈なレビュー「すべての日本人がいま読むべき本だと思う」を掲載。そして発売からわずか5日後の11月10日、ネット上には本書への同意のみならず異論も「炎上」していた。私が冒頭部を『新潮』に掲載したのは、なによりも文芸誌として日本語と日本文学をめぐる議論を招きたいからだった。その意味では期待通りの展開だったのだが、よもや本書がamazon.co.jpの「本のベストセラー」総合ランキング第1位(11月10日時点)になるとは想像もしていなかった。繰り返すが、発売からわずか5日間の出来事だ。現代日本における国家観/言語観/ネット観の三角形の中にくすぶっていた何かが噴出したような気がした。

寄稿家プロフィール

やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。