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  • 『新潮』編集長
    矢野優
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『新潮』編集長の東京編集長日記

第8回:「東京に暮らす/暮らさない」ことの意味
矢野優
Date: June 10, 2008
『新潮』2008年7月号

東京都心と三浦半島のひなびた港町を往復するようになって以来、東京に居住することのメリットとデメリットを思う。作家の場合はどうだろうか。とりわけ創作の基盤が不安定な若い書き手にとって、出版社、編集者が圧倒的に集中する東京に身を置く必要性は、大きく感じられるだろう。もちろん、東京暮らしを心から愛する作家もいるだろうし、もともと東京出身の作家も当然多い。

だけど、あえて無責任に言わせていただけば、きわめてシンプルな創作道具を用い、ひとりだけの空間で集中して作業し、完成作品を容易に発送できる作家は、世界のどんな場所にだって住む自由があると思う。極論すればアマゾンの奥地だって、いや、住所不定だって構わない(……無責任すぎるか)。そう思って最新号の目次を見てみたら、38人の寄稿者のうち、11人は東京の外で「居住の自由」を行使していた。福岡、山口、静岡、兵庫、群馬、フランス、大阪、京都(2名)、愛媛、アメリカ。

ちなみに、ダブリン生まれのジェイムズ・ジョイスは20歳を過ぎて駆け落ちしてトリエステ(現イタリア)へ。ベルリッツで英語を教えたりしながら『ダブリン市民』を著し、チューリッヒ時代に『若き芸術家の肖像』を、パリ時代に『フィネガンズ・ウェイク』を書き、ナチスドイツの占領を逃れて戻ったチューリッヒでこの世を去った。だが、彼のすべての作品世界は青春期を過ごしたダブリンに根差していた。


三戸浜に面したホテル「BEACH-BUM」のデッキテラスは仕事場として最適

5月某日

新幹線で北関東へ。担当作家A氏と打ち合わせ。東京に生まれ育ったA氏が内陸の街に移住したのは、私が東京と三崎港の二重生活を始めたのと同じ時期だったから、たまに「東京に暮らさない」ことの意味を語り合う。少なくとも編集者の立場からすれば、A氏が遠方(と言っても家を出て2時間ほどで会える)に住んでいるデメリットはほとんどない。バイク便が送れないことくらい? 一度訪ねれば、腰を据えてじっくり話し合える。この日は待ち合わせから解散まで、食事と飲みを挟んで、10時間話し続けた。


5月某日

東麻布のギャラリー、Take Ninagawaで大竹伸朗氏の『貼 (Shell & Occupy)』展。東京出身の大竹氏が愛媛県宇和島(移動時間的には上海より遠い)にアトリエを構えていることは有名だろう。東京都現代美術館での超巨大スケールのレトロスペクティヴ『全景』展が一昨年の終わりで、その後に地方巡回展的なものはあったけれど、実感的には『全景』展以来の個展という感じがする。そんな決定的な展覧会がワンルームマンションほどのスペースで唐突に開催されたことに不意打ちされた。1点の絵と1枚の壁さえあれば、絵画の事件は起きる。そんなことを思った。

 

5月某日

都内で担当作家B氏と会食。この東北出身の作家は東北六県を舞台にした超大作を仕上げるために、百日間、編集者との接触を完全に絶ち、東京の仕事部屋で想像力のアクセルを極限まで踏み続けた。その「百日行」が明けて間もなくの会合だったが、百日の間、氏は東京にいながら、この世界にはいなかった気がする。そうか、この作家が獲得したのは、過酷だけど創造的な「居住の自由」なのだ。

 

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三崎港が誇る地魚専門鮮魚店「まるいち」にて。5月下旬の店頭に並んでいた鮮魚は、ハマチ、イナダ、キンメ、メトイカ、アジ、マメアジ、アイナメ、マダイ、イサキ、サワラ、ヒラメ、カレイ、クロダイ、トビウオ、エボダイ、タチウオ、サバ、アナゴ、マンボウ、ヒコイワシ、カマス、サザエ、イセエビ、セミエビ。すべて刺身可。卸市場ならともかく、こんな充実した鮮魚屋、他にあるだろうか。

寄稿家プロフィール

やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。