


『新潮』という文芸雑誌の編集をしています。『新潮』は日露戦争の年(1904年)に創刊され、今年で103年目。現役の商業文芸誌としては世界一古いという説があります(ただし第2次大戦中は紙不足のため数号、関東大震災のときは1号だけ休刊)。仕事場は2箇所あり、ひとつは神楽坂の会社。もうひとつは三浦半島の先端の港町の古い家。前者には編集部の仲間たちがいて、ネットとプリンタにつながったパソコン、電話、資料などがあります。後者にはネット非接続のノートパソコンとちゃぶ台だけがあって、ここには年間で100泊くらいしています。以上、駆け足での自己紹介でした。
10月3日(水)
午後から築地の録音スタジオ。3時間の刺激的な秘密レコーディングを終え、近場で<事件>の予感に祝杯をあげる。夕方、神楽坂の仕事場によろよろ戻り、まず最初にしたのはソファで寝ることだ(悪癖)。寝冷え対策用のカシミア毛布も常備している。起床後、川端康成文学賞の下読み。女性作家による素晴らしく不気味な(←誉めてます)一篇があった。その後、作家へ諸メール。深夜帰宅して、画家・大竹伸朗氏(随筆を連載をしていただいている)を取材したTV番組「情熱大陸」を録画で見て感激。感想メールを書いているうちに夜が明けてきた。
10月4日(木)
神楽坂で時事通信の取材を受ける。テーマは純文学と文芸誌の変容。少し前に、同主題で朝日新聞の取材も受けた。「近代化の終焉と高度情報化社会への劇的な移行が人間の精神を変容させるとするなら、文学が変容しないわけがない」という仮定法的な見解を述べた。無論、それは美術も音楽も映画も演劇も同じことだろう。その後、終電で夜の港の家へ。庭の虫の金属質なテクノ風の大合唱をBGMに原稿を少し。
10月5日(金)
ホテルオークラで小林秀雄賞授賞式。会場で会ったA氏に、文学と科学をブリッジする企画をあらためて依頼。B 氏に、ある特異なマルクス主義者をめぐる新連載の状況確認。C氏に執筆依頼したら、「でも、あの連載が10数年かかったのだから、この連載はもっとかかるよ」と言われたが、「ぜひとも!」とお願いする。日本人と文芸のかかわりを根本から考える壮大な企画だ。D氏にも作家論を依頼。その後、別の都心ホテルに移動。大学生の時に初めて言葉を交わした小説家であるE氏と会合。……こう書くと、いかにも快調に仕事をこなした一夜のようだが、依頼が必ずしも実現するわけではない。依頼はただの依頼に過ぎず、相手の肯首は「貴殿の希望は確かに聞いた」の意味に過ぎない。その後、新宿の「猫目」という、大竹伸朗氏の作品が飾ってあるバーへ。作家F氏がいて挨拶。気づいたらカウンターで寝て、起きたら客は他におらず、フランク・ザッパとホルガー・シューカイを爆音で聴かせてもらって、夜明けに帰宅。
10月6日(土)


遅い午後、約1時間半かけて電車で2日ぶりに港町に向かう。車中、原稿読む。日本語で書かれながら、現実の日本をまったく感じさせない世界を描く不思議で魅力的な小説だ。このような作品を生み出す<日本>とは何だろう。スクーターで降車駅から港の家に向かう途中、日没がすごくいい感じなので寄り道して、ジェームズ・タレル状態の夕焼けビーチでしばし放心。それから、地魚を専門に扱う「まるいち」という魚屋に行き、併設の食堂で夕食。隣席の方にモクアジ(希少魚)、メトイカ、マグロ中トロの刺身とメトイカの酢味噌和えとモクアジの塩焼きを分けていただき、メインはカンパチ+ヒジキ+生卵の丼。すべてこの港で水揚げされた天然の地魚で、超美味だ。ちなみに、「まるいち」は世界最高水準の鮮魚店であり、反グローバリズム、獲れたて収穫物のキュレーションといった編集と直結する諸問題について絶えず刺激を受ける場所なので、この「日記」にもしばし登場すると思う。食後、銭湯でビールを抜いて、ちゃぶ台上のパソコンで対談原稿の構成。刺激的な内容。夜明け前に就寝。
寄稿家プロフィール
やの・ゆたか/1965年岡山県生まれ、文芸誌『新潮』編集長。89年、新潮社に入社し、雑誌『03 TOKYO Calling』創刊編集部に所属。以後、書籍編集者として文芸書、思想書、美術書等を担当し、2003年から現職。趣味は年間百泊する三浦半島三崎港での地魚賞味・調理。音楽・美術鑑賞。