
12月6日




普段は必要以上の家事をしない私です。でも、3年に1度くらい、料理やら裁縫やら、やたらと女性らしいことに思いきりはまりたくなります。そのブームが最近やってきました。ブームと言っても「やりたい」というだけで、実際は時間がなくてやっていないのですが……。今回は「陽当たりのいい部屋の中で編み物に熱中したい」という強烈な願望。口を開けばそればっかり言っていました。
そんな私に、お友達でアーティストのtsukaちゃんから素敵なワークショップのお誘いが。普段はseijin-kunという可愛い(私好み)ぬいぐるみを作っている彼女ですが、今回はデコレーションのワークショップ。パティシエのayaさんによる手作りのseijin-kun型のクッキーやカップケーキを、好きなようにデコレーションするというもの。
色とりどりのナッツやチョコチップ、アイシングなど、テーブルの上に用意されたデコレーション材料を見ただけで一気にヒートアップ。いつになく集中した2時間は本当に「あっ」という間で、正直なところ、あと3時間くらいやっていたかった。出来上がりはともあれ、あんなふうに童心に返ったのは何年振りかな。お菓子を焼いたわけじゃないので家事とは全く関係ないけど、女心(?)はとても満足しました。本当に楽しかった!
次回はバレンタイン直前に、チョコのデコレーションのワークショップ開催との噂。いまから楽しみです。
12月22日
なんだか、最近ずっと考えています。知らないうちに、気づくと、考え込んでいる。何について考えているのか、何への答えを求めているのか、それすら明確にならないまま、とにかく考えているのです。
世の中には考える行為を好む人も結構いて、その人たちを“思想派”とすると、私は小さい頃から“空想派”。しっかり考えようと決めて考えだしても、すぐに面倒になって、そのまま空想の世界のほうへ入っていってしまうタイプ。「美味しいもの食べたいな」とか「スノーボードしたいなあ」とか、幸せな空想ですね。
にも関わらず、最近はずっとずっと考えている。この状態は私にとって決して居心地のいいものではありません。とはいえ、どうしたら考えることをやめれるのかがわからない。無理矢理いつもの空想世界へ行こうとしても、その糸口すら見つからなくなってしまったんです。
困った困った。どうすりゃいいんだ。あれかな。年の瀬だからかな。それとも年齢が関係しているのかしら。とりあえず、深呼吸だな。
12月27日
数年前、サンディエゴへ留学していた時に知り合った女友達と半年ぶりに集まりました。留学は、務めていた編集部を辞めていきなり決めたものだったけど、サンディエゴを選んで大正解。天気予報いらずの晴天続きの毎日は、いい意味で私を空っぽにしてくれたから。普段は絶対にやらないビーチバレーを本気でやったり、青々とした芝生で逆立ちごっこもしたりした。あれほど懸命に勉強したこともそれまではなかったな。肩書きも年齢も関係ない環境で多くの人たちと知り合って、それぞれの国の文化を知りました。そして、そこで出会ったマコとタカヨという2人の女性は、いまでも私の宝物です。あれからそれぞれに月日が流れて、考え方も、幸せの捉え方も、悩みも不安もそれなりに変わってきたけれど、3人集まればまた笑顔に。
あの日々がなかったら、きっといまの私はいない。いま大切に思うあの人にも出会えていなかったかもしれないし、いま大切にしているこの気持ちも芽生えていなかったかもしれない。そんなふうに思うと、太陽溢れるサンディエゴの日々が余計に眩しくて、愛おしいものに感じます。
あの時があるからいまがある。それは、幸せな時間も辛い時間も。少し先の未来にも、いまを振り返って同じことを感じるだろうな。
1月4日


年末年始があれよあれよと過ぎて、お正月休み最後の日に、友人を招いて我が家で新年会を開催。「この部屋にこんなに大勢の人が入るんだ!」ってくらいの大盛況。大人が大勢集まっても、主役はやっぱり子どもたち。赤ちゃんいれると4人いたのかな。子どもって、あんなに小さいのにはっきりとした個性がある。しかも、大人のようにそれを隠す必要がないから、すごく明確に表れる。言葉の数もまだ少ししか知らないのに、選ぶ言葉や言い回しにも、そのキラキラした個性がはっきりと表れている。はしゃぐ子どもたちに、微笑む大人たち。アットホームないい風景。それにしても、子どもと本気で遊べる大人はすごい。私もそうなりたい。
寄稿家プロフィール
もり・なほこ/1975年東京生まれ。スノーボード三昧の青春時代を過ごす。『warp』等いくつかの雑誌編集部に在籍後、サンディエゴへ短期遊学。2003年『+81』編集部に入社。05年よりフリーランスとして同誌をメインに、『DAZED & CONFUSED JAPAN』他、様々なクリエイティブプロジェクトにてディレクションを手がける。07年5月発行『+81 Vol.36』より編集長に就任。