COLUMN

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  • 『新潮』編集長
    矢野優
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『新潮』編集長の東京編集長日記

第7回:作家の成長
矢野優
Date: May 12, 2008
『新潮』2008年6月号

4月21日(月)

「死に向かって作家は成長する」。

この日届いた原稿に、上の一節を見つけたとき、鳥肌が立った。

荒削りだが新しい感覚を武器にデビューした気鋭作家が、幾度もの挑戦作を書くことで成長し、やがては脂の乗り切った中堅として代表作を書き、ついにはベテランとして円熟する……。作家の「成長曲線」をこうイメージすると、いかにもわかりやすいけれど、なにかワインかサーモンみたいだ。だが、私が敬意を持つ大ベテラン作家たちは、たとえ70歳、いや80歳を超えても創造に対し貪欲だし、残された時間を強烈に意識しながら必死に書いている。足掻いていると言ってもいい。そう、彼らは成長しているのだ。死に向かって。生まれたての赤ん坊がわずか1日で卵1個分も体重が増えるように。ちなみに上の一節は、4月8日に80歳で死去された作家、小川国夫氏の言葉。氏を追悼する長谷川郁夫氏の文章を通じて出会うことができた。


4月28日(月)

ベテラン作家と会食。

以前、その作家に、若手が「新潮」に書いた小説を褒められた。だが、私が「いやぁ、がんばって何度も書き直してもらったんですよ」と口にした瞬間、作家の逆鱗に触れた。その言葉を口にしたとき、私はきっと得意げに小鼻を膨らませていたはずだ。「オレが書き直させたのだ」と言わんばかりに。ベテラン作家にはその粗雑さが耐えがたかったのだろう。

確かに、作家から届けられた原稿を鉛筆片手に読み、チェックの結果を作家へ送り返すことは、編集の基本だ。だが、編集者は忘れてはならない。生まれたての状態として不安定に揺れ動くテクストに対して、その時点では世界で唯一の読者である編集者がぶつける言葉は、本質的に<力>であり、しばし<暴力>なのだ。

作家に改稿を提案するとき、その根拠は編集者の中にしかない。一個人の限定された、ときに大勘違いかもしれない価値観を、新生児のように無防備な作品/作家にぶつけてしまう可能性はたえずある。だがそれでも、編集者の役割とは、原稿の放つ<産声>に耳を澄ませ、歌いすぎている箇所や歌い足りない箇所を作者に伝えることだ。そして時に、編集者の反響を聴き取った作家のなかで、奇跡のような創造性が生起することがあるのも事実なのだ。この日は作家の逆鱗に触れることなく、和やかに夜が更けた。

 

5月2日(金)~5日(月)

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ホテルのベランダから臨む名勝、西湖。だが湖岸には……

上海へ行ってみた。初めての中国。建築家レム・コールハースは名著『錯乱のニューヨーク』で「マンハッタンは見るものに、建築のエクスタシーというものを一貫して与え続けてきた」と記したが、上海において、機能性とも歴史性とも、そしておそらく建築家の欲望とさえも無関係に生え続ける高層ビルには、いかなる「建築のエクスタシー」があるのだろうか。かつてアムステルダムが大西洋を越えてニュー・アムステルダム(NYの旧称)になったのだとしたら、ここでは上海をニュー上海が垂直に突き刺している。とかなんとか言っている私自身が荷を解いたのも、まさにニュー上海的な地上31階にある知人宅だった。翌日には上海を離れて、車で2時間ほどの杭州市の西湖に向かった。絵葉書的な「中国情緒」への期待がなかったといえば嘘になる。だが、霧が煙る西湖の向こうに見えたのは、CGで合成したような高層ビル群のシルエットだった。(とはいえ、観光客としての楽しみは満喫したのだが)

 

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いつも人がいない三崎の小港。鉛筆片手に原稿が読めれば、どこでも仕事はできる。

寄稿家プロフィール

やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。