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  • 『新潮』編集長
    矢野優
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『新潮』編集長の東京編集長日記

第2回:<魅惑の喪失/喪失の魅惑>の物語
矢野優
Date: December 10, 2007
『新潮』2008年1月号

11月28日(水)

文芸誌が格別の力を入れる新年号(12月7日発売)の最終校了日。午後、読売新聞の取材を神楽坂の仕事場で受け、記者氏に目次の色校正を見せ、CDを手渡した。そう、新年号には初めて音声CD「詩聖/詩声――日本近現代名詩選」をつけるのだ。もはや雑誌のCD付録など目新しくもないが、それでもCDを付属する価値があると確信できたのは、作家・古川日出男氏(詩選・朗読)が存在したからだ。作家との仕事夕食を経て、深夜に編集部に戻り、最終校了作業。午前1時に連絡がついた友人と飲む。一応の達成感。それに続く虚脱感。のち、酩酊感。

 

11月29日(木)

読売新聞の別の記者氏から、新潮新人賞評論部門を廃止した理由を鋭く問う取材依頼。会う時間が作れず、メールで返答。午後、下読みの締切りが迫る三島由紀夫賞候補作を抱えて、三崎港の家に向かう。電話もメールもなく、チェック用の鉛筆を持たず、小説を読み続ける時間が好きだ。夕食は地魚鮮魚店「まるいち」の食堂部で、イワシと初めて食べる赤サバ(希少魚)の刺身。生カキ。ブリの煮付け。サクラエビの塩茹で。残ったイワシを味噌でたたいてもらってイワシ丼。潮汁。ヒジキ。夕食後、地物ナマコをつまみながら下読み。午前4時、読了。

 

11月30日(金)

三島賞会議、諸雑務を終え、深夜に、大竹伸朗氏の作品が展示されている新宿のバー「猫目」で編集者・写真家のT氏と会合。T氏は大竹氏の素晴らしい共同作業者だから、「猫目」ほど待ち合わせに相応しい場所はない。いつものように刺激的な話を<山ほど>うかがう。気付いたら午前4時を過ぎていた。

 

12月1日(土)

夕方より新宿のバー「風花」で朗読会。ホストはわれらの時代の偉大な作家、古井由吉氏。ゲストは批評家の柄谷行人氏。私は拙い司会役をつとめた。柄谷氏は1970年代に書いた武田泰淳論を読んだが、ぶっきらぼうな朗読がなんとエンターテインメントだったことか! 刺激的な思考が脳内に次々に展開する快楽。会場には作家や批評家が多数おり、話したいことは山ほどあったけれど、午後11時過ぎに新宿駅に駆け込み、横浜経由の終電で三浦海岸駅。そこからタクシーで三崎口駅へ。そこからさらにスクーターで三崎港の家に到着。

 

12月2日(日)

近々刊行されるカポーティ『ティファニーで朝食を』新訳をゲラで読む。夕食は「まるいち」で、シメサバ。メトイカ刺身。マグロの卵の煮付け。カワハギ煮付け。三浦半島産のほうれん草のおひたし。ご飯。潮汁。食後、またも地物ナマコをつまみながら、ビーチボーイズの『PET SOUNDS』をめぐる翻訳書(近刊)をゲラで読む。BGMは当然『PET SOUNDS』とブライアン・ウィルソンの『SMILE』。池田亮司からお色気歌謡まで1万曲入っているiPodの中でビーチボーイズとビートルズがスペル的に並んでいる、この世の不思議。あと、ブライアン・ウィルソンとブライアン・ジョーンズが並んでいる、この世の不思議。読了後、二冊の<魅惑の喪失/喪失の魅惑>の物語が脳内で絡みまくり、なかなか寝付けなかった。

 

12月3日(月)

東京に戻ったら、大竹伸朗氏の「全景」展図録が届いていた。図版頁に多数挿入されている大竹氏の文章は「新潮」連載より。私の人生を確実に変えた佐賀町での大竹展(1987年)のカタログは44頁だった。それが今、1152頁、重量6kg。たかだか一冊の雑誌校了で達成感だの虚脱感だのを云々している場合ではなかった。興奮して仕事が手につかない!

大竹伸朗「全景」展図録

寄稿家プロフィール

やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。