

月刊誌の編集をしていると、生活リズムも1ヶ月単位になる。作家と会ったり作品を読んだり、映画館や劇場に足を運ぶ余裕がある上旬。校了に向けて、原稿やゲラの出入りが加速する下旬。その緩急の中間状態にある中旬。
年単位のリズムもある。年に一度の新潮新人賞や三島由紀夫賞は数ヶ月の準備時間を要するし、4月のGW進行や12月の年末進行は連休中、印刷所がストップするため、通常よりも少ない日数で1号を作り上げるから慌しい(もちろん一番大変なのは締切が繰り上がる執筆陣)。
だが、創刊100年を超える文芸雑誌の編集をしていると、月や年とは違うリズム、いささか大仰に言えば、数十年、百年単位の世界の変化に対応した人間の想像力の運動を感じることがある。たとえば、軽い気持ちで短い原稿を依頼した1920年代生まれのベテラン作家が、第2次大戦の記憶を生々しく現在に召喚する瞬間。あるいは、1980年代生まれの若手作家が、日本の近代化の終焉とインターネット時代の大波に巻き込まれながら言葉を放つ瞬間。もちろん、日本近代文学の曙に書かれた明治の作品の強度に打ちのめされる瞬間もあるだろう。以下は、そんな世紀と年と月のリズムを感じながらの1月の4日間。
1月16日(水)

諸業務。芥川賞の選考を、新潮掲載作品「切れた鎖」で候補になった田中慎弥氏とともに待つ。今回は残念な結果に終わったが、新潮新人賞でのデビューから2年、1作ごとに成長し続ける若い作家は必ず新たな飛翔を遂げるだろう。「切れた鎖」は、地方都市の旧家を舞台に、わずか24時間の作中時間のなかで100年単位の時の流れを掴んだ力作だった。その後、「乳と卵」での受賞者・川上未映子氏の祝宴に合流。とにかく事件の渦中に身を置きたいのが編集者だ。受賞者が帰宅した後も作家A氏と話し続け、新宿2丁目のバー、深夜営業のお粥屋に行って明け方直前に帰宅。
1月17日(木)
諸業務。PR誌とウェブ用の次号予告を書いて、夜は銀座のギャラリー小柳で、ベルリンに住む花代の写真展オープニング。最初の写真集『ハナヨメ』(1996年)を編集して以来、彼女の写真を見続けているが、いまだにカメラの中に小人がいて、レンズ越しの光に悪戯しているとしか思えない不思議な世界。最新展示作と最新写真集『MAGMA』はそんな小人悪戯感に充ちつつも、深みを一段増したように思う。打ち上げ会場を辞して、新宿5丁目のバー「猫目」で作家B氏と対談企画の打ち合わせ。午前2時過ぎに花代が合流してくれた。B氏は花代が向島の芸者だったころからの古い付き合いなのだ。またもや明け方直前に帰宅。
1月18日(金)
午後、銀座で作家C氏と会合。神楽坂で諸業務。夜、古川日出男氏の朗読ギグ(渋谷O-nest)へ。虹釜太郎氏と鈴木康文氏による電子音響と古川氏の声がせめぎあう。もしもほんの僅かでも音楽のボリュームが上がれば朗読(『ロックンロール七部作』より)が聞きとれなくなるだろう状況で、脳内の言語域と音響域がともにフル稼働し、せめぎ合う。未知の意識状態がとてもスリリング。
1月19日(土)

ひさびさに目覚まし時計なしでぐっすり寝て、夕方よりニブロールのダンス公演『ロミオORジュリエット』(世田谷パブリックシアター)。過去にわずか二度しか見ていないニブロールについて公の場で語る資格などないが、相性は決して良くはなかった。だが今回、とりわけ前半部の映像と身体の拮抗には説得力があり、高揚を感じた。エンディング映像の無数の昆虫たちを眺めながら、「動物化するポストモダン」(東浩紀)ならぬ、「昆虫化するポストモダン」という言葉を思う。不可視の繭のなかで孤立する昆虫たち。その羽音によるぎりぎりのコミュニケーション? 会場で会ったチェルフィッチュの岡田利規氏(新潮で優れた小説も発表している)と感想を述べ合い、神楽坂の仕事場経由、終電で三崎港の家へ。
寄稿家プロフィール
やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。