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  • 『新潮』編集長
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『新潮』編集長の東京編集長日記

第6回:現代小説の「難関」と、だからこそ可能な「発想」
矢野優
Date: April 15, 2008
『新潮』2008年5月号

4月1日(火)

私事で恐縮だが、文芸誌の編集をはじめてちょうど5年が過ぎた。先日、ある大ベテラン作家から受けたアドバイスは「これからは編集長をクビになるくらい過激なことをやって、あとはいい書籍をじっくり編集なさればいいと思います」だった。6年目のこの日、自らを省みて、「過激」も「じっくり」もまったく不十分だと痛感する。痛感しすぎて真夜中の編集部で落ち込みながら文芸誌『早稲田文学』復刊最新号を手に取り、蓮實重彦氏インタビューを読むと、「『有限の文字記号からなる形而下的なフィクションのテクスト』としての小説の散文性が、フーコーにおける『人間』と同じくらいに新しい発明であり、その最近の発明の始末の負えなさに対して、(中略)人類の大半はいまだ本気で向かい合ってはいない」との一節に直撃され、活力を得た。


4月5日(土)

前夜に終電で辿り着いた三崎港の家からトンボ帰りして、新宿へ。バー「風花」での古井由吉、佐伯一麦、川上未映子の3氏による朗読会。終了後は夜更けまで酒宴が続くのが恒例だが、私は終電で港の家に戻るつもりだった……がしかし、喋りたい相手、喋りたいことは尽きることなく、気がついたら午前5時過ぎ。佐伯氏、講談社の編集者とともに、最後の客になっていた。

 

4月6日(日)

三崎港の地魚専門鮮魚店「まるいち」で注文した春の魚介。真鯛、カレイ、メトイカ、サザエ。これらの刺身と御飯とアラ汁と三浦半島の野菜があれば、他に何もいらない。

昼、三崎港へ。車中、『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(boid刊)を読む。「2006年2月14日/電気を止めに東電のヤツがくる。12月分を払わないと、いま止めると言うので、『お金がないから払えないです』と正直に伝える。家の電気がすべて消えた。まあ、なるべくしてなったことだから仕方がない。しばらくは闇の中で今後を考えよう。こういう状況の中でしか考えつかない大胆な発想もあるだろうし」との一節に謎の活力を得た。「大胆な発想」、素晴らしい言葉だ。三崎到着後、ずっと原稿。


4月7日(月)

岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社刊)

編集部に届いた講談社の文芸誌『群像』最新号に、第2回大江健三郎賞の結果と選評が発表されていた。受賞はREALTOKYO読者にはおなじみであろうチェルフィッチュを率いる岡田利規氏の第1小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』。受賞作は『新潮』が初出だから本当に嬉しい。去年1年間に発行された約120点(!)の作品を読み、岡田作品を選出した大江氏の選評は感動的なものだったが、同時に現在の文学状況への驚くほど切迫した危機意識が示されてもいた。「このところ私は、文芸誌を基盤に文芸書として出版される(それがこの国の文学の水準を保つ仕組です)小説群に、<浮足立った>徴候を感じとって来ました。その根本的な要因としては、出版ジャーナリズムの、文芸書が売れないというミもフタもない認識にあり、一方で、よく売れる(百万部単位というその売れ方自体に、すでに歪みは明白ですが)ケータイ小説に引き起された揺さぶりがあります。(中略)若い作家たちが、意識的、無意識的を問わず、そこから影響を受けている。これがあと五年続けば、ほぼ百二十年前に誕生し、六十年前に再出発した近代・現代日本文学は消滅するだろう。それが、一老作家、私の観測です」(<>内、原文は傍点)。上述した蓮實氏の発言と大江氏の認識は、私にとって矛盾するものではなく、ともにきわめてアクチュアルで切実なものだ。この難関をどう突破するのか。必要なのは、そう、「こういう状況の中でしか考えつかない大胆な発想」だ。

寄稿家プロフィール

やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。