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  • 『新潮』編集長
    矢野優
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『新潮』編集長の東京編集長日記

第5回:わが道を歩み続ける創造者たち
矢野優
Date: March 10, 2008
『新潮』2008年4月号

3月1日(土)

4月号の最終校了作業を前日に終え、早起きして羽田空港へ。山口市湯田温泉のYCAM(山口情報芸術センター)で、池田亮司の新作インスタレーション展『datamatics』を観る。期待以上の素晴らしさだった。今や世界各地で活躍する彼だけど、その創造の本質においては、郵便配達人シュヴァル(19世紀フランスで数十年間かけて石の宮殿を作り上げた)やヘンリー・ダーガー(20世紀アメリカで数十年かけて脳内物語を膨大な絵と言葉で描き続けた)と変わらないと思う。徹底的に、孤独に、わが道を歩み続けている。夜はコンサート『datamatics [ver.2.0]』。これもまた素晴らしかった。タンパク質から星座まで、超ミクロから超マクロまでの<データ>の考察と計算から生まれた映像と音響に圧倒され、ため息をつきながら会場外に出ると、満天の星。本当に来てよかった。


3月2日(日)

インスタレーション『test pattern [nº1]』©Ryoji Ikeda

中原中也記念館をのぞいてから、新幹線で京都へ。京都造形芸術大学で渡邊守章演出の『當麻――折口信夫<死者の書>による』を観る。3人の演者のうち2人は観世流の能楽師だが、少年役の梅若慎太朗はほとんどの場面で能面をかぶっていないし、囃子も時にバッハのリュート曲に置き換わる。知覚の極限を試す池田亮司の電子的な超プレスト(急速)のあとの能楽的な身体の超レントに目眩がした。終演後、渡邊氏、松浦寿輝氏、浅田彰氏によるシンポジウムを見て、打ち上げに寄せてもらう。今年75歳の渡邊氏は日本最高のフランス文学者のひとりだが、そんな氏が、いくらフランス演劇が専門だとはいえ、このような活動を自主的に数十年にわたり粘り強く続けてきたのも、やはり見事にシュヴァル的でありダーガー的だと思う。

 

3月3日(月)

今月の名魚はクロ(アブラボウズ)。脂質が非常に多いため、食べ過ぎると下痢をするらしいが、適量をじっくり焼いて食べると旨みが口内で爆発する。(撮影・まるいち魚店)

午後、ホテルをチェックアウトし、批評家A氏とミュージシャンであり作家でもあるB氏とのクラシック音楽(現代音楽も含む)をめぐる対話に立ち会う。なぜ文芸誌でクラシック? 当初、B氏からこのシリーズ企画の発案があったとき、直感的に「やりましょう」と返答したが、その直感を明確に言葉にできてはいなかった。だが、この日の「今、<経験>の価値が下がっていると思うんです」というB氏の発言により、私の中ではクリアになった。対話を終え、作家B氏と河原町のレコード屋めぐり。京都のレコード屋はジャズのヴィンテージ盤から最新の電子音響作品までのアナログ盤が、さほど大きいとは言えない店舗の中にみっしり凝縮していて、すごく楽しい。港の家で聴きたい10枚ほどを購入。B氏とカフェで乾杯して、ひとり東京方面へ。さらに品川駅で乗り換え、終電で三崎港へ。港から遠く離れて2週間、実は酸欠状態の金魚のように<港欠乏症>だったが、港の家に着いた瞬間に充電完了。池田亮司の最新CD『test pattern』(独raster-noton)を聴きながら原稿を読む。20代の若手作家C氏による途中稿は、東京という都市とそこに生きる私たちのリアル・トーキョーを<Google以降>というべき斬新な視座で捉えようとするものだった。C氏は1ヶ月で原稿用紙数枚ということもある超遅筆だが、このようなテクストの密度を得るために彼がどのくらいのシュヴァル的、ダーガー的な日々を過ごしているかがひしひしと伝わり、文芸誌を作り続けるための希望を感じた。

寄稿家プロフィール

やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。